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テレビについて④今さらですが『忘れられた戦後補償』を見て、国家の冷たさについて、考えたこと。

 テレビに録画したまま、ずっと見るのを忘れていたというか、興味はあったものの、タイトルも重そうだったので、どこか見るのをためらっていた。このままだと、「ハードディスクの宿便」(©プチ鹿島氏)になってしまうと思い、大げさだけど、少し思い切った気持ちで、恥ずかしながら、2ヶ月も遅れて、やっと見た。

NHKスペシャル 「忘れられた戦後補償」

 私自身は、もちろん戦争を知らない。親も子供時代に戦争中だから、戦地に行ったわけでもない。それでも、子供の時に、戦争中は大変だった。今の子たちは恵まれている、などと親に言われて、微妙な反発はあった。生まれる時代を選べない。自分も好きで、この時代に生まれてきたわけじゃない。

 このドキュメンタリーを見ながら、そんな自分の昔の気持ちのことも少し思い出したのだけど、画面に出てくる人たちは、戦争で大きな怪我を負って、それだけでも、想像もできないような大変さと共に生きてきたのに、それに加えて、そのことの補償もされなかった。

 片足を戦争で失った人にかけられた言葉は、「戦争だから、しかたがない」だった。

 軍人として戦争に行き、怪我した人や、遺族には補償がされていたから、戦争協力もした民間人にも補償を求める行動を起こした人たちには、おそらく同じように民間人として戦争に協力していた人からの、手紙が来た。

 大変だったのは、お前だけじゃない。
 欲張り婆さん。
 乞食。

 そんな言葉が並んでいる(おそらく匿名の)手紙らしき文書を、カメラは映していた。

 その後、そうした行動を起こした人の一人が、40歳で自殺をしてしまった。

 こうした理不尽なことがあったことを、このドキュメンタリーは伝えてくれていたが、私は恥ずかしながら、何も知らなかった。

かけられた言葉

 画面には著名人も登場する。

 その女性は、空襲によって、家族をいっぺんに失い、戦争孤児になってしまう。
 民間人だから、戦後補償もない。
 
 家族は、近くで亡くなっているはずだから、そして、そこには大勢の犠牲者の遺骨もあるはずだから、掘り返して欲しい、と何度も行政に訴える。だけど、何もしてくれないと、強く感じ、ある時、衝動的に、見当をつけた場所を自分で掘り返し始める。

「馬鹿なことをするな」。

 そんな言葉をかけられた、という。
 私は、まったく無関係の人間だし、何も分かっていなかったのだけど、でも、反射的に、この言葉は違うのではないか、と思ってしまった。

 声をかけた人にも、私には想像もできないような、いろいろな大変な経験はあるとしても、この人の行為は、「馬鹿なこと」ではない、と思った。確かに、何かしらの法律で裁かれてしまうかもしれないけれど、でも、少なくともその場、その瞬間は、「馬鹿なこと」以外の声がかけられるべきだったのではないか。こんなに切実な行動はないはずだから、かける言葉自体がないとも思う。

 だけど、「馬鹿なこと」という言葉が、その場で出てきたことも、社会の空気と無関係なわけではない、とも思った。

 その著名人は、自分が80歳も過ぎているのに、親が、もしかしたら、どこかの病院で生きているのではないか、と思うことがあるとも語っていた。

仕方がなかった、という言葉

 この番組には、こうした戦後補償に対する決定の場にいた元・官僚元・政治家高齢者(全員、男性)も出演し、証言をしている。この取材を受け、実名で顔も出して話すこと自体、勇気もいるし、リスクもある。それでも、話をしてくれたのは、歴史の証言でもあるので価値もあるし、この出演を受諾したこと自体、すごいことだと思う。

 取材カメラは、あいさつをしている時の、柔かな表情なども映しているが、「戦後補償」についての話題になると、目つきも表情も硬くなり、もちろん、それぞれの人たちが事前に集まって打ち合わせをしたわけではないのだろうけど、同じような硬さで、同じような言葉を繰り返しているように見えた。

 民間人への戦後補償ができなかったことを、「仕方がなかった」といった言葉で表現している。

 私は、視聴者として、反射的に、それは、他人のことだから、そう言えるのではないか、と思ってしまった。

 私は、もっと何も知らない人間だから、何かを言える資格もないのだけど、そして、今の時代でも弱い立場ということもあっての偏見だとも思うのだけど、そうした証言をする元・官僚といった人たちは、今もある程度以上の豊かさを示すような格好をして、そして、何より冷静に語っていたように見えた。そうした冷静さは、感情的にならなくてもすむ環境にいるということかもしれない、などと思ってしまった。

 1987年には、最高裁で、戦争の被害は憲法が予想していない、ということで、民間人の戦後補償を否定するような判決が出た、といった内容を、ナレーションが伝える。

 いったん誰かに補償すると、他の民間補償にも開かれてしまい、「そうなると財政的にも厳しいから、しょうがないですね」といった言い方をしていた「社会的な地位が高かった人」もいたが、その同じ1980年後半には、各自治体に「一億円」を配るという政策も実施されていた。それは3000円億円を超える予算だった。

軍人恩給

 民間人の戦後補償は一貫してされなかった一方で、軍人恩給などの補償は、戦後年々拡充していった。もちろん、戦争で亡くなった人の遺族は十分に補償されるべきだし、そこで怪我をされた人も補償されるべきだと思う。それは、正当なことなのは間違いない。

