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海の向こう側の街 Ep.17<セガサターン、大地に立つ>

 僕たちが「Cash Converters」の「ベルモント店」を出て、徒歩でなんとか駅に向かおうとしたその時、車のクラクションが何度か鳴った。
僕たちの後ろから車が来ているのかと振り向いたが、そこには車はなく前方の車道にも走っている車はなかった。
「なんだろう?」と思いながら、そのまま歩き始めるとまたクラクションが数回鳴った。
今度は、ある程度クラクションを意識していたので、音の方向が正確に判った。
僕たち二人は、ほぼ同時にクラクションの鳴った方向を向くと「バーズウッド駅」から僕たちを送ってくれたあの中年夫婦の車が、反対側の道路の端に停車して、男性が僕達に向かって手を振って何かを言っていた。
「頑張って、気をつけて帰るんだぞ」
彼の口ぶりと声の感じと、男性の表情からそう受け取れた。
本当に映画の中のワンシーンのようで、何気ないその気遣いが嬉しかった。
僕はテレビを両手で持っているので、遠くからでもわかる様に割と深めのお辞儀をし、タカは帽子を取って、深々と頭をさげ歩き始めた。
再び、クラクションが鳴った。
男性を見ると、彼は車の後ろのドアを開けて親指でクイっクイっと指した。
僕とタカは顔を見合わせて「これは送ってやるから車に乗れって事だ!!」と、思わず僕たちはそう叫んだ。
 あの夫婦は僕たちを「バーズウッド駅」からここまで送ってくれる時に、予め僕たちの帰りのことも考えていて、僕たちがお店から出てくる間に、復路になる方向に車を回して車の中で待っていてくれたのだ。
僕たちは慎重に車道を渡り、ご夫婦の車の元に向かうと、奥さんに手伝ってもらいながら十四インチのブラウン管テレビをトランクに入れさせてもらった。男性はタカに「バーズウッド駅で良いか?」と確認し、ご夫婦は僕たちと少し重たいテレビを乗せて車でバーズウッド駅まで向かった。
タカは感謝と御礼の気持ちを出来る限りの英語で伝え、男性は車を運転しながら「気にするなよ」と言う感じで左手を扇ぐようなボディランゲージをしていた。
こんな「奇跡」って、そうそうあるものなのだろうか?
僕たちは、単純に「Cash Converters」の「ベルモント店」までの道を教えてくれるだけで良かった。
「この道を真っ直ぐ行って、○○ストリートで左だよ」とかで十分だった。
その後、僕とタカは汗をかいて、足をパンパンにして、テレビを持って帰ることが出来ればそれで御の字だった。
 もし、これが「日本」で立場が全く逆だったらどうだろうか。
僕たち日本人は、道に迷っている外国人を車で目的地まで送り、彼らの目的が終わるまで復路の為に反対車線に車を回して止め、店から出てくるのを車内でわざわざ待ち、外国人が店から出てきたら今度はクラクションで呼び止め、最初の駅まで再び車で送る事なんて出来るだろうか。
無理だろうと思う。きっと殆どの人はそんなことをしない
少なくとも僕は、そんな「親切心」と「寛容性」は持ち合わせていない。
まして、相手は自分たちよりも若く両方とも男だ。
ひょっとしたら、タチの悪い奴かもしれない。
精々、片道を送ってあげる所までが精一杯だろう。
なのに外国で、全く右も左も判らず、英語も十分でない上、見ず知らずの人にこんなことまでしてもらえるのは『奇跡』以外のなにものでもないと今でも強く思う。
英会話があまり堪能ではない僕たちは、車中でご夫婦とうまく話せないまま、あっという間に「バーズウッド駅」に到着した。
また奥さんにトランクから少し重いテレビを出すのを手伝ってもらい、ご夫婦二人共に力強く握手をし、帽子を脱いで深々と頭をさげてお礼を言った。
また、男性は「気にするなよ」と言う感じで、再び手で扇ぐようなボディランゲージを照れくさそうにしてご夫婦は車で僕たちの元から今度は完全に去って行った。
