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「鬼滅の刃」「新型コロナウイルス」「オリンピック」「アナと雪の女王」 「毒親」「発達障害」 今この時代に話題となるのは理由がある    【すべてが共通して教えてくれるたった一つの大切なもの】


あなたは自分のことが好きですか?

親子関係で、そして人と人との関わりの中で悩んでいる人も、そうでない人も今よりもっと楽しく笑顔になれますように…


みんなの違いはみんなを幸せにする


みんなそれぞれ違うのは当たり前
みんなそれぞれ違うからバランスがとれる
みんなそれぞれ違う役割がある

自分と違う人も、そして自分自身も、誰も責めなくてもいい
人は誰もが不完全であり、完璧ではないからこそ誰もが支え合えるのだから

お互いの良いところは尊重し合い感謝を

お互いの足りないところは成長し合えばいい
それぞれの得意で補い合えばいい
そして誰もが持ち合わせている優しい心で許し合えばいい

困っている人に対して今の自分に何ができるのかを考えていこう
それが最大の自分のためでもあるから

不完全な人を変えるのではなく不完全な自分がまず変わる
自分が少し変われば不完全な相手も少し変わる
相手が変われば不完全な自分もまた変わる

そして波紋が広がるように周りも少しずつ少しずつ変わってゆく

そんな誰もが不完全であり責められることのない安心安全な社会の中だからこそ、一人一人が自分の持っている可能性を最大限発揮することができる

そうして皆それぞれ違う色で光り輝き、人の心も世の中もより明るく豊かになって地球全体が愛で包まれていく…


【親の役割】

私が私を生きていなかった時代

人はみんなそれぞれ違う。
たとえ自分の子でも親とは違う価値観や個性を持った一人の人間。

美点や欠点。
出来ることも出来ないこともみんなそれぞれ違うのに、親は自分のものさしで子を見る。 
完璧な親なんていないのに、完璧を演じて子に完璧を求める。

わがまま
思いやりがない
あんたはダメな子

親によく投げかけられた言葉
そして強制、指示、命令の毎日

"言う事を聞いたら怒らないよ"

条件付きの愛だった

親の好む子になろうと頑張る。
自分なりに頑張ってはいるけど親の思うようには出来ない。
認めてもらえない。
やってもやっても褒めてもらえない。

努力が足りないだけ
弱いだけ        
逃げてるだけ!

私だってこんなこと好きでやってるんじゃない。
あなたの為にやっている。

そう言って親は上手くできない私に罰を与える。

愛が欲しくてまた頑張る
でもやっぱり無理がある
そうして自分を失っていく…

子供はまだ独り立ちできないことを知っているから家から逃げることすら出来ない。

逃げるというのはすべてが悪い行為ではない。
勇気と決断力がいる自分を守る為の手段でもある。
逃げなければいけない時に逃げることが出来なかった人が命を落としていく。

逃げられない私は与えられた環境の中で自分を守るため、親を肯定し自分を否定していく。

親は私の為にしてくれている
私がダメな子だから…

ある出来事をきっかけに自分の人生を生きていなかったことに気づいた。
それからは必死に自分を取り戻してきた。
そして幾度となく親を責め続けてきた。

私の為なんかじゃない。
自分の都合を押し付けただけ!
誰だって得意、不得意あって完璧な人なんて誰もいないのに、私自身を受け入れてくれなかった。
自分の狭い価値観に私を無理やり押し込もうとしただけ!

育ててくれた親を責めている自分に罪悪感を感じ自分も責めていた。

誰が悪いの?

親が悪いの?
自分が悪いの?
どっちも悪い?
どっちも悪くない?
どれ?

