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海の向こう側の街

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1997年の11月10日から約1年間、オーストラリアの『パース』という街で体験してきた事を約26年の時を超えて、過去の日記と資料と現在のインターネット技術を使って、より正確に振り…
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#この街がすき

海の向こう側の街 Ep.24<フリーマントル刑務所としらせと毎日二千の苦行>

海の向こう側の街 Ep.24<フリーマントル刑務所としらせと毎日二千の苦行>

 ダイビングショップで指定された通り、フリーマントルにある病院で僕たちは、診断を行うために向かった。ここフリーマントルは土日になると賑わう街で、それ以外の平日はわりとひとけはさっぱりだった。パースでも有名な『フリーマントル・マーケット』は土日のみオープンし、酒場のキレイな女性のバーテンダーの写真を撮ってお客に怒られたり、ここオーストラリアで僕たちは、何も労働していないのに労働感謝祭でフリー(無料)

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海の向こう側の街 Ep.23<フリーマントルの名画座>

海の向こう側の街 Ep.23<フリーマントルの名画座>

 日本にいた頃から、ずっと映画館で観たかった映画がついに公開された。
『タイタニック』だ。ただ、ここはオーストラリアなので、いつから公開されたのかというのがリアルタイムでは判りにくい。
街に張り出している広告から「そろそろなんだなぁ」って判る程度。
日本のように、脅迫じみたぐらいのTVCMなんかもない。(少なくとも当時は)
もちろん、英語圏なので日本語字幕は一切無いものの、この映画だけはどうしても

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海の向こう側の街 Ep.21<バニラ・シェイクと魔の右カーブ>

海の向こう側の街 Ep.21<バニラ・シェイクと魔の右カーブ>

 その日、僕はドキドキしながら、ジェイソンの電話番号に電話をした。
まるで、初めて小学校の時に友達に電話をして、知らない親に「お楽しみ会」の準備について伝える時と同じ様な緊迫感。
いや、明らかにそれ以上だ。
映画で何度か聞いたことはあったが、海外の電話のコール音は一回一回が長く、その間の間隔も長いので、一瞬切れたのかなと思ったらまた長いコール音がなる。
『トゥルルルルル〜……(忘れた頃に)……トゥ

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海の向こう側の街 Ep.20<SPORTSCOでの出会い>

海の向こう側の街 Ep.20<SPORTSCOでの出会い>

 気温四十度超えが当たり前のオーストラリアは、直射日光が凄いし乾燥も凄いが、日本の夏のような暑さがないのでまだ過ごしやすい。
(ただ、顔に蝿がたかるのだけは勘弁して欲しい)
一九九四年の猛暑(約三十八度)をクーラー無しで乗り越えて来た僕には、むしろ心地良いくらいだと自負していた。(湿度がここまで無いとこれほどまで違うものなのかと感動すら覚える)それになにより、僕は帽子が全く似合わない顔立ちなので、

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海の向こう側の街 Ep.19<酒とタバコとホームシック>

海の向こう側の街 Ep.19<酒とタバコとホームシック>

 僕はパスタを食べ終え、食後に煙草を吸うためにベランダに出て、二十五本入とはいえ当時でたった一つだけで約七百円もする今日買ったマルボロの外箱にこれでもか!と書かれている注意書きをみて少し引く。煙草を吹かし、こうやって完全に異国で一人ぼっちでベランダで寛いでいると、日本で日頃何気なく親や友人達と気兼ねなく話していた当たり前の日々をふと思い出した。
今の僕がいるこの場所は、テレビをつけても全て英語で何

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海の向こう側の街 Ep.17<セガサターン、大地に立つ>

海の向こう側の街 Ep.17<セガサターン、大地に立つ>

 僕たちが「Cash Converters」の「ベルモント店」を出て、徒歩でなんとか駅に向かおうとしたその時、車のクラクションが何度か鳴った。
僕たちの後ろから車が来ているのかと振り向いたが、そこには車はなく前方の車道にも走っている車はなかった。
「なんだろう?」と思いながら、そのまま歩き始めるとまたクラクションが数回鳴った。
今度は、ある程度クラクションを意識していたので、音の方向が正確に判った

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海の向こう側の街 Ep.16<念願のNTSC規格の中古テレビと寛容性>

海の向こう側の街 Ep.16<念願のNTSC規格の中古テレビと寛容性>

 いよいよ「ベルモント」にある「Cash Converters」へ向かい、取り置き済みの「NTSC規格の中古テレビ」を手に入れる日が来た。
昨晩は、僕とタカで夜遅くまでギターを弾いて過ごしていたのだが、特に朝からの予定もないので十時頃までウダウダと寝ていた。
朝起きると、タカはまだ起きておらず、僕はジーパンとTシャツに着替え、冷蔵庫から冷えたコーラを一つ取り出し、ベランダに出て窓を閉め、まだ見慣れ

