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読書感想 『ザハ・ハディド全仕事』  「圧倒的に美しい建築」

 それほど建築に詳しいわけではないけれどザハ・ハディドの「アンビルドの女王」という、今だとやや問題がありそうな呼び名だけは知っていた。

 建築できないような設計図を描く人。

 だけど、考えたら、実際に建てられない建築物を構想している人がいること自体が不思議だった。建てられない設計図ばかりを書いていたら、建築家として続けられないのではないか。だけど、その人が建築家としていられるのが可能だとすれば、その建築家のイメージする建築物が、とてもすごいということを、専門家を含めて共有できていたことになる。

 そんなことが可能なのだろうか。

 だけど、建築家でありながら「アンビルド」という形容詞が使われるということは、そういう特別な存在であることを表しているのだろう、ということは素人でも薄々はわかった。

 それでも、その凄さは自分にとって縁遠いものだった。


東京オリンピック

 急にザハ・ハディドという存在が近づいてきたのは、結果的にコロナ禍で行われることになった東京オリンピックで、だった。

 東京オリンピック自体は、東京都民としても、またやる必要があるとは思えなかったし、運営に関わる人たちの強引で不透明な進め方自体に嫌悪感があったため、ザハ・ハディド案での国立競技場が突然白紙撤回になり、その後、隈研吾の設計に決まった経緯についても、それほど興味が持てなかった。

 それでも、その後、さらに「模倣ではないか」といった訴えがザハ・ハディド本人からあったらしいのだけど、詳細が明らかになる前に、本人が亡くなってしまった。

 だから、そうした一連の騒動のようなことも、印象が薄くなっていったし、個人的には新しくなった国立競技場の姿をまだ一度も見ていない。

東京都同情塔

 再び、ザハ・ハディドの名前をはっきりと思い出したのは、『東京都同情塔』を読んだからだった。

 恥ずかしいほど、露骨に影響を受けてしまったのだけれど、ザハ・ハディドの案がそのまま採用されて、新しい国立競技場がある東京が、この小説で描かれていて、それがとても魅力的に感じた。

 だから、もしかしたら、自分の想像以上に、ザハ・ハディドの建築物はすごいのではないか。などと、知っている人から見たら、笑われてしまうようなことを考えて、かといって、その建築物がある場所に行くまでの覚悟も予算もなかったから、本を借りることにした。

 しかも、購入するお金もないので、図書館に予約した。

 とてもわかりやすいタイトルだった。

『ザハ・ハディド全仕事』 ザハ・ハディド

 幅が約22センチで、縦がだいたい25センチ。
 320ページ。
 大きくて、手に持つと、ずっしりと重い。

 写真が多く、世界にあるさまざまな建築物。その案だけのもの。オブジェ、インテリア、家具なども網羅されている。

 こんなに幅広くデザインし、設計しているとは知らなかったし、日本にも作品がすでにあるのも、恥ずかしながら、まったく情報に触れたこともなかった。

 モンスーン・レストラン 日本、札幌  1989―1990年

 バーの上のらせん形は1階の天井を突き抜け、圧力容器から噴出する炎の竜巻さながらに渦を巻いて上階のドーム表面に達する。

 大阪フォリー、EXPO90  

複数の壁をまとめたりねじったり

(『ザハ・ハディド全仕事』より) 

 どちらも、他にはない造形であると思えるし、同時に、1980年代の後半はバブル期と言われていて、ザハ・ハディドだけではなく、フランク・ゲーリーの作品も神戸にあったりするから、今から想像もできないほど景気がよかったことの証明のようにも思えるが、現在では、それほど広く知られていないようにも思える。

