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読書感想 『ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生』 笛美 「気づいたあとも、踏みとどまり、戦い続ける記録」

 その出来事はニュースで知った。
 一人のツイートから始まったことが、政策に影響を与えたのではないか、という話だった。
 それは、自分からはとても遠かった。

 その「笛美」と名乗る女性が本を書いたこともラジオで知った。
 その内容について話されている言葉も聞いた。
 それは、自分とは縁が薄い話に感じた。

『ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生』 笛美 

 読んだら、読む前に抱いていた印象とは、まったく違った。

 自分が昭和生まれの男性で、この著者の困難に対して無関係とは言えないので、後めたさを感じつつ、それでも、この本は「戦いの記録」だと思った。

 それも、理不尽な状況に気づいたあとも、そこから目を逸らさず、逃げずに踏みとどまり、今も継続している戦いを伝えてくれる著書だった。

「気づく前」の戦い

 著者は、大手広告代理店に就職した。給料もよく、文章のところどころから、キラキラしたものが伝わってくる。そして、残業も当たり前で、とんでもなく長時間働く姿が描写されているけれど、何しろ、ものすごく頑張っているのは伝わってくる。過労で倒れなかったのが不思議なくらいに思えた。

 もちろん、同じではないけれど、バブル全盛期の「24時間戦えますか」というCMのことを思い起こさせるような描写が続く。

 同時に、女性の著者から見た「会社」は、キラキラの中に明らかに「暗雲」が漂っている。それは、「女性蔑視」という成分でできているようだけど、その「暗雲」は、それより20年以上前に「会社」という組織にいたこともある私が知っているものと、あまりにも似ていたし、本当に変わっていないように思え、私が言う資格はないのかもしれないが、ちょっと怖いほどだった。

 でもどうしても晴れないモヤモヤがありました。若い女性クリエイターは「女性目線での企画を」と仕事に呼ばれます。でも私は女性代表といえるような女なんだろうか?私が思うターゲット目線の企画を出すと男性にはわかってもらえず、結局は男性が妄想する「女の子が好きそうな企画」に落ち着いてしまう。もしも男性が想像する「女の子が好きそうな企画」でもよいのなら、なぜわざわざ私たちを呼ぶのでしょうか?「俺たちが思う女の子が好きそうな企画」を女の口から説明させ、お墨付きを与えるためでしょうか?

 この「暗雲」は、働いている時だけでなく、それも年齢を重ねるにつれて、より強く、プライベートまで侵食していく。

 男性の先輩や同僚たちは、次々に結婚していきました。女性である私でさえ会ったことのないような、天女のように綺麗で優しそうな女の人たちと。奥さんたちは家に入って、先輩たちの身の回りのお世話をやってくれるようでした。結婚しても彼らのライフスタイルは変わらず、独身時代と同じように深夜残業をし、コンビニや外食でごはんを食べていました。
「お前もそろそろ結婚しないとやばいよ」「女性の独り身は惨めだよ」「30になると卵子が老化するんだよ」と男性の同僚に言われるようになりました。

 著者が就職したのは、すでに21世紀になっていたはずなのに、こうした「女性蔑視」や「セクシャル・ハラスメント」は変わらずあって、だけど、著者は、心身を守るためか、深く傷ついていたはずなのに、過剰適応によって乗り切ろうとしていたのかもしれない。

「気づいた」とき 

 30歳を超えた著者は、おそらく周囲の環境のために自己評価が下げさせられ、さらに、あまりにも頑張りすぎた反動のためか、「生きていてごめんなさい病」の状態になっていたが、F国でのインターンを経験することになる。

 その、男女格差が低い国では、働き方も違っていた。

 打ち合わせの出席者も3、4人だけ。10人もいる企画会議なんてめったにお目にかかりません。サクサクとやることが決まっていきます。絶対に会議室にいなきゃいけないルールもなく、自宅や外国人の人ともネットで遠隔会議をしていました。
「いやいや、そんなんじゃ仕事できないでしょ」と思うのですが、日本と同じように、いやそれ以上にクオリティの高いプロジェクトが仕上がっていくのです。


 そして、日本の働き方歴史とともに学ぶ機会も得たのだけど、それは、一時的に、外側からの視点にもなっているからこそ、より体に染みるような理解のあと、決定的に「気づく瞬間」が訪れる。

 リスクを負うのは女性だけではありません。男性も総合職の働き方によって過労による自殺や家庭崩壊などの深刻なリスクを抱えているのだそうです。「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担は、男性にも女性にも大きな負担を与えながら、時代が変わってもずっと温存されてきたのです。

 そこから、「目覚めた人」になっていく。というよりも、それまでに気づいていた違和感に、決定的に理解が訪れた、ということかもしれない。

「気づいたあと」の戦い

 仕事では「男並み」の働きを競わされ、一方では女として専業主婦や受付嬢やモデルのような「女子力」の高い人々ともまた競わされていたんだ。だから自分は男としても女としても不良品だと思っていた、思わされていたんだ。 

