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【短編】共通世界 〜マシュマロとピーナッツにアルコール〜⑦

誰でもない誰かの話


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料理屋の休業日の水曜日。
午後5時の商店街はそこそこに人がいて、お肉屋さんは軒先で焼き鳥を焼いている。炭火に焼かれるタレが食べたくなる匂いで横目で見た。

「食べる?越智くん。」
僕は休みの日少しだけ散歩をする。平日なのに、お国の制度で有給を使わなければならない川内さんが僕の散歩に付き合っている。
「ここで買ったとしてどこで食べるつもりですか?」
「歩きながら食べれば?」
「ゴミはどうするんですか?」
「持って帰ればいいよ。」

川内さんはお肉屋さんに吸い寄せられて数種類の焼き鳥にコロッケまで買ってしまう。

「そんなに買って、どうするつもりですか?」
「ははっ。もう帰ろうよ。」
「散歩しにきたのに買い物するって意味がわかりませんよ。」
僕は少しだけ怒って見せた。

「よく歩いたよ。これはご褒美。」
川内さんはにっこり笑う。
「もう、大丈夫なんですね。」
「ん?」
「脅迫性障害」
「越智くんとちゃんとした食べ物は平気なんだよ。他は洗わないとだめ。人もね、俺に触るなって思う。」
「こだわりの境界線があるんですね。」
「信頼の差だね。馬鹿馬鹿しいだろ?」
「いえ。全く。」
川内さんがふふっと笑う。
「散歩はリハビリだろ?」
「はい。視線を気にしない訓練です。」
「順調?」
「以前はたくさんの人に見られている気がしましたが、今は、人はさほど他人のことなど見ていないと思えるようになりました。」
「うん。多分、ここで越智くんが砂肝を食べても誰も気に留めないよ。」
川内さんは僕の見ない間にムシャムシャと砂肝を食べていた。こんなに自由度が高い大人も珍しい。
「川内さん」
「ん?」
「僕はヤゲンナンコツが良いです。」
「ふふ。あるよ。食べる?」
「はい。」
白い紙袋を開けて軟骨を取り出して口に入れる。
「おいしいよね?」
コリコリとした食感に塩味の肉。
「僕にはご馳走です。ありがとうございます。」
「どういたしまして。ビール飲みたくなってきたな。越智くん、帰ろうよ。」
川内さんが、とても帰りたそうにしているのはよくわかる。食べ終わった串を持て余しているし。
「僕、行きたいところがあって。」
そう言いながら、ゴミが捨てられそうな場所がないか周りを見渡す。
コンビニの横を通りながらゴミ箱が目に入った。
「ついてるね、越智くん。」
「本当ですね。」
食べ終わった焼き鳥の串をティッシュで包んで二つに折って捨てる。そのまま捨てないのも、川内さんのこだわりだろうか。
「ちょっと待って」
ウェットティッシュで手を拭いて使い終わったものはゴミ箱へ。
「越智くんも使う?」
「ありがとうございます。」
「うん。」
僕も同じように手を拭いて捨てる。
「で、どこ行くの?」
「焼き鳥が冷めないように心がけますが、少し時間がかかるかもしれません。」
「ん?」
川内さんが首を傾げるのも当たり前だ。
「そこの角のご老人の方がやってる楽器屋さんです。」
「楽器?」
「直したいんです。馬鹿げていますが、弦を張り直したくて。」
合点がいったような表情を見せてくる川内さんに少し笑ってしまう。
「…ヴァイオリン、高いやつなの?」
「いえいえ、練習用で、大したものではないです。急いでいませんので…また、買いに来てもいいですし。弦が売り切れるなんてことはないはずですから。…やはり、焼き鳥を最優先に。」
「焼き鳥は、レンジで温めればいいから、弦買いなよ。」
「いいんですか。」
「嬉しそうだね。」
「直してあげたかったので、つい。」
「ふふ、いいね。」
川内さんは中に入らず外にいると言い、僕だけが小さな楽器屋さんの自動ドアを潜った。

