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22.「あわの歌」をおともに、救いの道へ。

2回の大きな痙攣発作を起こした次男を乗せて、救急病院へ向かいました。

前回は、ここまで。

真夜中。

凍るような寒さと、暗闇の世界にのみこまれそうになりながら
次男だけを見つめていました。

車の暖房をつけ、分厚い毛布で次男を包み、
動悸がおさまらない私の中に浮かんだのは、
2日前に、あまみ舞の練習会で舞った、あわの歌でした。

7年ぶりに再会したばかりの、あわの歌。
まるで、私にできることはそれしかないような感覚を覚えました。

習ったばかりのあわの歌が、内側からスラスラと紡ぎだされるのがとても不思議で、
そして、何か少しでも役立てることができたような気がして、
ほんの少しほっとしました。

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あわのうた(あわの歌)とは、古事記・日本書紀の原点とも言われるホツマツタヱに記述されている神代の歌。

声に出して読んだり、歌を聴くことで、心や身体を健康にしたり、その場の空間を清浄にすると言われています。

助手席に横たわる、次男の目は虚でした。
反応も鈍い。
言葉も出ない。


私は、震える声で、あわの歌を唱えました。



すると、反応の鈍かった次男が、人さし指を立てて、
もう一回、と。

あわの歌に耳を澄まし、
もっと聴いていたい。
意識が朦朧としながらも、
意思表示をした彼をみて、
泣き崩れそうになりながら、
何度も何度も、あわの歌をくりかえし唱えました。



7年前、お腹に来てくれたばかりの次男とともに、

沖縄の聖地を巡礼しながら、歌った、あわの歌。

吸い込まれるような暗闇の中に、
一筋の光を掴むように、

私は、あわの歌を歌い続けました。


救急病院へ到着。

駐車場に車を停めて、毛布ごと、次男を抱きかかえ
「救急外来」の電光板を目印に走ります

途中、ロビーにある車椅子をお借りして
外来受付に到着。

今までの経過をロビーの途中にある、衝立の中で、
看護師さんにお伝えし、
すぐに、次男はベッドに移されました。

たくさんのお医者さんや看護師さんに囲まれながら、
診察が始まりました。

次男はこのとき、ふたたび、小さな発作を繰り返していました。

言葉も発せず、朦朧とし、時折、眼球がくるくるとまわり、
また、こちらの世界に戻ってくる彼と、
むずかしい表情のお医者さんたちを前にして
全身緊張に包まれていました。

確か、腰に注射をして、髄液採取のお話をされ、その検査了承ためのサインもしたように思います。

電子音が鳴り、たくさんの機械につながれて、眩しい蛍光灯の光の中
診察ベッドに横たわる次男。

物々しい空間に誘われていく様子が、
脳裏に焼きついています。


「お母さんは、こちらで待っていてください。」


診察ベッドの傍にいた、私は、ほどなくして待合室へと促されました。


長い長い時間を、そこで過ごしました。

微かに次男の息吹が聞こえるのではと、気配に耳をすませ、
待合室で立ち尽くしていました。


待っていることしかできない状況の中で、
とても座ってはいられず、

もしかしたら、

彼は、このまま、天に召されてしまうのではないかと
連れて行かれてしまうのではないかと
恐ろしい想像が膨らみました。


不安と恐れの洪水の中で、


それらを打ち消すように浮かんだのは、
宇宙学校で教わったこと。

必死で、繋がり続け、祈り続けました。



彼は、まだこの地球でやり残したことがたくさんあるのです
まだまだ、この地球で楽しいことを体験するのです
お願い
連れて行かないで。
お願いです。
彼に、この地球でまだまだやり残したことがあるのです
お願い。
私の命を使ってください。
お願い。お願いします



そして、もう一つ。

思い出したことがありました。


それは、彼が倒れる数年前。

友人の紹介で、算命学の鑑定をしていただいたことがありました。


次男の鑑定内容をふと思い出したのです。


次男は、7歳になったときに、
神童のように天才的に開花するか、もしくはその反対に薄弱、大きな病気になる。
運命を持っている。
そのとき、その鑑定の女性は、もしかしたら、彼は、後者で出そうな気がする。と。


まさに。。。

次男は、7歳。


血の気がひき、気が遠くなりながら、
ふたたび鑑定書の用紙を思い出していました。


その鑑定書には、年の運気が波のように記されていた。

彼が、16歳の時のこと。

そして、20代になってからのこと。

晩年の流れも記されていた。



彼は、死なない。

彼の今生の命は、7歳で終わらない。

まだまだ、あの波のように、続くはず。

ここまで、思い出して、一気に力が蘇った私は、

彼は、必ず生還する。
生き続ける。

絶対、まもる。私がまもる。

胸の中に残る、おそれも不安も、飲み込むようにして
そこにあり続けました。


2020年1月29日(月)

まだ、お日様が昇るまで、たっぷりの時間がありました。




今日はここまで。

危機的状況が蘇って
とても、力が入ります。

綴れることがありがたいです。

読んでくださって、共に感じてくださって、

ほんとうにありがとうございます


愛しい日々を。

また、綴ります。


咲多美唯喜


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