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我々の身体は借り物なんです~論語(学而第一(9)) 381(さわいち)ブログ vol.35

3/17(日)雲☁時々雨☔
この章句を文面通りに読み解釈しますと、次のようになります。

父母・祖父母が逝去したら謹み葬儀を執り行いなさい。
ご先祖さまの生前を想い悲しみを表現しなさい。

特別なことは言っていない気もしますが、この章句は少々深堀りをする必要があると思います。

そもそも人間の身体は「借り物」なのだ、という考え方があります。
自分の身体は思うようになりません。
自分が意識しないうちに細胞分裂を繰り返しています。
自分が知らないうちに病気になります。
自分が意識しないうちに感情の起伏が起こります。
自分が思うようにいかないと勝手に心が病みます。

身体は自分の思う通りには動きません。
『身体は自分の所有物ではなく』『身体は借り物』だから、と考えると納得感があるのではないでしょうか。

私達はご先祖さまからバトンを受け継ぎ、身体を借りて生を享けます。
生を享け、借りた身体を持つ者同士で上手くやる。
このことを、ご先祖が逝去する時に認識をして、それを表現する、といった大局的なものの考え方ができる人『人格者』なのだと、曾子は言っているのだと思います。

曾子は孔子のお弟子さん達の中でも親孝行だったと言われているようです。
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『曾子曰、愼終追遠、民徳歸厚矣』
そうしいわく、おわりをつつしみ、とおきをおえば、たみのとくあつきにきせん。
(訳)
曾子がいった「終わりを慎んで、遠い祖先を追悼すれば、人民も徳の厚いものとなるだろう。」
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今日も素敵な一日になりますように✨


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