18.次男が一度還って、再び戻ってきてくれた話。

月夜の宴
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iPhone画面に行き先メッセージ
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次男の痙攣発作
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奈良の祈りの親子旅
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次男の怪我
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ここまで、綴りました。


それから、2年後のこと。
次男が生死を彷徨う病に旅立ちます。

どれも、その当時はつながっている出来事とは思わずにいたのですが、
さらに2年経った今は、「明らかな意図」を感じずにいられないのです。


「意図」。
といえば、次男がお腹に来てくれた時から、
(その前に流産を経験したのですが、その頃から、)
約束していた「意図」が流れ、
「この時」を迎えるために、大きなうねりの中に生きていたのだと感じることができます。

今日は、さらにさらに遡り、
次男が最初にお腹に来てくれて一度天に帰ってしまった、流産したころのことを当時、mixiに綴っていたものを再掲します。

長いドキュメンタリーに
お付き合いくださり、感謝しています。

画像1

2013年6月23日 沖縄慰霊祭の日の日記

次男の出産のときを思い出したのは、昨日、mixiの日記を読み返したからかしら。。。
ちょうど3年前。
mixiに書いた日記です。

こちらにアップしようとしたら、次男が裸ん坊で、私のお腹にもぐりこんできました笑。
思い出したのかな^^

『2010年 4月8日生まれの赤ちゃん』


我が家に、2010年4月8日が予定日の赤ちゃんが舞い降りてきてくれました。


赤ちゃんが来てくれた日。

今でもよく覚えています。

2009年7月13日
さわさわの「フラワーエッセンス茶話会」の日。

あの日の気持ちいい風も、ぽかぽかのおひさまも、よく覚えています。


「受胎」の瞬間というのでしょうか。

確かに、私のお腹の中にかちりと音を立てるように、
赤ちゃんが来てくれたことが分かりました。

午前中、吐き気がして、立っていられないほどのめまいを感じて
おさまるまで、じっと横たわっていました。

赤ちゃんが来てくれて、嬉しい気持ちと、
長男はどんな反応するのだろうかという心配の気持ちと、
ごちゃまぜな気持ちでした。
今から振り返ると、
長男がお兄ちゃんになるには、本当にいい時期だったのだろうか…
まだ小さな2歳になる長男のことばかり、気にかけていました。

昨年4月から、私の実習のため、長男は保育所にお世話になっていたため、
実習が終わったあとも、長男をお願いして、
引っ越し手続きをしたり、
鎌倉へ往復したり、
つわりもほとんどなく、
順調に過ごしていました。


2009年8月2日早朝
妊娠判定のキットで確認。
嬉しくて、嬉しくて、やっぱりそうだったんだって嬉しくて、
長男と夫と、お腹の赤ちゃんと4人で円陣を組んで、
「これからよろくお願いします!」って紹介しました。

2009年8月14日15時

ジャッとおしっこが出たような感覚があり、
お手洗いで、出血をみました。


動悸がはげしくなって、
自分に一生懸命「大丈夫。大丈夫」
赤ちゃんに「大切に思ってるんだよ。大丈夫よ」って
って話しかけ続けました。


8月15日
前日帰宅後も出血がとまらず、
はじめて病院に行きました。
産婦人科へ。
長男の検診でお世話になったところです。


待合室で、
他の赤ちゃんの心臓の音が聞こえてきました。

ぐわん。ぐわん。ぐわん。ぐわん。

なんて、力強い音なんだろう。

あまりにも神秘的な音に、涙があふれました。

診察中、赤ちゃんの袋が見えて、
予定日も教わって、
安静にしてください。出血がひどくなったらすぐ来てください。
と言われて。

「大丈夫」という気持ちと、
出血が止まらず、
「もう帰ってしまうのではないか」という怖れと、

入り交じったまま、
長男のお産を助けてくださった助産院さんに挨拶をして帰宅。


トイレに行く度に、出血が見えて、
トイレに行きたくなくて、
「赤ちゃん、いっちゃうかも」って、夫に泣きつきました。


その夜。
赤ちゃんは帰ってしまいました。

8月16日

日曜日だったけれど、出血の話をして、
再受診。

もう、赤ちゃんが入っていた袋も、何も、
映りませんでした。


悲しかった。 


私のせいだって思いました。
長男のことばっかり気にして、
周りの人のことばっかり気にして、
赤ちゃんのこと、一番に考えてあげなかったからだって。


「ごめんね。ごめんね」って
何度も言って、
先生の前に座ったら、

先生が
「よく聞いてくださいね。
今回の赤ちゃんのことは、あなたのせいではありません。
赤ちゃんのほうに問題があったのです。
今、必要なことは、
原因探しをすることではなく、
次の赤ちゃんをむかえるために、
あなたのからだを整えることです。」

