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「誰も住んでいない実家に行く」ということ。

 両親が亡くなり、誰も住まなくなった実家があって、だけど、いろいろと事情があって、今も、同じ場所にある。

 何もしないと、庭木も生え放題になるし、家も空気を通さないと傷みが早くなるし、何より、実家のご近所にいろいろと迷惑をかけてしまうので、時々、実家に行って、さまざまな作業をする。

 ただ、コロナ禍になって、以前よりも行く頻度が減ってしまい、それで、時々、頭の中で、こうなってしまうかもしれない、というような悪い想像が広がり、なんだか不安になる。

 それが大きくなりすぎる前に出かける。

早口

 電車に乗って、乗り換えて、改札そばのアルコール除菌は、今回も私一人だけが使っていたが、乗った電車の窓は少し開いている。あちこちの路線の遅延があったりもしているので、あれこれアナウンスしている。

 実家の割と近くで、母も父も入っているお墓があって、そのお寺では、この時期に「お施餓鬼法要」があるのだけど、その日には行けないので、塔婆だけをお願いしている。だけど、その前日までには行かなくてはいけなくて、それはそのお塔婆代を支払う必要があるからで、それに、毎年の護持費を払うのを、毎年の母の命日付近にしているので、それを考えたら、今日がリミットだった。

 実家の樹木を切ろうと思っていて、妻に相談したら、脚立を押さえるから一緒に行きたいと言ってくれていたのだけど、今日も天気が悪く、それほど調子がいいわけでもなさそうだし、というよりも、ここで無理したら、また調子が悪くなるかもと思って、私一人で行くことにした。

 なんだか、最近、出かけようとすると、本当に雨が降る。

 そんなことをぼんやりと振り返っていたから、電車のアナウンスが聞き取りにくいと感じているのかと思ったら、よく聞いたら、ものすごく早口だった。1・5倍速から2倍速の感じで、だけど、少し注意深く聞けば、こんなに早くしゃべっているのに、ちゃんと聞き取れる。

 すごい。こんな早口のアナウンスは聞いたことがなかった。
 誰かと、そのことを確認したかったけれど、他の人たちはスマホを見ているようだった。

墓参り

 実家の最寄り駅で、久しぶりに降りる。
 そこからバスに乗って、お寺に向かう。

 バスに乗るのも何ヶ月かぶりになる。
 雨が降っている。だから窓も閉まっているのだけど、座ってから、ちょっと窓を開ける。
 これだけの密室は、まだこわい。

 そこから、しばらく乗って、バス停で降りて、スーパーに寄って、お花を買う。

 それから、お寺へ。
 塔婆代と、護持費と、あとはお線香に火をつけてもらって、墓へ向かう。

 雨が降っている日の墓参りは、ちょっと辛い。
 火のついた線香を持ち、花束を抱え、カサをさしている。自分の荷物も持っている。

 それから、二つの桶に水をくみ、ひしゃくを用意し、今日は雨が降っているから、水がいるのだろうか、と思いながらも、それだけ持っていると、そこから、また上の方へ向かうから、ちょっと辛い。

 お墓につく。

 今は、父の命日の夏と、母の命日の春の2回くらいしか来ていない。

 花を入れるところに水がいっぱいになっていたけれど、いったんは捨てたら、底に何かがたまっていた。
 雨が降っている中で、水をさらに墓石にかけて、少しこすって、でも、なかなかきれいにはならず、カサをさしながら、そのまま荷物を持ちつつ、花もいけて、お線香をばらして、所定の場所におさめる。

 やっといろいろとできて、手を合わせる。

 仏教を信じているわけではないけれど、こうして、お墓に来て、何かを思う。

 そこから、実家まで歩くことになるが、その前にまたスーパーに寄る。 

除草剤

 いつの頃からか、ご近所の方からもすすめられ、除草剤を使うようになったので、春になる頃には、庭にまくので、お寺のそばのホームセンターで買って行くのだけど、お寺に行くときに、殺生に関係あるものを持ち込むのも抵抗があるので、墓参りの後に寄るようにしている。

 この時期になると、除草剤が並ぶ場所があって、何年か前まで黒い四角いプラスチックの除草剤がずらっと並んでいて、それを購入して運んでいたのだけど、今年は、緑色の違うメーカーのものが正面の位置を占めている。その方がいわゆるメジャーな企業であって、この狭そうな業界でも、当たり前だけど競争は激しいが、緑色の方が同じ約5キロなのだけど、安いので、私もそちらを買ってしまった。

 それから除虫剤を買った。母が生きていて、病院にいて通っていた頃は、実家の庭も、ほぼ放っておいたので、その時にチャドクガが大量に発生し、音がするほどの状況になってしまったのをご近所の方から伝えてもらい、迷惑をかけて、その時にはプロの植木屋の方にお願いしたことがあったので、それからは除虫剤もまくようになり、それも買った。