 いつか、どこかの誰かが僕に海外と日本の決定的な違いを教えてくれたことがあった。それは海外は「宗教」の上に「文化」が形成されており、行動一つ一つに宗教がしっかりと根づいている。一方、日本は海外とは異なり、宗教弾圧を繰り返してきた結果、GHQが定めた憲法に宗教の自由は記載されたものの「文化」の上に「宗教」が乗ってしまったため「宗教」が宗教として根付かずに「ビジネス」として捉えられ、仏教の国と皆が勘違いしたまま生きていると。
確かに、クリスマス(キリスト教)を祝った数日後には、除夜の鐘(仏教)を聞いて初詣(神教)に行く国だ。
あのご夫婦も、キリスト教の教えとしてある「汝の隣人を愛せよ」を、ごく普通に「文化として」実行しただけのことなのだろうか……。
僕たちがもっと英語が出来たら、深く色んなことが聞けたのになと心から思った。
ともあれ、海外と日本の懐の広さというか、寛容性の違いをいろいろな側面でまざまざと見せつけられた。
僕たちはバーズウッド駅からアーマデール線に乗り、パース駅で降り、慎重にテレビを運びながらフリーマントル線に乗り換え、文字通り最寄りのビクトリア・ストリート駅で降りた。そして、再び慎重にテレビを持って家の階段を登り、僕たちの部屋にまで大切に運びこんだ。
これまでの苦労と親切なご夫婦の助けを得て、いよいよ「セガサターン」を楽しむ時が来た。この時の為に、日本から持ってきた変圧器とオーストラリアのコンセントに合わせるため(こちらは日本の垂直に二本ならんだ形ではなく、カタカナのハの字型のコンセントになっている)コンセントの形状変換をし、部屋のコンセントに丁寧に差し込んだ。
次は「セガサターン」の電源ケーブルを変圧器に差し込み、タカが英語でしっかりと確認を取ってくれたビデオの入力端子に「セガサターン」のビデオケーブルを繋いだ。僕はすぐにテレビの電源ケーブルを部屋のコンセントに差して、テレビの電源を入れて「VIDEO 1」に切り替えた。
「映ったっ!!」
ついに、セガサターン(厳密にはハイサターン)がオーストラリアの大地に立ったのだ。僕たち二人は、大声を上げて歓喜した。
これで、深夜に退屈な時は家でゲームが出来る!!
今考えれば、こんなつまらない事を達成する為に、想像以上の時間と労力を使い、沢山の人の助けを得て達成した。
なにより、テトリスしかゲームを知らなかったタカは、テレビゲームそのものに興味を持っていなかった。ただ僕を助けたいという気持ちでここまで付き合ってくれたことと、ここまでの尽力はひとえに彼の温かい親切心なのは判っていた。
これほど心温かい人はこの世にいるんだろうかと思うほど親切な男だ。
折角なので、テトリスも優れたゲームだけど、ここに持ってきた色々なゲームを紹介して興味を持って欲しいと思った。
一通りざっくりとゲームを紹介すると、彼が興味を持ったのは「バイオハザード」と「ときめきメモリアル」だった。タカにゲームの目的と進め方を一通り説明すると、その日からタカが僕よりも「遅く寝て」僕よりも「早く起きて」ずっと「ときめきメモリアル」に没頭するようになったのは全くの計算外だった。
翌日にタカと出かけ、足りない生活用品を手に入れようとサムライの掲示板に向かった。どれかめぼしいものは無いかと探していると、フリーマントルで「鍋や食器など生活用品をお譲りいたします」という張り紙を見つけた。
それを見つけて喜んでいると、一人の日本人男性が僕たちに声をかけてきた。
「俺、ユーゴ。自分等なんて名前? どこから来たん? いくつ?」と、突然見ず知らずの人間から矢継ぎ早に声をかけられた。もちろん僕の友人でもないし、タカの挙動を見ている限り見ず知らずのようだった。
とりあえず、出身地と名前と年齢を伝えると「そうなん? 俺兵庫県やねん広島と大阪やったらこりゃ偶然オレらみんな西側やなぁ。あ、ここオーストラリアやから俺は一個下やけど敬語とか別にいらんやろ? ほなまたな。You Goでユーゴやで、覚えといてな」と言って、僕の肩をポンポンと二回ほど叩いて去って行った。
