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『あなたとケーキをシェアするためのいくつかの方法』Moche Le Cendrillon、『QUEERLY』Kotono x Katsuya 感想

『あなたとケーキをシェアするためのいくつかの方法』Moche Le Cendrillon

本書はドラァグ・パフォーマー、Moche Le CendrillonによるZINEである。下北沢BONUS TRACKで開かれた『NOISY ZINE&BOOK』目当てで足を運んだ際、施設内の書店・B&Bに立ち寄って購入した。「ケーキ」は、Aro/Aceのオンラインコミュニティで象徴になっているキーワードで、「セックスよりもケーキが好き」「大切な人とはケーキをシェアする関係でありたい」という冗談に由来するらしい。著者やZINEに対しての事前情報は一切なかったものの、印象的なタイトルに惹かれて手に取った。時にユニークに、挑発的に綴られる文章はクィアネスに溢れていて非常に魅力的だ。たとえばこんな一節。

現代美術に救われた経験があるので、アートや文化、表現といったものの力を信じていて、生業にしたいと思っています。アクティビズムや言論に比較して、社会や政治への実行力に欠けるメディアだとは常々感じますが、だからやる意味がないとか、つまらないという態度はとりたくないと思っています。回りくどく、遅いものには、複雑なものを複雑なまま語る力があるからです。

安易に物事を断定せず、複雑なものを複雑なまま語る。文章においてもその姿勢は一貫しているように感じた。社会的規範(異性愛規範やパートナー規範など)に翻弄される描写を通じて、自身のインターセクショナルなアイデンティティが語られており、Aro/Aceというセクシュアリティにも濃淡があり、決して一括りにはできない多様性があることを示している。

本書はエッセイを中心とした構成となっているが、Aro/Ace関連のおすすめコンテンツの紹介や、著者が嫌悪感を抱いた発言への反論を付記した「Aro/Ace FUCKOFF辞典」なるコラムの他、歌人・帷子つらね、Aro/Ace当事者であるちゃげ(from 半ギレ火山)との対談も収録されている。
LGBTQ+のコミュニティの中でも、長年に渡ってAro/Aceは透明化・周縁化されてきた。私自身もその存在を認知したのはここ数年のことで、まだまだ知らないことが多い。本書でも断りがあるように、著者はあくまで「Aro/Aceの当事者の一人」であるが、当事者が抱えている困難やセクシュアリティの一端を窺い知ることはできる。本書はAro/Aceの入門書としても最適な一冊だと思う。そして何より、文章がむちゃくちゃ面白いので。

『QUEERLY』Kotono x Katsuya

パンセクシュアルであるKotonoと、ゲイ男性であるKatsuyaによるZINE。本書は【side kotono】【side katsuya】の2部構成となっていて、それぞれが凡そ10ページずつ担当している。

本書の要となっているのは、アンドリュー・ベイ『異人たち』の映画評である。両氏共通してレビュー対象として取り上げており、Kotonoは友人(浅井美咲)との対談形式、Katsuyaは「内なる子供を救うために」と題してテキストを執筆している。
Kotonoと浅井の対談では、『異人たち』が描く「クィアの弱さ」との対比で、世間のクィアに対するパブリック・イメージを指摘した一節が印象に残っている。

Kotono「現在をたくましく生きるだけが、クィアが生き抜く術じゃないと思う。世間的にクィアに関して良しとされるものとか、称賛されるものは強すぎる」

その点、『異人たち』は真逆のベクトルを持った作品だ。『異人たち』で描かれるのは、孤独を抱えた主人公・アダムの人生に悲観した姿である。こと、クィア・ムービーは悲劇的になりがちで、本作もどちらかというとその部類だと言える。だが、結末では思わぬかたちでアダムに救済が待ち受けており、それが単なる悲劇とは言い難いニュアンスを作品に与えているのだ。

Katsuyaの映画評では「作品と出会うことで過去をやり直す」という一節が印象に残っていて、今回の『異人たち』に繋がる視座のように感じた。アダムは作中で亡くなった両親(現実とは異なる事象)と出会い、対話を重ねながら過去を清算していく。私たちも、現実には存在しないフィクションを通じて、過去をやり直すことができる。それは自分にはなかった角度の見解だったので、とても鮮烈に響いた。レビューの終盤、父親に向けた「私はクィアとして、クィアのままで幸せになることで復讐をしたい」という一文にも痺れた。

本書はその他にも充実した内容が揃っている。著者セレクトによるクィア・アンセムのプレイリスト(各曲レビューも楽しい)、日記、ドキュメンタリー映画のレビュー、ライブレポート、時事問題のコラムなど、トピックは多岐にわたる。両氏ともポップカルチャーと社会問題をシームレスに繋げようとする意志が感じられ、娯楽を享受しつつ、その一方で社会への眼差しを欠かさない。そんな美学が通底した一冊に仕上がっている。


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