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海の向こう側の街 Ep.19<酒とタバコとホームシック>

 僕はパスタを食べ終え、食後に煙草を吸うためにベランダに出て、二十五本入とはいえ当時でたった一つだけで約七百円もする今日買ったマルボロの外箱にこれでもか!と書かれている注意書きをみて少し引く。煙草を吹かし、こうやって完全に異国で一人ぼっちでベランダで寛いでいると、日本で日頃何気なく親や友人達と気兼ねなく話していた当たり前の日々をふと思い出した。
今の僕がいるこの場所は、テレビをつけても全て英語で何を話しているか全く判らないテレビ番組ばかりで、本屋に行ってももちろん全て英語の本ばかりで、気軽に読めるものは何一つとしてない。
『日豪センター』のような日本人向けのコミュニティースペースに行くと日本の本が読めるが、一ヶ月落ちの雑誌やコミックスが「新刊」とされて置かれてあり、そこに真新しさは全くなく到底僕の心を埋められるものではなかった。
煙草を吸いながら夜でもある程度スコンと見渡せる、眼の前の閑静な住宅街の風景は、オーストラリアに来て見慣れてきた夜の海の向こう側にある街の情景で、僕はこれからこの地に住み続けることになるんだ。
「いや、むしろスタートしたばかりだ」
 そう思うと、心の底から寂しさが一気にこみ上げ、気がつけば涙を流しマルボロを落とさないようにしながら見渡しの良いベランダで一人嗚咽していた。
その異変に気づいたタカは、ベランダの窓を開けて「どうしたん?」と心配してくれた。
「日本に帰りたい・・・。」と、僕は覇気の無い声で言い、まるで子供のように泣いていた。
「どしたん? いつも横山やすしみたいに元気に喋るから、絶対にユキオはホームシックからは縁遠いと思ってたよ」と、彼は泣き崩れている僕を見て言葉を詰まらせた。
「大丈夫、今まで色んな人を見てきたけどユキオは強いから、そんな弱気なことを言うなよ。それこそアホだよ。ひとしきり泣いたらスッキリすると思うから、落ち着いたら部屋に入ってシャワーを浴びて寝ると良いよ。大丈夫」とタカは言って、彼は僕に気を遣ってゲームを止め、先にシャワーを浴びて寝室に入った。
翌日、タカは僕を気遣ってか、カズさんとサナエさんと僕たちと一緒に、僕たちの部屋で食事をする場を設けてくれた。
カズさんは、箱の形の赤ワインと紙巻きたばこを持参し、サナエさんは料理を振る舞ってくれた。
箱の形の赤ワインは僕たちの間では「箱ワイン」と言われ、今では日本でも見かけるようになったが、当時の僕たちにとっては物珍しく、なんと二リットル千円程度で買えた。
箱の下部を指定通りに破るとプラスチックのひねり口が中から出てきて、そこをクイっとひねるとワインが出てくる仕組みになっていた。
紙巻きたばこは、当時の日本でマルボロやラッキーストライクが二百五十円だった時代に、二十五本で約七百円の値段をしていた。
が、カズさんとサナエさんが教えてくれた「紙巻きたばこは「煙草」と「紙」と「フィルター」をセットで買えば約二十本で二百五十円程度で済んだ。
「普通の煙草買うより、断然こっちの方が経済的だよ。巻くのは面倒くさいけどね」と、カズさんから巻き方を直接教えてもらった。
「どうしていつも、決まった時間に波に乗りに行かないんですか?」と、僕たちが不思議に思っていた疑問をタカがサナエさんに尋ねると「あぁ、私たちはいつもラジオでそれぞれの波の情報を聞いて、天候と時間を考えて極力ベストなコンディションになった海を選んで行ってるんよ。良い波ってのは、いつもの決まった場所に決まった時間に行っても乗れないものなんよ。言うても相手は自然やからね」と、判りやすい口調で説明してくれた。
サナエさんは、カウチにおいてある僕たちのギターを見て「折角やから、なんか弾いてよ」と言った。
カズさんが「そうそう。時々、ギターの音色が聞こえてくるよ。なかなか上手だよね」と言った。
僕たちは、それを聞いて何を弾こうかと考えたが、普通に一曲弾いても照れくさいし、盛り上げるほどの腕も持ち合わせていない。
そこで、僕はカズさんとサナエさんに毎晩行っている「And I Love Her検定試験」の話をしてみた。
『And I Love Her検定試験』とは、タカは普段、無意識だと弾けるビートルズの名曲「And I Love Her」という楽曲を、実際にビートルズが演奏している「And I Love Her」の曲に合わせて一緒に演奏をし、僕が審査員として、拍子がずれていないか、フレットを押さえそこねていないかなどを見るというものだ。タカがギターソロの部分になると決まってミスるのが面白くて『And I Love Her検定試験』と称して、毎晩行っている事を二人に話した。(この試験は一つたりともミスは許されないので、ある意味国家試験より厳しい試験だった)
すると、サナエさんもカズさんもその話を聞いて面白がった。
「じゃあ、その検定試験を今からやろうよ。私たちも審査員をやるからさ!」と嬉しそうに言った。
タカは、渋々ギターを手に取りチューニングし、僕は『And I Love Her』を再生する為に、僕のMDプレイヤーをテレビ経由で再生する準備を整えた。
