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保坂和志の「小説的思考塾」vol.8に参加しました。

 何度か参加している。

 最初に巣鴨の会場に行った時は、保坂和志という小説家のたたずまいというか、言動が不思議で、でも、だからあの小説を書けるのか、それだけでなくああした小説論を語れるのか、といった納得感もあった。

小説的思考塾

 コロナ禍になってから、オンラインでの開催になり、そして、それからも2度ほど参加をした。毎回、今回はどうしよう?と迷うのは、2時間ほど保坂が1人で話し続け、時々、スケッチブックに手書きの文字を書いたりするくらいで、画像としての変化はあまりないせいもあると思う。

 それでも、ふと目を覚まされるような言葉や、思考がそこに展開されて、とまどいもありながらも、結果として、参加したよかったと思うことになる。

 アーカイブでも見られるので、時々、2日に分けて見たりもするのだけど、これまで、同じようなことを言っているようで、いつも違う。

 そして、言ってみれば「哲学的」な内容の時もあるし、書くことがテーマのこともある。

vol.8

 今回は、確か隔月のはずが、少し予定が変わって、それでも「vol.8」の告知のメールがきて、またどうしようか迷って、結局は、申し込んだ。

 当日になって、突然、オンラインだけではなく、実際の会場でも観覧可能なのを知った。さらに、今回は、書くことについてだった。そういうことをあまり見ないで、申し込んでいたのは、時々、保坂和志が話すような言葉に触れないと、考えや感覚が狭くなってしまうと思ったからだ。

 今回のテーマはズバリ、「創作の構え」「創作とは何か」です。

 最近の芥川賞作家の受賞コメントは、まるで小学生か中学生が先生に褒められて喜んでるみたいで、創作が自由の行使であることがわかってない。

 創作とは、教室的な縛りの外に出て、自分だけの価値を創ることなのに、みんな、相変わらず教室の中で褒められる気持ちで創作をしている。私は強い危機感を感じています。(私の言う「書く」は、創作・表現全般なので、描くも撮るも踊るも、全部です。)

 表現することは、先生に褒めてもらうのでなく、同志への呼びかけなのです。

 その「同志」は書きながらも、いるかいないかわからない。しかしきっといるはずだと信じて書く。

 それは権威や制度の外にいることだから、人からは強気に見えても不安がある。自分で何かをすることはいつも不安なものなのです。

 今回私はその人たちを励ますために話そうと思います。

 (「配信版 小説的思考塾vol.8」の予約受付を開始しました!」より)

 保坂和志の言葉だけど、相変わらず、すごい。
 これだけで、意味があるようにさえ思えてくる。

創作とは何か

 当日、「小説的思考塾」vol.8の配信が始まり、このテーマから、通常、思いつくような要素は、ほぼ一つも出てこなかったと思う。

「文体」や「デビュー」といった言葉はあったのだけど、そこからつながることとしては、思いつきにくい話が多かった。ただ、もう少し考えれば、「人間としての真っ当さ」に関係あることを話し続けていたような気がして、だから、自分が「同志」とは思えないのだけど、それでも、なんだか気持ちが楽にはなった。

 不思議な充実感がある。
 次も、迷いながらも、おそらくはまた視聴することになると思う。


「書くこと」に興味があり、そして、すでにいろいろな知識がある人ほど、一度は見てほしい配信が、この「小説的思考塾」だと感じているのだけど、その一方で、人によってその評価も大きく分かれるような気がする。

 それでも、少しでも興味があれば、見てほしいという気持ちは、やっぱりある。



他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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