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命日の意味を、考えた。

 暑い日に、父親は亡くなった。


病気

 平均寿命には、かなり届かないから、自分が年齢を重ねるごとに、死ぬにはまだ若かったんだ、と思っても仕方がないことを思うようになった。だから、いろいろと無念だったのかもしれないとも考えたりもする。

 生きている頃は、自分の結婚を頑なに反対されたこともあって、完全に縁を切りたいとも思っていたのだけど、結婚して何年か経ってから、母親から連絡があり、父が病気だということを知った。

 命に関わる状態だったから、病院に行き、手術の時も、病院で待った。あれだけ、ただ結婚に反対していたことも、何もなかったように、振る舞っていたことは引っかかっていたけれど、病気になってすっかり弱っていた父に対して、できることはしたと思う。

 それから、半年くらい、特に放射線治療をしてからは、横になった姿しか記憶にない。最期は、すっと眠るように亡くなった。

命日

 年に一度の命日のことは、妻が手帳に記録してくれているから、忘れずに済んでいるけれど、私だけだと、微妙に1日か2日ずれがちになる。

 それでも、その頃、お墓があるお寺の行事があって、お塔婆は立ててもらうから、そのお代を払うためと、墓参りもするために、出かける。

 だから、ちょうど夏の父の命日あたりに、お墓に行くと、晴れていれば暑い日に、お墓を少し磨いたりすると、墓石も熱くなっていて、そのときに、いやでも、父のそれまでのことも考えるようになった。

 戦前の生まれだから、戦時中が日常の中で育って、経済的にも厳しい生活だったらしいから、戦後の安定したサラリーマン生活は、おそらくは「出世」した状況だったのだろうし、だから、私も平穏に育つことができた。

 いろいろな野望のようなものもあったようだけど、それには運や才能や努力がいる。だから、子どもの目から見ても、その野望と実力には差があったから難しいと思っていたのだけど、自己評価と、外からの評価の差のようなものについては、実はかなり気にしていたのかもしれない。

 とても、よくしゃべる人だったし、息子として、それほどいい思い出も少なかった。特に最近になって、男の子を自然に可愛がる父親の姿を、公園や電車の中などで見ると、ああいう関係もあるのかと思うくらいだった。

 父にとっては、子ども、特に男の子を育てるにあたっては、厳しさやしつけのようなことにこだわっていて、それは個人の問題だけではなく、時代の影響も大きかったのだろう。

 夏に、命日を意識して、お寺に行って、暑くて静かな中で、お墓と向かい合っている機会が年に1度はあるから、そんなふうに父のことを考えられるようになったのかもしれない。

 生きている時は、誕生日のことを意識しているけれど、亡くなってからは、命日の方が意識することになる。

 そして、もし命日ということがなかったら、こんなふうに亡くなった父のことを考える時間は、もっと少なくなっていたのは間違いないから、やっぱり、意味があるのだと思う。

 父が亡くなってから、27年が経った。

 そんなに年月が経ったのは、不思議なくらいだった。

母の命日

 母が亡くなったのは、「母の日」の次の日だった。

 それまでの約8年は、介護が必要だったから、そばにいる時間が長かった。意思の疎通ができない時もあったし、苦しそうにしている時もあった。

 魂の削り合いのような年月だったから、亡くなった時は、悲しかったけれど、これ以上苦しむ必要はなくなったし、自分も心配することもなくなったから、そういう安心感はあった。

 そのためか、父の命日よりも、母の命日の方が記憶としては強く残っているような気がする。

 でも、しばらくは、命日近くにお墓参りに行っても、病院に入院した以降の、苦しんでいたり、意志の疎通ができなくなったような姿ばかりを思い出していて、それ以前の元気だった頃の母親の記憶が自然に生じるようになるまでには、何年かかかったと思う。

 それでも、命日のような日があって、お墓参りに行くような機会があると、自然に亡くなった母のことを思い出すから、その機会が重なることがなければ、もしかすると、ずっと病気以降の母親の姿のままとどまっていたかもしれない。

 それは、かなりこじつけのようなことかもしれないが、そういったことがもしかしたら、私にとっては、命日の意味になっていると思う。

 母が亡くなってからは、16年が経つ。

 今は、この世にいない人を思い出すということでは、もし命日がなかったら、すごく少なくなってしまいそうなので、やっぱり意味があるのだと思う。




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