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【短編】バトン⑨

第八話はこちらから

第九話 大事な人

僕を大事にしてくれる人。
大輔さん。それに…

「あら、杉崎くん。いらっしゃい。」
「みかんにお土産。」
「まあ。」
「由紀恵さんにも。」
「あら。なに?」
「金平糖。おいしいやつ。」
「ありがとう。」
由紀恵さんは、大学のボランティアサークルで出会ったおばあちゃん。みかんは猫で、かなりの年寄り。

どうしても不安な時はここに来る。みかんと遊んで、由紀恵さんと話をする。ここを出るときには、なんでもないやって気持ちになれる。

僕の日常はどっちかって言ったらこっち。

人が血を流す方じゃない。

「そうだ、アイス食べる?」
「うん。」
「抹茶とイチゴとミルクならどれが良い?」
「全部」
「お腹壊すよ。」
「じゃ、ミルク。」
「待ってて。」

僕の両親は結婚して僕が生まれてすぐ離婚した。父親と2人きりで生きてきた。祖父母は、小学生の頃にはもう居なかった。母親には会ったことがない。

「どうぞ。」
だから、由紀恵さんは特別だった。その辺のどこにでもいるようなおばあちゃんだけど、僕を初めて怒ってくれたおばあちゃんだった。
すごく単純。
箸の持ち方がダメってことを怒られて、持ち方をちゃんと教えてくれた。
それから、僕は由紀恵さんを大事に思えて、由紀恵さんも僕を大事にしてくれてると思った。
「いただきます。」
「召し上がれ。」

そういえば今村くんが彼女に振られた時には、一緒にこのうちに泊まった。

「あの男の子は元気?」
由紀恵さんは大概1人でふらっと現れる僕が、珍しく人を連れてきたから今村くんのことを覚えていた。

「うん。元気だよ。」
僕は嘘をついた自分に少し寂しさを感じた。

「ゆうちゃんは?」
時々、孫のように僕を呼ぶ。
「うん、元気…。」

由紀恵さんが僕の顔を覗き込む。
「それなら、いいけど。」
肯定も否定も探ることもしない。

「ねえ、由紀恵さん。」
「なに?」
「由紀恵さんの…お漬物食べたいな。」
「ふふ、待ってて」
遠く遠く…縁があるとかで本当の祖母なら良いのに。現実はそうじゃない。
部屋を見回して飾ってある写真は、全然知らない人…。やっぱり他人。

「どうぞ。きゅうりに、茄子に、にんじん。」
「やった。いただきます。」
手を合わせて箸を持つ。きゅうりを掴んで口に運ぶ。ポリポリと音がして、心地よくしょっぱさが口に広がる。
「由紀恵さん、おいしい。」
「お箸、上手になったわね。」
ふふふって、笑いながら僕を見ている。
「…得意だよ。ほら」
にんじんを摘んで口に運んで、おいしいって言うと、そうねって言ってふっと笑う。子どもじみた僕を受け入れてくれる。

欠落した僕の何か。拾って持たせてくれたのは由紀恵さん。

「寂しい時はいつでも会いましょう。」
「え?」
「ゆうちゃんは、そうね、弱い子でしょ?で、嘘が下手よね。悲しいも辛いも言わないけど顔に出てるの。それで良いから、ちゃんと元気になりなさい。」

誰にも言えない現実から逃げたくなる。

由紀恵さんは、僕を見ながらニコニコしている。
ニコニコして、みかんの頭を撫でているし、みかんはあくびをしている。

ただ笑ってるのが良い。静かに。変わらず。

そう、ただ、バカなことやって、ただ、くだらないねって。


ただのなんでもない、つまらなくなくて、なんかおかしくて…今村くんと会うとなんか、僕は笑ってた。

それが僕と今村くんの日常だった。

ポケットに入れたスマホが震える。
だけど、今は見たくないと思う。

「ねえ、杉崎くん。」
由紀恵さんは穏やかで、今までで一番優しい顔をした。
「私、近々、この家を出るのよ。」
「そうなの?みかんは?」
「え?みかんもいくわよ。」
「どこに?」
「息子のマンションに…。」
胸の奥が音を立てて割れた。

僕はどこかで、由紀恵さんは寂しい老人で僕みたいな人なつこい子がそばにいると、きっと嬉しいとか都合のいいことを考えていたに違いない。

じゃなければ、由紀恵さんの幸せを喜べないなんてことないんだから。

「へえ。いいね。じゃあ、もう僕、必要ないね。」
いじけた子どもみたいにひどい言葉が心から外に出た。
「今まで、ごっこ遊びしてくれてありがとう。嘘みたいに楽しかったよ。」
人を傷つける言葉は、僕の中からたくさん湧いてくる。たくさん、傷つけて、出会わない方が良かったって気持ちを植え付けたくなるんだ。

大事な人なんて必要ない。

そうやって僕はきっと、誰1人大事にしてこなかった。だから、大事にされない。

「ゆうちゃん」
由紀恵さんはそれでもニコニコしながらみかんの頭を撫でている。

僕は、出してもらったものはせめて最後まで食べる。きゅうり一切れ残す気はない。それが、正しい別れなんじゃないかって。

さようなら
って言いたくなくて、

代わりに、涙と鼻水が流れた。
ティッシュで拭っても足りなかった。

拠り所にしていた、温かいものがなくなったんだ。

口の中のきゅうりは、もっとしょっぱくなる。
どうして、別れなきゃいけないんだ。

どうして、失くさなきゃいけないんだ。

どうして。

由紀恵さんの手が僕の肩をぽんぽんと叩く。

「この家、あなたに使って欲しいの。」
信じられない、そう思った。

「あのお友達と、…他の誰かと、使って欲しいの。私一人でいるには、広すぎるのよね。段差もあるし。」
「…え?」
「私も、遊びにくるわ。お漬物、持ってくるから。それに、みかんも一緒よ。だから、泣かないで。」

僕は声を出して、泣いた。やっぱり、僕は子どもなんだと、恥ずかしげもなく。



そばで笑っていてくれるのは
僕を大事にしてくれる人。

バトン⑨ 20220516
バトン⑩へ続く

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