なんか気分の悪い奴だったので、次あってもある程度距離を保ちながら接することに決めた。ともあれ、すぐに近くの公衆電話から生活用品をゲットするために急いでタカが電話をした。
相手は女性で、できれば今から取りに来てもらいたいと言われたので、折角パースシティまで出てきたのに、とんぼ返りで記載されたフリーマントルの彼女の住所に向かった。
フリーマントルのど真ん中の比較的判りやすいマンションで、中から出てきたのは全く化粧っ気はないが気さくそうな綺麗なお姉さんだった。
関東の人らしく、チャキチャキと歯切れよく話すのが特徴的だった。
「東京とかよくいかれていたら、パースシティは小さく感じたんじゃないですか?」とタカが食器や鍋を受け取りながら彼女に聞いた。
「パースシティじゃなくて、パース商店街でしょ?」とケロッと彼女は言った。
 確かにその規模かもしれないなと感心していると「ねぇ、フライパンとかお鍋とかいる? いるならそのままあげるけど?」と彼女は言った。
「あぁ、あると助かります。ありがとうございます。」と僕は言った。
「確かに商店街レベルですよね」とタカは彼女に言った。
「そうよ。私、シティは嫌いだけど、このフリーマントルって好きなのよ。味わいのある港町でしょ? 大体こっちで事足りるし、特にシティに行く必要ないから」と言って、鍋やら薬罐やらを頂いた。
「そうだ、こいつパースについたらスケートボードを覚えるって言って、ちっともとりかからないんですよ、なんとか言ってやってくださいよ」と、突然タカが彼女に言った。
確かに数日前の電車でそうは言ったが、そんな簡単にスケートボードを買って街中を滑るのは勇気がいることだし、ターゲットで買ったスケートボードは子供用でまともに滑らなかった。(この街の何処かでちゃんとしたスケートボード屋を見つける必要があった)
「そりゃ、やるって言ったらやらないとね。あんなの日本でそうそう出来ないよ。早くスケートボードやりなさいよ」と、彼女は笑いながら僕に言った。
 それにそもそも、タカには人見知りという概念が存在しないのか、本当に女性好きなのかわからなかった。
明日には東京に帰るので見送りはなしだったが、ともあれ僕たち二人は文字通り、両手いっぱいの生活用品をもらって帰ることが出来た。
その途中でフリーマーケットを開いている所に差し掛かり、ぼんやりと眺めていると安くて手頃な薄手のラグを見つけた。
なんともオリエンタルな柄で、価格もお手頃だった。
僕はそのラグを買い足し、家に帰ると一斉に生活準備を整えた。
家の帰りに寄ったスーパーで買ったステーキを焼いて、文字通り一通り揃った我が家を祝してコーラで乾杯をした。
タカが焼いたステーキは、自負していたことだけあって絶品だった。
「このステーキを焼いたシェフを呼んでくれたまえ」と、僕は手を上げてタカに言った。
「何でございましょうか」と、タカが膝を付くふりをして僕に聞く。
「このレストランを三つ星レストランと認める!」と、僕が言う。
「ありがたき御言葉」とタカが言って、ゲラゲラと二人で笑った。
 僕は洗い物を済ませると、食後のタバコをベランダで吸っていた。
折角の外国なのだから、広いキングス・パークでジョギングに打ち込むなり、サーフボードを買ってサーフィンを覚えるなり「この時しか出来ない」事は山の様にあったはずだが、タカはすっかり「バイオハザード」と「ときめきメモリアル」に夢中になってしまった。
本来は僕がゲームをするつもりだったが、結果的にタカが一番ゲームをしていて、僕は殆どゲームをする時間がなかったくらい彼は夢中になっていた。
タカがときどき僕に気を遣ってゲームを代わろうとした時、僕は「遠慮なく遊んで」と、そのまま彼が遊ぶように促した。
「どうして?」と、彼は僕に聞いた。