 男性である私が、気がつかないうちに無神経な例えをしている可能性もあるので、申し訳ないのだけど、ここからの著者の行動に関して、思い出したのが「マトリックス」第1作の主人公のあり方だった。

 「マトリックス」の世界は、実は全てが仮想現実で、実際は人類はカプセルの中に寝かされ、コンピュータなどの維持のためのエネルギー源として「飼われて」いる。だから、寝ながら見ている夢が「現実」なのだけど、そのことに気がついた主人公は、その現状を打破するために戦うことを選ぶ。その一方で、その「現実」に気がつきながらも、変化をするハードルの高さに負けて、現状維持を選ぶ人もいて、その場面にも説得力を感じたのを思い出す。

 それだけ「気づいたあと」の戦いは、厳しいものになりがちなのだと思う。

 でも今は孤独だ。
 この先進的で完璧なビルの中には、フェミニズムなんてノイズは存在してはいけない。女は若くて綺麗でニコニコしていればいい。男性にとっては価値の微妙な中年女の怒りなど、家父長制テイストの夢や憧れを作り出す場所には置きどころがない。
 私は仕事が手につかなくなってしまいました。戦場のような業務スペースにいるのが辛くて、トイレや図書室に逃げ込むことが増えました。 

 「現実」に気づいたとしても、そのおかしさが見えたとしても、それを少しでも変えようとするのは、とても大変で苦痛を伴うことだし、何より、変えようとする人は圧倒的に少数派だから、厳しい孤独の中で戦うことになる。

結局、あれほど憧れた広告クリエイティブの第一線から退くことになりました。 

 ただ、すごいと素直に思えるのは、おそらくは「気がついた」人間の使命感もあったためか、それまでの理不尽さへの怒りがあるためか、もう世の中の見え方が決定的に変わったためか、戦うことをやめていない。

 広告クリエイターとして世の中を変えることはできなかったけど、すべてを諦めたわけではありませんでした。(中略)Twitterで細々とフェミニスト的な投稿をしたり、フェミニストを応援したりしていました。夢と地位は手放してしまいましたが、心だけは驚くほど自由になり、匿名アカウントだとしても、少しずつ言いたいことを自由に言えるようになっていました。

 こうした日々の積み重ねの後、あの「ひとりでツイッターデモ」につながるのだけど、それは、これまでの著者自身の感じたことや、思ったことや、考えたことを慎重に、同時に、存分に生かしたものになっていると思った。

『👯‍♂️ひとりでTwitterデモ👯‍♂️
#検察庁法改正案に抗議します
 右も左も関係ありません。犯罪が正しく裁かれない国で生きていたくありません。この法律が通ったら「正義は勝つ」なんてセリフは過去のものになり、刑事ドラマも法廷ドラマも成立しません。絶対に通さないでください』

「目的があるから、手段を選ぶ」戦い

「Twitterデモ一発屋芸人」になってから、私の生活はけっこう変わった。
 たまには国会中継を流し聞きするし、国会議員の名前も前よりは覚えた。顔は出さないけれどメディアに出たり、尊敬するフェミニストやインフルエンサーの方と交流する機会ができた。リアルでも政治やフェミニズムの話をぶっこめるようになった。

 「Twitterデモ一発屋芸人」という表現に内省力の強さを感じるけれど、著者自身の「気づいたあと」の戦い方は、注目を浴びる前から、それほど大きく変わらない印象がある。

 これは、読者としての感想に過ぎないけれど、「気づく前」に必死で働き、生きてきた自分の姿勢も含めて、女性だけでなく、男性も、ただ否定するのではなく、様々な問題点は、この社会構造が必然的に生んでしまうものと捉え、だからこそ、全体に働きかけようとする姿勢は、一貫しているように感じる。

 そして、最終的には、誰もが生きやすい社会にするための活動のはずだけど、その目的がいくら崇高であっても、そこに至るまでに、誰かを排除したり、傷つけたり、軽く見たり、怖さを我慢させたりしない。そんな嫌な思いを、絶対にさせない。

 そんな覚悟と決意が、底に流れているように感じるので、「目的があるから、手段を選ぶ」戦いに見える。

 もちろん、これは、男性の読者としての私の感想だから、合っているかも分からないけれど、どちらにしても、注目されても、内省の力を失わないことで、この著書も、女性だけでなく、男性にも、さらに広く届く力を持っていると思う。

私は清廉潔白なフェミニストではありません。今でも女性蔑視にとらわれている自分に気づいて、唖然とすることがあります。

 

 私が引用した部分は、本書を構成するごく一部に過ぎません。その部分で、少しでも興味を持っていただいた方には、老若男女問わず、どんな方でも、手にとって、全部を読み通すことを、おすすめします。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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