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19.終戦の日に還った魂が、お腹に戻ってきて初めて行った場所は、沖縄でした。

自分で書いていて、面白くなってきました。

次男は、今、元気な小学生。
何かが見えるわけでも、預言者でもなく、
毎日、先生や友人と学び、遊び、今を生きる、
ごくごく一般的な小学生。

でも、彼の魂は、
この世界で成し遂げようとする意図を働かせ、
母親(私のこと)へのコンタクトを怠らず、
フル回転で奉仕した魂なのだと思うと、


今、無邪気にふざけ、よく食べ、よく笑い、
ときどき兄と喧嘩して拗ね、また仲直りして笑う、
彼の姿を見つめ、信じられない気持ちになるのです。
胸いっぱいになり、抱きしめたくなるのです。

前回、8月15日、終戦の日に、
お腹の赤ちゃんが地球人生短く、天に還った話を書きました。

その半年後。

彼は満を持して、再び私のお腹に舞い降ります。

お腹の中に降りる時も、強いメッセージを持ってきた魂。

彼がお腹に来てくれた時、
私と夫は、アメリカの最先端の心理学を学ぶために
日本開催、フロリダ開催の心理コースに参加していました。
彼の魂に背中を押されるように、私たち夫婦は、
何度もアメリカに渡ります。
そして、次男の名前も、お腹からの強いメッセージをキャッチして、教わります。


そして、まだまだ妊娠初期に、
とても強いインスピレーションとともに、
アマミ舞奉納の皆さんと一緒に、
沖縄の聖地巡礼の旅に出かけます。

その聖地巡礼の旅を主宰されていたのが、ジャスミンさん。

以下は、ジャスミンさんが亡くなられた時に書いたものを再掲しています。

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ジャスミンさんが光にもどられたこと。

それを偶然、フェイスブックで知った瞬間
ちいさな祭壇のまえに座り
般若心経を唱えていました

何かせずにはいられなくて
お祈りしか浮かばなかった

悲しみも感謝も尊敬も祝福も・・・
言葉にできない想いがたくさんわきあがり

涙があとからあとからあふれだし
いつまでも手を合わせていました

隣に座り、一緒に手をあわせた長男が

『おかあさん、ぼくは、誰かが天国に行っちゃうのが悲しいって、なんか、わからないんだよ。

でも、おかあさんが悲しいのはわかるよ』

と寄り添ってくれました。

ジャスミンさんと出会ったのは、長男が2歳。
次男がお腹にきてくれたばかりの頃でした。

心の中にうずまく気持ちそのままを
言葉で表現することなんてできないから
書くのをずっとためらっていたのだけれど

心の一部分だけでも
表現してみようと
今朝の朝焼けを見て
おもいました

下に綴った文章は、
2010年に、23年ぶりに
『沖縄』に行くことができた
ジャスミンさんたち、あまみ舞のご奉納のみなさんに連れていっていただいた、沖縄の旅のことを、書いたものです。