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海の向こう側の街 Ep.13<タカとの出会い>

海の向こう側の街 Ep.13<タカとの出会い>

 夕飯の仲間たちともすっかり打ち解け、ブリタニア・ユースホステルも自分の家のように慣れ親しんできた。
ただ、このままでは些か消費が激しく見通しが少し不安に思えてきた。
日々の出費と、これからの残金を考えると生活は出来そうだがやはり不安は拭いきれなかった。この間の韓国人たちは一つの部屋を複数人でシェアして住んでいた。
ひょっとすると、定住する僕はそっちの方が安上がりなんじゃないか……
僕は一度考え込

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海の向こう側の街 Ep.12<オーストラリアと日本と韓国と>

海の向こう側の街 Ep.12<オーストラリアと日本と韓国と>

 マクドナルド、サブウェイ、ハングリージャックス、サムライという昼食ローテーションは、いくらジャンクフード好きの僕でも流石に飽きてきた。
僕の昼食ローテーションをそろそろ見直し、新規開拓する必要が出てきた。
今とは異なり当時は、海外で日本のように牛丼やラーメンが気軽に食べれる時代ではなかったし、オーストラリアで食べる日本食はサムライを除いて基本的に価格は高く、また異質仕上がりのものが多くこの地で有

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海の向こう側の街 Ep.11<増える仲間>

海の向こう側の街 Ep.11<増える仲間>

 ユースホステルの前でボディボードのためにコテスロー・ビーチに向かうマリをみんなで見送ったあと、残ったメンバーで今日のプランについて、オーストラリアの明るく眩しい日差しの下で話し合っていた。
一台のタクシーがユースホステルの前に止まると、僕たちは自然とタクシーに視線を向けた。
タクシーの中から、一人の女の子が降り、僕たちの方に向かって歩いてきた。
「こんにちは、ここがブリタニア・ユースホステルです

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海の向こう側の街 Ep.10<外国の中の日本>

海の向こう側の街 Ep.10<外国の中の日本>

 暫くの間、一人で市内観光を続けた。
一度だけ、ユースホステルから十ドルでレンタルサイクルをして市内観光を試みたことがあった。料金と引き換えにヘルメットと自転車の鍵を渡され、レンタルサイクルが置いてある場所まで案内された。
「自転車に乗る時は、必ずヘルメットを被っておかないと逮捕されるよ」と、僕にでもわかるゆっくりとした英語でイーストウッドが教えてくれた。
 僕はイーストウッドに礼を言って、ヘルメ

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海の向こう側の街 Ep.09<世界で異なる当たり前>

海の向こう側の街 Ep.09<世界で異なる当たり前>

 翌日、約束の時間にダイニングへ向かうと、コウとエミとハルカの三人が待ってくれていた。
三人に礼を言って頭を下げると「そんな大げさなことじゃないよ、気楽に行こうよ」とコウから背中をポンと叩かれた。
 どうしてもサラリーマンの癖が抜けない。実際に、ほんの数日前までサラリーマンをしていたのだから、仕方がないといえば仕方がないことなのだが……
 コウは神戸から、エミは千葉から、ハルカは神奈川からオースト

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海の向こう側の街 Ep.08<カレーと米と品格と>

海の向こう側の街 Ep.08<カレーと米と品格と>

 この二~三日ほどは、午前に市内観光してマクドナルドで昼食を摂り、夕食は当時日本に無かったハングリー・ジャックス(バーガー・キング)で済ませるというサイクルを繰り返していた。
マックシェイクにLサイズがあるところ以外は、さほど日本と変わらないマクドナルドよりも、ハングリー・ジャックスのこれまで僕が想像していたハンバーガーの大きさとダイナミックな味付けが気に入りかなりハマっていた。加えて、パースの街

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海の向こう側の街 Ep.07<辿り着いた夢の中>

海の向こう側の街 Ep.07<辿り着いた夢の中>

 ガラス越しの街を眺め、高揚感を精一杯抑えながら僕は、ユースホステルの玄関の扉をゆっくりとそして力いっぱいに開けた。
僕は新しい扉の敷居を跨いで、海の向こうの街に一歩足を踏み出した。
続けて、ヘッドフォンのリモコンで再生ボタンを押すと、ジーパンの右後ろのポケットに入れたMDウォークマンが作動しイーグルスの『Take it easy』が、僕の耳だけに流れ始めた。

 燦々と輝く圧倒的に眩しい太陽と、

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