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頑張りました。

限りある時間の中で、互いの話を深め合うこと。
  
簡単そうで、簡単じゃない。 
単純そうで、単純じゃない。 

忙しい日々の中で、深め合うことに使える時間はこんなにも短く、 
忙しい日々と”深め合うこと”の両立はこんなにも難しい。 

今回の対話で、改めてそう感じました。 

はじめに 

2回目の哲学対話。 
今回のテーマは "日常” でした。 

今回は対話を行う時間が短く、問いだしの段階で時間が来てしまいました。 なんとか広げよう深めようとしたものの… 
なかなか思うようにはいかないものですね。難しい。本当に難しい。 

さっそくひよっこらしいことになりましたが、 
温かく見守ってくださればと思います。 

対話スタート 

さあ気を取り直して。 
前回同様またひとりずつ、テーマに沿った内容のお話をひとつずつ出します。 

自分の日常で疑問に思ったこと、最近の思い出など… 

ひとりが、友達と、河川敷へサッカーやバレーボールをしに遊びに行ったことを話してくれました。 

サッカーのルールは分からなかったものの、 
「足でボールを蹴ればいい」 
という共通のルールだけで楽しく遊ぶことが出来たそうです。 

いろいろ反則等ありますが、サッカーのルールを知らない参加者も多く、 
このルールに納得する様子がありました。 


またあるひとりは、学期末の課題が終わり、趣味に集中出来ているという近況を話してくれました。 

デザインを学ぶ学生なのですが、課題としての作品と趣味で作る作品は別なのだと。 そこから、義務で作るものと趣味で作るものの違いは何か、という問いを出してくれました。 

(授業成果物としてだったら、確かに自分の思考100%は盛り込まないかも…) 
私もその参加者と同じ学部なので、そんなことを改めて感じました。 


またまたあるひとりは、右が右でなかったら左は何になるのか、という話をしてくれました。 

その参加者は自転車のハンドルをひしゃげてしまったようで、右にハンドルを切っても右には進まないことになってしまったそうです。 
そこから、右が右でなければ…。例えば、右がコーラなら左は何になるのか。そんな問いを出してくれました。 

小さい頃、右でなくともひとつは考えた事があるはずの 
”○○でなければ、△△なのか。はたまた□□なのか”問題。 

純粋に面白いなあと感じました。 
本人のひっそりとこっそりと日常で考えて欲しいという希望もあり、 
これからの日常の楽しみをゲット出来ました! 


他にも様々な日常のお話が出ましたが、 
前回の『檸檬』の対話よりも、身近に感じられる問いや話が多く、 
ニコニコしながら参加者の話を聞いていました。 


そして、今回選ばれたのは、 

"みんなの給食といえば?給食と言ったら何が浮かぶ?" 

という問いです。 


この問いを話してくれた参加者が言うには、 
出身が全員違う友達と給食の話になった際、全く異なる給食ルールがあったそう。 

また、全員が西日本の出身だったのですが、ABCスープは共通で出たようです。 ※ABCスープとは、アルファベットの小さなパスタが入った野菜スープのことです。 

個人的に、給食の話になるとこのスープは毎回登場するイメージがありますね… (私の出身は東日本でしたが、ABCスープはありませんでした) 

そこで、この対話の際にみんなに給食について聞いてみたいと思ったようです。 

話していこう 

まず、ファシリテーターが 

『給食は良い思い出だったか、はたまた悪い思い出だったか』 

と、参加者に投げかけました。 


ひとりの参加者は、良い思い出だと言いました。 

野菜嫌いだった幼い頃、給食を食べることで少しずつ野菜を克服していけたと話してくれました。

小さい頃より、野菜は身体に良いから残さず食べなさいと言われてきましたが、 本心的には食べたくない野菜も多くあったはずです。 

(私もにんじんだけは今でも避けて食べてしまいます…) 

ファシリテーターからは、 
野菜はしっかり食べるべきなのか、という話がありました。 

また、給食を考えてくれる先生がいる学校だったようで、その先生が、 
”食べることは生きること” 
ということが大切だと教えてくれたこともあったようです。 

嫌いなものはもちろんあったけれど、総合してみると良い思い出だったと話してくれました。 


ある参加者は、嫌いなものでも食べなければならない、給食を残してはいけないというルールは嫌だったと話す一方で、 
クラスメイトでどうにかして食べようと工夫しあったことは良い思い出だと話してくれました。 

マーガリンが苦手だった参加者は、スープの下でマーガリンを温めて柔らかくし、それをパンに染みこめせて頑張って食べたと話してくれました。このアイディアは、友達と協力して出し合ったのだとか。 

私は苦手な食べ物は食べれる友達にすぐあげるタイプだったため、 
クラス全体の団結力と、小さいながらに工夫しようとする姿勢に感動しました…! 

