中島古羊

中島古羊

最近の記事

日本語を失いゆく我々のために|感想文@『東京都同情塔』/九段理江

「「嫁」という呼び名をやめて「パートナー」と呼びましょう」 10年程前、そんな主張をネットで見かけた。 奇特な人だ、としかその時は思わなかったけれど、いつのまにやら「嫁」という言葉は市民権を失いつつある。 私も使うのが何となく憚られ、「パートナー」とは言わないまでも「妻」だの「奥さん」だのと言っている。 当方、北陸の田舎住まいだが会社の同僚も似たようなものだ。この感覚は都会だけでなく日本全土に広まりつつあるのだろう。 最近久々の再会を果たした旧友がいる。 彼女は、私と会っ

    • 賢者タイムにおける賢者性が小説に与える影響について―若しくは、酷く局地的な村上春樹考―

      飲み会をした。先週のことだ。 取引先との飲み会だが、お互いの会社の20代後半~40代前半の中堅職員で集まった、仕事とプライベートの中間みたいな会。 当日集まったのは男性5人、女性3人。まあまあ和気藹々と飲み会は進んだところで、男の中の一人が最近引っ越しをしたという話になった。 「会社に近くなったから自転車で通うようになったんですけど、電車乗らなくなったら本読まなくなっちゃいましたね」 そう言う彼にどんな本を読むのか聞くと、 「村上春樹だけは全作品読んでますね」と言う。 それ

      • 文体練習1-あるバーでの一幕-

        ぼくは適当なバーに入ると、シーバスリーガルのオンザロックとナッツを注文した。それから眼を閉じて、昨日のことを考えてみた。それはいなくなった猫のことであり、差出人のない手紙のことでもあった。 ぼくは目の前に置かれたグラスをすぐに飲み干し、二杯目を注文した。 頭に浮かぶ情景のひとつひとつが、自分が間違った方向に向かっていることを暗示しているようだった。ぼくは感覚と無感覚の狭間にいて、実体のない痛みに貫かれていた。そこには絶望もない代わりに答えもなかった。ふと隣から視線を感じ、体を

        • トマト嫌いでもこのトマトなら食べれるみたいな本|『わっしょい!妊婦』/小野美由紀

          妊娠・出産レポが苦手である。 とはいえ、妊娠・出産レポなんてのは殆ど女性、もしくはこれからパートナーの妊娠を経験するかもしれない男性がターゲットであり、既婚子持ち男性の私なんざ読者として想定外中の想定外、私から苦手に思われようがレポ側としてほぼノーダメージなのは重々承知している。 承知の上ではあるが、ここは私が書きたいことを撒き散らすインターネットなので、自覚を放り投げて苦手な理由を書く。 以下項目は私の超絶主観である。 ①妊娠中の様子が自分の妻と乖離している場合が多い 妊

        日本語を失いゆく我々のために|感想文@『東京都同情塔』/九段理江

          その名作との出会いは|『羅生門』/芥川龍之介

          教科書を閉じ、机に置く。腕を組んで、その表紙を見つめた。 「現代の国語」。目は教科書を捉えていたが、頭の中では京都の町を下人が走っていた。 高校一年生、私は初めて『羅生門』を読み、愕然としていた。 小さなころから本を読むのが好きだった。 絵本から始まり、仕掛け本、児童文学、児童向け小説、普通の小説、エッセイetc…。 本とともに成長してきたような子供であり、学生時代だった。 小学校でも中学校でも図書委員だった。 高校一年生当時、私は山田詠美と阿刀田高に傾倒していた。 山田

          その名作との出会いは|『羅生門』/芥川龍之介

          「普通」って何さ|『コンビニ人間』/村田紗耶香

          「普通」と思われるのと「変わってる」と思われるのと、どちらが嬉しいか。 私は基本的に「変わってるね」と言われるタイプの人間だ。別に狙っていないので、本当にある程度変わっているのかもしれない。 しかし、面と向かって「変わってるね」と言えるぐらいの人間でもあるので、性格が破綻していたりはしていないと思うし、逆に言えば特別な存在になれるほどの変わり方でもない。周囲にいるちょっと変な人、ぐらいの雰囲気。 学生の頃、特に義務教育のときは、「変わってるね」と言われてもそんなに悪い気は