「タカにとって、ある意味、今しか体験出来ない事やと思うんよ。きっと日本に帰ると、今みたいにゲームに打ち込む事はしないし出来ない。こんなダラダラと過ごす事は多分今しかできないし、テレビゲームってオタクの物ってイメージがあるかもしれないけど、実は結構面白いから、ある意味日本人同士の異文化交流にもなると思うんよ。あと防犯にもなるしね」と、笑いながら言った。
オーストラリアは基本的には安全なのだが、意外に空き巣が多く、実際被害にあった人の話を何度か聞いた。加えて、日が落ちて暗くなると、いくら安全な国とはいえ具体的にどこがガラが悪いか判らない。それに、文化も人種も全く異なることから、見た目や顔つきでどんな人がタチが悪い人なのか全く検討がつかなかった。
だから、安全に楽しく過ごす為にも、あまり外に出ない方が良いと僕たちは考えていた。なので、タカが夜遅くから朝早く迄、ゲームに打ち込むのは防犯対策としては完璧だった。
「判った、そこそこ腕に覚えはあるから、空き巣が入ってきたら、このテレビとゲーム機は命に代えても守るよ!」と、彼は言った。
「いやいや、他にも守るものがあるやろ」とツッコんで、ゲラゲラと他愛もない冗談を話し続けていた。
その後、タカは約三ヶ月の間、どっぷりとゲームに嵌り「バイオハザード」はクリス編とジル編の両方をクリアしていた。
途中に然程支障のない程度の小さな分岐が有るのだが、その小さな分岐もきちんと両方確認して納得行く方向でゲームを進めたそうだ。
また「ときめきメモリアル」は何度も何度もプレイして、隠れキャラクターも含めて全てクリアし、タカのお気に入りの「朝日奈夕子」というキャラクターは、早朝に「朝日奈夕子」で一回クリアしてから本編を始めるという、常軌を逸したクリア方法でトライしていた。当たり前のように「朝日奈夕子」のセリフは全て暗記していた。
この「朝日奈夕子」というキャラクターはどちらかと言うと、勉強が不得意で明るく楽しく遊ぼう!という感じのキャラクターで、どちらかと言うと勉強が出来るタカとは全く異なることから、僕は「意外と軽い感じのキャラクターが好みなんやね?」と、彼に聞いた。
すると、彼はとてもしんみりと「いやぁ、こんな感じの軽いノリの子が一番ホッとするのよ~」と言った。
僕は「僕は片桐彩子が一番好きなんよ」と言うと、彼は「彩子ちゃんも良いよね~、ただ軽さが足りないのよ、ノリの軽さがね。朝日奈夕子ちゃんは『ねぇいいじゃんか。おねが~い、どっか連れてってぇ~』っていう、このノリが最高やね」と、とうとうタカはゲームか現実か判らなくなってきてるんじゃないかと、心配するほどになっていた。
何回「朝日奈夕子」をクリアしたのか聞いてみたら「クリアじゃなくて早朝デート。回数なんかもう判らんよ」と言っていた。
タカは「バーチャファイター2」や「セガラリー・チャンピオンシップ」等、アクション性が高く何度でも遊べるゲームはあまり好まず、彼はストーリー性のある物を好んでよく遊んでいた。
ある日、彼と話していた時に「立派なオタクになってるって気がついた?」と、嫌味っぽく尋ねてみた。
「おうよ、もうオタク万歳って感じやね、勘違いしてたよ。ゲームは面白い!」と、目を輝かせてタカは言った。
僕は「そりゃ良かった」と言うと、彼は「俺は「バイオハザード」と「ときめきメモリアル」は、一生忘れる事は無いよ。絶対に」と、自信満々に僕に言った。
「なんでよ?」と、僕は純粋に彼に聞いた。
彼は「そりゃ、それだけ楽しい時間を過ごしたって事よ。忘れる事なんて出来ないっしょ!? 俺の大切な思い出の一つなんだから!」と、誇らしく僕に言った。
「朝日奈さんも?」と聞いてみたら「もちろん、俺の彼女よ!」と、自信を持って明言していた。
日本にいた時は、そんなことを口に出そうものなら「オタク」だとドン引きされる言葉だが、ここオーストラリアのパースに住んでいる僕たちは、テレビの購入とセガサターンを通じて、様々な形で人が持つ認識や価値観の違いと寛容性の重要さを学んだ。

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