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読書感想 『カレンの台所』 滝沢カレン 「身体言語で書かれた励ましの料理本」

 テレビの出演者にとって、キャラ作りは必要なことらしく、だから、無理をして、「変な言葉」を話す人は、ここ10年くらいは特に増えていた。それが、もし「作っている」感じがして検討され、実は「作っていて」、ある意味で「うそ」だったら、叩かれる。

 そんな言葉があるかどうか、恥ずかしながらはっきりとは知らないけれど、「あざとさ警察」や「天然疑惑警察」は存在しそうで、そうした人たちは、疑惑がある人の現在だけでなく、過去のささいなことまで、目を光らせているから、「不自然」なキャラ作りの人の生存確率は、現在は、かなり低くなっている印象がある。

 滝沢カレン氏も、その場所にいつもいるようで、検索すると、過去のブログにまで言及されているようだった。だけど、個人的には、テレビ画面などで、すでに数多く見てきたけれど、その言語は自然に見えてきているし、それでいて、その言語に意表をつかれることも、今もある。

 その滝沢カレン氏が料理の本を出すことを知り、それは意外でもあったのだけど、面白そうだったので、図書館に予約をして(購入せず、すみません)、2ヶ月半待った。

「カレンの台所」  滝沢カレン

 図書館から借りてきたら、思ったよりも早く、妻が料理を作ってくれた。料理本としての価値は、私は、食器洗い担当で料理はできず、理解できないので、そのことを妻に聞いた。

「擬人化が多すぎて、それは、時として、ちょっと邪魔にはなるけれど、大さじなんばいとか、なんグラムとか、そういうことがなくて、もっと感覚的な量で作れるから、やりやすい」。

 最初に作ってくれたのは、ピーマンの肉詰めだった。見慣れた肉詰めはピーマンが縦に割られていたのだけど、「カレンの台所」で、妻が作ってくれたピーマンの肉詰めは「横」に輪切りになっていたが、思った以上に食べやすく、そして、おいしかった。

 本日はひょっこり穴から顔出しスタイルに誰もが胸を打たれるピーマンの肉詰めです。
 肉を何かに詰めたくて仕方ない方におすすめです。
 お集まりいただくのはピーマンに、豚ひき肉多め、牛ひき肉少なめ、玉ねぎ、お麩、卵です。
 途中まではハンバーグを作る気持ちと被っていいですので、玉ねぎをみじん切りしましたら、ボウルにひき肉全て、玉ねぎみじん切り、お麩を崩しに崩した粉、卵、塩胡椒をややむせるほど、マヨネーズを宝石を一粒添える程度入れ、硬すぎず柔らかすぎずの肉質に変えていきます。

 これが「ピーマンの肉詰め」の書き出しなのだけど、他の料理の文章も読むと、料理を作っていく動きと、そこに臨む気持ちの持ちようや、感情までを描写しているのが目立った。

 これまでの料理本の多くが、材料を揃えて数字が並び、その手順が重視されているので、個人的には「実験」の印象が強かったのに比べると、「カレンの台所」の文章から受ける印象は、動きや気持ちの持ち方の描写が目立つので、突飛な例えかもしれないが、どちかといえば、スポーツを語っているように感じた。

 それは、「現場の言葉」であり、思い出したのは、野球の天才・長嶋茂雄氏の言葉使いだった。たとえば、バットスイングについての表現で擬音が多く、それは時として、嘲笑されることさえあった記憶がある。ただ、その言葉は、対面で本人が伝えないとわかりにくい、という制限はあるものの、その現場で生きているプロには、実は効率よく伝わる言葉かもしれない、と思うようになった。

 その理由は、指導を受けたといわれる選手が、その後、アメリカでも活躍したり、私自身が、一度だけ長嶋氏にインタビューをした時、スポーツの現場に関するコメントが、ボキャブラリーが豊富とは言えなかったが、その場所に、それしかないような、本当に適した単語を瞬間的に選択していたのを聞いてからでもあった。

 自分が料理をしないから、説得力はないものの、そして、すでに料理をする人はご存知なのかもしれないけれど、料理はプレーでもあると思った。だから、そこに使う材料が揃っていれば、それに対して、どのように働きかけるのかのイメージは伝えるから、あとは、そこに、読んでいる人が自由に乗っかってくれればいい、といった文章に思えた。それは、身体言語で、スポーツに関する言葉だと思った。

