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好きを好きという言葉以外で伝えようという気概

「誰かを大事にする」というのはどういうことか。疑問をnoteで記事にされていた方がいて、めちゃくちゃに触発された。時間をとる意義がある問いだなあと思った。なので、便乗して、私なりの「大事にする」をなんとか言語化してみたい。

去年の春か夏に書いた記事は、少し主題が似ているかもしれない。ただ、明文化しようという試みではなく、当時の気持ちをごちゃごちゃといろいろ吐き出しているうちに、たどり着いた言葉が「大切」だった。その時の心の動き方はよく覚えている。あの時の「大切」は感情だった。この時一緒にいた男とは別れたけど。けど、大切だと胸の内で感じることと、大切にしようとはたらきかけることとは、また違う。

「"自分を"大切にする」という事柄に関しては、私はかなり明確に言語化できている。人生の行動指針のもとにある価値観がそれなので、既に根強く頭の中に植わっている。私にとって「自分を大切にする」とは、自分の感情を大切にすることだ。そして、気持ちを重んじるにはどうしたらよいかと言うと、自分の心の動きをいつも見つめ、これぞという強い昂りが起こった時、その感情を源として、かならず外にはたらきかけるのだ。言わない気持ちはないのと同じ、胸にしまっておくのではなく、思いはかならず行動に替えたい。全身で感情表現していたい。
たとえば、そこまで親密ではないけど密かに憧れている同性の先輩がいるなら、お手洗いで一緒になった時には必ず話し掛ける。失敗したと感じた時、なんだかんだばたばたとしてきちんと謝れず悔いが残る日には、LINEでもいいから必ずすぐに連絡を入れ、挨拶する。ずいぶん会ってない友達が夢に出てきて、その子がどうしてるか気になったら、実際に連絡してみる。好きなら、会いに行く。名前を呼ぶ。心の故郷の土地を13年越しに踏みに行く。ヨーロッパまで墓詣りに行く。気持ちを伝える。
強い感情と言っても、怒りや悲しみはできるだけぶつけないように気をつける。ごめんとか、ありがとうとか、嬉しいとか、楽しいとか、好きとか、そういうの。そういうのを示す。そういうのと、怒りや悲しみと、違うのは、言葉でなくても伝えられるということ。怒りや悲しみを根源にすると、体の外に出そうとした時、出てくるのは言葉ばかり。ごめんとかありがとうとかを、言葉でなく行動で伝えたい。とにかく嘘なくすべて体現していたい。「伝える」は私の人生においてかなり重要なキーワードになっている。

こうしてみると、私の「自分を大切にする」は、必ず他人の存在が関わっている。思いを伝えたい相手がいる。それって、自分にとって大切な他人、大切にしたい他人なんじゃないのかな。とか思った。自分の感情を大切にしようと思って行動すると、結果、関わる他人を大切にできている。ような気がする。ごめんとか、ありがとうとか、嬉しいとか、楽しいとか、好きとかを、言葉でなくて行動で伝える、ための勇気とか、かける時間とか、そういうのが相手を大切にする、ということだと思う。つまりやっぱ愛を態度で伝えることな気がする。私の中では。だから、「相手を大切にする」は、「自分を大切にする」で、「自分の気持ちを大切にする」で、「気持ちをきちんと相手に伝える」で、「言葉でなく行動で伝える努力」だな。と思う。

私が読んだ記事では、書かれた方の結論は「自分を信じ、相手を信じること」だった。それ以上に整った答え、見つからなかった。私の「自分を大切にする」(思いを行動で示す)も、もっと咀嚼すればそこに行き着く。自分を大切にしようと思うと、必ず他者への行動が伴う。行動するには勇気が要る。信じなければいけない。私なら大丈夫、と、この人なら大丈夫、の、二本柱に支えられて、私は行動している。怖い。いつもドキドキしている。だけど、その一瞬を超えて行動できた時、とても気持ちがいい。本当の思いというのは、きちんと相手に伝わるものだなと思う。自分を信じ、相手を信じること。私の言葉選びだけではそこへは辿り着けなかったけど、そうだな、そういうことなんだなと、考え終わってから、腑に落ちた。読めてよかったです、ありがとう。

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