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『12、純文学を手っ取り早くでっち上げる方法。百年経っても読まれる小説の書き方』

大事なことだから、全部読める様にしておきますが、100円ください。
よろしくお願いします。

「純文学を手っ取り早くでっち上げる方法」という、私のYouTube動画が、このところ、大体毎日誰かに観られている。需要があるのだろうと思って、これからそのことを書いてみる。

私のYouTubeチャンネル名は「百年経っても読まれる小説の書き方」だけども、百年前というと、おおよそ夏目漱石の『こころ』になる。1914年に朝日新聞で連載された。

純文学、というより、文学、は漱石が『こころ』に書いた、その通りの書式で書くもの。私はその通り書いてきたし、それ以外の書き方は私は絶対、許さない。まだちゃんと文学が書けないのに、崩して書かない。崩したいのなら、私を納得させるだけの理由がなくてはいけない。


これは私の小説『皆で浴衣で盆踊り』の冒頭。

 天使(てんし)の脳内から、先程、さよならをして出て行った酸素が、回れ右をして、ちょっと帰って来た。視界も、ちょっと晴れてきた。見慣れた保健室の天井。天井は灰色で、白い布を被ったハロウィーンの幽霊そっくりの、でっかい染みがある。そのお化けはリアルで、今にも動き出しそうだった。恐怖で、天使はぎゅうぎゅう目をつぶった。
「まあた、ぶっ倒れたんだって?」
 天使が所属する美術部の顧問の先生。先生の声はどこまでも優しい。でも、ぶっ倒れたなんて、あんまりお品のいい言葉じゃないよな、と、天使は、活動を再開したばかりの、軋むばかりの、回転の悪い脳で考えたけど、先生には言わなかった。

『皆で浴衣で盆踊り』

みんながよくやるのはこういう感じ。

天使(てんし)の脳内から、先程、さよならをして出て行った酸素が、回れ


右をして、ちょっと帰って来た。視界も、ちょっと晴れてきた。見慣れた保


健室の天井。天井は灰色で、白い布を被ったハロウィーンの幽霊そっくり


の、でっかい染みがある。そのお化けはリアルで、今にも動き出しそうだっ


た。恐怖で、天使はぎゅうぎゅう目をつぶった。


「まあた、ぶっ倒れたんだって?」

とにかく行間を広げて書かない。それからこういう書き方も多い。

天使(てんし)の脳内から、先程、さよならをして出て行った酸素が、
回れ右をして、ちょっと帰って来た。
視界も、ちょっと晴れてきた。
見慣れた保健室の天井。
天井は灰色で、白い布を被ったハロウィーンの幽霊そっくりの、
でっかい染みがある。
そのお化けはリアルで、今にも動き出しそうだった。
恐怖で、天使はぎゅうぎゅう目をつぶった。
「まあた、ぶっ倒れたんだって?」

こういう、文を全部左寄せにして書く人がたくさんいるけど、左寄せにしていいことはなにもない。私は、小説の書き方で一番醜いのが左寄せだと信じている。

行間を空ける人や、左寄せにする人は、知らないでやっている人もいると思う。きっと、他の人がやっているからという理由だと思うけど、ちゃんと文学が書けるまで、書式は崩さない。繰り返すけど。

なぜ行間を空けてはいけないのか、左寄せにしてはいけないのか、と言うと、文章は流れるもの。文章は音である。音楽である。ぶつぶつ切ってはいけない。文章は美しく流れ、理屈に合った、句点と句読点によって句切られる。

句点と句読点と改行によって、美しいリズムの取られた文章を書く。私は自分の小説の、それぞれの句点、句読点、改行がなぜ行われたのか、全部即座に説明できる。説明できないのに、勝手に文章を区切らない。

文学、とはこう書くもの。『こころ』の冒頭。漱石が、今から百十年前に書いた文章。これだけ短い文章にも、主人公の先生への恋心が溢れている。素晴らしい。私の先生は夏目漱石だから。

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。

夏目漱石『こころ』冒頭。青空文庫


原稿用紙の使い方を覚えること。そんなにたくさんのルールはない。

1.小段落の頭は一文字下げる。

■空を覆う背の高いポプラ並木。首が痛くなるほど見上げたけど、天辺付近の葉は、太陽に翻ってよく見えない。
■ようやく並木を抜けたそこには、いきなり動物園の看板。途端に動物園の匂いがしてきて、聖華は嫌な気持ちになる。

私の小説『十字架とカモノハシ』

2.?や!の後はひとます空ける。

「引っ掻かれた!■お前、ネコみたいだな。爪を切ろうとしたら、そういう
抵抗をするんだ、ネコって。ネコはな、俺がぎちっと手を握っていると、少しずつ力任せに脱出を図る」

同上

3.大段落は一行改行する。

お嬢さんのワンピースは小花柄で、袖口が膨らんでいて、昭和レトロっぽい。見回すと、そこは有楽町だ。
■■■■……
 全身ちゃらい若造が聖華を呼び止める。それまでそんなこと聖華には起こらなかったし、でも兄も一緒なのに、なんで?

