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超短編小説:私のアメリカーノ

 ガトーショコラが食べたかったけれど、売り切れていたからチョコレートタルト。飲み物はカプチーノ。お砂糖はマスト。
 ブラックのアメリカーノは、私にはまだ早い。

 最寄り駅の改札横にある小さなカフェ。小さなテーブル席に座る。端から三番目。よっぽど混んでいない限りは、毎週月曜日と金曜日の私の定位置。
 タルトをひとくち頬張ると、チョコレートの甘さがふんわり広がる。お砂糖を入れたカプチーノも、ふわふわでおいしい。やっぱり、飲み物はお砂糖を入れた方がおいしい。

 お店のドアが開く音がして顔をあげると、やっぱり、あの人がいた。
 何を注文しているかは聞き取れないけれど、わかる。あの人はいつも、Mサイズのアメリカーノ。
 カウンターで湯気がのぼるマグカップを受け取り、彼は彼の定位置、私から見て左斜め前の席に座る。
 座るときに私に気付いたようで、私たちはお互いに目だけで挨拶をした。
 彼はすぐに紺色のスーツを纏った長い足を組んで、ベージュのブックカバーをつけた文庫本を読み始めた。いつものこと。いつもの姿。大好きな姿。

「お酒より、コーヒーが好きなんです。居酒屋でわいわい騒ぐより、カフェでゆっくり過ごしたいんです」
 以前、あの人はそう話していた。
 お酒が大好きな私は「そんな人もいるんだ」と驚きながらも、彼のまねをしてコーヒーを飲み始めた。ブラックはまだ苦すぎるから、甘いものから。
 彼が仕事帰りによく寄るというカフェにも行くようになった。本当は毎日行きたいけれど、お財布と相談して月曜と金曜だけ。運が良いと、彼に会える。あんまり会うと嫌がられるかも、というのは杞憂だったようで、会うと優しい目で会釈してくれた。

 コーヒーは苦手だけど、ほんのり幸せな時間。
 だんだんコーヒーの味にも慣れてきて、最近はもっと幸せな時間。
 本当は、もっとあの人の近くに座りたい。本当は、ふたりでいろいろな喫茶店に行ってみたい。ブラックのアメリカーノが飲めるようになったら、誘ってみようかな。
 そんなことを考える月曜日。


 今日は金曜日。カフェに寄る日。
 少し前までは、お酒が飲みたくて居酒屋か安いバーに寄っていたのに、今では甘いカフェオレが飲みたくなる。
 もう少しで駅、という曲がり角。
 見慣れた紺色のスーツを見かけた。あの人だ。
 きっとこのあと、あのカフェに行くんだろう。どうせ同じ目的地なら、声をかけてみようかな…。
 思いきって走り出そうとしたときだった。

「お疲れさま!」
 ふわっと現れたのは、白いコートを着た女性。知らない人。嬉しそうに彼と腕を組んで歩き始める。
 走り出そうとしていた足をどうすれば良いかわならないまま、私は白と紺の後ろ姿を見つめていた。

 立ち止まる私と、進んでいくふたり。
 ふたりは駅を素通りした。どこに行くんだろう。答えはすぐに明らかになった。
 駅のすぐ隣の、居酒屋チェーン店。
 楽しそうに笑いながら、ふたりは引き戸を開けて入っていく。
 お酒よりコーヒーって言っていたのに。
 居酒屋よりカフェって言っていたのに。

 ああ、なんだか…。
 お酒が飲みたい。

 私はくるっと回れ右をすると、走り出した。さっきまで走ろうとしていた足は、すぐに動き出す。
 少し前まで常連だった、小さくて安いバー。
「おや、ご無沙汰」
 久しぶりに会ったマスターは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに微笑んだ。私は前までの定位置、端から三番目のカウンター席に座る。
「何になさいますか?」
「えっと…」
 お酒の名前がずらっと並ぶメニューを見る。何にしよう。ふと、あるカクテルが目についた。

「アメリカーノ、とびっきりおいしいやつ」

 あのカフェのアメリカーノは、私には苦すぎる。
 でも、ここのアメリカーノなら、私だっておいしく飲めるんだ。

 かしこまりました、とマスターが微笑む。
 今日は飲もう。
 今日だけじゃなくて。
 飲みたいときは、素直に飲もう。
 だって。
 私は、コーヒーよりもお酒が好きなんだから。





※フィクションです。
 私はアルコールよりカフェインが好きです。





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