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「介護離職」について、改めて考える。

 介護離職は、ずっと存在していた、と思う。

 ただ、それが改めて注目されたのは、2015年に政策として「介護離職ゼロ」が掲げられたからだった。

 それから8年が経って、その言葉はあまり聞かれなくなった。

 その後がどうなっているのか。自分自身も、介護離職を経験した一人として、ずっと気になってはいた。


介護離職ゼロ

 毎年、約10万の人が、介護のために仕事をやめている。

 そのことに対し、主に労働力の不足のような視点で、「介護離職ゼロ」を目指しているような印象があった。

 2020年代初頭までに家族の介護を理由とした離職の防止等を図るべく「介護離職ゼロ」を推進していくこととしており、必要な介護サービスの確保と、働く環境改善・家族支援を両輪として取り組んでいます。
 介護離職の理由には、「仕事と介護の両立が難しい職場だった」、「自身の心身の健康状態が悪化した」というものがありますが、その中には「介護サービスの存在・内容を十分に知らなかった」という理由もあり、こうした状況を解消していくために介護に関する情報提供体制を整備していく必要があります。こうした背景から、介護と仕事の両立を希望するご家族の不安や悩みに応える相談機能の強化・支援体制を充実させるために、介護が必要になったときに速やかにサービスの利用ができるよう、国及び自治体において、介護保険制度や介護休業制度の内容や手続きについての住民の皆さんへの周知拡大を推進していきます。

(「介護離職ゼロ」ポータルサイトより)

 この後、介護のために休職できる制度も実際にできたのだけど、この政策目標が掲げられた2015年には、「2020年代初頭までに離職の防止」が目指されていたのだけど、2023年の現在では、その目標は、まだ遠いままだ。

「介護離職ゼロ」のためには、ここで指摘されているように「介護と仕事の両立」をするしかない。

 ただ、介護をしながら、仕事も続けていくことが、いつも可能なわけではないのに、どうして、そこばかりを強調するのだろうか。

 介護に専念せざるを得ない状況になって、仕事をやめた人間としては、そこが不思議だし、違和感があった。

介護のはじまり

 とても個人的なことで、限られた経験に過ぎないし、おそらくこのnoteでも、何度か書いているけれど、私自身が介護をするようになったのは1999年のことだった。

 よくあるように突然、今まで一度もなかった母親の症状が顕在化して、介護をするしかなくなった。それは、初期の症状の激しさと、その状態への理解の難しさと、どのように支援してもらえるか分からないことも含めて、言葉は適切かもしれないけれど災害に巻き込まれて、一人で知らない場所で立たされて、まさに路頭に迷うような気持ちだった。

 会社に勤めて仕事をしているわけではなく、フリーのライターとして出版社などから仕事をもらっているので、母親の入院など、さまざまな介助が必要なときは、そのことを伝えて、しばらく仕事を断っていた。もちろん、そういう立場の人間に何かしらの支援制度があるわけではなく、単純に無収入の期間が続くだけだった。

 最初の症状は、入院して1ヶ月弱で、なぜか改善した。そのときに、担当してくれた内科医に、精神科医にもみせてください、とお願いしていたのに、なぜか、様子をみましょう、というだけで、実現しなかったから、どうしてなのか分からないのに、症状が改善して、退院になった。2月のことだった。

 本当に以前のようになったので、そのときは仕事を再開したが、母親の症状の原因が分からないままだったから、不安があった。

 すでに高齢者でもあった母親だから、丁寧な診察をしてくれない、ということだったのだろうか。ただ病院に不信感が募ったのだけど、亡くなった父親がずっと勤めていて、母もそこで働いていた企業名を冠した病院だったので、母親は、その施設を実質以上に、とても信頼していて、病院をかえるのが難しかった。

 それから季節が過ぎて、夏になった頃、母親の症状は再び悪化したが、近くの病院では何も悪くないと言われた。これだけ、理解不能な行動をとっているのに、それが信じられず、半年前に入院した企業名を冠した病院に、責任をとってもらいたい気持ちで、再度、入院をさせてもらった。

 私は、こうした突発的な出来事の場合に、どこにも所属しないで仕事をしていたから、その間は収入はゼロになったとしても、1ヶ月や2ヶ月は休んでも、大丈夫(ではないけれど)だった。

 もし、会社に勤めていて、こうした事態に襲われて、数週間はかかりきりにならざるを得なかったら、その間に休みを申請しても、回復するかどうか分からないし、先も見えないし、といった混乱の中で、会社をやめてもおかしくないと思う。

