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読書感想 『性犯罪被害にあうということ』 小林美佳 「性犯罪の理解に近づくための必読書」

 性犯罪被害については、男性として生きてきて、それほどの関心を持たないでこられたのは、単なる幸運と無知のせいだということを少しはわかるようになったのは、21世紀になって、様々な情報に接するようになったからだと思う。

 それだけ、知ることは重要で、もちろん様々な被害者や当事者の気持ちに関しては、本当に分かったり、理解することは、おそらくは不可能だと思う。だけど、全く違う分野だから、比較するのは失礼だとも思うのだけど、自分自身が、家族の介護をしていて、その時間の中で周囲の人たちに望んでいたのは、無理かもしれないけれど、「理解」だった。

 だから、「理解」しようとしてくれている人は、ありがたい存在だった。

「性犯罪被害にあうということ」 小林美佳 

 いろいろな本を、興味が向けば読むし、あるジャンルだけに限定していることはなかった。そして、今は、自分が読んで、面白いし興味を持てるし、できたら他の人にも読んで欲しいし、などと思うと、恥ずかしながら、読書が習慣になってからは、中年以降なので「読書歴」としては短いし、人に薦めていいのだろうか、と思うこともある。

 それがnoteを始めてから、本を紹介するのには向いているメディアだとも思ったのは、読書家が大勢いそうな印象もあり、多少、無知なことを書いても許容してくれるのではないか、と感じたからだった。

 それでも、読むだけなら個人的なことで、こうしてnoteで紹介するのは、やはりパブリックなことにもつながるので、そこにある種の制限があるとは思っている。

 だから、性的犯罪という、多くは女性が被害者になっていて、自分のことを振り返っても、そうしたデリケートなことを、自分は加害とは全く無縁みたいな感じで語れないとは思っていて、だから、本を読んで興味深いと思っても、男性が紹介することで、バイアスがかからないだろうかと思うと、ここで書くこと自体も、躊躇する気持ちがあった。

 これだけの前置きみたいなものを書くのも、自己防衛で単なる言い訳なのかもしれないが、だけど、男性が考える時は、こうしたハードルがある、といったことも少しでも明確化する意味はあるのかもしれないと思って、書き連ねてきた。

 それでも、紹介しようと思ったのは、この言葉が冒頭近くにあったからだった。

 「理解」
 これが、私が願うたったひとつの、とても強力な被害者への支援である。

 2000年に、24歳で、不運にも、性犯罪被害にあってしまった著者が、自分自身の経験を、これだけ率直に、それも、様々なリスクを覚悟しながらも、実名で伝えようとしたのは、この動機がベースにあると思えた。それならば、こうした場所で紹介することは、もっと届くべき場所に届くために、ほんの少しでも意味があるかもしれない、と思った。

性犯罪の被害者の気持ちや環境

 性犯罪の被害者が、どんな気持ちなのか、その後にどれだけの恐怖とともにあるのか、周囲から「善意」であるはずなのに、さらに傷つくような言葉が、どれだけ向けられてしまうのか。この本を読むと、そうしたことに対して、自分がどれほど無知なのかが、よくわかった。

 今も、まだ言われているような、どうして逃げなかったのか、といった言葉は、理解不足であると、はっきりと語っている。

 「抵抗できたはず」「大声を出して逃げることもできたはず」
 そんなことは机上の空論。理想論。できない。自分の身体なのにできない。 

 そして、事件後にも、特に精神的なダメージを負っていることに対しては、ある程度の想像しかできないのだけど、その深刻さの度合いが想像以上に深いことを知らなかった。

(人質事件や凶悪事件や性犯罪のあと、被害者にP TSDの疑いと聞くたび)
 『発症するに決まってじゃん』
 私が思うに、むしろ発症して当たり前。発症しなかったらラッキーぐらいのものである。

 さらに、単に被害を受けたダメージだけでなく、「発病」を抑えるような、複雑な心の動きがあることも、本当に知らなかった。

 性犯罪の被害者においては自責の気持ちが芽生えるため、〝発病〟を甘えととらえたり、〝発病〟による同情を嫌がるなどの理由により、自分では気づいていなくても、無意識に〝発病〟することを抑える傾向にある。 

周囲との関係の変化

 家族など、とても近い関係の方々からも、悪意でなくても、性犯罪の被害者は、とても傷つけられる事もあるのが、丁寧に書かれてもいるのだけど、そのことに対して、さらに複雑な気持ちの推移があることも、恥ずかしながら、まったく思い至らなかった。

 両親を責めたいなんて、少しも思っていなかった。むしろ、
『社会に大声で言えないようなことを抱えた娘になってごめんなさい』
そう思ってきた。しかし、それは私だけが感じていた後ろめたさだった。
この罪悪感にも似た後ろめたさを理解してもらうことが本当に難しい。 

 年月がたったとしても、その事件を境にして、変わってしまったことがあって、それが取り戻せないことであるのはわかっていても、それも含めて、被害者だった本人が抱え込むという辛さもあると知ると、本人に落ち度がないのに、これだけの理不尽さが続くことは、想像していなかった。

 私が両親に抱いた不信感や距離感はいまも消えることはない。見てはいけないものや見なかったほうがよかったものを知ってしまうこと、これが一番の被害者のダメージなのかもしれない。事件を機に知ってしまったことは、すべて「なかったこと」にして生活をしていかなくてはいけない。 

 最近、性被害、性犯罪にあった女性が「うそをつく」と表現していた女性政治家がいた。そうした発言があることで、もしかしたら、裁判での、こうした残酷な場面が減らないどころか、増加させる可能性があることに、その女性政治家は、想像もできなかったのだろうか。

 裁判官には、
「どうしてそんなに平気でいられるのですか?嘘をついているからでは?普通の女の人はこんなところに立つことは耐えられないでしょう」
 と言われ、自分の味方がいないような気になったという。 

 筆者は、冷静に、性犯罪の被害者に必要なもの。これからの課題をあげている。自分も知らなかったから偉そうには言えないけれど、政治の場面で、性犯罪や性暴力について検討されるとするならば、そこにいる関係者は、少なくとも、こうしたことは知っておくべきだと思う。

 性犯罪の被害者を救えるものは何か。
 まずは、周囲の理解。
 被害者は、まず自分に向き合う時間を与えられなくては。
 加害者を罰する前に、被害者が救われなくては。
 そのために、制度や法律や機関が整っていかなくてはならない。  

声を上げ始める人

 ラジオを聴いていたら、性暴力に対して、また、新たな声をあげ始めた人がいるのを知った。

 性暴力を減らすとするならば、まず「性に関する正しい知識を広げる」ことを目的に「性教育トイレットペーパー」の販売を始める、というアプローチをとっていることを知った。

 その「トイレットペーパーの販売」といった言葉だけを知った時の印象と違い、ソウレッジ代表・鶴田七瀬氏の話す声を聴いていたら、この行動に至るまで、どれだけの、人に理解されにくい辛さや逡巡があったのか。それを乗り越えるために、どれだけの勇気や覚悟が必要だったのかは、ほんの少しだけど、想像できるような気がした。



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