          「普通」って何さ|『コンビニ人間』/村田紗耶香

          濃密な成長、その時|『ペンギン・ハイウェイ』/森見登美彦

          圧倒的成長の話をしたい。 誰が言い出したかは知らないが、一昔前に求人広告(と言うよりそのパロディ)でちょこちょこ見かけたこのワード。異様に語呂が良く、漂うブラック企業臭から局地的に流行っていた、ような気がする。 「圧倒的成長を謳う企業に入ったので、圧倒的成長しました!」という体験談を聞いたことは残念ながらないけれど、人は確かに圧倒的成長をする瞬間がある、と思う。 成長とは年齢に伴う一次曲線ではない。どこかのタイミングできっかけがあり、成長する。そしてそのきっかけが大きいほど

          濃密な成長、その時|『ペンギン・ハイウェイ』/森見登美彦

          たとえばビールの泡のように

          ゴドッ、と音がして栓が抜ける。うまく固定できていなかった瓶の底がテーブルにぶつかり、たちまち泡があふれた。 「下手っ」 彼女はそう言うと、ティッシュペーパーで応急処置をし始めた。僕も慌てて作業を手伝う。不意に手が触れ、彼女の高い体温を感じる。一通りの処理を終えると、彼女は拭くものを取りに台所に向かった。 僕は彼女に謝りながら、一滴でも多くビールを留めておくために瓶を左右に傾けてみたが、あまり効果はなきそうだった。ハートランドの瓶の中で、やや少なくなった疲体が揺れる。 やが

          たとえばビールの泡のように

          未来新聞

          フリマアプリで買った靴が届いた。 段ボール箱を開けると、そこには新聞紙が緩衝材として入っていた。いかにも素人らしい梱包である。 ふと、新聞の日付が視界に入った。するとそこには半年後の日にちが書かれていた。 未来の新聞……?出品者のいたずらだろうか。くしゃくしゃになった新聞紙を広げると、ひとつの記事が目に飛び込んできた。 『カクイチ、新宿に新店舗』 カクイチとは僕が勤めているスーパーだが、新宿に新店舗が出来ることはまだ社内の人間しか知らないはずだ。しかしその記事に書かれてい

          未来新聞

          【小説/短編】知る街への旅

           美しい冬晴れとなった年の瀬、私は帰省のために新幹線の三列シートの真ん中に座っていた。通路側に座っている夫は、発車してすぐ眠りに落ちた。寝ようとして寝たわけではないらしく、テーブルには操作途中だったと思われる、画面の明るいスマートフォンが載っていた。年末に休暇を取るために、昨日まで残業を続きだったので、疲れていたのだろう。  窓側に座っていた息子の悠斗が座席の上に立とうとする気配を察知し、靴を脱がせる。一歳半になる悠斗は、最近どんなものの上でも乗りたがる。靴を脱がせた悠斗を

          【小説/短編】知る街への旅

          【小説/短編】未知との再会

          その出会いは、灰色だった丸田亮一の日常を閃光のように切り裂いた。 「あれ、丸田君だよね!?」 普段、女性から声をかけられるようなことがない丸田が、必要以上に恐る恐る振り向くと、そこにはかつての憧れの人がいた。 「佐川さん?」 「そう!佐川!えー、名前覚えててくれたなんて嬉しい!」 はしゃいでいる人形のような女の子を目の前に、亮一は完全に固まる。佐川結花は亮一の高校時代のクラスメイトだ。勉強も運動もそつなくこなし、誰にでも好かれる愛嬌のある性格、そして何より顔が抜群に可愛い、押