 そのくらい、介護のはじまりの混乱は、体だけではなく、日常生活では、なかなか経験しないほど、気持ちの負担がとても大きいものだった。

介護離職

 2度目の入院の際も、何年も、ずっと母を診てくれていた内科医は、「痴呆ですね」(当時は、まだ認知症という名称はなかった)というだけで、ほとんど検査もしないで、精神科の病院を探して、転院することだけを勧められた。
 医師には、特に病院を紹介してもらえることもなく、入院中も、とにかく他の患者に迷惑をかけないでください、と病院のスタッフには言われ続け、結局、私が病室に泊まり込んで、目を離せなくなった。

 こういう状況では、もし会社勤めだったら、やはり、仕事をやめてしまっても、おかしくないと思う。

 その後、精神科の病院へ転院もでき、その移動の際は、私がクルマを運転し、後部座席に母の隣に妻にいてもらったが、もしも母が暴れたら、3人で死ぬことも覚悟した。その際にはできるだけ他の車両には迷惑をかけないようにしようとは考えていた。

 無事に病院に転院し、そこで母がカゼをひき、血液検査をすることによって、血中アンモニア値が400を超えるという異常値(普通は、100になったら、意識混濁するらしいと聞いた)で、その値を下げる薬を飲み始めたら、しばらく経って、ウソのように治っていき、2週間ほど経ったら、普通にコミュニケーションできるようになった。

 ただ、最初の企業名を冠した病院できちんと検査もしてもらわなかったので、本当にそのアンモニア値だけが原因なのか分からず、そして、退院の時に施設入所も勧められたのだけど、母が一人でとても孤独にいるイメージが頭に浮かび、家でみます、と言ってしまった。

 そこで、実質上は、仕事ができなくなった。でも、自分では、いつまた悪くなるか分からない状況のまま、最初の企業名を冠した病院に母と通った。病院をかえるのを、母が嫌がったからだった。企業への信仰心のようなものも関係していたと思うし、母が症状が悪い時のことは、どのような扱いを受けていたかを覚えていないせいもあった。

 退院後、実家で私が母をみて、家では妻が高齢の義母の世話をする生活は1年ほど続いた。母の一人暮らしは無理になったので、弟と同居の試みもしたのだけど、その途中で、また症状が悪くなった。

 ここまでの1年でも、まだ仕事は休んでいる意識で、また仕事のことで連絡をすれば、まだ再開できるような状況のはずだった。

 だが、また症状が劇的に悪くなり、また企業名を関する病院に入院し、血液検査などで異常がないとなると、1年前の診断ミスを忘れたように、迷惑です、と言われ続け、昼も夜も見守ることを、忖度させるように追い込まれ、それが2週間続く頃は、怒りと不安と、ほぼ眠れなくなったせいか、私は心房細動の発作を起こした。

 そのときは、ろっ骨の中で知らない生き物が暴れているように感じ、脈は手首でとっても、リズムが乱れ、時々、止まり、もう死ぬと思った。そのときは、今、目の前にいる母親も連れて行こうと思ったのは、この負担を、自分の高齢の母親もいる妻に委ねるのは申し訳ないという気持ちもあったせいだ。

 私は、幸運にも後遺症もなく、助かったが、循環器の医師からは「次に大きな発作を起こしたら死にますよ。無理はしないでください」と言われたこともあり、自分の中では仕事をあきらめた。

 介護と仕事。どちらかしかできないと思ったからだ。両方をやろうとしたら、また発作が起きると思うと、怖かった。

 その後、仕事の依頼をしてくれても、事情を話して断り続けたら、しばらく経ったら、その連絡もなくなった。完全に介護離職となった。もちろん、フリーでライターをしていたから、いわゆる「売れっ子」だったら、その状態でも仕事は続けられたと思うけれど、私は地道にその都度、取材をして書くことでなんとか仕事になっていたから、依頼がなくなれば、そこで終わりだった。

 母の介護と、義母の介護も始まり、妻と一緒に取り組んでいたけれど、その頃、そんな言葉はなかったけれど、気がついたら「介護離職」の状態になっていた。

 目の前の介護のことだけで、心身がいっぱいで、他に何かをする体力も気力もなかった。

 時々、私の選択に対して、「自分たちの未来を考えていない」といった善意での批判がされることもあった。

 それは、その通りだった。
 自分の未来のことは考えられないし、考えないようにしていた。
 その状態が10年続いた。

 介護の合間に文章を書いて、公募している賞などに何度も送ったけれど、一度も受賞しなかった。

 個人的な経験に過ぎないけれど、「介護離職」を選んだ人は、私もそうだけれど、いろいろと状況を分かった上で、それでも、そのことを選択しているのではないか、と思っている。

