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実家の松の太い枝を切った。ノコギリが折れた。

 少し離れたところに実家がある。

 とはいっても、父も母も亡くなっていて、今は誰も住んでいない。

 それでも、いろいろと事情があって、住居はそのままになっていて、時々、そこに行って、庭の手入れや家の空気の入れ替えをしなくてはいけない。

 もうすぐ家族で住んでいた年月と、誰も住んでいない歳月が同じくらいになりそうだと気づき、なんとかしたほうがいいのかもしれない、と思う。

気になること

 今も、この時と同じように「穴」と、松の木が気になっている。

「穴」は、実家の壁に開いたフタがはずれて、「穴」になり、そこがスズメバチの巣になっていて、怖い思いをした出来事だった。

 松の木は、実家の門のそばに生えている、人からいただいた松で、それは空に向かって伸び続け、いつの間にか2階の屋根より高くなりそうになっていて、それだけならいいのだけど、その長さのために、もし台風などの強風が来たら、近くの電線にかかってしまうから、実家のご近所の方々に迷惑がかかりそうで、それがずっと気になっていたが、その伐採については、なかなかできないままだった。

 ずっと気になっている。

 時々、何の前触れもなく、「穴」がまた開いてしまってスズメバチが何匹もいたり、松の木が電線を切断してしまったようなイメージが頭をよぎることもあって、それは不安をふくらませることだった。

予定

 早く実家へ行きたかったけれど、2022年は、夏に入ってコロナ感染者数は増大し、だから、怖くて実家に行くことができなかった。

 そして、台風が来るたびに、実家の「穴」や、松のことが気になって、焦りながらも、感染数が落ち着くのを待っていたのだけど、減少傾向になったときには、雨が降る日が多くなって、特に松の伐採をするには難しいので、やっぱり足が止まっていた。

 やっと行けそうになった時は、もうすっかり秋になっていた。

 そのころに、妻の予定も合わせることができて、今度は大丈夫そうだった。

出発

 前の日から、妻は「穴」と松の対策のために準備もしてくれて、私ではわからない接着剤なども持っていくことになって、それは頼もしかった。

 明日の予定も確認する。

 松の木を切ること。
「穴」の様子を見て、また「穴」を塞ぐこと。

 その2点が自分にとっては大事になるということを伝える。

 ただ、行く前日になると、勝手に緊張もして、不安になっていたが、それでも当日は、私だけが、いつも実家に行くよりも早めに午前中に出かけられた。

 天気はとてもいい。

 このところ秋っぽくなっていたのに、今日は、太陽が暑い。
 これからの作業での体力が不安になる。

 電車に乗って、乗り換えて、最寄りの駅に着く。
 妻にとっては、かなり久しぶりだった。

 駅を降りて、ナチュラルローソンで、昼食を買う。予定では、実家まで歩く途中の公園で食べることになっていた。

 その後に、洋菓子屋が並んでいる百貨店のコーナーに行って、実家のご近所の方に渡す手土産を買う。

 それから、作業をしてノドが乾いても、実家のそばにはコンビニもないので、飲料なども必要だから、それはドラッグストアで買った。

 洋菓子を買ったとき、くじ引きの紙ももらったので、それも参加するためにエスカレーターで上の階に行ってから、道路で歩き始めたら、日差しがより強くなっていた。

 あちい。

 気がついたら、そんなことを言いながらも歩き、そして、駅と実家の中間地点くらいの公園があるのは知っていて、そこは外から見てはいたのだけど、中に入ったことはない場所を目指していた。

公園でランチ

 いつもの実家へのルートから少しだけ外れて、ゆるい上り坂を登って、初めての公園に入る。

 直射日光が当たっているベンチと、少し木陰にあるベンチが公園の隅っこ同士で、向かい合うようにある。

 午後12時半頃になっていた。

 日陰にあるベンチに妻と座り、ローソンで買ったおにぎりやパンを食べ、ジュースを飲んで、時間がすぎる。

 妻は、おいしい、と言って、笑顔で、気持ちいい場所だね、と言ってくれた。
 確かに、すごく狭いわけでもなく、建物の間にあるようなところでもないし、日当たりもいいし、ちょっと高い場所だから、微妙に景色も良く、遠くまで見えて、気持ちがよかった。

 そうしていくうちに時間はたった。

 ここで、食事をできて、よかった、という気持ちにはなったけれど、これからのことを思うと、また憂うつになってしまった。

 ただ、久しぶりに公園で食事をして、そういえば、この平日の昼間の時間のせいなのか、誰もいなかったけれど、寂しいというよりは静かで、そして日差しの強さのせいか、わびしさとも遠く、くつろげたのも事実だった。