その答えをずっと探し求めていた。

それが分からなければ自分は親にはなれない。
自分と同じ辛い思いを絶対子供にさせたくない!
親との関係もこのままでいいわけない。
仲良くしたい。でもできない…
なにより自分が苦しかった。


見えなかった自分の過ちと親の愛

人生も折り返し地点を過ぎた今、いろんな出会いの中からやっと少しずつ気づかされたことがある。


私は親と同じことをしていた。

私は親を責めた。
私は親にも完璧を求めていた。
自分の欠点を責められあんなに辛かったのに私も親の欠点を責めていた。
自分と同じ辛い思いを親にもさせていた。

私は知らず知らずのうちに親に仕返しをしてしまっていた…

私は親に変わってほしかった。

親を責めたのは今までの自分の気持ちを分かってもらいたかっただけじゃない。
これから仲良くやっていくためには私だけじゃなく親にも変わってもらわないと無理だと思っていた。
私にも悪いところはある。
だけど親だって間違っているのだから。
私は私なのに認めてくれようともせず親の思うように無理やり変えようとした。
これからのためにも私のありのままを受け入れてほしい…

それを必死で分かってもらおうと思っていた。

でも私も親と同じ。
親のありのままを受け入れていなかったのは私。
親の気持ちを分かっていなかったのも私。
そして自分自身を否定していたのも私。

私は親自身を変えようとした。
自分の都合をただ押し付け変えられない相手を必死に変えようとしていた。
だから苦しかった。

自分が苦しかったのなら同じように、変わらない私を必死で自分の思うように変えようとした親だってきっと苦しかったはず。

自分が苦しいのは親のせいだと思っていた。
でも違った。
自分で自分を苦しめていただけ。
私は犠牲者なんかじゃなかった。


親からもらった当たり前だと思っていた愛だって当たり前なんかじゃない。

嫁ぎ先の複雑な家庭環境の中、舅から酷い仕打ちを受けても必死に耐えて家族を守り、私達兄妹を育ててくれた。

仕事や家事、育児を要領よくこなし、朝早くから夜遅くまで家族の為に一生懸命働いてくれた。
実家にいる時はお金の苦労などした事はなかった。

どんなに大変な時でも愚痴も言わず毎日お弁当を作ってくれた。
家族の身の回りのことはとにかくまめに手を焼いてくれた。

どんなに忙しくても一年に一回は旅行に行き楽しい思い出を作ってくれた。

忙しい時も愚痴を聞いて私の味方になってくれた。

責任感がありただただ子供の為に一生懸命だった。

言い出せば限りがないくらいのたくさんの愛情を注いでくれていた。

厳しい状況の中で家族を守り乗り越えてきてくれたのは親の気丈さ故。
私には到底できないこと…

そんな状況の中でも与えてくれた愛はたくさんあったのに、もらえなかった愛に傷ついてばかりで見えなくなっていただけ。

そして条件付きの愛だってそれが子供の為にもなると信じていただけ…

たとえやり方は間違っていたとしても、美点も欠点もある不完全な親が、その時代のその時のその人にできる精一杯の愛情を注いでくれた。
それがその親の愛の形だった。
完璧な親なんて誰もいないのだから。

自分が親になって当たり前で、でもとても大切な事がやっと分かった。


苦しい時代を乗り越えやっと辿り着いた答え

親子関係だけではなく、夫婦関係や友達関係、学校の先生と生徒、上司と部下、同僚同士、地域の人達同士、政治家と国民…
すべての人と人との関わりの中でも同じこと。

完璧な人間なんて誰もいない。
人は神様じゃない。

人にはみんな持っているものと持っていないものがあり、それは皆それぞれ違う。
だからみんなそれぞれ違うのは当たり前のこと。

誰しも生まれもった長所や短所、美点や欠点がある。
得意なところもあれば苦手なところもある。
育った時代の背景や育った環境、そしてそれまでの経験によるその人だけの価値感がある。

人の持ちものにはそれぞれの理由がある。
でもそれはすべて人のせいじゃない。

そして人に影響を与えたその人の周りの人達も同じようにそれぞれ違う持ちものがあり、それぞれの理由がある。
でもそれもその人達のせいじゃない。

完璧ではない人達が完璧ではない人を育てているのだから完璧な人などいるはずもない。

人に欠点や苦手なところがあることは誰のせいでもない。
だから自分も人も誰も責めることなどしなくていい。
欠点があるのなら同じ数だけ美点もあるのだから。
人は完璧ではないから可愛い。
完璧ではないから安心できるし支え合っていける。

