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アートと幸福感のあるホテル……「直島 ベネッセハウスミュージアム」。

 いつかは行きたいと思い続けて、だけど、その場所が、遠かったり、お金がかかったり、時間がなかったりして、結局は、行けないまま、終わってしまったり、興味がなくなってしまうことも少なくない。

 私たちにとって、ある時期まで、それは直島だった。

直島

 何かの企業の広報誌のような薄い雑誌で、初めて瀬戸内海の直島の存在を知ったのが、1990年代だった。草間彌生のカボチャの作品が海際に設置されている写真を見て、こんな場所があるんだと思った。

 その頃、個人的には、急にアートに興味を持ち出したせいもあって、アートばかりの島、という響きは、とても魅力的だった。そして、その雑誌の草間彌生の写真のキャプションに「彼」という文字を見て、間違っていると思うくらいには、知識も増えていた。

 ただ、遠かった。

 さらには、1990年代の後半になって、介護を始め、仕事も辞めざるを得なくなり、そんな希望を持つこと自体が辛くなるので、忘れるようにしていたら、直島のことも、本当にほぼ記憶が薄くなったような気がしていた。

美術館のあるホテル

 介護の年月は長くなった。

 10年を過ぎる頃には、それでも、自分が行きたいところには行こうと思えるようになったのは、それまで母と義母(妻の母親)の二人の介護が続いていたのが、母が亡くなり、一人の介護になったせいもある。

 青森まで、展覧会を見に行ったこともあったのは、行かないと一生後悔すると思ったからで、その時は、本当に行ってよかったし、妻が「行き詰まった」と言って出かけた金沢の美術館は、とても気持ちがよかった。

 だけど、直島は、さらに敷居が高かったのは、その宿泊施設のこともあった。

 安藤忠雄という、テレビなどで知るようになって、いろいろな意味で尊敬もしていた建築家が設計していた、ということ。さらに、美術館に泊まれるということで、直島に行くなら「ベネッセハウス ミュージアムに泊まりたい」と思っていたのだけど、何しろ、自分達にとっては、料金が高かった。

 行くならば2泊くらいはしたいし、特に夕食は周囲に食べる場所すらなさそうだったから、その値段も含めると、とても思い切りが必要だった。

100歳

 2010年代の後半には、義母は100歳を迎えた。

 いろいろな人がお祝いしてくれた。内閣総理大臣の名前で、銀杯のようなものが届いたり、近くの区役所の出張所の所長さんが、祝い金を持ってきてくれたりもした。

 その時に、思っていたのは、確かにおめでたいことだったけれど、妻の介護がなかったら、この年齢まで生きられなかったと思う。自分も一緒に介護をしていたけれど、料理も含めて妻の負担が重いように思っていたし、もちろん身近な人は声をかけてくれたりはしたけれど、だけど、その介護をしている人たちを祝ったり、労ったり、公的な場所から銀杯のようなものが送られるわけでもなかった。

 それなら、ちゃんと自分たちで、祝おうと思った。

 妻も昔から行きたいと言っていた直島に行こう。

 それで、思い切りがついた。
 それから、予定を立て始める。

 ホテルは、直島のベネッセハウスミュージアムにしたけれど、かなり前からの予約が必要だと知った。飛行機などは、前もって予約すると割安になった。それに、何より義母のショートステイがちゃんと取れるかどうか。さらには、その間も、特に妻は、いつも近所なので、預けても1日に一回は見に行っていたので心配もあり、その見てもらう役割を、妻の姉の方々にお願いをした。

 携帯もスマホも持っていなかったのだけど、島では公衆電話も少なそうだったので、初めて、携帯電話をレンタルした。

 そんな準備をして、それでも、義母の体調が悪くなったら、すぐにキャンセルになるから、やっぱり、その日になるまで、緊張と不安は続いていた。

 そして、当日は、無事に出かけられることになった。

ベネッセハウスミュージアム

 飛行機に乗って、徳島につき、うどんを食べてから、フェリーに乗った。

 直島が見えてきた時は、妻が喜んでいたが、私も嬉しかった。

 その港にホテルの送迎バスが来ていて、それに乗り、ホテルへ向かった。

 安藤忠雄の特徴であるコンクリート打ちっぱなしの建物で、周囲の環境に配慮して、建物は半分は地中にうまっているから、全体の印象ははっきりとは分からないけれど、フロントも含めて、控えめな感じで、部屋に入ると、海が見えた。

 薄曇りの天候だったのだけど、きれいな景色だった。バルコニーからは、近くにも遠くにも、島があるのが見える。

 瀬戸内海が広がる。

 もう気持ちがよかった。とても静かだった。

 荷物を置いて、施設内の美術館に行く。
 
 これまで写真でしか見たことがなかった作品が並んでいる。時間が限られていないので、ゆっくり見られた。

「海景」(杉本博司)という作品は、屋外に飾られていた。水平線だけが写っている写真で、それは、世界各地の海でもあったのだけど、海だけが写っているから、この光景は、何百年も前の人も見たのかもしれない、と思える。

 その作品は屋外で、それも実際の水平線と合わせるように展示されていた。

 細かいことを含めて、とても考えられていると思った。

夜の空

 その後も、夕食も館内で食べたりしたが、平日だったので、海外からの宿泊客も多かったようだ。

 こちらは、カプセルに入っている、作品の小さい模型を持っているという話をしていたつもりだったのに、相手は、作品の現物そのものの所持だと、自然に思っていたから、会話がずれてしまった。

 やはり、コレクターと言えるような高所得の人たちも、泊まっているようだから、自分たちは、本来だったら、来てはいけないのかもしれなかったような気持ちにもなったが、夕食後にも、美術館に行った。

 部屋を出てから、すぐそばに作品が並んでいる。

 夜は、宿泊客だけが鑑賞できる時間帯があって、その時に、妻と二人で館内を回ったら、他には誰もいなかった。

 作品が発する音が聞こえるだけで、近くにはクルマも走っていないようなので、波の音と、鳥のさえずりくらいしか音がなく、とても静かだった。

 大きな彫刻作品には、寝そべることもでき、それは、バルコニーのような場所だったから、夜空が見えた。

 幸せな時間だった。




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