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「努力ハラスメント」

 学習塾の駅のポスターに、「努力」という文字が3回大きく重ねてあった後、「徹底的に努力を積み重ねて未来のリーダーになろう!!」と続けてあって、ちょっとぐったりした気持ちになった。

「努力」「徹底的」「積み重ねる」。どれも意味は似ているような気もして、これは、「努力信仰」の呪文のように感じ、肩に重荷を乗せられた気になったのかもしれない。自分とは直接関係もないし、学習塾としては全く正しいし、自分の弱さを刺激されただけかもしれないけれど、どこかで勘弁してほしい、という気持ちになった。

努力は万能なのか

 過去の自分に何かを言えるとしたら、やはり、もう少し努力した方がいい、と言ってしまいそうになる。仕事を始めて、週に1日は休む、みたいなことをしていたけれど、何かしらのスキルを身につけるのであれば、少しでもいいから、休まないで毎日とにかく続けることをして、身に染みるようにやらないといけなくて、それは、頭で覚えるというよりは、スポーツのアスリートと同じようなのだと、後になって知る。

 それでも、努力していたからといって、成功したとは限らない、というのも、歳を重ねるほど、分かる気がしてくる。それは、自分だけでなく、いろいろな人の人生の軌跡を見る機会が増えてくるからだと思う。


 何で知ったか、すでに忘れてしまったのだけど、雨乞いの話を今も覚えている。
 昔は天気予報もなく、農作物にとっては雨が降らないというのは一大事だから、雨乞いという存在の重要性も、今では想像もできないのだと思う。

 そして、必ず成功する雨乞いは存在していたらしい。どうして100%なのかといえば、「雨が降るまで、雨乞いを続ける」ということで、つまりは日本国内でいえば、1年間全く雨が降らない地域は考えづらいから、それは可能だと思う。

 これを聞いた時に、うわ、と思い、ちょっと笑ってしまうような気持ちにもなったけれど、21世紀の現代でも健在な「努力信仰」は、これに近いのではないだろうか。「成果が出ないのは、それは努力とはいえない」と、この雨乞いの話は、実はすごく近いのだけど、雨が降るまで雨乞いを続けようとして、途中で体を壊したり、耐えられなくなって逃げたり、極端な場合は命を落とすこともあったかもしれないが、そうした「失敗した雨乞い」は歴史にも残らない。

 「努力」に関しても、成果が上がった場合だけを取り上げたり、注目していれば、それは「努力は万能」にも見えるけれど、そこに至らないで、ただ辛さだけを抱えてしまっている場合や、「努力しなくてはいけない」に縛られすぎて、心身に不調を来したりしている人も、実はとんでもなく多いのではないか、と気がつくようになってくると、駅の看板での「努力信仰」のような言葉を見ると、なんだかぐったりするようになるのかもしれない。

 だけど、幸運もあって成果が上がった「努力主義者」にとってみたら、こうした言葉自体が、言い訳だったり、いわゆる「負け犬の遠吠え」に聞こえるのも間違いないように思う。

ドリーム・ハラスメント

 個人的なことだけど、若い時から「夢を語る」人は、少し苦手だった。話し相手よりも、少し上の空間を見ながらキラキラした瞳で語っているだけであれば、そういう人なんだ、とも思っているのだけど、それを、「夢を持たなくてはいけない」と強制してくると、逃げたくなるか、反発していた。別に「目標」というようなもので十分だと思っていたせいもある。

 ただ、今は、そんな「夢を持たない若者」は許されないかもしれない現状を、この本を読んで恥ずかしながら初めて知り、そして、これは本当に「ハラスメント」といっていい状況なのも分かった。

 どこへ行っても夢、夢、夢。
 学校も学校の外も夢。大学に行っても夢。就職しても夢。転職でも夢。若者たちは夢まみれの社会に生き、夢に追い掛け回されています。

 この本では、学生時代、就職活動、さらには転職活動での「夢」が過剰に重視されている状況が具体的に描かれているのだけど、こうした生活は、確かにしんどいと思う。そして、そこには「夢」とセットで「努力」が頻繁に登場する。

「いつも夢に向かって努力しろと言われてきた」

「ドリーム・ハラスメント」という言葉ができて、初めて「価値観の押し付け」は暴力的だと気がつく人が少しでも出てきたり、もしくは、「夢に苦しんでいる当事者」が、これはハラスメントかもしれないと分かることで、少なくとも自分自身を不当に責めなくなることもありそうだから、そろそろ「努力」に関しても、「努力ハラスメント」という言葉が出来てもいいのでは、と、この本を読んで思うようになった。