当時、mixiに綴ったものを探しました。

私の父も、産んでくれた母も、沖縄でうまれ育ちました。

私がまだ幼いときに
両親は離婚し、
産んでくれた母は、沖縄へ。

私たち姉妹は、父とともに、東京にのこりました。

その後、父は再婚。
育ててくれた母は、

母のせいいっぱい
私たちを愛し、育ててくれました

とても病気がちな母は、
時折、激しい頭痛と嘔吐をくりかえし、
嵐のような波がおさまると

観音さまのような青白い顔をして
しずかに布団に横たわっていました

わたしは、いつも
母が死んでしまったのでないかと、こわくてこわくて不安でしかたなくて

横たわっている母の枕もとに
そっと近寄って、
母の口元に頬をよせて

母が息をしているのかどうかを確かめていました

母が息をしているのを感じると、
ほんとうにほっとしました

母を二度と失いたくなかった

こんなに
母が具合が悪いのは、
この家に来てくれたから。

父と結婚したから。

わたしのお母さんになってくれたから。

ずっとずっとそう思っていました。

母がしあわせになることが、
わたしの最大限の喜びでした

母は、沖縄の父の家族にも
一生懸命でした

でも、折り合いがわるかった。

子ども心に、
母の笑顔をうばう全てのものから
母を守りたい

そう思っていました。

母を『沖縄』から守らなくちゃ

いつしか
母の体調を悪くさせる『沖縄』のすべてを憎みはじめました

『沖縄』という言葉を聞いただけでも
胃がきゅうとちぢみあがるような感覚をおぼえています

わたしの
沖縄の顔立ちも
珍しい沖縄の苗字も
わたしの中に流れる沖縄の血も
全てを憎んでいました。

でもそれは、

わたしの『ルーツ』を、
わたしの『根源』を憎むことと
同じことでした。

そんなとき。

長男を自宅お産したときに出会ったみさえさんを通じて
ジャスミンさんと出会ったのです。

あまみ舞を奉納しながら、
沖縄の聖地をめぐる旅。
『抱っこの輪』

ジャスミンさんの、このお知らせをみたとき

これは、絶対に行かなくちゃって、思ったのです。

もうどうしようもなく、大嫌いな沖縄。
母を苦しめた沖縄。

でも行かなくちゃ。

母への罪悪感も抱えながら、
行かなくちゃという想いに蓋をすることはできませんでした。

お腹に次男坊がきてくれたばかりの頃でした。

ジャスミンさんに電話をすると、
『赤ちゃんが連れていってくれるんだね』と、
包み込むような声でいってくれました
(ジャスミンさんは、この時、お腹に来たばかりの次男が強い意志で
 沖縄聖地巡礼の旅に参加しようとしていることを感じとってくれていたようです)

以下は、2010年に綴った日記です。

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【2010年 3月19日〜23日。沖縄へ。】

ジャスミンさんの「抱っこの輪」
あまみ舞いのワークへ参加しました。

電撃が走ったのは、
昨年12月の「あわのほしまつり」。

しばらく前から「ライアー」という言葉が
ぽーんと浮かび、「ライアー」ってなんだっけ?

調べているうちに、
シュタイナー教育の中で生まれた、竪琴のような楽器と判明。

私が習うべきなのか
(当時1歳の)長男をシュタイナー教育で育てなさいという
お知らせなのか。
(この6年後、長男はシュタイナー教育を実践する学校に入学します。
 今、振り返っても不思議すぎます!)

