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女の幸せってなんなの。

映画「ストーリー・オブ・マイライフ」を見た。

私は原作の「若草物語」を読んだことがないから分からないが、
2020年公開のこの映画は、敢えて現代らしく「女性の生き方」にフォーカスしてるのだろうか。

主人公含める4人娘に対して、先生のような存在であるマーチおばさんの多くの台詞は、簡単に言えばこうだ。

お金が無きゃ幸せにはなれない。
女だけではまともに稼ぐことは出来ない。
だからこそお金を稼ぐ男との結婚が1番の幸せだ。


四女のメアリーもこう言う。

私は天才じゃないから絵を描くことで食っていくことは出来ない。だから結婚するの。
結婚と生計を立てていく事は結局繋がってしまう。


極め付けに、結婚しないと断言していた主人公のジョーが行き詰まった時の台詞は、ナイフのように突き刺さる。

今は愛するよりも愛されたいの。
結婚する事や家族を持つ事だけが女の幸せじゃない事は分かってるわ。
それでも、今は寂しくてしょうがないの。


これらの台詞たちに、「古いな」という違和感と、思わず涙が出るほどの共感に圧倒される。



わりと最近まで、女というのは1人で生きていけないものだった。それはどこの国でも同じだったようだ。

お金を稼ぐのは男の役目。女は家庭に入ってろ。結婚せず、子供が作れない女には価値がない。働いたとしてもロクにお金がもらえない。

この物語の姉妹のように、小説が書けても、絵が上手くても、ピアノが上手くても、女というだけで才能を見出してもらえる可能性が低くなる。そしてそれを評価する多くは男である。

若いうちに結婚しろだの子供を産めだの好き勝手言われる。言うのはもう産むことの出来ない年寄りもしくは男たち。

そんなことを言われるのは、時代がそうだったから。女はお金がもらえないから、実際に、本当に、女だけでは生きていくことが出来なかったから。

男に頼らなければまともに生きていけない。
それが「女の姿」だったから。


じゃあ現代ではどうか。
少なくとも映画の時代とは違う。


結婚する事や家族を持つ事だけが女の幸せじゃない事は分かってるわ。
それでも、今は寂しくてしょうがないの。

ジョーのこの台詞だけは、時代を感じさせない、むしろ現代の台詞じゃないだろうか。


私たち女も、好きなことを仕事にして生きていけるし、お金を稼ぐことができるようになった。
恋人がいるとかいないとか、結婚するとかしないとか、そんなことはどっちでもよくて、それは幸せか不幸せかには関係ない。

だけど、少なくとも25歳を超えれば結婚ラッシュだの、30歳までにどうするのだの、世間からも自分もどことなく不安要素が生まれてしまう。

1人で生きていくことの不安と、寂しさと、周りからのマウントやプレッシャーやら。1人でだって生きていけるのに。
しょうもない男と付き合うくらいなら、自分1人で十分幸せなのに。

こんなにも自由なのに、寂しくてしょうがない。


今でもイスラム圏の一部の国や、インド、韓国など、女性差別や性別での格差に悩まされる国はたくさんある。日本だって例外じゃない。問題はまだまだ多く残る。

黒人差別と同じで、女性差別は根深い。こんなに恵まれた場所で生きていても、それだけは分かる。

早く結婚するべき。子供産むべき。それが女の幸せ?そんなわけないのに。

そう言うのは年寄りや男だと言いながら、私たち女自身だって、心の奥の根深いところで、思いたくもないのに思ってしまっているじゃないか。


もう令和なのに、こんなことに振り回されている自分にも嫌気が差し、周りの結婚間近な友達が少し羨ましい。だけど好きなことでお金を稼ごうと全力な自分は誇らしくて、家庭に入るだけの女になるのは絶対に嫌なのだ。

一体いくつの気持ちの板挟みにならなきゃいけないのか。幸せを選ぶことがせっかく出来るのに、たくさんの可能性に悩まされて、無い物ねだりで、本当にめんどくさくて仕方ない。


女性だからって甘く見ないで欲しいという気持ちと共に、若さを強みにねだったり、少しでもよく見られようと美に気をつけたり、女である事を利用してる自分もちゃんといる。

色んな矛盾と戦いながら、バランスをとりながら、面倒臭い気持ちを抱えながら、女としてではなく1人の人間としての人生をきちんと生きなければいけない。


この映画のコピーライトは、現代の女の私たちにとっても、単純で、ものすごく難しい。


今日も「自分らしさ」を連れて行く




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