確かに、苦手なものに協力して立ち向かうことは良い思い出になるとも感じました。 


また、牛乳アレルギーがあった参加者もいて、 

牛乳に味が付けられるミルメークという甘い液体があります。 
そのミルメークをどうしても味わってみたかったが、自分はアレルギーで牛乳を飲めない。 

本当はいけないと分かっていながらも、こっそりと持ち帰り、 
豆乳に溶かして楽しんだ思い出があると話してくれました。 

罪悪感と幸福感溢れるなんとスリリングな体験…! 

給食は持ち帰るべからず。こんなルールがありませんでしたか? 
これがあるからこそ出来る体験だなと、私もそわそわしました笑 

さらに深く 

様々な思い出が出たところで、 
ファシリテーターがさらなる疑問をぶつけました。 

『給食を食べる上では様々なルールがある。 
残してはいけない、持って帰ってはいけない、好き嫌いしてはいけない… 
どうしてそのようなルールがあるのだろうか』 


私の中学時代では、翌日の放送で前日の給食を完食したクラスが発表される、 そんなイベントがありました。 

クラス自体がこういう催しが好きな雰囲気もあり、 
"食らい尽くしてやるぜ!"と言わんばかりのクラスメイトが結構いました。 (お恥ずかしながら、私もそのひとりでした…笑) 

このイベントがある度に、担任の先生から、 
「この給食を作ってくれた方々、給食の食材を生産してくれた方々への感謝を忘れずに」 
そう言われてきました。 

完食することが、その方々に対する礼儀なのだ、と。 

この出来事を思い出し、 
給食のルールはこういう考えから来ているのではないか、そう話しました。 

話を聞いたファシリテーターからは、その"礼儀"とは一体何なのだろうかとありました。 

私の話を受けてある参加者は、 

大人になればルールの意味合いは聞かずとも理解できる。 
だが、そのルールをつくった意図が見えにくいままイベント化してしまった感覚があると話してくれました。 

イベント化するのは習慣づけるためにも大切だから悪いことではない。 

しかし、例えば、嫌いなものも食べなければならない理由に納得がいかなかったら? そもそも、その理由を説明されなかったら? 

それをする意味が理解できなかったから 
給食という文化そのものに苦痛に感じることもあるのではないか。 

そのように話してくれました。 

小学校という組織は7~12歳の子ども達が一斉に学ぶ場所。 

中学生からはそこまで理解に差はなくとも、小学生に関しては年齢の幅が大きいため、 上学年には理解できても下学年には難しい。 

そんなこともあるのではないかと思います。 

「給食が楽しいか楽しくないかなどは、周囲の環境ももちろん影響するけどね。」 

最後にそう参加者が話し終えたとき、 


終了時間が来てしまいました。 

対話終了 

(ああ、もう少し話していたい…!) 

正直そう思ってしまいました。 

ABCスープが共通だったきっかけから、 
参加者の様々な給食の思い出に触れ、考えに触れ、 

気付いたら、"ルール"という縛りについて話そうとしている。 

対話の時間は本当に不思議な空間にいるなあと、改めて感じました。 

”ルール”という問いにほんの少し指先が触れたのに、問いの姿がぼんやりと見えてきたのに… 
私たちは時間の制限でその問いの内部にさえはい入り込むことが、今回は叶いませんでした。 


今回の対話についてファシリテーターは、 
「今日は着地点をどうしていこうか迷ってしまった…」 

自身の進行がうまく行かず、ちょっとへこんでしまいました。 

たくさんの飛び交う考えをまとめ、ひとつずつ整理していく。 
難しい役目を引き受けてくれていることに感謝し、励まします。 

「ポジティブ!こんな時もあるよ。 
いっそのこと、今日は問いだしの練習ってことにすればいいじゃない! 

…さすがにだめかしら」 

終わりに 

2回目の哲学対話。 
思うように着陸出来ず、前回よりも少しもやもやが残りました。 

もっとたくさん話したいけど、 
みんなそれぞれ事情があって、これだけに時間を割くことも出来ない。 

ゆったりした時間を流れたいけど、 
現実の時間はそれを許さないかのように忙しなく進んでいきます。 

理想と現実の境でもやもや。 
私達がやりたいことはなんだっけ。このやり方でいいのかな。また、もやもや。 

しかし、うつむいてばかりはいられません。 
今回のひよっこらしい失敗も、次へ成長するための大切な経験です。 

人生山あり谷ありと言います。 
今回が谷だったら、次回は山でしょうか。 
もしかしたら、山に見せかけて谷かもしれませんね。 
どちらにしろ進んでいくことは困難な場所だなと思います。 

それでも、一筋縄ではいかないから、面白いこともあるのかなと思います。 


次回が今回よりもよりよい内容になるように、 
皆様応援の程、宜しくお願い致します。 


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。 

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