18才
結構18才になったことに対して絶望してる。早く大人になりたいとは何回か思ったけどこんなに早くなくていいと思った。でもまだわたしは高校生で、子供で、未熟だ。
高校へ行くための定期券の名前の横に「17才」と書いてある。期限は2022.10.31までだ。17才の思い出はまだわたしの中に濃く残っているけれど、目に見える「17才」という文字の記録は今身の回りにこれしかない。31日が来ればもう消えてしまう。なんだか寂しいなと思った。砂浜に文字を書いて見つめている時はなんで寂しくないのだろう。
秋は好きだけど金木犀の匂いは昔から嫌いでちょっと損した気分になる。あんな匂いよりももっと秋の匂いを嗅いでいたいなと思う。秋の匂いってもう匂いというよりかは雰囲気というか、全部だ。なに言ってるかわからなくていいよ。わからなかったあなたはなにも損していません。
学校から帰ってきた時に最寄駅から夕焼けが見られたら必ず写真を撮る。最近はSNSに載せたら負けな気がすることばかりだ。何にも負けなんかじゃないと思うけど意地を張ってしまう。素直さが足りない。でも、いいところでもあると思う。秘密ってとてもきらきらしているからだ。秘密を持つわたしもちょっときらきらしている気がする。それってなんだかかわいい気がする。
中学生の頃、夕方に友達と3人でセブンイレブンにどん兵衛を買いに行った。ちょうど「どんぎつね」のCMが流れ出した頃で、そのクリアファイル目当てに買いに行った。その時の、さむい外であたたかい肉まんを持って友達の会計を待っているあのひとりの気持ちみたいなのをこうして寒くなってくると思い出す。辺りがすっかり暗くなった中で一緒に肉まんを食べた思い出がまだじんわりあたたかい。味が思い出せなくてくやしい。だからもしかしたらピザまんだったかもしれない。
17才になるまでと17才になってからでわたしの人生のフェーズが切り替わっている気がしている。15才のあの絶望が、渇望が、もう何十年も遠い気がする。ずっと遠くで輝く星は鮮明な光を見せているのに。でも、誰かを許してあげようだとかそういうのにもなりきれなくて、あの頃の揺らぎはまだ続いていることを今認識した。でも三半規管強いし、その揺れで吐いちゃうことは今も昔もない。これって結構弱みだ。
過去の自分に対して何かを思うことは全て傲慢な行為だ。わたしはわたし。過去現在未来全部がわたしだけ。全部を抱きしめてあげられるのは全部を知っているわたしだけ。本当は共感なんて要らない。そんなものはないからだ。よく聴いていた音楽を久しぶりに聴いて過去の自分にたまに会いに行く。慰め合う。これを何回も繰り返してきた。スポーツができなくても、数学のテストがダメダメでもドラえもんは現れない。のび太が羨ましかったりもするけど、わたしにはわたししかいないことに安心してしまったりもする。どっちもわたし。
いろいろな思いに悩まされてしまう時、自分に、もしくは他人に嘘をついているんじゃないかって苦しくなるときがよくある。でも最近そういう時は「これは全部が自分だ。」と思うようにしている。この対処法にたどり着くまで17年と数ヶ月かかってしまった。本当なんて本当はない。嘘があるのは嘘だ。でもわたしはここにいる。現実が真実だとは限らないけれど、「我思う故に我あり」だ。
自分をかわいがるとこんな世界も日常も学校もどうでも良くなる。わたしの全てはわたし。そんな全てがかわいいともうそれで満足だからだ。いやでも、わたしの全部がかわいいって訳でもない。まあいいけど。完璧ってかわいくなさそうだしね。
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