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教員を目指す僕の"教育の在り方"

初めましての人は初めまして。
お久しぶりの人は久しぶり。

フィーリングで教育を語る!
つっぴーです👣

僕は教師に「憧れ」を抱いています。

それは教師の魅力を知っているからです。
心から 『 信頼 』 できる教師・大人 がいるからです。

「憧れる」ということは、その在り方で子どもたちの可能性を開放することなのです。

これらの経験から僕は
教育は人間の「見えない可能性」を開放するもの
だと考えるようになりました。

それは先生も子どもの同様です。
しかし、大人の偏見や言い分で、大人自身も子どもも、狭い狭い固定された枠組みの中に可能性を閉じ込めているのが現状なのではないでしょうか?

教育の可能性を最大限に発揮していくためには、人として向き合える大人の存在、つまり"人として関われる教師" の存在が必要なのです 。

子どもたちが、不安や悩みを抱えたとき、夢や希望を抱いたとき、自分の可能性に気付いたとき、多くの子どもたちが本当に必要としているのは、才能に満ち溢れた素晴らしい教員ではないんです。

授業の経験や個々の能力はあくまで手段です。
本当に本当に大切なのは、その先にある『 信頼 』 と、
それを育む 『 教員自身の在り方 』 なんです 。
人として、等身大で人間と関われる感性を教員志望の学生が学生のうちから磨くことができれば将来どれほどの子どもたちの可能性を開放することができるでしょうか?

将来、教員一人ひとりが、目の前の子どもに本気で向き合い、信頼し一人の人として関わることができれば、今後の日本の子供たちは可能性に満ち満ちています。

そしてキーパーソンとなるのは"教員のタマゴ"
つまり、"教員志望の学生"です

しかし、そのキーパーソンとなる教員を目指す学生でさえ、学歴や立場、上下関係の力に囲まれた社会の中で管理される存在として扱われてきたと僕は思います 。

人は経験していないものを与えることはできないですから….

だからこそ、今、大人と子どもの狭間の立場である学生として教師を目指す者として一番欲しい存在は、"人として対等に関わってくれる存在 "なのです。

そして、僕たち教員を目指す学生自身が
何よりも人間としてかかわり
自分自身の心と葛藤し
多くの人と対等に向き合う

それを経験して教員になれば、今の社会にはない新しいタイプの教員に成れると思いませんか?
目に見えない根っこから「自分の在り方」をアップデートし子どもと育ち続ける存在になるのではないでしょうか。

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