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甘味屋さんの、思い出

 ガラスの器が、きれいに、割れていた。

 アイスを入れたり、甘いものを食べる時に、特に便利に使っていて、夜、いつものように洗って、水切りかごに、他の食器と一緒に置いた。
 次の日。妻が持ち上げた時は、もう割れていた、という。
 2週間くらい前から、ひびが入っていたから、妻は、覚悟はしていたらしく、やっぱりと思ったらしいが、私は気がつかずに使って、洗っていた。
 夜の間に静かに割れていたのかもしれない。
 近所の甘味屋さんに、いただいた器だった。


 古くからの商店街が、住んでいる街にあって、昔は和菓子屋さんが3軒くらいあったらしい。そのうちに、駅そばで一番繁盛していた店が閉店し、残りは2軒になった。そのうちの一軒は、高校の通学路のせいもあり、ボリュームもあって、義母の口にはあまり合わず、もう一軒の店に、妻は時々行って、義母のために、海苔巻きや、いなり寿司や、赤飯や、和菓子を買っていた。素朴な味で、おいしかった。昔ながらの、甘味屋さんだった、と妻は言う。

 その甘味屋さんが閉店するのを知ったのは、私の方が早かった。
 帰り道に、店の前を通ったら、段ボールがあって、そこに器が並べてあった。

 これ、どうしたんですか?などと聞いたら、
 閉店するので、持っていってください。と言われた。

 私も、妻と一緒に、義母を連れて、この甘味屋さんは、時々来ていたし、来るたびに、義母に話かけてくれて、商店街の昔からの知り合いだったから、そういう意味でもありがたかった。

 あ、閉まっちゃうんだ、と思ったが、義母もその前年に103歳で亡くなっていたから、以前ほど、このお店に寄る機会は減っていた。

 器は、どれだけ持っていってくれても、と言ってくれたが、少し遠慮して、中から、やや小ぶりのガラスの器を2ついただいた。


 家に帰って、妻に伝えたら、たぶん、私よりも残念に思ったはずだった。

 何かのおりに、その器の御礼を伝えに行って、残念です、といったことも話したらしい。そうしたら、あんこの機械が壊れたらしく、買い換えるのは、いろいろな意味でもう無理だった、といった会話をしたという。だから、その機械が壊れなかったら、まだ、甘味屋さんはあったかもしれない。
 それが、たしか、去年のことだった。

 それから、そのガラスの器は、ずいぶんと使った。
 やっぱりアイスとか、甘味にぴったりだったし、あとは小さいサラダを入れたり、と使い勝手がいい器だと、妻は言っていた。さすがお店の器だった。
 私としては、ガラスだけど、わりと厚めでしっかりしていたから、もっと長く、大丈夫だと思っていた。
 だけど、考えたら、うちでいただく前も、もうたぶん長い時間、お店で使われてきたはずだった。

 ガラスの器がきれいに、知らないうちに、きれいにわれて、改めて、その甘味屋さんのことを思い出したが、妻は、時々、いただいてありがたいな、と思っていたらしいので、自分の微妙な薄情さも、分かったりもした。
 だけど、この器でデザートを食べる時は、よりおいしく感じていた。

 もう一つの、ガラスの器は健在だと思う。
 だから、まだ、思い出も残っているような気がする。



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壊れるまで、モノを使うということ

「スイカをいただきました」。2020.7.2.

「かっぱえびせんの全盛期」のことを考えたら、「歴史の不可逆性」に、改めて気がつきました。

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