咲多 美唯喜

日々、小さな喜びを見つけてほころんでいます。ただ喜び、わたしたちの中の美しさを見つけて…

咲多 美唯喜

日々、小さな喜びを見つけてほころんでいます。ただ喜び、わたしたちの中の美しさを見つけて、いっしょに咲いていたいです。ほご猫兄妹2匹と、2人の息子、夫といっしょに、海と山にかこまれた場所に暮らしています。

最近の記事

23.抵抗しまくる!

最近、Amazonのプライムビデオで、「コウノドリ」というドラマを観ました。 うーーーー 終始いたたまれなかった・・・ こんなに必死に命をまもるために、最前線に従事しておられる方たちに、 私は、どんな態度をとっていたのか・・・ 申し訳なくて、胸が痛みます * 前回は、次男が夜間救急にかかったお話を綴りました。 髄膜炎の検査など、彼の症状から疑われる病気を4つほど検査していただいたと思います。 入院が必要と判断され、夜間救急で診ていただいた病院のベッドは空きがなく、

    • 22.「あわの歌」をおともに、救いの道へ。

      2回の大きな痙攣発作を起こした次男を乗せて、救急病院へ向かいました。 前回は、ここまで。 真夜中。 凍るような寒さと、暗闇の世界にのみこまれそうになりながら 次男だけを見つめていました。 車の暖房をつけ、分厚い毛布で次男を包み、 動悸がおさまらない私の中に浮かんだのは、 2日前に、あまみ舞の練習会で舞った、あわの歌でした。 7年ぶりに再会したばかりの、あわの歌。 まるで、私にできることはそれしかないような感覚を覚えました。 習ったばかりのあわの歌が、内側からスラス

      • 21.<代わりの一粒>と、夜中の大発作。そして、描いていた朝は、来なかった。

        また明日。 前回のnoteは、そう書いて終わったのに、 書けませんでした。 忙しかった理由はいくつもあげられますが、 本当の理由は、 あの場面をまざまざと思い出していて まだ消化できなかったのだろうと、自分では感じています お待たせしました。 待っていてくださって、読んでくださって、ありがとうございます。 * 7年ぶりのアマミ舞(あわの歌)との不思議な再会。 そして、その翌々日。 インフルエンザB型が流行中の中、 次男が発熱します。 前回は、ここまで綴りました。

        • 20.あわの歌とアマミ舞との再会。そして次男が、とうとう飛び込んで行きました。

          現在、世界中に広がるシュタイナー教育。 ルドルフ・シュタイナーさんは、人生を七年の周期で捉え、 それぞれのテーマを提唱しました。 (他の方の記事に詳しく書かれているものもあるので、興味のある方は、ぜひ覗いてみてくださいね) 2年前の次男(当時7歳)の生死を彷徨う病を ありがたく乗り越えた時、私の年齢は、7年×6周目…42歳。 これまでと、明らかに生きている意味が変化したと感じたのは、 そういうことだったのだと、 書く度にとても深い場所で納得、理解しています。 次男がお腹

        23.抵抗しまくる!

          19.終戦の日に還った魂が、お腹に戻ってきて初めて行った場所は、沖縄でした。

          自分で書いていて、面白くなってきました。 次男は、今、元気な小学生。 何かが見えるわけでも、預言者でもなく、 毎日、先生や友人と学び、遊び、今を生きる、 ごくごく一般的な小学生。 でも、彼の魂は、 この世界で成し遂げようとする意図を働かせ、 母親(私のこと)へのコンタクトを怠らず、 フル回転で奉仕した魂なのだと思うと、 今、無邪気にふざけ、よく食べ、よく笑い、 ときどき兄と喧嘩して拗ね、また仲直りして笑う、 彼の姿を見つめ、信じられない気持ちになるのです。 胸いっぱいに

          19.終戦の日に還った魂が、お腹に戻ってきて初めて行った場所は、沖縄でした。

          18.次男が一度還って、再び戻ってきてくれた話。

          月夜の宴   ↓ iPhone画面に行き先メッセージ   ↓ 次男の痙攣発作   ↓ 奈良の祈りの親子旅   ↓ 次男の怪我   ↓ ここまで、綴りました。 それから、2年後のこと。 次男が生死を彷徨う病に旅立ちます。 どれも、その当時はつながっている出来事とは思わずにいたのですが、 さらに2年経った今は、「明らかな意図」を感じずにいられないのです。 「意図」。 といえば、次男がお腹に来てくれた時から、 (その前に流産を経験したのですが、その頃から、) 約束していた「

          18.次男が一度還って、再び戻ってきてくれた話。

          17.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・⑤】

          4年前の奈良の祈りの親子旅。 朝目覚めたら、iPhoneの画面に神奈川県の自宅から、奈良県の天河大弁財天社までの車のルートが表示されていたことから始まりました。 その出来事から、一週間後。 次男が、壮絶な痙攣発作をおこします。 そして、さらにその2ヶ月後に、奈良への祈りの親子旅が実行に移され、 帰ってきて、まもなくのこと。 再び、次男に試練がおとずれました。 以下は、当時アメブロに掲載したものをこちらのnoteに再掲したものです。 ⑤まで続きます。 こちらは、5つめ。

          17.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・⑤】

          16.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・④】

          4年前の奈良の祈りの親子旅。 朝目覚めたら、iPhoneの画面に神奈川県の自宅から、奈良県の天河大弁財天社までの車のルートが表示されていたことから始まりました。 その出来事から、一週間後。 次男が、壮絶な痙攣発作をおこします。 そして、さらにその2ヶ月後に、奈良への祈りの親子旅が実行に移され、 帰ってきて、まもなくのこと。 再び、次男に試練がおとずれました。 以下は、当時アメブロに掲載したものをこちらのnoteに再掲したものです。 ⑤まで続きます。 こちらは4つめ。

