だからこそ、今がある。
わたしが、今の姿になった理由。
#あの選択をしたから
本日は、過去〜現在の話をしてみようと思う。
昔から、働く、ということに全く意味も意義も持てなかった。
けれど、わたしが精神障害者かつ孤立無縁となり暫く経った時、主治医が無理矢理働けと推し進めた。
とりあえず、医療で連携している就労担当(MSW)に協力を仰ぎ就労移行支援事業所を見学し時間をかけて体験利用をおこなった。
そして、学ぶことの楽しさを教えてくださった恩人(当時の支援員)のお陰で事業所を決めた。
移行の利用者だった頃、とにかく早く動かないとと焦っていた。
それはそうだ、就労移行支援というサービスは生涯の中で2年しか利用できない。
非常に重要かつ今後の人生を左右する期間になるのだ。
「絶対に、自分の希望する職種に就職する!」
その意志をぶらさず、事業所内での馴れ合いも極力避けて就職する事だけに全力を注いだ。
けれど、支援員の放置や心ない言葉、お気に入りの利用者にだけ手厚い対応など、ある種のモラハラ・パワハラといえる態度や対応がわたしには多かった。
加えて、利用者によるマウント、そして事業所内外問わずのストーカー行為。
わたしはその都度、我慢し続け心身とも壊れた。
それでも我慢し、限界を超えたら一気に壁を作り体の良い理由を付け事業所に行かないという選択を取った。
恩人がいた頃は、まだ壊れた後に漸く気付き対応するということで何とかわたしは首の皮一枚を繋いでいる状態が続いた。
このままではわたしは就職できない、その直感で障害者職業センターに事業所でまかなえない所を補っていただくことにした。
そこで改めて、わたしは自分の希望する職種でも適応するということを作業や検査を経て確認することができた。
就労移行支援と障害者職業センター、そして医療機関。
たくさんの方々に支えられながら、やっと掴んだ就職先。
トライアル雇用を目前にし、わたしは就労移行支援事業所で地獄に落とされた。
己の無価値感、障害者は偏見や差別されるべき存在であり制限及び虐げられても文句を言うなということを植え付けられたのだ。
就労移行支援事業所は、利用者である当事者のこころを殺そうが就職し仕事さえしていればそれで良いという本心がハッキリ見えた。
地獄に落ちたわたしは、表向きは元気そうや安定しているなどと空気の読めない支援員達から言われるようになった。
けれどその裏で、今わたしは泣かない日はほぼ無い程に理由もなく泣いている。
勤怠も安定しない時期も、未だにある。
自暴自棄になったわたしは、家で泣き叫び暴れるようにもなった。
暴れられないなら、己の身体を壊せばいいと暴飲暴食を繰り返すことになる。
その影響で急激にリバウンドし、元々醜い姿が更に腫れ物扱いできる、どれだけ清潔感を意識しても醜く汚い見た目になった。
こころは死んだまま、新たに形成されることもない。
何故わたしが仕事を続けているのか、それは自分でも分からない。
消えたいのにその勇気がないから、仕事を続けているのも一理あるだろう。
けれど、こころを殺され死体蹴りまでされても、我慢し続けた結果が今なのだ。
我慢し続けた事が、良いことに繋がっているとは思えない。
加害者である健常者が、高らかに笑い、被害者である障害者を見下す事実。
これからも、わたしは非人間として、ヒト型のポンコツな機械として生きなければならない。
就職という選択は、間違いではなかった。
人のこころを捨ててでも、こころを殺されても働きさえすればいい。
職場の人の方が、余程わたしをポンコツであろうとも一人の社会人として扱ってくれる。
その感謝は忘れることなく、会社に貢献できればと思う。
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