同上

4.会話文の次の列は頭をひとます下げる。

「馬鹿な弟の為に色々していただいて」
「この裁判は勝てますよ」
■聖華は、兄がどの裁判でも同じことを言うのを知っていた。

同上

5.カギ括弧の最後には「。」を入れない。


「ああ、あれな、まだ判決が出ていないんだ」
「どうやったら人の頭の中を覗けるの?」
「それそれ、お前はいつも変な本を読んで、変な文章を書いているから、お前に会ったら聞こうと思って」

同上

6.点々「……」はひとますに三個ずつ、六個入れる。

兄は自分の携帯を引っ張り出して読み始める。
「なになに……、クラスの男子にカモノハシに似てるって言われたんだ……。よかったじゃない、カモノハシ可愛いし」

同上

これらのルールに従わない場合は、私を納得できるくらいの説明が必要になる。


意外なことに、漱石調の原稿用紙の正しい使い方ができるようになった時点で、既に純文学の書き方が半分できたくらいになる。文章はラノベみたいに広げて書かない。左寄せはしない。本当にそれだけで純文学らしくなる。


最近発明されたジャンルに当て嵌めて作品を書かない。ショートショート、転生もの、ラノベ、BL、その他、私も知らない分野がたくさんある。そういう分野がまずあって、その分野のために小説を書くことに大いなる危険がある。

特にショートショート。書いている人はたくさんいるが、ショートショートの形式で書けば書くほど、文学作品から離れていき、文学作品が書けなくなっていく。致命傷になることもある。最後の落ちに向かって書いているだけで、文学の要素のあるショートショートは殆どない。


ちゃんとした書式に合った小説が書けるようになったら、小説ってなんだろう、文学ってなんだろう、と考える。さっきの『こころ』の冒頭を三回以上読んでみる。文学作品を書くのは、人を驚かせるためではないし、人気を取るためではないし、お金を儲けるためではないし、自己顕示欲を満足させるためでもない。

普通に書く。わざと難しくしない。分かりやすく書く。会話ばかりずらずら続けない。なにか言われても返事をしない。普通でいい。



純文学を手っ取り早くでっち上げる方法の二番目に必要なことは、テーマっぽいものがあるっぽく見せること。

テーマってなんだろう? テーマのない作品は文学ではないけれど、テーマというのは結構いい加減でよい。


例えば私が小説『アントライオンズ』で書きたかったのはなんだろう? 主人公は気が小さくて病気がちな男の子。でも、お父さんが売れないけどカッコいいロックバンドをやっている。

私が書きたかったのはそれだけ。それだけがテーマになっている。とんでもない事件が起こったり、裁判のシーンが続いたり、色々あるけど、それらは関係なくて、お父さんのカッコいいロックバンド、それがテーマ。


じゃあ、私の小説『皆で浴衣で盆踊り』のテーマはなんだろう? 主人公はまた気の小さい男の子。ある日、亡くなったお祖母ちゃんの封印された部屋に侵入する。箪笥の中から古い着物が出て来る。男の子が着物を包んであった和紙を開くと、小鳥が飛び出した! 友達のいなかった主人公は、着物に住んでいる小鳥や花と友達になって一緒に盆踊りをする。

着物から小鳥が飛び出した瞬間、がテーマになっている。その瞬間、彼の人生が変わる。


じゃあ、私の小説『天使ってなんでデパートが好きなの?』のテーマはなんだろう? それは完璧に、私の三島由紀夫へのオマージュ。137,000字の長編で、何度も迷子になりそうになるが、最後は結局、三島に戻って来る。


テーマはいい加減でいいけれども、テーマっぽいことを決めた時に、書いて壁に貼っておこう。そうすると、迷子にならずにテーマに向かって書ける。

文豪の本を読んで、原稿用紙の使い方を覚える。テーマっぽいことを決めて、作品のあちらこちらでそれを言う。


変な書き方や文体を勝手に発明しない。なるべく転生はさせない。ラノベみたいに広げて書かない。変な比喩を使わない。変な描写はしない。一つの文に二つ以上の主語はいらない。基本を崩すのは巨匠になってから。


小学校の一年生に戻ったつもりで、原稿用紙に書いてみよう。

 きょうはぼくのこネコのおはなしをします。おかあさんとほごネコシェルターにいったとき、ぼくたちをさいしょにみつけてくれたのがるりちゃんです。おとうさんがるりちゃんのめのいろがるりいろだから、そういうなまえにしようといいました。

私が書いてみた小学一年生の作文

これでいい。これが文学と言うもの。これ以上込み入ったことは書かない。もう一度ここからスタートしてみよう。


質問はコメント欄にどうぞ。


YouTube「百年経っても読まれる小説の書き方」

15、ダイジェスト小説 39秒 純文学を手っ取り早く でっち上げる方法。#Shorts


小説の書き方 167、純文学を手っ取り早くでっち上げる方法。


私は日本の文学を、純文学とそうではない文学に分けることは好きでない。海外にそのようなジャンル分けはない。先の話とは矛盾するが、アニメ画が表紙のラノベのレーベルから出版された小説にも素晴らしい文学はある。

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