小学生の頃、何度か父と一緒に弦を買いに来た頃とあまり変わっていない。
演歌のレコードにスティービーワンダーのCD。ピアノの楽譜は壁面の棚に並んで、尺八がショーケースに入っている。雑多な場所。壁には小学生の職場見学のお礼が貼ってある。
13年も来ていないのに、記憶との相違があまり見られない。
カウンターにはおじいさんが1人。こちらを見たり、カタログを開いたり。
「すみません。あの。」
「いらっしゃいませ。」
「ヴァイオリンの弦が欲しいのですが。」
「そこの引き出しに入っていますよ。」
おじいさんの指が示す棚の引き出しを開ける。紙に包まれたヴァイオリンの弦。E、A、G、D…4本全ての弦を手にカウンターに向かう。

「ユキト、弦の張り方、お父さんわかんないけど。」
父はそう言いながら、ヴァイオリンのレッスンの帰り道、このお店で弦を買ってくれた。レッスン中にA線が切れてしまったのがきっかけで、弦は交換しなければならないと知った。先生が弦を張り直すのを見て、張り直された弦はもっとステキな音を出してくれそうな気がした。
「今日、先生に聞いた。大丈夫。」
僕は何が大丈夫かも確信もないのに自分で交換してみようと先生に教えてもらったことを思い出していた。半年に1度は換えなければいけないのだということが、僕には何か魅力的だった。


弦を張り直したら、僕はまだ弾けるだろうか。
ボロボロになってしまった毛弓も持って来ればよかった。

僕は、もしかしたら今でもヴァイオリンが好きなのかもしれない。

受け取ったものをポケットに入れて外に出る。

「意外と早いね。」
外で待っていた川内さんが僕を見て言った。
「お腹…空きました。」
僕を優しく見るその顔は、一緒に弦を買いに来た父に似ている。
「オレンジジュース買ったから帰ろう。」
「ありがとうございます。」
もし、あの時レッスンを辞めなかったら、僕は今でも父と仲が良かったのだろうか。
「川内さん。」
「ん?」
夕陽の見える商店街。
「子どもがいたら、と考えることはありますか?」
「…ないかな。結婚するような人もいないし。」
「出会わなかったんですか?」
「ふふ、出会ったけど、叶わなかったよ。」
「そうですか。」


温め直した焼き鳥は、驚くほどに美味しくて。皮もモモもレバーも贅沢すぎる味わいだった。
川内さんにお金を渡そうとするといらないって。だから、ご馳走様ですとお礼を言う。ビールを飲んでいた川内さんはいつも通りにウイスキーを飲み始める。お気に入りのピーナッツにピスタチオ。
僕には
「マシュマロ、どうぞ。」
個包装のチョコマシュマロを2つ。
「いただきます。」
「お酒飲む?」
「いえ、いりません。」
「そう。」
「はい。」

ポケットの中の弦。手を入れて触る。懐かしい音が聞こえる気がして。

「チャールダーシュって知ってますか?チャルダッシュという人もいます。僕はずっとチャルダッシュだと思っていました。」
「ダーラララーラー、ラーラーラー。……でしょ?なんで?」
「ふふ。」
「何か、おかしいの?」
「いえ。」
「…今日は少し酔ったかな。」
川内さんの照れ隠し。酔ってなどいない。
「この曲でコンクールには出られませんでしたが、とても好きでした。」
「…いいね。」
「もし、…。」
「ん?」
「いえ。」

川内さんが僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。話してもいい、話さなくてもいい。そんな風にしてくれているようだ。

「オレンジジュース飲む?」
「はい。」
川内さんは立ち上がって、陽気なふりをしてチャールダーシュを口ずさむ。
父も気分がいい時は僕が弾くヴァイオリンを聞きながら同じメロディを口ずさんでいた。

