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そして"幸せになる勇気"を読む

先日、”嫌われる勇気”を読みましたが、流れというか、もちろんというか、”幸せになる勇気”も読みました。

感想なり思ったことをつらつらと記載していきます。


教育とは「介入」ではなく、自立に向けて「援助」

この考え方はいいなと思いました。介入にならないように気をつけよう。


「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」
「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気付かうことである」

"尊敬"という言葉の範囲が広がったと思う。

もう全員、尊敬できるということ。


水辺まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。

水辺まで連れていかれても、飲むか飲まないかは自分次第ということ・・・。チャンスに気付けるか、チャンスを活かせるかは自分次第。


「他者の関心事」に関心を寄せる
他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること

本当の意味で相手の立場でものを見る。子供と一緒にハイハイしていたことも意味があった。子供にはこういう風に見えているんだとか、発見もたくさんあった。

共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度
臆病は伝染する。そして勇気も伝染する。当然「尊敬」もまた、伝染する。

自分の態度は、相手に伝わっている、ということを肝に銘じる。

三角柱は、われわれの心を示している。一面には「悪いあの人」、もう一面には「かわいそうなわたし」。けっきょくこのふたつしか語っていない。隠れているもう一面になんと書いてあるか。

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(答)「これからどうするか」
「悪いあの人」、「かわいそうなわたし」について話しても、そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流す。

過去思い当たることあるな。これから気をつけよう。本質的な解決にはならないし、「これからどうするか」を考えることが大事だし、これを考えないと変わらない。


われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

いつからでも、人生は変えられる。ということ。

これからどうするかを考える!


問題行動の「目的」
 第一段階:称賛の要求
 第二段階:注目喚起
 第三段階:権力争い
 第四段階:復讐
 第五段階:無能の証明

なるほど。参考になる。


怒りとは、人と人を引き離す感情である。

怒ってもいいことないよね!


「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する

自分に与えられたものを最大限活かす。


教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならない
賞罰をやめ、競争の芽を一つずつ摘んでいくこと。学級から競争原理をなくしていくこと。

競争がなくなるような褒め方をすれば褒めていいんじゃないかなとは思う。

今は子供だけど、接し方も年齢を重ねるにつれて変わると思う。(会話ができるようになれば自分の子供を子供扱いせず、一人の”人”として接していければと思う。)

われわれ人間は子ども時代、一人の例外もなく劣等感を抱えて生きている
人間は、心の成長よりも身体の成長のほうが遅い、おそらく唯一の生きものです。他の生物では、心と体の成長速度が一致しているのに、人間だけは心が先に成長し、身体の発達が遅れをとる。ある意味これは、手足を縛られて生きているようなものです。心は自由でありながら、身体の自由がきかない
子どもたちは、人間として「不完全」なのではありません。ただ、心の成長に、身体が追いついていないだけ

逆に大人は身体は自由でありながら、心の自由がきかない・・・?

自分で”できないと思い込んでいる”から、やればできるかもしれないのにやらない・・・。とりあえず、自分は自分の出来ることを色々やってみよう。


大人たちは身体的な条件だけを見て「子ども扱い」をしてきます。

子供なのにすごいねって思うことが「子供扱い」。

今は自分の子供を「子供扱い」しているかもしれないが、成長をすごいねって思うだけでなく、子供から多くのことを学んでいるし、子供のおかげで成長できていると思う。

「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう。ありのままでいいのです。

ありの~ままの~姿見せるのよ~、ありの~ままの~自分になるの~

読みながら、アナと雪の女王が頭をよぎりました。


平凡なる自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れましょう。

自分は特別ではない。受け入れることができれば楽になるんだろうな。

井の中の蛙・・・どんどん、外に出ていくと、自分って大したことないって分かるし、気付くと簡単に受け入れられる。


叱ることやほめること、すなわち賞罰は子どもの「自立」を妨げる。なぜなら賞罰とは、子どもを自分の支配下に置こうとする行為であり、それに頼る大人たちは、心のどこかで子どもの「自立」を恐れている。

子どものころは、「自立」を恐れられてたってことですか?

賞罰を与えない、子供に”考えさせる”叱り方、褒め方が大事だと思う。『言うは易く行うは難し』だけど。


自立という言葉を聞いたとき、それを経済的な側面ばかりから考える人がいます。しかし、たとえ10歳の子どもであっても、自立することはできる。50歳や60歳であっても、自立できていない人もいる。自立とは、精神の問題なのです。

子供が自立できるように援助していこうと思います。


アドラーの語る「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されている。

今の喜びは”子供”関係が多いですが、これも対人関係ですね。

あとは、自分のやった行動に関して、相手に良い影響を与えたり、「いいね」と言われたりとか。

でも、自分と自分以外の人を比べた場合、例えば「あの人と比べて私は・・・」「あの人よりできるから・・・」といった、悩みや喜びはなんかむなしい。考えないようにしている。子供に対しても同じ。あの子より・・・とかそういうのは不要。


自己中心的な人は、「自分のことが好き」だから、自分ばかり見ているのではありません。実相はまったく逆で、ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。
自立とは、「自己中心性からの脱却」

不安ばっかりだったなぁ。昔は自分が成長するためにはどうしたら良いかということばっかり考えていたと思う。少しは分かってきたし、変わったのかな。


世界はシンプルであり、人生もまた同じである。しかし、「シンプルであり続けることはむずかしい。」と。そこでは、「なんでもない日々」が試練となる

人生の断捨離。「なんでもない日々」の誘惑という名の試練に負けないように自分の人生を生きたいと思う。

人生はシンプルである。なんかいいですね。

本当に試されるのは、歩み続けることの勇気

継続し変化し続ける勇気。変化を恐れないで楽しんでいこうと思います。


残念だと思ったのは、本の内容とは関係ないですが、本は教える側の”哲人”と教わる側の”青年”の対話形式ですが、”青年”の言葉使いがなぁ違和感というか、ところどころ気になってしまって、読みながら集中力がそがれてしまったところ。臨場感とか出したかったか何か狙いがあるのだろうけど・・・。通勤時間で読んでいたので、まだ良かったのかもしれないが、連続で読むにはと思った。

同じようなことをぐるぐる回っている気がしましたが、前作で不足している部分を補完してくれる本だと思う。


やはり本質的に大事なことは、他の本を読むと似通っている部分もある。自分のものにできていなかったり、新しい気付きもあるので、参考になる”考え方”は、取り入れて自分のものにできたらなと思います。


以上、”幸せになる勇気”を読んで感じたこと等を記載しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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