僕たち二人の準備が整うと、タカはわざと戯けて改まり、カズさんとサナエさんに向かって「受験番号一番。タカと申します、よろしくおねがいします」と、僕たちに言って一礼した。
「今回は審査員が多いですが大丈夫ですか? では、始めますよ。準備はよろしいですね?」と僕は言うと、彼は強く頷いた。
 僕は静かにMDプレイヤーの再生ボタンを押した。
曲は始まり、彼は出だしから順調に演奏をして、カズさんとサナエさんを驚かせた。そして、問題のギターソロのパートになった。
案の定、彼は途中からミスを連発し、僕たちはゲラゲラと笑って盛り上がった。
「緊張がそうさせるんだろうね。確かに酷いミスだった」と、カズさんが笑った。
 僕たちはサナエさんの手料理を食べて、箱ワインを飲んで、煙草を吸って、何度も『And I Love Her検定試験』にトライするタカのミスを聴いて、タカ自身も含めて僕たちは笑い転げていた。
気がつけば、サナエさんの手料理もワインも無くなって良い頃合いとなり、お開きとなった。
タカが、ホームシックになっていた僕を気遣ってくれ、隣に住むカズさんとサナエさんも協力してくれ、こういった場を設けて励ましてくれたみんなの気持ちがとてもありがたかった。ただ、今のタカはかなりワインを飲んで良い感じになっているので、お礼は明朝に言うことにして、僕たちはシャワーを浴びて各自のベットルームで眠った。
 次の日の朝、僕の行きつけのお店に向かおうと準備していた時、彼は「いつもどこの店に行ってお菓子を買ってるん、俺も一緒に行って良い?」と珍しく尋ねてきたので、二つ返事で承諾して、二人で僕のお気に入りのお店に向かった。
お店につくと、彼は「なかなか渋い店やねぇ。気にいる理由が判るわ。外国で馴染みもないのに、どことなく懐かしい感じがするね」と言って、甘い物が大好きな彼は「ティムタム」と「パワーエイド」という、着色料が派手に効いていそうなスポーツドリンクを買った。
僕は、いつものお気に入りの「SMITH'S」というポテトチップスとコーラを買った。
店を出た時「どうせだったら、このビクトリア・ストリートを一番端まで歩いてみようよ」と、タカは言った。
 天気も良く清々しい朝だったし、僕も知らない道を歩くのは大好きだったので、二つ返事で快諾した。
ただただ、僕たちはビクトリア・ストリートを東に向かってずっと歩いた。
途中には日本にもありそうな、いわゆる『団地』があり、そこにはどうやらアボリジニの人たちが数多く住んでいるように思われた。
また、途中に小学校があり、映画やアニメのスヌーピーに出てきそうな独特な外観で、日本のリズムとは全く異なった元気な子供達の声が聞こえてきた。そうかと思えば、この街にあまり似つかわしくない、日本のよくあるどちらかと言うと古めのアパートのようなマンションのような団地のような建物(フラットであるのは違いない)があったり、突然高級そうな住宅が並んでいたりと、歩きながら見ていて全く飽きなかった。
日本でもそうだが、シムシティのように「パカッと」高級住宅とそうでない住宅が分かれるものでもなく、どういう理屈か中間層も合わせて程よく混在していた。
僕とタカはあっという間に、目的の一番端となる『オーストン・ストリート』とのT字路にたどり着いた。
さて、このまま戻るか、ついでなのでどちらに曲がるか悩んで、なんとなく僕たちは左右を見渡すと、左の北側にとてもキレイな海が見えた。
僕とタカは、まるでその美しい海に引き寄せられるように左に曲がり、歩みを進めていくと、海のように大きいスワン川の湾になっている『モスマン湾』を一望できる素晴らしい公園にたどり着いた。
そこは『ベイ・ビュー・テラス』と言う場所で、文字通り僕たちは息を呑んで、広大に広がる『世界一美しい街』を眺めていた。
折角なので、そこでさっき買ったお菓子と飲み物で即席ピクニックをして、僕たちはそこで寛ぐ事にした。
自分自身が、なんてちっぽけなんだろうと思えるほどの圧巻の美しい眺めは、僕を完全にリセットしてくれた。
「どう?この景色をみたら、ホームシックなんかぶっ飛んだんじゃない?」と、タカが僕に言った。
「ホンマに。これみたら綺麗サッパリと無くなったわ。こんなごっついキレイな景色が、わりと家のすぐ側にあるもんなんやなぁ。まだまだいろんな景色をこの目に焼き付けなあかんから、泣き言を言うて日本に帰れるもんか。ホンマに色々とありがとうな!」と、僕は言った。
「それでこそ、俺の横山やすしだよ。しかしっ!」と、タカはサングラスの鼻当ての部分を人差し指で上げ、横山やすしさんのモノマネをしながら僕に言った。
 彼はサングラスで、厳ついスキンヘッドでありながらも(もちろん帽子は被っている)、表情はいつもの柔らかい笑顔だった。
僕は笑いながら「ありがとう」と、タカにお礼を言った。
場所は変われど、心を支えてくれるものは、英語や現地の知識ではなく『』なんだと、異国の地で深く思い知らされた。

彼に数多く支えられた

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