 これを「エフォート」と英語にしてしまうと、「努力」のもつ重さが減りすぎて、ちょっと違ってきてしまう気がするので、この場合は「努力ハラスメント」と表記した方が伝わりやすいように思っています。

激レアさんを連れてきた

 本当に熱心なファンの前では、後ろめたさもあるものの、微妙に「リトルトゥース」でもあるので、「激レアさん」は、録画して(というところも弱いですが)毎週のように見ている。

 そこに出てくる人の中には、寝ても覚めてもナックルボールを投げることばかりを続けて女性で初めてのプロ野球選手になった人や、授業中も口笛を吹きたくて仕方がなかった口笛の世界チャンピオンや、ただジャンプすることが好きで1日中飛んでいたら大会で優勝もして仕事になった人など、ちょっと「どうかしている」ように見える人もいる。

 その上で成果もあげているからこそ「激レア」なのだと思うけれど、共通して、「努力しました」という重さというよりも、その行為自体に対しての語り方が、明るくて楽しそうに見える。もちろんテレビ番組の狙いは、そこにあるとしても、だけど、この人たちを見ていると、これが本来の「努力」なのだと思う。

 「ドリーム・ハラスメント」の中でも、こんな言葉もあった。

 夢を持たせたいのであれば、若者たちが「せずにいられないこと」を妨害しないこと、すなわち「非妨害」です。 

「せずにいられないこと」

 個人的には、無意味な掛け声の一つとして「集中!」があると思っている。今も部活の現場では聞かれそうで、そして、それに意味があると思っている人を否定する気もないのだけど、でも、集中している人は、ある具体的な行為に、言われなくても集中しているから、その言葉は必要ないと思う。そして、集中しよう、と考えても、たぶん、集中できない。

 努力も、同じように思える。「激レアさん」に出てくるような人は、気がついたら、「せずにはいられない」だけで、「努力しよう」とは思っていないように見えた。だから、「努力しなさい」といった言葉も実はあまり意味はないし、「努力しよう」と思うことも、ただ心が硬くなる場合もある。

 自分が、やりたいことをすればいいし、そのことで、やりたいことを見つける能力を高めればいいのでは、とも思う。だけど、人によって頑張る能力には差があるから、全員がそんなに頑張らなくてもいいし、それでも、誰も切り捨てられない社会になれば、それで、リラックして、逆に力が出せる人が増えるような気がする。

助け合える社会

 成功している人間は間違いなく、努力をしている。それも、努力という意識がないまま、努力しているような人が多いと思う。だけど、その逆の、努力する人が、必ず成功するわけではない。
 
 努力信仰が強すぎると、そこが見えなくなってしまい、成果を上げてない人が、努力してないように思えてしまう。それによって起こる分断が、これから先は、実は深刻になるのかもしれない。

 とはいっても、成果を上げていない私のような人間が言うのは、説得力がないのも自覚していて、本当だったら、そういうことと関係なく言えればいいのだけど、自分自身も、まだ囚われていることを自覚しつつ、他の人の力を借りることにする。

 以前も紹介したことがある本の中に、こんな内容があったのを、繰り返しになるけれど、再び紹介したい。著者は、社会的には文句なく成功者でもあることを踏まえると、より重要な気がしてくる。

 著者の講義の後に、「失敗した人にどうすればいいですか?」という質問があり、それを受けて、こんなことを話している。

 基本的に僕は、生活保護とかベーシックインカムとか、その手の施策を強化するのはいいことだと思っていますが(中略)
 この中からもし成功する人が出てきたら、「自分はたまたま成功したにすぎない」と思って、隣の席にいる、同じように才能があった、たまたま失敗したにすぎない人を助けてあげてください、っていうのが僕の答えですね。
 そういう世界観で、僕は生きてますんで。はい。 

「努力信仰」だけではなく、こうしたことも常識になっていけば、もっと自然に「助け合える社会」になるだろうし、なったら良いな、と思う。

 それは、努力信仰の人から見たら、成功しない人間のたわごとに聞こえるかもしれないけれど、それでも、「助け合える社会」になればいい、と思っているのは、本当だし、たぶんこれからも思い続け、考え続けるから、これは、もしかしたら、自分にとっては「せずにいられないこと」なのかもしれない。




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