          【小説/短編】未知との再会

          【小説感想】『同志少女よ、敵を撃て』/逢坂冬馬~戦争に身を投じた少女の「敵」とは~【大ネタバレ】

          ※注意:本感想文は読了した方向けです。あらすじの記載もなければ人物紹介もなく、1スクロールするとラストシーンのネタバレがあります。 2022年度本屋大賞受賞。 第11回アガサ・クリスティ賞を史上初の満点受賞。 第166回直木賞候補作にして第9回高校生直木賞受賞。 華々しく彩られた本書の受賞歴である。 これが兵士の勲章なら昇進していてもおかしくない。 その人気ぶりはすさまじく、私が住んでいる町の図書館には本書の貸出予約が223件入っている。ちなみに、所蔵数は10冊である。

          【小説感想】『同志少女よ、敵を撃て』/逢坂冬馬~戦争に身を投じた少女の「敵」とは~【大ネタバレ】

          【読書感想文】『ヤクザときどきピアノ』/鈴木智彦~極道の生き様を描き続けた手が鍵盤をたたく時~

          新しい趣味を始めたいけれど躊躇している、そういう人は結構多いのではないかと思う。 始めたい気持ちはあるのに、一歩踏み出せない理由は何なのか。 時間がない、環境がない、歳を取りすぎた、周りに知られたら恥ずかしいetc…、それらしい理由を挙げればいくらでも出てくる。 そういう人は、この本を読めば今までの自分と決別できるかもしれない。 これは、自分が今まで見たことない景色を見る勇気を与えてくれるエッセイである。 ・あらすじ ・52歳、ピアノ初挑戦52歳のピアノ初心者のおじさ

          【読書感想文】『ヤクザときどきピアノ』/鈴木智彦~極道の生き様を描き続けた手が鍵盤をたたく時~

          "平成の目指した多様性"は生きやすさを産んだのか|【読書感想文】『死にがいを求めて生きてるの/朝井リョウ』

          ※ネタバレを含みます 平成。 今思えば不思議な時代だった。 ノストラダムスでも潰せなかった時代だ。 生きがい。 この小説の大きなテーマである。 作中で主人公の堀北雄介は言う。 人間には三種類いる。一つ目は、生きがいがあってそれが自分以外の他者や社会に向いている人間。二つ目は、生きがいが自己実現に向いている人間。そして三つめが、生きがいのない人間。 また、この小説では生きがいの裏面である、死にがい、についても書かれている。 死にがい。 命を懸けてでも成し遂げたい事、この身

          "平成の目指した多様性"は生きやすさを産んだのか|【読書感想文】『死にがいを求めて生きてるの/朝井リョウ』

          【読書感想文】『るん(笑)/酉島伝法』〜世界に置いて行かれる覚悟はあるか?〜

          「あなたに常識はあるか?」 そう聞かれて、自信満々に「いいえ!」と答える人はほぼいないだろう。多くの人は、自分から常識が全く欠落しているとは思っていない。 しかし、この『るん(笑)』の世界で、あなたは非常識な人間になる。自分の常識が通用しない、ではない。非常識になってしまうのだ。 私は、2022年に読んだ小説の中で、この小説が一番怖かった。 それは、この小説が描いているのが、よくある「怪奇現象による恐怖」ではなく「信じている世界が崩落していく恐怖」であり、それが未知のものだっ

          【読書感想文】『るん(笑)/酉島伝法』〜世界に置いて行かれる覚悟はあるか?〜

          【小説/ショートショート】博士と藤村

          「ふうぅー」 長い息をつきながら、藤村は両手に持っていたコンテナボックスを実験室の入り口近くの机上に置いた。中には一般人が見慣れないであろう金属パーツがぎっしりと詰まっている。建物の入口で受け取ったコンテナを建物の一番奥にあるこの実験室に運んでくるのは、女性である藤村にとって超がつくほどの重労働だった。 「博士、ふぅ、届いたものここに置いておきますよ」 息を切らしながら、藤村は実験室の奥で作業台に向かっている白髪の男に声をかけた。 「ん」 博士と呼ばれた白髪の男は藤村のほ

          【小説/ショートショート】博士と藤村