出た杭は どこまでも 出続けろ
幼い頃、父からよーく言われていた言葉がある。
「出る杭は打たれる」
なんで、打たれなきゃならないの?って、思ってた。
出ていたわけじゃない
なぜか目立ってしまう子って、いる。自分が教育現場で働くようになって分かったことだけど、何もしていないけど目立っちゃう子っているの。可哀そうなことにね、良くも悪くも目立ってしまって。結果、先生から目をつけられたり、同級生から妬まれたり。羨望の眼差しを受けることもあるけれど、どっちかと言えばそれは少ない方なんじゃないかな。
私もご多分に漏れず、なぜか目立っちゃうタイプだった。本人としては、「なにもしていないのに・・・」絶対に誰かから見られていて。
例えば、お天道様に顔向けできない様な悪いことをしていたとして、それを目撃されていたというのならば納得なわけ。それは、誰かがどこかで必ず見ているものだと思うし、そうでなければならいと思うから。
そうではなくて、私の場合はとにかく目立っていたようで。「頑張っているね!」とか「良い感じだね!」とか、そんなプラスな言葉もあったけれど、そんなことばかりではなくて。
友達が騒いでいてうるさくて、先生の話が聞こえなかったから注意する。すると、なぜか私が怒られる・・・みたいな。お調子者が笑いを取っていて、我慢できずに私が笑うと、なぜか私が怒られる・・・みたいな。そんなことが始まりだったかな。別に、目立とうとしたことなんてなかったんだけど。
そうそう、中学2年の時に生徒会副会長に立候補させられた(担任推薦)ことがあって。本当に嫌だったけれど、先生に頭を下げられたら受けるしかなかったから、一生懸命取り組んで。「よくやるよね~」とか「勇気あるね」とか、まぁ先輩からも後輩からも、賛否両論頂きましたよ。
働くようになってからも、何も言っていないのに、色々な役回りをいただいてしまうことが多く。いつも、帰宅しては「なんで私ばっかり?」と思うことも多々あったわけで。
いっそのこと、どこまでも出ちゃえばいいじゃん!
でもね、夫と出会って言われたことがあるんです。
「すごいじゃん、何もしないのに目立てるってすごい能力だよ。」って。ほほぅ、これは能力なんだね?でも、出る杭は打たれるんだよ、結構痛いんだよ。
「それはさ、中途半端に出るからでしょ?」って。なるほどね、私は中途半端んだね。
「いっそのこと、どこまでも出ちゃえばいいじゃん!」って・・・。そう来ましたか。
「出すぎた杭は、誰も打てないよ。誰も打てないくらい、出すぎちゃえばいいんだって。」と言われた瞬間、、、やっと、分かったよ。
私、出ているようで出ていなかったんだねぇ。出ている気分だっただけ。ちゃんと出てないから、皆から「出るとこまで出て行けよ」って、叩かれていたんだな。
誰の手も届かないところまで、出ちゃえばいいんだね!
自分の意思で出ればこそ
人生に遅いことはないね。40歳になったけど、(気づいたのは35歳くらいだったかな?)やっと気づきましたよ。自分の意思で出たのであれば、例え誰かに打たれても、ほんとに気にならないんだよね。
だって、自分が出たくて出ているんだから。
なんなら、「打って来いよ!」ってなくらいの気持ちでいたりして。
今までの自分の人生の中で打たれた記憶をたどってみると、どれもこれも自分の意志ではなかったことがほとんど。もちろん納得して受けてはいるんだけど、心のどこかでは受け止め切れていなかった。だから、打たれたことにも納得できなくて、結果的には「人のせい」みたいな気持ちになっていたんだよねぇ。いやぁ、嫌なやつだったねぇ・・・。反省。
夫には感謝しかない。出会って結婚して、一緒に暮らす中で、たくさんの気づきを与えてくれる存在。生きていてくれることに、本当に感謝。この世に生を与えてくださったことに、義父母にも感謝。
そうは言ってもね、出ようと思っていなくても気づいたら出ていることもしばしば。
こんな時は「引き寄せた」と思って、思い切り出て行こうと思う。
もちろん、自分の意思を持ってね。
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