レッスンを辞めて失ったものは父と僕の友達のような関係性。
僕は隠れてヴァイオリンを弾いていて、E線が切れてしまった後に、父に弦を買いに連れていって欲しいと言えなかった。
もうなんの役にも立たないヴァイオリンのために父にお金を出してもらうことが申し訳なかったから。

「川内さん。」
「ん?」
「木村さんのお仕事ですが。」
「うん。」
「とても怖いです。」
「…そうだね。」
「僕はヴァイオリンは好きですが、木村さんは嫌いです。」
「…わかるよ」
目の前にトロピカーナのオレンジジュースを置いて川内さんが横に座る。
「もっと、ヴァイオリンを弾きたかった。父とずっと仲良くしていたかった。母を泣かせたくなかった。僕はヴァイオリンが好きだったんです。でも辞めたのは僕です。父は怒りましたが、僕には辞める以外に選ぶものが無かった。好きなものを手放したんです。」
涙が滲むのがわかる。
「弦を張り直したところで何もかも元に戻るわけじゃないこともわかっているのに。僕は本当に馬鹿なんです。」
「木村さんが越智くんに何をしたかはわからないけど、俺は越智くんの味方だよ。木村さんはいなくてもいいけど。越智くんはいなきゃ困るんだ。」
川内さんは目線が合うと目を細める。
「ピーナッツ食べる?」
「いりません」
「なんで?」
「嫌いなので。」
ふふっと笑う川内さんに安心して、つられて僕も笑ってしまう。
「そういうなよ。」
口に入れられたピーナッツを噛み締める。
「どう?」
「…やはり、好きにはなれません。」
「あーあ。」
諦めたように笑い出す。僕は眉間に皺を寄せる。油っこさに苦みに砕いた粒の感触に。オレンジジュースで流し込むと後悔する。恐ろしいほどにピーナッツを残すものだから。
「…生きるとはこういうことかもしれません。」
「ん?」
「苦しさをいかに回避するのではなく直面し、より苦しみを味わい後味まで後悔するという。」
「飲み物が、ビールなら多少違ったかもね。まあ、慣れって言う結末もあるけどね。」
「慣れ…」
「うん。俺は逆にオレンジジュースが飲めないし。」
「そうなんですか。」
「甘くて酸っぱくて…喉が、なんか嫌なの。だから、飲まない。」
「へえ。」
「甘い酎ハイもふざけんなって思う。」
「ふふふ。」
「おもしろい?」
「はい。」

ウイスキーを注いで氷を突く。

「回避できるものはね、頭の上を通り過ぎていくのにね。」
一口、含んで飲み込んだ。
「ごめんね。断れなかった。美恵子の友だちだから。」

僕の頭をゆっくり撫でる。仔犬を愛でるようであり、憐れみのようであり。

「料理屋が嫌ならいつ辞めても構わない。木村さんのことで辛い目に合わせているし。君が社会復帰する場所はもっと他にある。」

僕が仔犬なら撫でてくれるその手を意味もなく舐めて泣きそうな顔をした目の前の人間を慰めるだろう。
僕の居場所はあなたのそばだよって簡単に意思表示をするんだろう。手放さないでと小さな声をあげるだろう。

「苦しめているのは俺かもしれない。」

瞬きをするたびに視界が歪む。

「選んだのは僕です。」
白くて柔らかいマシュマロ。齧ると滲み出るチョコレートソース。捕食する喜びを感じる生きていることを思い出す。

抱きしめられる。人の体温に性別は関係ない。手を繋ぐのは目の前にいる川内さん。手をひくのもそう。

僕は溺れないように息の仕方を忘れないように現実の波に流されないように川内さんを目印にしてきた。

たったひとつ。
心の拠り所。僕のいる場所。

共通世界 〜マシュマロにピーナッツとアルコール〜⑦
⑧につづく

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