減らない介護離職

 2010年代に入って、「介護離職」という言葉が、かなり一般的になったのは、私のように介護のために仕事を辞める、というよりは、会社を辞める人が多くなってきたからだった。

 私の場合は、フリーランスで、それも30代で仕事を辞めたから、少数派だし、おそらくは、この統計に入っていないとは思うけれど、約10万人が介護を理由に仕事を辞めているし、その状況は「介護離職ゼロ」という政策が掲げられた後でも、劇的に減少しているわけではない。

家族の介護や看護で、仕事を続けられず、離職を余儀なくされる介護離職。
その人数は、2017年までは減少してきました。
ところが、7月に公表された国の「就業構造基本調査」では、去年、10万6000人と、再び増加に転じました。

(「NHK」より)

 この去年、というのは2022年だから、つい最近のことになる。

国は2015年に介護離職ゼロの目標を掲げ、対策の強化を図ってきましたが、その目標が遠のいています。

(「NHK」より)

 そして、その目標が達成できない理由として、両立を促進する介護休業などの制度や、介護サービスが、まだ不足しているのではないか、という指摘がされている。

【まとめ】
人口が減少する日本において、介護離職は、貴重な労働力を失う大きな損失です。
経済活動、そして社会機能の維持にも深く関わる問題です。
支援制度の利用を広げ、必要な介護サービスを確保し、介護と仕事を両立できるようにすることが、国や企業には、いま強く求められています。

(「NHK」より)

 ただ、もともと、介護と仕事の両立は、可能なのだろうか。

 どれだけ支援制度を充実させ、介護サービスが拡充したとしても、要介護者の状態によっては、もしくは、介護環境によっては、どうしても無理な場合は少なくない、という可能性は検討されていないのだろうか。基本的に、介護を継続することが、どれだけ大変なことか、把握していない可能性はないだろうか。

 だから、介護離職は減らない、というのが、ただの現実ではないか、と思う。

介護離職の末路

「介護離職」という単語を多く目にするようになったのと並行して、それに関する言葉も聞くことが増えてきた。

 それは、介護と仕事を両立させた有名人や、介護に関わる専門家から語られることが多い印象がある。

 介護離職をした人の末路は、悲惨なことになることが多いようです。

 そういう言葉が、介護と仕事の両立の重要性を強調したあとに、比較対象として挙げられているようだった。

 「介護離職」の当事者として、その言葉を聞くと、やはり微妙な怒りの感情が湧いてきてしまうのは止められなかった。

 どうしてそういうことを言うのだろう。

 介護休業の制度では、とても足りない。介護サービスをどれだけ使っても、介護しきれない。もしくは仕事と介護の両方をしていくと、自分が過労死してしまう。そんなギリギリの状況のために、止むを得ず仕事を辞めている人も少なくない、と思えるのは、自分もその一人だからだ。

 もちろん、個人的にはフリーのライターという続けられそうな仕事を継続できなかったのは、それまで「売れっ子」になれなかった自分の力不足でもあるけれど、その頃は、サッカーの仕事が多く、2002年自国で開催されるW杯を取材することを目標の一つとしていたのだけど、介護もあるし、自分の心臓の病気もあるし、その2年前に仕事を完全に諦めざるを得なくなった。

 だから、しばらくサッカーをテレビなどで見るのも辛くて、試合の中継は避け続ける時間が続いた。

 もし、その頃に「介護離職をした人の末路は悲惨なことが多いようです」という発言が向けられたとしたら、介護離職を避けるためを目的とした言葉だとしても、完全に倒れているような気持ちでいる自分の背中を、さらに踏みつけられるような感覚になったと思う。

「介護離職をした人の末路は悲惨なようです」といった発言をした有名人は、もちろんご本人の努力や工夫や大変さがあったのは間違いないとしても、知名度や経済力も含めての「介護力」があってこそ、両立が可能になったのかもしれない。もしくは、要介護者の症状によって、それが可能かどうかが決まることもある。

 どうして、もしかしたらその人以上に、努力も工夫も困難を乗り越えても、どうしようもなく、介護離職を選ばざるを得ない人がいることに想像が及ばず、傷ついている人を、さらに追い込むような言葉を発してしまうのだろう。

 もしくは、専門家と言われる人が、「介護離職」を止めるためとはいえ、実際に年間10万人ほど存在する「介護離職者」に対して、負担感を増やすかもしれない言葉を、なぜ口にしてもらうのだろう。

 現在では、あまり言われなくなったのかもしれないが、やはり「介護離職をした人の末路は悲惨」という表現は、その確率が高いとしても、あまり使わない方がいいと、今でも思う。

