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「事実上の一夫多妻」という言葉の強さ。

 最初に「事実上の一夫多妻」という言葉を知って、あ、そうだったのか、といった納得感と、普段はそんなに意識していないような、気持ちの底に埋もれている、妙なうらやましさが湧き起こっていた。

 この本↑には、「日本のサラリーマンは世界でいちばん会社を憎んでいる」や、「平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られたのです」といった、かなり強めの「残酷な事実」が描かれているのだけど、その中で、個人的には、これまでもやもやしていたことが、スッキリするような指摘もあった。

現代社会は「事実上の一夫多妻」 
       
一部の男が複数の女性と結婚しているのです。

 それは、いっぺんに「一夫多妻」になれば、法律違反でもあるのだけど、離婚、結婚を繰り返すことで、「時差のある一夫多妻」となっていることを表した言葉だった。個人的には、「モテが集中する」というような残酷さを、改めて確認したような気持ちになった。

「バツありオットセイ男」 

 さらに、もっと露骨な表現で、この統計的な「事実」を分析する視点もある。

 これは驚くべき実態だ。何回も結婚できる「勝ち組」オトコが複数の妻を得る一方、一度も結婚できない「負け組」オトコがあぶれる「結婚格差」が広がっているというのだ。日本は、強くてモテるオスが多くのメスを独占するオットセイのような社会になっているというのか――。

 かなり、直接的で下品な表現でもあるのだけど、「事実上の一夫多妻」のことを知ったときに、私自身の頭によぎったことと、かなり一致していて、少し恥ずかしくもなった。

 同時に、それを連想させる様々な記憶の断片が、新旧問わず、そんなに古びないで、まだ自分の気持ちに残っていることに気がついた。

外部に存在したモテの数々

 女子を意識し始めた中学生の頃、バレンタインデーが盛んだった。
 その日になると、最もサイズの大きいと思われる紙袋を持ってきて、なんで?と思っていると、帰りには、その袋いっぱいにチョコレートを持って帰るサッカー部の先輩がいた。
 
 友人の家に行くと、高さが5センチ以上はあるような書類ボックスの中に、きれいに整理された便せんがあって、これ何?と聞くと、なんとなくあいまいな感じだったけど、いわゆるラブレターが何十枚も重なっていた。

 誕生日が同じ人間が、同じクラスにいて、その日になると廊下に、他のクラスの女子がいて、外へ出た時に、その男子を呼んでほしい、といったことを言われたような気がする。

 特に若い時(中高生)ほど、男女とも、モテが集中していた記憶がある。

 だけど、そこから歳をとっても、何人か男女がいると、自分以外の人間が付き合っていたりする。仕事で出入りしていた場所で、かなり年上の男性と若い女性が知らないうちに結婚する、と突然知る。ある職場で、やけに女性がざわざわしているとき、その理由を女性に聞くと、ある男性が、その日にやって来るのだけど、「さわやかで、少年っぽさもあって…」と、どうして分からないのか?みたいな口ぶりで教えてくれた。

 いつも、モテは、外部で動いていた。

 そして、世の中のモテは、明らかに大きく偏りがあって、それは努力ではどうしようもできない要素の一つだった。

 だから、事実上の一夫多妻、が存在する、という見方を知った時に、ああ、やっぱりという気持ちになった。

モテなかった後遺症

 自分も幸いにも結婚できて、子供はいないが、穏やかに、ずっと基本的には楽しい生活が続いている。それは、妻のおかげだと思う。

 それでも、10代後半から20代前半の思春期の頃に、異性からあまり必要とされないような体験は、その後のことでの気持ちの埋め合わせみたいなものは、結構難しいのかもしれない、と思う。それは、承認欲求の強い若い頃に、それが満たされなかった、といった、大げさにいえば、痛みを伴った記憶なのかもしれない。

 これは、自分だけのなんだか情けない問題かもしれないけれど、その後も、なぜかモテる人は世の中にいるのを、時々、思い知らされることがある。

 その度に、なんだか、モヤモヤする。

本当にモテる人の特徴

 例えば、告白されたりすることが日常になっているので、そういう人に、「モテるでしょ?」みたいなことを聞くと、真面目な顔で「そんなことはない」と、異口同音で語る。

 場合によっては、謙遜だったりすることもあるのかもしれないが、何度もそんな会話をすると、それが多くの場合は本気であることにも気づいて来る。

 そして、ほぼ必ず、こういう言葉もついてくる。

 モテるってなに?自分が好きな人に、好きになってもらわないと意味がない。

 グーの音も出ない正論で、そして、その言葉が本気で純度が高いから、その人がモテることを、分からされてくれる。

 「モテたい」などという浅ましさから自由である人が「モテる」のであって、そして、本当にモテる人は、自分がモテるなどと思っていない。

 それが分かったとしても、自分が「モテる」ようになるまでは、いつも、とても遠い。

 年齢を重ねて、それだけは、分かったように思う。



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