 だから、「カレンの台所」は、「錦織圭のテニスコート」といった言葉の使い方と似ているのかもしれない。

孤独な言葉と大人の言葉

たとえば、「豚の生姜焼き」は、このように紹介されている。

    〈登場人物〉
 豚肉、玉ねぎ、生姜、キャベツ、ミニトマト
    〈スタッフ〉
 醤油、酒、みりん、砂糖、
 ハチミツ、マヨネーズ、
 オリーブオイル、ビニール袋

 この部分だけでなく、文章全体は、かなり擬人化が多く、それは、言葉を覚えていく時期に「孤独な子ども時間」が多かった人が、似たような言葉の使い方をする印象がある。

ひとりっ子というのがすごく強くて、
すぐに友だちを作るタイプじゃなかったんです。
まずは虫と友だちになってみたり、
そのうちに植物と友だちになったり。
友だちができるまで、
庭から友だちを探していました。

 そうした中で養われた言葉が、独自性を持っているのかもしれないが、その擬人化に代表される子供っぽさだけでなく、一時期、四文字熟語を使って、あだ名をつけるようなことを、テレビ番組などで披露していたようなこともあった。対談の中で糸井重里氏は、こんな言い方をしている。

カレンさんが使う言葉には、
子どもが使わないような特殊な単語と、
女の子同士がおしゃべりしているような言葉が
どっちも混ざっているんです。
そこに丁寧語だとか、漢字も入っていた。
その混ざり方がおもしろいなとは思っていました。
あだ名をつけている時期もありましたよね。

 滝沢カレン氏は、テレビで、おばあさんが厳しくて、という言い方もしていたので、その少し昔の言葉も素直に吸収され、孤独の言葉と、祖母からの大人の言葉が混じり合い、どちらも生き残って育っているのが、現在の「滝沢カレンの言語」なのかもしれない。だから、時代をまたいでいるような、独自のスタイルになっているのだろう、と改めて思った。

「大丈夫だよ」と、柔らかく励ましているような言葉

 ただ、その言葉のハイブリッドだけでは、「滝沢カレンの言語」は、どうやら出来上がっていなくて、それは、たとえば、著書の冒頭にも含まれているような要素が不可欠に感じた。

 はじめに
 毎日食べる物だからこそ
 もっともっと楽しくていい
 たまには適当になっちゃっていい
 たまには頑張っちゃってもいい
 数字に惑わされずに
 ただ自由に絵を描くように
 料理をしたらいい

 ここにあるのは、「大丈夫だよ」という「柔らかく励ます」要素だと思う。その要素を、滝沢カレン氏が、自分の中で、どのように育ててきたのかは、それこそ、育ってきた中での、心のもっと深い部分に関することかもしれず、もしかしたら、著者自身でも、はっきりと分からないのかもしれない。
 
 ただ、その要素が、これまでの料理本との違いにつながっているように思う。
 今までの大部分の料理本は、前に立って、その進む道を正確なラインを引いて導いてくれているとすれば、「カレンの台所」は、うしろか横に立って、そこから、ゴールを指し示し、あれがゴール。そこへ向かっていけばいい、「今のあなたのできることをすれば、大丈夫だよ」と、そっと背中を押してくれるような本に思えた。

 料理は決して、誰かの道を辿ることはしなくっていいんです
 だから100%この通りに作ってくださいなんて言いません
  
 “こんな抜け道もあるんだなぁ”
 という発見がてら見てもらえたら嬉しいです
 (余計に迷ったら謝る)

 料理が作らない人間が言うのは、失礼で説得力はないかもしれないけれど、「大丈夫」と、背中を押してくれる印象の料理本を、もう一冊思い出した。

次に作りたいもの

 妻は、この本から何種類かの料理を作ってくれた。私にとっては、どれもおいしく、時々新鮮で、ありがたかったのだけど、妻は「ちょっと味が濃すぎたから」と次への反省もしていた。それが、首をうなだれている感じでなかったのは、その調味料の分量も、自分で決めた結果のせいかもしれない。

 そして、次に作りたい、と言っていたのが、「とんかつ」だった。

 今日は怖がっていたら始まらないギリギリラインのせめぎ合いで作ったとんかつの1ページです。
 私はよく、ミルフィーユ状のとんかつにすることにしています。
 分厚く火が本当に中央までしっかり通っているのか、という鍋前で一人抱える不安は台所には似合いませんからね。

 私は、料理をしないのだけど、妻が作ってみたい、というのは、わかるような気もした。


 今までの料理の本が、ちょっと合わなかった人だけでなく、言葉を考えすぎて、時々、ちょっと身動きがとれなくなる人(私も、その傾向があります)にもオススメです。



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