黄鶯睨睆‥うぐいすなく
『黄色睨睆 ‥ うぐいすなく』
2月9日から2月13日頃
「ホーホケキョ」
軽やかなうぐいすのさえずりは冬の寒さで硬くなってしまった心身を解かしてくれるようで
耳だけでなく心にも優しい音色ですよね。
可愛らしいその鳴き声を耳にするとなんだか思わず微笑んでしまいます。
古くから「春告鳥」と呼ばれホーホケキョと歌声を響かせながら
わたしたちに新しい季節の訪れと
幸せを届けに降りてきて
そして春の深まりと共に山へ帰っていくのです。
誰もが一度は真似したくなる、または真似したことのある鳴き声ではないでしょうか。
「ホーホケキョ」
オスからメスへの求愛の時に出されるもので
鳴き声でホーは吸う息
ホケキョは吐く息、
胸をいっぱいに膨らませて鳴きます。
耳をよーく澄ましたら
ホーホケキョ
(だーいすき)
なんて聞こえてくるかもしれませんね。
「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕暮れに
鶯鳴くも」
大伴家持の春愁三首の一首
現代語訳は
「春の野に霞がたなびいてもの悲しい夕暮れの中で鶯が鳴いている」
うぐいすを詠んだ和歌も多くある中で
わたしが一番好きな和歌かもしれません。
和歌を読むと多くの人が
その心情の奥深くを知りたくて
時代の背景や歌人のその頃の様子など今に残る
情報から一句一句読み解き気持ちを察しようとします。
この歌の歌人でもあり
万葉集の編集に多く関わったとされる大伴家持のその背景は波乱の歌人とも呼ばれ
左遷と昇進を繰り返した人物と記されており
そこから歴史の背景を辿りながら思いを巡らす
のです。
この和歌から
(ウグイスが鳴き=春の)光輝く明日も
いつまたどうなるか分からない
霞がかかり不確かな自身の不安さえも
伝わってくるようにわたしには感じます。
しかし、どんなに多くの人が気持ちを計ろうと試みてもその芯の本質には辿り着けない。本人でなければその心情は想像でしかない。
それでも短いその文面からなにかを感じとりたくて何度も何度も繰り返し読んでしまう‥。
和歌に触れる度、日々勉強だなと
感じずにはいられません。
多面的な角度から物事を想像する。
人の考え方や気持ちの答えはひとつではなく
いくつもある。
それは生活していく上でも必要な力を
育てていくことに繋がっているのかもしれませんね。
気づけば「自由でない暮らし」になり
長らく経ちました。
行きたい場所へ
会いたい人へ‥
それまで当たり前にあった日常が奪われ
そんな不自由さがいつしか『日常』となり
ほんの数年前の暮らしは今や特別なことになりました。
限られた中にも
今でしか見ることのできない景色や
今だからこそ出会える感情のひとつひとつを大切にしたい。
決して綺麗事だけでは語りきれない様々なこともいつしか必ず訪れる平穏ないつかのために‥糧になればと思うのです。
あおさんの写真に添えて‥。
読んでいただきありがとうございます。
黄鶯睨睆‥うぐいすなく
春を告げる鶯が美しい音色で鳴き始める頃
photographer‥あお
writer‥るん
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