 そして、こうした書籍でも、ザハ・ハディドの仕事の中では、やはり、建築物が圧倒的に印象に残る。

ザハ・ハディドの建築

ヴィトラ社消防署   ドイツ、ヴァイル・アム・ライン  
1990-94年

 この建物のそばを通りかかったとしたら、消防署には思えない気がする。写真で見ただけでも、先鋭的な美術館に思える。

シュピッテラウ高架橋
オーストリア、ウィーン  1994-2005年 

 実用的な建築物のはずなのに、構造的には無理が加わっていて、建築物上部の方が重そうで、実際には完全に安全性が保たれているはずでも、ちょっと動きそうにさえ見える。

ランデスガルテンシャウ(国際園芸展示会)1999
ドイツ、ヴァイル・デム・ライン   1996-99年

 園芸展示会のための建物。これは、植物に関するイベントのためのもののせいか、建築物そのものが川の流れをかたちにしたようにさえ見える角度がある。

MAXXI国立21世紀美術館
イタリア、ローマ  1998-2009年

 上空からの写真が掲載されているが、街の中に巨大な生物がたたずんでいるようにさえ見える。

ベルクイーゼル・スキージャン台                
オーストリア、インスブルック 1999-2002年

 アニメの傑作「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する得体の知れない「敵」である「シト」が山頂に現れたように思える写真だった。

フェーノ科学センター
ドイツ、ヴォルフスプルク  2000-05年 (共同プロジェクト)

 フェーノ科学センターは、ドイツではそれまでに類をみない施設であり、来場者を幾らかの複雑さと未知の領域に向き合わせることを目的としている。 

(『ザハ・ハディド全仕事』より) 

 この表現が大げさでないのがすごい。とはいっても実際に行ったことがないから、断言してはいけないのかもしれないけれど、でも、やってきた人を、「複雑さと未知の領域に向き合わせることを目的」にできること自体がすごいし、この企画が通ったことにも、ちょっとした驚きと共に、自由の気配もして、この建築物がある場所がちょっとうらやましいような思いにさえなる。

ピエールヴィーヴ  
フランス、モンペリエ  2002-12年

 これは、公文書館。図書館。およびスポーツ施設を収容する公共の複合施設。写真で見ただけだけど、巨大な異物。複雑で、なんだかわからない形。でも、かっこよくて美しい。

広州大劇院
中国、広州 2003-10年

 侵食によって角の取れた小石のように、河岸の立地と完ぺきに調和して建つ。

(『ザハ・ハディド全仕事』より) 

 写真では、調和しているようには見えないけれど、でも、確かに、川のそばにあると、すごく馴染んでいる巨大な石に見えるかもしれない。もう少し隙間があったら龍安寺の石庭の石のようにさえ感じる。

 中国には、もう一つ、上海に『凌空SOHO』というオフィスと商業施設の大きい建築物がある。曲線というだけではなく、メビウスの輪のようにさえ思える。ザハ・ハディドの設計した大きな建築物が二つもあるところに、より国の勢いを感じさせる。

東大門デザインプラザ
韓国、ソウル 2007-14年 

 そして、韓国にも巨大なキノコのような有機的な建築物がある。あちこちに曲線があって、怖いほど、すごい。こんな場所があるだけで、そこにいる人は、多分意識が違ってくるはずだと思える。

ロンドン・アクアティクス・センター
イギリス、ロンドン 2005-11年 

(『ザハ・ハディド全仕事』より) 

 これは、2012年ロンドンオリンピックのメイン会場の一つ。プールがある。だから、流線型。だけど、巨大な唇にも見える。こんなすごい建築物とは知らなかった。生き物のようだ。

 オリンピックで、こうした建築が残されるのならば悪くないと思うのと同時に、東京オリンピックのとき、いろいろなことは納得がいかなかったものの、せめて国立競技場がザハ・ハディドの設計だったら、などと思う。

実物の写真

 この本の中には、建築前のデザインと、実現し、実際に街などに立っている写真の両方が載っているものもある。

 それを比べると、デザイン案よりも実物の方が、圧倒的に異物感が増しているように見える。平面に収められているときよりも、3次元に現れたときの方が、その曲線のあり方や、大きさに凄みがあるように感じる。

 本当に建築家といえる人だったからではないか、などと思ってしまった。

 建築に関しての素人で、しかも、しかも実物を見たこともないのだから、その見方には説得力が薄いかもしれないけれど、やはり、ザハ・ハディドの国立競技場がある東京の未来は、『東京都同情塔』に表現されていたように、独自の街として今とは違う方向に発展したのかもしれない。

 小説をきっかけとして興味を持ち始めたにわか知識に過ぎないけれど、やっぱりすごい建築家だったのではないか。

 とても遅れた感慨だけど、そんなことを思った。

 
 あまり見たことのないものや、美しいものに興味がある方に、おすすめしたいと思います。



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