 それでも、軍人恩給支給金額のグラフが画面に映されて、当初はおそらく約1000億だった金額が1970年代に上昇し、1980年代には一兆五千億円を超えているのを見ると、それと比べて、民間人の戦後補償がされないまま、「忘れられていく」のは、やはり理不尽だと思った。実際に補償するとなると、補償額をどうするのか、という難しい問題はあるとしても、どちらも補償されるのが、筋が通っていると思った。

 それに、「ふるさと創生」という「一億円ばらまき」ともいわれたような政策が行われていたのだから、民間人の戦後補償がされなかったことが、本当に「仕方がない」ことだったのだろうか、という疑問は残る。

ドイツとイタリアの補償

 海外のことを例に出して、何かを語ることは「出羽守」などと揶揄されるし、そして、私は、何も知らずに、この番組で見たことを、ただ伝えることしかできないから、「出羽守」よりも、もっと馬鹿にされても仕方がない。

 第2次世界大戦では、敗戦国ははっきりしていた。
 イタリアとドイツと日本だった。

 だから、それぞれのやり方は、比較されるべきことだと思う。

 ドイツは、1950年に法律を制定し、軍人も民間も補償することを決めた。
 イタリアは、戦後の財政不安定な時を乗り越えた1978年に、民間被害者も軍人と同様に補償することを決めた。その時に、額は十分でないとしても「国が当然もつべき感謝の念と連帯の意を表すための補償」という表現がされたらしい。

 番組では、その事実を伝えていた。

 日本は、1980年代には、GDPはアメリカについで2位で、バブル景気といわれ、経済的に豊かな時代になっていたはずだった。もちろん、こうした民間の戦後補償がされていないことを知らないまま、という(とても微力だけど)自分の責任もあるから、一方的に責めることもできないけれど、それでも、これだけの経済的な力があった時に、もう随分と遅くなっていたとしても、補償が本当にできなかったのだろうか、という気持ちにはなる。

 それは、その国の姿勢、国民の思想に関わることなのかもしれない。

明治時代から、検討するべきこと

 戦後、どうしてきたのか、ということを検討したとしても、例えば、ドイツやイタリアと日本では、どう違うか、といえば、番組中では、考え方の圧倒的な違いを表すような証言がされていた。

 それは、日本とは、もともとの「なにか」が決定的に違っていた、ということだと思った。

 イタリアも、ドイツも、ファシズムで戦争に突入したから、その印象が強くなってしまうし、民間人にも戦後補償をするという行為は、そのファシズムの時だけを考えると、わかりにくくなるように思う。

 だから、その戦後補償を可能にしたのは、そのファシズムの前の段階で、どんな国だったのか、どのようなシステムだったのか。それが、どんな思想や思考で支えられ、実質的に機能させるために、何が働いていたのか。

 もちろん、そういったことを研究している専門家の方々は大勢いらっしゃると思うので、それを知らないのは自分の無知のせいなのだろうけど、そうしたことと比べて、日本は、どうだったのか。

 戦後に補償を行っていないことについて、戦後だけを見ても、当たり前だけど、はっきりと分からなくて、おそらくは明治以来の日本が、どんな国だったのか、どのようなシステムで、どんな思考で支えられていたのか。

 それは、昭和に入って、軍部が暴走、ということだけではなく、そうなる必然が、どこにあったのかを、明治以降から振り返ることで、「どうして、民間人への戦後補償が行われなかったのか」までも、初めて分かるように思う。

 過去の課題は、検討し、整理し、自発的に反省し、直すべきところは直す、ということをしないと、おそらく100年たとうが、200年たとうが、祟るように悪影響が出てきてしまうはずだ。

コロナ禍のあとで

 今、コロナ禍に覆われ、新型コロナウイルス に感染して最悪死亡した場合でも、それが、政策などが適切でないことが、コロナ禍のあとで、明らかであると証明されたとしても、今のままだと、すべてが「みんなが我慢していた。しょうがない」と言われてしまうのは、間違いないような気がするけれど、それは考えすぎだろうか。

 たとえば、戦後にドイツやイタリアは、民間人も補償したのに、どうして日本ではしなかったのか。そして、場合によっては補償しないことも「したがない」と容認されるような社会に(これは自分も無知という形で加担していたので、偉そうに言えないけれど)なってしまっている理由は何か?それを、明治以来から振り返り、その根本的な理由を考えていかないと、コロナ禍の時だけでなく、これから先も似たようなことが繰り返される「冷たい国」のままだと思った。

 だから、大変かもしれないけれど、検討し直すべきスタート地点は、「明治以来」にあるのではないか。

 自分では、そこから検討し直す能力や時間はとてもないので、勝手なお願いなのだけど、そうしたドキュメンタリーを作ってもらえないだろうか、などと思った。二ヶ月遅れで番組を見た人間に、それを言う資格はないとは思いながらも、でも、いつまでも「冷たい国」で過ごすのも辛いので、そうした勝手なお願いもする一方で、とても微力ながら、自分でも出来ることはしようと思って、この文章も書きました。



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テレビについて③「頭がいい人の気持ちよさ オードリー ・タン氏の思考の姿勢」

もしかしたら、「最も古いレトロニム」=「現金」かもしれない。

「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」②「見えにくい政策を考える」 (有料noteです)。

とても個人的な「平成史」

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」② 2020年4月  (有料マガジンです)。


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