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SNSを使いこなせない自分、新生活に向けて遊びまくり、SNSとの戦いを放棄している

さて、日記のはずが随分と日付けが空いてしまった。ここ連日は、本当に色々な人と様々な場所へ行きまくっていた。私がもうすぐ他県へと引っ越して、一人暮らしを始まるからだ。

昨日は受験生の頃の塾の先生と、イオンに行ったりご飯を食べたりした。中条あやみ似の、可愛らしい先輩で、一個上である。大学が始まったら、とにかく新歓に行きまくった方が良いよ!と教えてくれた。プリを撮ったり、インスタの使い方も教えてくれた。ご飯も奢ってくれたし、恋バナも聴いちゃった…本当に、貴重な経験、大切にしたい関係だ。

そういえば、この時期大学の新一年生は、インスタやTwitterなんかで#春から○○大、などと投稿してすでに友達を作ったりしている。大学の色々な情報が分かるので便利だそうだ。私も勧められてアカウントを作ったものの、完全に放置している。

SNSが苦手である…。Twitterやインスタのストーリーで、誰かの質問箱の、「Q.彼女いますか? A.いませんよ〜、コミュ障なんで…泣」みたいなのを見るのが、そもそも面白いと思わないのだ。親しい友達の投稿でも、特に見たいと思わない。たわいない話は本人から直接聞いた方が面白いし、友達と居ない時間くらいは趣味に使いたい。こんなことを言っているから、インスタのリアルアカウントだってフォロワー3人のまま、友達に存在すら知られていないのである。

だいたい、人間関係なんて、お互いに「ウチらダチだぜ!」とか言える関係はそう多くなくて、あとは「一応こっちは友達と思って接してるけど…友達?知り合い?」みたいな関係である。
自分の身内同士の、ふざけたノリの投稿が、そういった親しくなりきってない人達の目に晒され続けると考えたら、ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!と発狂したくなる。もう私はSNSに頼らず、面白いこと、知りたいことはその場のみで良い…

LINEも苦手である。私は日常的にブラックジョークや悪ふざけを、その場の愛嬌や距離感でなんとか緩和しているので、文字だけのコミュニケーションに弱い。どうしてもキツく見えてしまうのだ。

「馬鹿野郎が!」という文面だけを見るのと、表情を緩めて、どこか愛おしそうに「馬鹿野郎が!」と言うのでは伝わり方が全然違う。これは反語であり、愛情の裏返しなのだ。
この、これは愛情の裏返しだよ、という事をLINEで伝えるためには、「馬鹿野郎が〜!笑」と打たねばならない。しかし、この「〜!」が照れ臭いし、柄じゃない。

そういえば、人を褒めるのもめちゃくちゃ苦手である。なぜかと言うと、褒めると高確率で「私/俺なんて全然…○○(私の名前)の方がすごいだろ」と言わせてしまうからである。これでは完全に、「○○の方が〜、いやいや○○の方が〜」というわびさびの流れ、日本的社交辞令である。歯痒くなる。というか褒め合うのが苦手である!照れ臭い!

しかし令和を生きていく以上、SNSとは切っても切れぬ縁なのである。もうちょっと上手く付き合えるようになりたいものだ。本当に、困っている。めんどくさい。大学は楽しみである。

眠れない夜に捧ぐ