ご近所

 そこから、また10分以上歩く。

 途中で、ファミレスを「居抜き」した動物病院のそばを通り、そのことに気を取られすぎて、いつも曲がる場所を通り過ぎてしまった。

 気がついたら、家を出てから2時間以上かかって、実家に着いた。
 とても長い時間がかかってしまった。

 まずは、「穴」の確認をする。

 「穴」をふさいで、その上からテープを何本も貼り、それは十字形に、さらにバツのようにテープをはり、その上から、靴箱で押さえていたのだけど、雨風にさらされているうちに、その靴箱は、形が変わって、あちこちが抜け落ち、曲がった形状になっていて、それを利用して、そのフタを押さえていた。

 さらに、その棚が強風など動かなくて済むように、その辺りの大きめの石を使って、周囲を支え、さらに靴箱のそれぞれの段にも石を置いた。

 その姿は、テープははがれていたけれど、少し遠くから見ても、なんとか同じような形を保っていて、そして、ふたによって「穴」はふさがれているのが分かって、それはホッとした。

 それから、お隣さんにあいさつをして、手土産を渡す。
 さらに、新しくご近所になった人にも、あいさつをしようと思って、一緒に行ってもらったがお留守だった。

 だから、あとは松の木を切る作業を始めるだけだった。

水道

 実家に行くたびに、帰りは水道の元栓を閉めて、電気のブレーカーを落としている。 

 だから、玄関に入る前には、水道の元栓を開けるけれど、今日は、そのメーターがやけにピカピカしていた。
 少し変だと思っていたら、先に家に入って、仏壇に水を供えようとしていた妻が慌てていた。

 水道が大変なことになってる。

 水が濁っていた。というよりも、黒くなっていた。
 水道管に穴が開いて、そこから土が入ってしまったのかと思った。

 しばらく水を出していたら、だんだん澄んできたので、ちょっと安心はしたが、また面倒なことになってしまったのかと、気持ちが重くなる。

 だけど、今日は、松の木のことがあるから、いったんは忘れることにした。

松の木

 小さなアルミ製の軽い門のそばの松の木を見上げる。

 いつの間にか、こんなに伸びてしまった。

 今日は、とにかく、2階の屋根の上くらいまで伸びてしまった太い枝を切り落とすために来たのだった。

 実家の物置の中にあった脚立を出して、ハシゴ状にして、松の木に立てかける。
 ここに来るまでは、ここまでのイメージを何度も頭の中に浮かべていたが、それよりも、そのハシゴは圧倒的に低く、これでは、高く伸びている枝を切ることはできないのではないか、と思ってしまった。

 不安だった。

 ただ、妻がゴム性の厚めの軍手も用意してくれたし、そのハシゴを支えてくれるのだから、今日はなんとか松の木をコントロールできるくらいに低くして、強い風の吹く台風が来ても、電線にかかるのではないか、というご近所の不安も無くしたいと思っていた。


 ハシゴを登る。

 ほんの2メートルくらいだけど、景色は変わる。
 松の木が、とても太く感じる。その分、足をかけて登っても大丈夫なのは、何ヶ月か前に確認した。

 そのハシゴの一番上に足をかけて、やっと届くくらいのところが3つに分かれている。そのうちの一つの枝が、高く伸びているのが分かる。

 ここから切れば、松の木の高さは2メートル以上は低くなるし、それで、電線に触れる可能性もほぼなくなる。

 だけど、その枝は太かった。直径で20センチくらいある。
 最初のプランは、さらに上に登って、もう少し細い枝を切るつもりだったのだけど、今の場所から見える松の枝の高さは、たぶん、2・5メートルある。

 これを切り落とすとしたら、小さな松の木一本ぐらいになるし、そばには電線がある。

 いったんハシゴを降りて、外の道路に出て、もう一度見上げる。

 かなり大きい部分を切り落とすことになり、そうなると松の木の高さが半分くらいになる。
 切った場所から、小さな松の木くらいの枝が倒れたとして、電線に向かって、引っかかったら、電線は切れるだろう。だけど、どこにも当たらずに、倒れる可能性の方がはるかに大きい。

 そう思って、またハシゴを登って、一番上まで行って、少し上にある太い枝を見て、この部分を切れば、電線にかからないことを確認し、ノコギリを入れた。

切り口

 刃渡りは30センチくらい。
 持つ場所はカーブを描いていて、後でピストル型と呼ぶことも知ったけれど、そこを握って、枝に刃を当てて、ひく。

 本当にちょっとだけ傷になる。薄い茶色の切り口になる。
 ひくと切れるタイプなのだけど、何度もそれを繰り返す。

 少しずつしか切れない。
 ほんとに数ミリくらいずつしか進まない。

 手応えは重い。
 
 そのうちに息がきれてくる。
 疲れが体にくる。

 何をしているわけでもないのに、足が少し震えてくる。
 疲れる。

休憩

 ノコギリを動かす。
 少しずつ切り口が枝の深いところへ進む。

 だけど、当たり前かもしれないけれど、少しずつしか進まないので、それで、今からでも植木屋さんに頼んだ方がいいのか、という迷いも出て、どちらにしても、右腕だけでなく、足も、体も、あとは心肺機能を使うので、持久力がなくて気持ちまで弱ってきて、やめたくなる。