 さらに、実家で作業をすると、当然ながらのども乾くけれど、近所にはコンビニもないので、飲み物も買って、そうすると、総重量は10キロ近くになって、それを厚めの布地のトートバッグに入れて、道を歩く。

 毎年、同じようなことをしている。

 雨が降っている。

 タクシーが通ったり、バス停でバスが来たら乗ろうと思っていたけれど、国道の歩道を歩いているのに、どちらも通らず、荷物が重いと心の中まで少し無口になり、時々、荷物を右手と左手で持ち替えながら歩き、ずっしりした感触は変わらずに、それでも少しずつ歩くと実家に近づく。

 最後は、ゆるやかな坂道が5分ほど続き、実家が見える。
 
 少し遠いところからは、見た目は変わらないけれど、もう築30年以上の木造建築だし、誰もすまなくなってからは10年以上がたつから、ただの空き家で、その建築物の意味はほとんどないに等しい。

 そして、家がそこにあるだけで、いろいろな問題が起こり、そのたびに、ご近所の方から連絡をいただいたり、気がついたりして、なんとなく心配事も起こるのだけど、今は「穴」と「松」が、私にとっては2大心配事になる。

「穴」

 実家の外の壁に、通気口か何かが作ってあって、いつの間にか使わなくなった。それを内側は埋めたものの、外側はプラスチックのフタがしてあった。それが、3年ほど前に、フタが取れてしまっていて、「穴」になっていた。

 庭の作業をしている時も、直径3センチくらいの「穴」が外壁に開いていることになっていたが、ほとんど気にならなかった。だけど、秋頃に、その「穴」付近の草刈りをしていたら、「ブン」という低い音がした。

 振り返ったら、すぐそばにハチがいた。
 大きめで、とても怖い顔をしていて、スズメバチとわかった。腹は黄色と黒のシマシマ。

 とっさにしゃがんだか、そばの殺虫剤を手に取ろうとした時には、そのスズメバチは、どこかへ飛んでいった。

 助かったと思ったけれど、殺虫剤を手に持ちながら、あたりを見たら、また来た。

 殺虫剤をそばでかけ続けて、やっとまたどこかへ行った。

 そのうちに「穴」が巣になっていることがわかった。そこにスズメバチが入っていった。「穴」の中は、広めの空洞になっているようだった。

 ゾッとした。

 このままだと、ここで巣が大きくなって、スズメバチがたくさん飛ぶようになって、通りがかりの人を刺してしまったら、とんでもないことになる。

 確か、ゴキブリ対策用の強めの殺虫剤と、ハチ対策の大きくて噴射力が強いけれど、あっという間に中身がなくなってしまう殺虫剤があったので、それを玄関先に戻って持ってきて、歩きながら、その間も周りを見ながら「穴」に再び向かう。

 腰がひけながらも、その「穴」に殺虫剤を二つ使って、噴射する。
 ブン、ブン、ブン、ブン、ブン。
 低い音が聞こえる。もっと噴射する。さらに噴射して、殺虫剤が、ほぼ空になるほど使ったと思う。しばらく静かになった。

 その時に、その「穴」をなんとかふさぐ。とはいっても、元のプラスチックのフタは、つけても落ちてくるから、そのフタをして、その上から、何かで押さえる。そして、そこをこの前伐採した木の枝がちょうど届くから、それで押さえた。地上50センチくらいの高さ。壁は、リシンかき落としといった方法で、ザラザラしているから、テープか何かでおさえるのが難しい。