 確かに、私も「介護離職者」で、10年完全に介護だけに専念し、その後に介護をしながら学ぶ機会を幸運にも得られて資格も取得できたものの、介護が終わった今でも貧乏な生活をしているから、そういった発言をした人から見たら、「介護離職者の悲惨な末路」かもしれない。

 ただ、大事なことは、個人的な成果の差ではなく、「介護離職」をせざるを得ない人が、悲惨な末路になることが、残念ながら多いとしたら、どうしてそうなってしまうのか、を考えることだと思う。

介護離職しない、させない

 この書籍は、介護離職経験者である著者が、そのことでやはり大変な思いをした上で、どうすれば介護離職を防げるかについて書かれている。

 それは、知っていれば、介護離職をしないで済むような情報もあるので、現在、仕事をしていて、介護が始まった人だけではなく、将来の介護の可能性に備えて、読んでおくべき本の一冊だと思う。(ただ、出版された2016年から比べると、法律なども含めて、変化があるので、その情報の更新の必要はあるはずだけど)。

 その中に、こうした描写がある。

 たとえば、ある人は面接で「介護をしている」と言ったことでどこからも採用されませんでした。また、ある人は介護に専念していた期間に関して、「このブランクに、あなたはなにを会得しましたか?」と面接官に尋ねられたそうです。
「介護をしていた。それだけで精いっぱいで他のことをする余裕などない」と介護者誰もが大声で言いたいところでしょうが、世間一般の介護に対する理解は、まだまだ進んでいません。「単なる休職中」の認識なのかもしれません。
 実は介護はいろいろな立場の人たちが否応なしに絡んでくるので、そうした人たちを調整するマネジメント能力が問われるし、養えます。また、接する人たちに要介護者に代わって説明するプレゼン能力も必要です。
 介護をするだけで立派なビジネススキルが身につくし、逆にそうしたスキルが介護に大いに生かされる。もっとこうした点にも注目してほしいし、介護をひとつの「キャリア」と評価してもいい気がします。

(「介護離職、しない、させない」より)

 このことに関しては、100%同意できる。

 私自身は、家族介護者の経験が一定年数あれば、(場合によっては研修後に)、ケアマネージャーの受験資格を得られるシステムにした方がいいのではないか、と思ってきた。

 そのことで、本人が望むかどうかは別としても、介護終了後の仕事についての希望ができるし(介護離職後の絶望感が少しでも減るかもしれない)、何より、家族介護者の経験が、価値があると認められている、というポジティブなメッセージとなって、介護負担感も少しでも和らぐ可能性があるからだ。

 ケアマネージャーのことについては、さらに慎重な議論が必要としても、問題は、介護離職し、介護に専念せざるを得ない状況であったとしても、その介護が終わったあと、本人が望んでも、その再就職が、あまりにも厳しい状況にあることだと思う。

 介護をすることによって、気がつかないうちに、もしかしたら本人の成長もあるにも関わらず、介護が終わったあとに仕事が全く見つからないとしたら、悲惨な末路にならざるを得ない。

 そうであれば、介護離職の人の末路が悲惨になりやすいとすれば、それは個人だけではなく、社会の問題でもあると思う。

介護後の再就職

 平均寿命は伸びてきた。

「人生100年時代」とも言われ出したが、ただ、その実態は、とにかく長く働いてほしい、というメッセージも暗に含まれているように感じていた。

 それならば、介護離職して、介護に専念したとしても、その介護が終了した後も、再就職がなるべくスムーズになるシステムを構築した方が、「介護離職ゼロ」の目標の一つが、労働力を減らさないためでもあったのだから、そうした人材をいかに有効に活用するかも、大事なことではないだろうか。

 介護と仕事の両立。

 それを言うのは簡単だけど、介護離職者が年間で約10万人もいるということは、それを介護離職をなるべく防ぐための制度ができたとしても、介護離職が減らないとすれば、介護をしていくには、仕事を辞めないと難しい、という場合が明らかに少なくない、ということだと思う。

 それは、要介護者の症状によっても、もしくは、経済的環境や、介護環境によって、どうしても両立は無理で、介護を完全に放棄するか。仕事を辞めるか、という選択を強いられる、という場合かもしれない。

 そうであれば、「介護離職」を減らすための制度の整備と同時に、介護が終わったあとの再就職を支援するシステムを作った方が、国全体の労働力を考えた場合に、より現実的だと思う。

 そうしたシステムができたときは、「介護離職の末路は悲惨」ということが事実として減る可能性も出てくるのだから、「介護離職」しても、本人が望むのであれば「介護後の再就職」ができやすい社会に、一刻も早くしてほしい。

 それを、「介護離職」経験者の一人としても、望みたい。

 このことは、おそらく繰り返し訴えていかないといけないとも、改めて思っている。



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