私が、泣きじゃくっていたら、
呼ばれた夫と2歳の長男が診察室に入ってきました。
私の様子をみるなり、
長男がさっと私をかばうようにそばに寄り添い、
人なつこい長男が、先生をにらみつけていました。

そんな長男の様子を見て、
また泣きました。

どうやって帰ったのか、どんな気持ちだったのか、
ほとんど覚えていません。

ただ、友人から、たった一言。
「愛してるよ」のメールに
崩れるようにして泣いたことはよく覚えています。

翌日、
子宮に残っているものを綺麗にする、といわれ、
受付時間前に病院に入りました。


もう、空っぽのお腹をなでながら、
続々と検診に訪れる妊婦さんの幸せなお腹を眺めながら、
「ここは、なんて過酷な場所なんだろう」
「生と死がこんなに隣り合わせの場所って他にあるんだろうか」と
ぼんやり考えていました。

長男がお腹にいた頃、
検診で、赤ちゃんの映像や、心臓の鼓動が聴こえるのが本当に楽しみで、
幸せいっぱいで、待合室にすわっていたことを思い出しました。


あのとき、私は、こんなに悲しい気持ちで
同じ待合室に座っている人のことを、
これっぽちも感じなかった。
こんなにも崩れ落ちそうな罪悪感を背負っている人の存在に
気がつかなかった。


ふと、見上げたら、
助産院のサークル「さわさわ」で一緒に過ごした仲間が、
ナース姿で立っていました。

見知った顔を見たら、急にほっとして、

仕事中の彼女の手を思わず握って、
「赤ちゃんが帰っちゃった…」って
泣きつきました。


彼女はしばらく、私の背中をなでてくれて
そして、
「赤ちゃんの都合なんだよ。1割の赤ちゃんは、お母さんのせいではなく、
帰ってしまうこともあるんだよ」って、私が泣き止むまで、一緒に座ってくれました。


彼女が仕事に戻ってから、
私は、もう随分ここに座っている気がして、
もう、これ以上、座っていたくなくて、
受付の方に順番を聞いてみました。

そうしたら、「手術の方ですね」って言われて、
驚愕。。。

「手術…」
「説明をされていませんか。」
「今日は、麻酔をしますので、何時頃終わるかは、分かりません」って。

急に現実に引き戻されました。


(麻酔なんてしたくない!絶対嫌。)
(どんなに痛くても、我慢出来ないよって言われても、麻酔は嫌だって言おう…)

泣きそうになりながら、
待っていました。


すぐに診察室に呼ばれて、
はじめて、診察してくださる男の先生が迎えてくれました。


私の不穏な空気を看護師さんから伝えられたようで
先生は、とても優しく、
「まずは、お腹の様子をみてみようね。
あのね。手術は、ご本人が納得されていないならできないんだよ。
まずはみてみようね。赤ちゃんをね。」

その言葉に、今まで我慢していた涙が、どうどうと出てきて、
しゃくりあげて診察台にのぼりました。


「あー。赤ちゃん、いなくなってるな。
でも、綺麗にいなくなってくれてるぞ。」


「手術しなくてもいいかもしれない。」
「あのね。赤ちゃんの袋が残っているようなら、手術して綺麗にしないといけないのだけれどね。今、みた状態は綺麗だから、ちょっと様子をみてみましょう。」


ほっとして、先生の優しくて温かい語り口に、また泣きました。


その日は、長男を整体の先生にみてもらう日でした。
たぶん、この分じゃ行かれない…
前日から、キャンセルの電話を何度掛けても繋がらなかったのは、
何か意味があるのかもしれない。