          16.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・④】

          15.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・③】

          奈良の祈りの親子旅。 朝目覚めたら、iPhoneの画面に神奈川県の自宅から、奈良県の天河大弁財天社までの車のルートが表示されていたことから始まりました。 その出来事から、一週間後。 次男が、壮絶な痙攣発作をおこします。 そして、その2ヶ月後に、奈良への祈りの親子旅が実行に移され、 帰ってきて、まもなくのこと。 再び、次男に試練がおとずれました。 以下は、当時アメブロに掲載したものをこちらのnoteに再掲したものです。 ⑤まで続きます。 今日は3つめ。 【運命の神様に

          15.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・③】

          14.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・②】

          奈良の祈りの親子旅。 朝目覚めたら、iPhoneの画面に神奈川県の自宅から、奈良県の天河大弁財天社までの車のルートが表示されていたことから始まりました。 その出来事から、一週間後。 次男が、壮絶な痙攣発作をおこします。 そして、その2ヶ月後に、奈良への祈りの親子旅が実行に移され、 帰ってきて、まもなくのこと。 再び、次男に試練がおとずれました。 以下は、当時アメブロに掲載したものをこちらのnoteに再掲したものです。 ⑤まで続きます。 今日は2日目です。 【運命の神

          14.【運命の神様に感謝しなくちゃ・・・②】

          13.【運命の神様に感謝しなくちゃ…①】

          毎日、更新していたnote。 こどもたちと一緒に横になっているうちに、きがつくと、2:30。 ああ、日付をこえてしまいました。。。連続毎日更新は、12日でストップ。 少しずつ読んでくださる方が増えて嬉しく思っていた矢先のこと。 楽しみにしてくださったみなさま、ごめんなさい。 気をとりなおして、続きを書きます。 奈良の祈りの親子旅から帰ってきたところから綴ります。 12番目のnoteにて、 奈良の祈りの親子旅は、 朝目覚めたら、iPhoneの画面に神奈川県の自宅から、奈良

          13.【運命の神様に感謝しなくちゃ…①】

          12.奈良の山から、富士の山。そして次男の旅はつづく。

          奈良の天河村で、祈りの親子旅。 最終日は、こどもたちとの約束どおり、鹿に会いたい一心で、春日神社へ。 ありがたい祈りの旅、奈良の旅に終わりを告げて帰路へ。 帰りの高速道路は、リラックスしながらすすんでいたのですが、 途中休憩のSAで見た、富士山があまりにも美しくて、寄り道。 富士浅間神社さんにもおまいりに。 それが、申し合わせたかのように、富士の浅間神社の例大祭の真っ最中。 こちらもありがたい、お参りとなりました。 そう。奈良で突然お邪魔して、松茸ごはんをご馳走

          12.奈良の山から、富士の山。そして次男の旅はつづく。

          11.よくお参りくださいました。労いとご馳走と。

          奈良への祈りの親子旅。 どちらへ伺っても、よくお参りくださいました。と歓迎していただき、 般若心経を一緒に唱えてくださり、 太鼓のようなものを叩きながら、弥勒菩薩の前を般若心経を唱えながら参拝者で輪になって歩いたことも。 どちらでも、私たちを修験者のように大切にお迎えしてくださるのです。 奈良の天河村のみなさん、ほんとうにあたたかくてありがたい時間でした。 6月の夏至に一度崩壊して、 骨がなくなってしまったようになって、 <祈る>ことから始めた日々の、集大成のような旅で

          11.よくお参りくださいました。労いとご馳走と。

          10.私だけへのメッセージではなかった。

          奈良の天河に滞在し参拝した、天河大弁財天社。 それが、この旅の目的地ではないことが、天河村洞川滞在の最終日にわかります。 神奈川県から奈良県まで、母1人で幼い息子2人を連れての <祈りの旅>。 お宿のご主人が、ここをお参りしたいきなさい。 と勧めてくださったのが、 女人禁制の修験道の山。 高僧の役行者たちが最後の業の締めくくりでこもった山。 お忍びで、日本の国の政治をおさめる方々が参拝するお寺さん。 ご親切にも、お宿のご主人が、道案内をしてくださり、 母公堂にた

          10.私だけへのメッセージではなかった。

          9.天河さんから、さらに修験道の深みへ。

          4年前に、iPhoneに行く先があらわれた、奈良の旅に戻ります。 「天河大弁財天社に、呼ばれた。」なんて、おこがましいことは思わないけれど、 今回、天河さんにお参りさせていただいて、 今まで私なりに歩んできたこと、 崩壊して新しく再生しているような行程を 労ってもらっているような、 そうだったらいいなあと、感じていました。 もちろん、他の人には 「朝、起きたら天河大弁財天社までの車でのルートが表示されていたから来たのです」 なんて説明はせず。(説明はできない。。。)

          9.天河さんから、さらに修験道の深みへ。

          8.2020年8月15日

          4年前の奈良の旅のことを書こうと思っていたのですが、 時間を進めて、今日のことを。 毎年、8月15日の終戦記念日は、なるべく家族で、こちらの白衣観音さまにおまいりしています。 こちらにおまいりするためです。 終戦から今日は75年が経ったとのこと。 今、私たちが穏やかに平和に幸せに暮らせることに感謝して、 おまいりさせていただきました。 私たちと同年代、そしてもっとお若いご夫婦も、 まっすぐに、戦没者慰霊碑と観音さまのもとへ向かい、 お参りされている姿がとても印象的で

          8.2020年8月15日