 そのたびに、下で支えてくれている妻にも、「休んだ方がいい」と言われているので、ハシゴを降りて、水を飲んで、少し座る。

 終わる気がしない。

 直径の半分くらいまでノコギリが進んでも、本当にびくともしないし、揺すってみても、動きもしない。

 さらには、その枝にはさまれているので、だんだんノコギリを動かすこと自体が重くなってきて、やっぱり諦めたくなる。

 そのたびに、ハシゴを降りて、水を飲んで、体もだけど、どちらかといえば気持ちを整えて、今からでもやめたいと思う自分に対しても、もうやるしかない。と口にして、またハシゴを登る。

 そんな休憩を6回くらいはして、気がついたら、切り始めて1時間くらいは経っていて、本当に体力もないと思いながらも、もう9割くらいは切っているはずなのに、枝は全然、動かない。

 本当に切り落とせるのだろうか。

落下

 実家は角に建っていて、その下に道路があるから、もし、この松の大きい枝が落ちた時に、下にクルマがあったり、人が通っていたりすると大変だから、それだけは気をつけていて、妻も「クルマがきたよ」と声をかけてくれる。

 そのたびに、ノコギリの手を休めたのだけど、切り続けても、落ちないんじゃないか、と思うくらい、揺らいでなかった。

 もうほとんど全部、切っているのではないか。
 そう思って、さらに力を入れて、ノコギリをひく。
 時々、うわーっていう気持ちになりながら、ちょっと視界が遠くなる。

 もう、全部切れているのではないか、と思っているのに、びくともしない。

 バギ。

 急に音がして、枝が落下していった。

 どこの何が当たったのか分からないのだけど、右のほほに何かが当たった。痛い。

 どーん。

 下を見たら、道路いっぱいに松の木があるように見えた。

 電線にもひっかかからず、道路に落ちてくれたのが分かって、やっぱりホッとした。

折れたノコギリ

 力が抜けていた。

 ハシゴを降りて、切り落とした大きな枝をどうにかしないと、クルマも通れない。

 道路の松の枝を引っ張ったけど、動かない。
 大人の人間一人分くらいの重さはありそうだった。

 だけど、とりあえずは、少しでも端に寄せないと、と思って、両手で持って、妻にも手伝ってもらって、全力の綱引きの時のように体全部を使って、後ろに倒れるくらい体重を後ろにかけて、ちょっと動いた。

 道路の半分くらいはあいて、その時にクルマは通り過ぎていけた。

 妻と一緒に、その松の枝の中の、もう少し小さい枝を切り落として、その全体が少しでも軽くなれば、動かせるかも、と思った。ノコギリで、その太い枝から生えている、それなりに太い枝を切り落とす。何本か切って、それを、道路から実家の庭の隅に投げ込む。

 その作業の途中、枝を切っているときに、ノコギリが折れた。
 先の5センチくらいが、枝に食い込んだままになった。

 こんなことがあるんだと思った。
 
 そういえば、家でも柿の木をすごくたくさん切ったし、ビワの根切りもしたし、もちろん実家で枝を切ってきた。

 だけど、力尽きた感じに見えたし、さっき、枝の本体を切り続けていたときには、持ってくれたんだと思うと、なんだか、ありがたいような気持ちにもなった。

移動

 それから、その切り落とした松の枝は長さが2・5メートルはあって、さらに、そこからさらに枝がたくさんあるから、全部が広がると道路を埋めそうなくらいだったけれど、その松の枝全体を、庭に引き上げようとする。

 道路からちょっと高いところにある庭に、移動させることが無理ではないか、と思うくらい重かった。

 だけど、何しろ、移動させないと、このままではただ邪魔で、交通にも支障が出てきそうだから、ちょっと焦っていた。

 全く動こうとしない大人の男性を、動かすような感覚だった。

 ちょっとずつ庭に向けて、動かして、妻も力を貸してくれて、ぎりぎりだけど、なんとか、移動ができた。途中で右のふくらはぎがつりそうになった。少し高い場所に乗っけることができた、という感じだった。