この後、行こう。
少し、発熱していた長男を連れて、その足で向かいました。

先生は、長男の様子を診てすぐに、
「そんなに悪くないですよ」

そして、赤ちゃんの話をすると、
私のからだを丁寧に診てくれました。


整体的には、次のお産の準備のために、からだを整えるために、
「流産」という形があるのだそうで、
「酷なように聴こえるかもしれないけれど、
からだを母親のからだを整えるためには、必要なこともある」
「心配いらないよ。また来てください」

結局、整体には、長男のためではなく、自分のために行ったのだと感じました。


長男と、お腹の赤ちゃんが連れて行ってくれたのでしょう。


それから、2、3日後。


長男を出産したときのような、腰の痛みが走りました。

ちょうど、夫も休みの夕方のことです。

腰がグワーと開くような、閉じていくような、
とにかく、すごい勢いで、腰が動いて、
痛みで、転がるほどでした。


左側に夫が、
右側に長男が。

私をさすりながら、ずっとそばにいてくれました。


「痛い!痛い!痛いよー!」って泣きながら、

もうすでにお腹にはいない、赤ちゃんを出産しているような気持ちになりました。

夫と長男に支えられながら、
腰の痛みに耐えながら、


私の罪悪感がすーっと消えていくような気がしました。


その痛みのまま、夜、気がつかないうちに寝付きました。


授かった命を、ちゃんと生み出してあげられなかった悲しみが、
少し、軽くなっていました。


整体の先生が、
「腰もいい調子です。大丈夫。」

私の話を聴いてから、
「出産予定日の日も、何か、感じるかもしれない。
 気に留めておいたほうがいいですよ」

と教えてくれました。


お腹の赤ちゃんを失い、


夜も眠らず心配してくれた母。
会社を1週間も休んで、そばにいてくれた姉。
なぐさめの言葉をくれた友人。
レイキをかけてくれた友人。
石と香りのお祓いをしてくれた友人。
レメディを調べて連絡してくれた友人。
ずっとずっと、見守ってくれた夫と長男。


本当に愛でいっぱいに満たされた日々でした。

私の罪悪感を軽くしてくれた、赤ちゃんにまつわる、こんなお話。


胎内記憶で有名な、池川先生とお話をしたことがある方から、
「何回か様子を見にくる(流産という形で)赤ちゃんがいる」
と聞きました。

また、必ず来てくれる。

絶対、絶対、来てくれる。


また、絶対、私たちのもとへ来てくれる。

この気持ちが、私を救ってくれました。


そして、

いま、

あのときの赤ちゃんが、再び、舞い降りてきてくれています。


今日で、7週に入ります。


不思議なご縁です。
胎内記憶の研究をされている、池川先生が、診断してくれました。


池川先生の優しい雰囲気。
白衣を着ない、すぐ隣にいてくれるような雰囲気は、
お世話になった、山田真先生に似ていました。


今回の受胎のころ、
今度は、吐き気はなく、

長男が、
「赤ちゃん、来たねー」と教えてくれました。
誰よりも先に、感じていたのは、2歳の長男でした。


帰ってきてくれた、いのち。大切に、大切に、します。


来週で、3ヶ月。

池川クリニックで、お腹の写真のフォトブックをもらいました。

昨年の夏に病院でもらった、
すぐにお空に帰ってしまった
たった一枚のお腹の赤ちゃんの写真が
最初のページに収まりました。

帰ってきてくれて、
また私たちを信じてくれて、

ありがとう。ありがとう。ありがとう。


胎児名は、長男と相談しました。

「くーちゃん」といいます。

画像2

次男が一度天に還り、そして、再びお腹の中に戻ってきてくれたお話はここまで。

彼はこの後もお腹の中から、強いメッセージを発しながら
「意図」の流れのままに
様々にお仕事してくれるのです。

4月8日が予定日だったこと。
そして、彼が3歳ぐらいに、一度天に還ったことについて、
突然、胎内記憶を披露してくれたことがありました。

起きていることは全て意味があり、繋がっている。

全てがうまい具合につながっていることに、ため息が出ます。
宇宙の図らいって、すごい。。。


また綴ります。

今日も、読んでくださり、とてもうれしいです!
ありがとうございます

愛しい日々を。

また明日。

咲多美唯喜


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