 家の中に入る。その壁の中から、ブン、ブン、ブン、という音が聞こえ続けている。中で飛んでいるのだろう。怒りが伝わってくるようで、怖かった。

 その音は数時間続いた。

スズメバチ

 その間、何度も、外の「穴」の場所を見に行った。
 スズメバチが来ていた。

 殺虫剤を2本抱えて、少しずつ近づき、殺虫剤をかける。
 ハチは向かってくる。
 さらに殺虫剤をかけ続ける。
 まだ飛んでいる。

 少し弱った。そこへ2本の殺虫剤をかける。かけ続ける。
 地面に落ちた。
 さらにかける。
 まだ動いている。

 さらにかける。やっと動かなくなった。
 それでも刺すことがあると、何かで読んだ。
 庭にある20センチ四方くらいの石を持ってきて、それを乗せた。

 その一匹だけではなかった。

 何度も飛んできて、一度は複数で来て、そこに殺虫剤をかけて、それでも逃げない時は、手が震えていた。

 2回刺されると死ぬらしい、ということを、こういう時に思い出す。

 それでも、かけ続けて、10匹まではいかないけれど、自分にとっては、結構な数のスズメバチを殺してしまった。

 怖かった。

 そのうちに夜になり、スズメバチは、来なくなった。

 壁の中の音も止んだ。
 しばらく怖さが体から抜けなかった。

対策

 それから、時々、台風の後などは、押さえてあったものが取れて、「穴」がむき出しになっていると、ゾッとして、殺虫剤を噴射してから、フタをすることの繰り返しになった。

 途中から、玄関の土間にあった細長い棚のようなものを空にし、中に石を入れて重くして、フタをテープで止めて、そこにその棚を寄せて、おさえることを始めてた。だけど、実家に行くたびに、テープがはがれていたり、棚がどんどんと劣化して、形も歪んでいったのだけど、なんとか、それでも「穴」を押さえてくれていた。

 途中で、クギで押さえようとしたが、うまく、打ち込めず、あんまり太いクギを使うと、壁自体が崩れそうで怖くてできなかった。

 だけど、それからの3年間は、その繰り返しで、実家に行くたびに、テープの張り替えを行いながら、なんとか、「穴」はふさがれたまま、再びハチの巣になることはなかったけれど、台風が来るたびにヒヤヒヤして、不安がふくらむ事には変わりがなかった。

 不安は、それだけではなかった。

 そういえば台風が来る前に、2階のベランダの物干し竿を、上にあったのを下に下ろしたのは、近くに住む高校時代の同級生に、久しぶりのクラス会で指摘されたからだし、地デジに対応していないから、ただ立っているだけの屋根の上のテレビアンテナも、ご近所の方に揺れていることを指摘されて、撤去した。

 今回は、「穴」はなんとか無事だった。
 棚は、すでに棚でなくなり、カーブを描いた形になりながら、でも、その形を生かすように押さえてもらっているけれど、赤いテープははがれていたので、また新しく貼り直し、また棚で押さえた。


 もう一つの心配事が「松」だった。

 門のそばに、松が植わっていて、この10年以上は、私が高枝切りバサミなどを使って、刈ってきた。きれいに整えることはできな買ったけれど、どれだけ刈っても、松は意外と伸びて、気がついたら2階の屋根くらいまで高くなってしまっていた。

 去年は、近くに電線があるので、ご近所の方に教えてもらい、そこには引っかからないように脚立のてっぺんに立って、高枝切りバサミを使って、なんとか切れたけれど、また伸びている。

 なんとか切りたい。

 今回、何年かぶりに妻に一緒に行ってもらおうと思ったのは、脚立をハシゴにして、押さえてもらって、松の木を切ろうと思っていたからだ。この前、少し松に登り、思ったよりも強度があることも確かめて、その上で、やや太い枝を切れたので少し自信になっていたが、しょせん素人なので、怖さもあるものの、なんとか高く伸びている枝くらいは切りたかった。

 ただ、今回、妻の体調がすぐれず、松は見上げるだけになった。

 他の、名前も知らないのだけど、うっそうと茂りそうだった樹木の一本の枝、直径10センチくらいあるのを、ノコギリで切った。途中では、ノコギリが動かなくなったり、かなり切ったはずなのに、びくともしなくて焦ったけれど急に倒れた。

 高さは、2メートルくらいあるし、かなり重かったけれど、そこは風通しが良くなって、ちょっとホッとした。

 あとは家の窓を開けて、空気も通したし、湿り気があるとはいえ、雨が上がったので、庭の草木も刈れるものは1時間かけて刈り取った。ずっと大きめのハサミを動かし続けて、なんだか思った以上に疲れたけれど、次に台風が来るまでに松をなんとかしたかった。

帰宅

 午後から出かけて、墓参りをして、実家に来て、いろいろと作業をし、そして、来ていた作業着がわりのスエットなどを洗濯し、実家の室内に干してから、実家を出たら、午後7時になっていた。

 見上げる空は、この家に住んでいた何十年も前と変わっていないのだけど、周囲の人たちはすっかり変わってしまったし、自分も歳をとったけれど、知っている人がいても、かなり高齢者が多くなった。

 今度来るときは、できたら妻にも来てもらって、私よりも器用だから「穴」をもう少しスマートにふさぐ方法と、松の木を切ることを手伝ってもらえたら、と思っている。

 駅までの道を歩く。同い年の知人がやっていたはずの八百屋はなくなり、ビルになって違う店が入っていたし、他にも知っている人が経営をしていたコンビニはあるけれど、当然だけど店頭に知っている顔がいるわけもなかった。

 実家に人が住んでいなくても、そのままにするわけにもいかない。
 この作業を続けて、もう10年以上が経った。




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