まずはそんな完璧ではない凸凹のある自分を知り、そのありのままを受け止める。
何が良いとか悪いとか関係なく。

そして大切なのは、今の自分の持っているものに感謝をし、そこから自分らしく少しずつ自分を成長させていくこと。


人には美点も欠点もある。
だから人と人は良いところで付き合っていく。
繋がっていくもの。
だから人の良いところを意識する。
感謝できるところを感じる。

自分の美点を見るように心がけていれば人の美点に自然と目がいくようになる。
逆に自分の欠点ばかり見ていると、人の欠点ばかりに目がいくようになる。
良いところがある自分を好きになり、自分にはない相手の良いところに惹かれ、お互いの足りないところは補い合っていけばいい。
そして許し合えばいい。

だから不得意なところを無理に出来るようにするより得意なところを伸ばしていく方がいい。
誰しも得意なところを生かすそれぞれの役割があるから。


自分の美点が分からなかったら、欠点の裏を見ればいい。
美点と欠点は一枚の紙の裏表のように一体。
同じひとつの特徴。
見方によっては美点にもなる。

淡白→無愛想で冷たい
   だけどさっぱりしていてクール

鈍感→空気を読めない
   だけど人からの評価に左右されにくい

集中力が高い→切り替えが苦手
       だけど一つの事に熱中できる

欠点があるのならその裏の美点は必ずある。
見えていないだけで良いところは必ず誰にでもあるから。
見えにくいところに気づくこと。
それが第一歩でありとても大切なこと。


同じように美点があるのならその裏の欠点だって必ず誰にでもあるもの。
だから上手に出来ない時だってある。
過ちを犯すことだってある。

人間なんだからその日、その時で感情の波だってある。
だから時には自分の都合を人に押し付けてしまうことだってある。

そんな欠点のある自分や人を責めなくてもいい。

"誰のせい?"
なんて考える必要は何もない。
答えはいつも一緒。

"誰も悪くない。
人間は完璧じゃないから"

人に欠点があるのは人のせいじゃない。
人として自然なこと。

欠点の裏には美点だってあるのだから。
そして人の持ちものにはそれぞれの理由もあるのだから。

だから人の行動にも必ず理由がある。
失敗には自分にしか分からない、もしくは自分自身も気がついていないようなその時の自分にはどうしようもなかった理由がそこにはあった。

そして同じように、今まで自分に影響を与えた周りの人達にも、その時にそうしてしまった仕方のない理由がそれぞれにはあった。

だから自分や人を責める必要は何もない。
過ぎたことはいい。
これからが大事!

失敗をただの失敗として終わらせるか。
学びに変えていくかはこれからの自分次第。
貴重な経験を肥やしにして、自分のせいにも誰のせいにもせず、ここから少しずつ変えていけばいいだけ…


でも人はそんな簡単には変われない。
そんな簡単な事じゃない。
人にはそれぞれ違う感じ方や考え方があり、それにもそれぞれの理由がある。
だからその人の心や思考はその人のせいでも誰のせいでもない。
人の心や思考は自由。
簡単に変えられるものではない。

自分だってもちろん変えるのは難しい。
だけど自分の行動は変えられる。
相手や、自分の心は変えられなくても自分の意志で自分の行動は変えていける。

自分の行動をほんの少しだけ変えてみる。
気が乗らなくても、相手の為ではなくてもいいから少しだけ変えてみる。
そうしたら相手も少し変わる。

"これは本当に自分を好きになれるような行動なのかな"

そこを心で感じ、頭で考え、そして体を使って動く。

それが人間にとって大事な三つの力。

自分のせいにも誰のせいにもせず、ただ自分を好きになれるような行動を積み重ねていけばいい。
そうしたら自然と自分を好きになっていける。
そして相手も受け入れられるようになる。
心は後からついてくる。