 それだけだと、玄関の前で邪魔だし、このままにしておくと、空き家としても変な家になるので、もう少し奥に移動させたい。

 必死だった。

 松の枝を持って、また綱引きをするように、体全部を使って、少しずつ後ろ向きに引きずって、移動させる。

 最初は移動も無理かもと思ったけれど、松の葉っぱは少し滑る。
 それで、少しずつ何度も動かして、裏口の少し先の、この家に人が生活していた頃は、物干し場だった場所に切り落とした枝を積み上げているので、それは、表からは最も見えにくく、ご近所からも目に入りにくい場所だから、そこまで、やっと移動できた。

 少し離れていると、その物干し場だった場所は、横だけではなく、上の空間まで、松でいっぱいになってしまっていたから、やっぱり、少し異様だった。

 ここまで1時間以上が経っていた。

 枝を一本切るのに、こんなにかかるとは思わなかったけれど、何しろ、自分も妻もケガをせず、電線も無事で、他のどこかに被害が出ることがなく切り落とせてよかった。

 松の高さは半分くらいになった。

 そうなると、まだ切りたい場所はあったけれど、ノコギリも折れたし、次の機会にしようと、妻に言われた。

熱意

 作業中も、ご近所のかたが通りかかったりして、そして、さっきはお留守だった家にも、手土産も渡せた。

 落下の瞬間は、私と妻しか見ていなかったけれど、おそらく、ハシゴを支えてくれた妻の方が、しっかりと見ていたのでは、と思って、後で、聞いたら、支えることに一生懸命で、気がついたら、ドサっていう大きな音がして、道路に松の木があったと言っていた。

 そして、その後片付けの作業をしていると、お隣さんのお子さんが通って、あいさつもしてくれて、松の木について関心も持ってくれたので、妻が話をしていた。

 そうしたら、私の姿を見ていたせいか、この作業についての話に熱意がこもっていて、それは嬉しかったのだけど、この過程を見ていない人間には伝わりにくいのでは、と思って、声をかけた。

 だけど、そこから妻が丁寧に掃除をしてくれたおかげで、きれいになった。


 そのあとは、「穴」の修復だった。

 妻の方が冷静に見てくれて、私がフタに何重にもテープをはっているのは、そんなに意味がないということは言われ、その通りだと思ったし、何しろ、スズメバチに刺されそうになったことが、とても怖くて、まるで魔物を封じ込めるような意味合いになってしまっているのに、改めて気がついた。

 元・靴箱は板が取れて、何段かに分かれた細長い枠のようになっていて、その上で、大きく曲がって変形はしているのだけど、それで、フタを押さえる形にはなっているが、何ヶ月か経って、テープははがれて、意味がなくなっている。

 その押さえる枠は、ボロボロだけど、まだ使えそうだと妻はいって、それをずらして、フタにくっついているテープをはがし、その後にそのフタの周りにボンドを塗って固めていた。

 これで乾いたら、きちんとくっつくと思う。

 妻が冷静に言ってくれて、その後に、枠をもとに戻して、その枠が強い風で動かないように、いくつもの石をその足元周りと、それぞれの段にも石を置いた。

 そして、一番上の段は、そってしまい、十分にフタを押さえられていないので、そこは、木の枝を適切な長さにして、はさむことによって、その欠点を解消してくれた。

 その冷静な方法に感心もした。

 これで、今日の2つの課題は終わり、それで、すでに午後4時を超えていて、始めてからは、3時間以上が経っていた。

 それから、庭の手入れを少しして、全部が終わった。

 やっぱり少し晴れやかな気持ちだった。

コーヒー

 いろいろと作業も後片付けも終わり、実家のブレーカーも落とし、水道の元栓を閉めて、実家を出た。

 ポストに入っている書類などを整理していたら、わりと最近、水道メーターを取り替えたということがわかり、さらには、水道水が濁る可能性もあると書いてあり、そのことで、最初の黒い水がホラー的なことでもないのが分かって、ちょっと安心した。

 もう暗かった。

 駅まで歩いているときに、妻はとても疲れているように見えた。私よりも、気持ちとしては普段しないこともしていたし、緊張感も強かったから、心配だった。

 駅に着く前に、「星乃珈琲店」があった。

 妻が珍しく興味を持ち、できたら、ここで食事をしたい、というので積極的に賛成した。

 コーヒーも飲んで、食事もした。
 妻は、思った以上に、「こういう空間はひさしぶりで、とても気持ちがいい」と喜んでくれた。

 よかった。

 そういえば、外食自体が久しぶりだった。


 家に戻り、風呂に入る。

 右手も、左手も、作業中は長ソデを着ていたのに、上腕部には小さな傷が思ったよりも多くあった。

 ちょっと痛いけれど、作業中は必死で気が付かなかった。




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