「ライアー」を生で聴いてみたい

と思っていたら、
「あわのほしまつり」の告知の出演者プロフィールの中に、

「小嶋さちほ」さん
「ライアー」
「沖縄にて活動」

の文字が飛び込んできました。

「行かなくちゃ」

でもこんなにも、ネガティブな想いを持っているのに、
なぜ、「沖縄」のキーワードがでてくるのだろう。

胸をチクチクさせながらも、
「あわのほしまつり」に惹かれる自分にワクワクしていました。

これまた前日に、
みさえさんからメールをいただき、
「やっぱり、行こう!!」

2009年12月12日「あわのほしまつり、むすびのライブ」

「いま」の私だけじゃなく、
私を守っているもの、
魂の全てが泣いていました。

嗚咽がとまらないほど、泣いていました。

清火さんの「おきなわ」という歌

ひびいてひびいて大泣きしました

はじめての場所、はじめての人なのに、
懐かしくて、懐かしくて、
迎えてくれた、みさえさんに抱きついて
泣きました。

むすびのライブ。
涙が勝手に流れてくるので、
もう、拭うこともせずに、ほおっておきました。

あまみ舞を生み出された鶴先生が、最後に会場の人全員に抱擁、包容してくれたとき、
私の魂が泣いて泣いて、喜んでいました。

世界中のどの場所よりも遠かった、沖縄。

私のルーツ、沖縄。

ジャスミンさんの「あまみ舞い 抱っこの輪」の日記を読んで、

「行きたい。」
「行かなくちゃ。」
「今、このときじゃなくちゃ、行かれない」

そんな想いで過ごしていたら、
やっぱり、そこにみさえさんが登場。

沖縄行きの一週間前に、背中を押してくれました。
走りだしている列車に飛び乗らせてくれました。

出発の東京は雨。
どんよりした東京の空、
飛行機が雲の上に出たら、富士山の頭がぽっかり見えました。
幸先がいいぞ。

那覇空港が見えてきた頃、
23年ぶりの景色に、
23年の想いに、
涙がとまらない。

ようやく、来られたんだ。
二度と気持ちの向かないと思っていた場所に。

「抱っこの輪」のはじまりに、胸が躍りました。

そして、驚いたのは、斎場御嶽に到着したとき。

切り立った崖の合間から、神々の島「久高島」を望んだとき、

おじいちゃんのような大きな腕の中にすっぽりと抱かれ、
優しく揺られながら、
この場所に向かった記憶が甦りました。

まだまだ小さい赤ん坊の私。

確かに、私は、ここに来ていました。

今生の記憶なのか、随分前の記憶なのか。
幸せな気分でした。

その後、
「久高島」へ。

ゆうやけが本当に美しい。

ふと、東の空を見上げたら、
雲のラインに
エメラルドグリーンの光の帯が見えました。

なに?なに?
と瞬きして、もう一度目をこらすと、
さらにエメラルドグリーンの光が下に下がり、
消えていきました。

何か、とてつもなく大きなもの、
大いなるものに守られていることを感じました。
とても幸せな気持ちでした。

翌朝。
朝日と共に、聖地をめぐります。
毎日、毎日、
場所を移動し、沖縄の聖地を巡ります。

それは、想像するようなきらびやかな場所ではなく、
あまりにも自然に、
そこに存在していました。

海、川、緑、、、
足を浸し、歌い、笑い、泣き、
聖地を巡礼するごとに、

私がいつの間にか、背負っていたものを
洗い落としていくような
不思議な旅でした。

お腹の赤ちゃんと、2歳の長男と、姉と、
毎日、あたたかな配慮の中、

アマミ舞の皆さんの背中についていく旅。

ふと、「宇宙」を感じました。

今回の沖縄の旅で、
私は、大きな大きなネガティブな気持ちを捨てにくるつもりでした。

でも、今、どうだろう。

おもいっきり吐き出したら、

祖先や神様を大切にする、
誇り高き民族である魂に出逢いました。

吸い込むことばかりに意識が向いていると、
苦しくなっちゃう。

何かを吸収することばかりに意識が向くと
吐き出すことを忘れてしまう。

そう。

すべては、同じ。

宇宙のリズム。

満ちては、ひくように。

落ちて、昇るように。

欠けて、円くなるように。

呼吸と同じリズムで、

感情も、吸って、吐いて。
吸って、吐いて。

宇宙のリズムに乗って、
吸って、吐いて。

途中で、
「このネガティブを持っていないと、私は成長できない」
なかば、原罪意識のような感覚で、

そのリズムに抵抗すると、

新しい風は入ってこない。

吸って、吐いて。

吸って、吐いて。

私は、長年、溜め込んだ分、
大きい幸せが流れ込んできたんだなーー。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

2歳の長男を連れての旅。
お腹に来てくれたばかりの命を宿しての旅。

姉をはじめ、
皆さんからたくさんの心や愛をいただかなければ、
参加できませんでした。

快く、迎えてくださったファミリーの皆様。

そして、「呼ばれているんでしょう」と気持ちよく送りだしてくれた夫に感謝。

ほんとうにありがとうございます。

あたらしく
生きていきます。

感謝。』

ジャスミンさん

ジャスミンさんの 笑顔
声、瞳、美味しそうに食べる仕草、
あまみ舞の姿

久高島の浜辺で
朝陽の輝く中で
あまみ舞を奉納された姿

いま、懐かしくおもいだしています

あのとき
2歳だった長男は、9歳になりました

お腹にいた次男は、もうすぐ6歳になります

そして、わたしは、
たくさんのありがたいご縁
経て

今、この瞬間
沖縄のルーツをもつ私を
愛しています

ジャスミンさん

だいすきです

ありがとうございます

ありがとう
ありがとう
ありがとう

愛しています

光の中で
大きな愛のまま
素のまんまのジャスミンさんを

感じています

ジャスミンさん

ジャスミンさん

ジャスミンさん

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以上が当時綴ったものです。


この「沖縄へ還る旅」は、

私のルーツ沖縄に対する意識を変えるために、
もともと持っていた意識に還るために、

ずっと、私自身のために行ったのだと思っていました。



でも、次男が、生死を彷徨う病気から生還して
かかりつけのお医者さまに、
<病気の意図>を教えていただいた後に、


これは、次男が、次男の魂が、
約束していた地球人生を始めるために行ったのだと
確信しました。


パズルのピースが、パチンパチンとはまっていくように

これも、あれも、ここにあるもの

生きてきた全てのピースが
勢いよくはまっていったのです。


今日も、読んでくださり、とてもうれしいです。
ありがとうございます!

愛しい日々を。

咲多美唯喜

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