見出し画像

20.あわの歌とアマミ舞との再会。そして次男が、とうとう飛び込んで行きました。

現在、世界中に広がるシュタイナー教育。
ルドルフ・シュタイナーさんは、人生を七年の周期で捉え、
それぞれのテーマを提唱しました。
(他の方の記事に詳しく書かれているものもあるので、興味のある方は、ぜひ覗いてみてくださいね)

2年前の次男(当時7歳)の生死を彷徨う病を
ありがたく乗り越えた時、私の年齢は、7年×6周目…42歳。

これまでと、明らかに生きている意味が変化したと感じたのは、
そういうことだったのだと、
書く度にとても深い場所で納得、理解しています。

次男がお腹に来たばかりの頃に巡った沖縄聖地巡礼の旅は、
ずっと、私自身の意識を変えるためだと思っていましたが、
次男の魂が、かねてから約束していた、<巡礼の旅の始まり>だったのです。

前回は、次男の魂がお腹の中にいながら
<沖縄の聖地巡礼の旅>に連れていってくれた話を書きました。

今日は、次男が誕生して、7年後のことを書きます。

インド、インドネシア、信仰心の厚い人々が住まうコミュニティに仲間入りし、
大きな痙攣発作、奈良の祈りの旅、額の怪我、
それからしばらくは平穏な日々を過ごし、

そして、3年間過ごした集合住宅から
鎌倉の自宅に戻ったばかりのことでした。


2018年1月。

ある日、Facebookを開いて、思わず声をあげるほど驚きました。


画像1

画像4

画像2

花柳 鶴寿賀先生
ジャスミンさん…
アマミ舞
あわの歌

(写真は、アマミ舞のHPより)


大切な想い出となっていた旅、アマミ舞を奉納する旅。

その後、7年間、アマミ舞にご縁がなかったのですが、

Facebookを開いて目に飛び込んできたページには、
鶴先生と、ジャスミンさんやアマミ舞を奉納しているみなさんの姿があったのです。


あわの歌をアマミ舞で、舞う練習会のお知らせでした。

涙が溢れるほど、懐かしく感じました。

久高島の海辺で、
鶴先生や、皆さんが、朝陽に照らされながら
あわの歌をアマミ舞にて奉納されている姿が浮かびました。

全身、鳥肌がたち、
しばらくドキドキがおさまらず、
ああ、
わたしは、この会に参加するのだと、分かりました。


7年ぶりに目にした、アマミ舞。

7年前、一緒に沖縄の聖地巡礼の旅に参加した姉にもすぐに連絡しました。

その練習会は、子どもたちが通う学校のすぐそばで開催されるのです。

開催される時間帯も、工夫すれば参加可能です。

子どもたちは、その時間、図書館で待つと言ってくれました。
(次男は、一緒に行きたい気持ちもあり、迷っていました)



私は、数年前に亡くなったジャスミンさんをとても身近に感じながら
アマミ舞練習会に、1人で参加しました。

それが、2018年1月25日のこと。

道路には積雪が残り、
世間は、インフルエンザB型が大流行している時期でもありました。

画像3

その翌々日。

次男が、発熱します。


次男のクラスでも、インフルエンザB型が流行中のこと。

彼が発熱した時点で、おそらく、インフルエンザに罹患したのだろうと思いました。

少し緊張しながらも、いつものように
かかりつけのお医者さんにかかり、
自宅で静養しようと考えました。


これが、

次男の魂が生まれる前から約束していた、
生死を彷徨う、長い長い旅に
とうとう足を踏み入れたのだとは、
この時の私は、全くわからずにいたのです。



今日も読んでくださって、とてもうれしいです。

ありがとうございます。

愛しい日々を。


また明日。

咲多美唯喜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?