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結局、だれも世界を翻訳できない

夜道を歩いていたら、すぐうしろを歩いている男女の会話が聞こえた。

カップルか友人かわからないけれど、推測するに2人は、映画か演劇か、そうした作品を制作するコミュニティに所属しているメンバー同士のようだった。


「○○さんが表現したいのはさ、きっと "死" なんだろうなぁっていうのは、わかるんだよねぇ」

「うん」

「なんていうか、 "やわらかな死" っていうか」

「そんな感じだよね」


"やわらかな死" ?

それは一体、どんなもののことを指しているのか…まるで想像がつかなかった。


そのときわたしはちょうど、とある映画を観てきた帰りだった。スクリーンを観ながら、やけに動きの多いカメラワークなのはどうしてだろうとか、この人物をここで登場させたのはどうしてだろうとか、作り手がその表現に込めた意図についてひたすら考えていたところだった。

今まではそういうふうに映画を観ていたことがなかったのに、どうしてそんな見方をするようになったのだろうと思った。それはきっと、自分自身が表現というものについて悩んでいたからかもしれない。

ここ数ヶ月、noteを何度書こうとしてもうまく書けない期間が続いている。

生活していると、「あ、これについて言葉にしたいな」と思うシーンはたくさんある。しかし、どんなにピンときたことであっても、いざ文章にしようとすると、どうもうまくいかないのだ。それについて思考を深く巡らせる過程で、思考の着地点がわからなくなってしまうのだ(今ではわたしのnoteには、膨大な量の下書きがたまっている)。


「やわらかな死」を表現したいという○○さんに、ぜひとも問いたかった。

一体この世界のどこを見て、どんなことを感じているのか?

死、生、社会、人間、自然…

そんなことをテーマにした作品は、この世にたくさんある。きっといつの時代だってそうだ。

たしかにわたしたちが、それらに取り囲まれた環境のなかで生きていることには違いない。けれど、とても1人じゃ抱えきれないほどに壮大な、そして実態のない概念を、世の表現者たちはどうやって作品に落とし込んでいるというのだろう?


うしろを歩く男女の話は、まだ続いていた。

女性のほうが、こう問いかけた。

「○○さんってさ、結局のところ、なにを切り取りたいんだろう?」

すると、男性のほうがこう答えた。

「それはさぁ、表現上の問題だよ」

表現上の問題?それって答えになっているのか…?

わたしが頭を捻らせていたら、それに付け加えるように男性はこう続けた。

「それを翻訳することなんてできないよ」

そしてその直後、彼らは途中にあったマンションに入って行ってしまった。


「それを翻訳することなんてできない」。わたしにはそれがすごく腑に落ちた。

ここでの "翻訳" とは、きっと「世界ってこういうものでしょう?」という答えを提示することなのだろう。そしてそれは、わたしたちにとっては不可能だと彼は断言していた。


「死」を翻訳することはできない。けれど、表現することはできる。

それはある意味で、死、つまりはわたしたちの生きている世界に対して、とても謙虚な姿勢のように思える。

はじめから自分たちがいる世界を「翻訳することなんてできない」対象だと分かっていること。それはある意味で諦めといえるかもしれないが、だからこそ彼らは、表現の世界で自由になることをたのしんでいるのだ。


そう考えたとき、ふと気づいた。わたしはいつのまにか「世界を翻訳しなくてはいけない」と思い込んでおり、そこに縛られすぎていたのかもしれないと。


本を読んだり、SNSを見たり、ラジオを聴いたりしていると、さまざまな人の解釈に触れる。なるほどなぁと思うたびに、手帳に書き留めておく。しかしよく考えてみれば、わたしはそれらの言葉を、この世界の正解として捉えているわけではなかった。

それらの言葉は、いつもの自分の視点をすこしだけズラしてくれたり、未知の世界に一歩踏み出すためのハシゴをかけてくれたりする。

世界と自分の関係性を、すこしだけ変化させてくれる存在といえるかもしれない。それこそが、わたしが必要としている「表現」なのだ。

きっと表現者たちは、世界を翻訳しようとしているわけではない。どう考えたってわからない世界をどうせわからないと知りながらも、そこに自分なりの解釈を与えつづけているのだ。

自分なりの解釈を追求するのは、とってもむずかしいことだとわかっている。けれども、「なんだ、そんなことかぁ。」と、わたしはすこしだけ肩の力が抜けた気分になった。


「これって、つまりどういうことか?」に答えるよりも、「わたしなら、どうやって向き合っていきたいか?」を語りたい。

結局だれしも、そんな「解釈の世界」で生きているのかもしれない。

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