人間にとって大事な三つの力でそれぞれの欠点を克服していく

人間にとって大事な三つの力

 何の為にしたのか…思いやる力
 何を言ったのか…考える力
 何をしたのか…行動する力

何を言ったのか、何の為にしたのか…
それも大事なこと。

でももっと大事なことは何をしたのか…
一番大事なのは行動。

立派なことをいくら言っても行動しなければ何も変わらない。
そして誰の為でも良い行動は良い。
悪い行動は悪い。
実際の具体的な行動が一番大事。

間違った行動は人の為でもどんな理由があったとしてもいけないものはいけない。
ただ当事者自身が悪いのではない。
人は完璧ではないから過ちは犯すもの。
欠点があるのは人のせいじゃない。
悪いのは行動だけ。
誰も責めずにただ自分の行動だけを変えていけばいいだけ。

例えば…

教え子のA君がクラスメイトであるB君を殴ってしまった。
でもそのB君はA君の友達であるC君に悪口を言ったから。
しかしどんな理由があっても殴る行為はいけないこと。
これからは手を出すのではなく言葉で伝えていこうね。
三人の事情を聞いた担任の先生はA君に優しく教える。

行動には必ず理由がある。
その理由には目に見える理由や目に見えにくい理由。そして目には見えない理由もある。

B君が友達であるC君の悪口を言っていたから。
手を出すこと以外の他の伝え方が分からなかったから。
怒りや衝動を抑える事が本人にとっては難しかったから。

理由を探ることは犯人探しをして誰かのせいにするためではない。
マイナスの原因にするかプラスの理由にするかは捉え方次第。自分で選べる。
本当の理由を把握することで、本人の持っている見えにくい良いところや、本当に困っていることに本人や周りの人達が気づき、その困り感に寄り添い、これからの前進的な解決に向けて考えるきっかけにすることができる。

そのためには目に見える理由だけでなく、見えにくい、もしくは全く見えない理由を見つけることは必要であり、その人のせいではないことを証明してくれる人に優しい思いやりの理由を見つけ出すことができる。
だからこそ目に見えないところを見ようとする心を持つことはとても大切なことであり、人を大切にすることでもある。

"罪を憎んで人を憎まず"

悪いのは人ではなく行動。
一番大事な正しい行動に変えていく為には誰のせいにすることもなく、
"何があったのか"  だけではなく
"なぜそうしたのか"
そのいくつかの理由を把握することがとても大切なこと。

 A君にはいろんな理由があった。
人は自分のせいにしなければいけないと思うから認められない。納得がいかない。
だってそこにはその時の自分にはどうすることもできなかった理由があったのだから。
本人も周りの人もその行動の理由を知らないと、自分を責め、人を責め、自分を見失い、また同じ過ちを繰り返してしまう。

だからこそ行動の理由を正しく知ることが必要であり、自分も人も誰も責めず、ただ自分の行動だけを変えていけばいいのなら、気持ちよく自分の過ちを受け入れて、なりたい自分に近づく努力をしていける。

先生はA君に優しく促す。
そしてA君はB君に謝る。

謝りたくなくてもとりあえず勇気を出して謝ってみる。
謝ったらとても楽になった。
謝ることが出来た自分を好きになる。
そして相手も変わる。
いつか心から謝れるようになる。

最初からいきなり心から謝るなんて大人だって難しい。
そこには本人なりの理由があったのだから。
たとえ不本意でも勇気を出してとりあえず具体的な正しい行動に移してみることが大事。
具体的に行動すれば具体的な答えが出る。
失敗体験が成功体験で終わることができ、自分に自信がついてまた次のチャレンジに繋げていける。
少しずつ自分の為にも人の為にも良い行動が出来るようになっていければそれでいい。

いきなり心を変えるのは難しい。
だから心より思考。

いくら立派なことを言っても行動しなければ何も起こらない。
だから思考より行動。

だからこそ自分で考え決断し具体的な行動に移すことが大事。
心は後からついてくる。

悪口を言ったB君にも先生は責めることなく優しく促す。

C君が何をしたか、ではなく自分は何をしたのか。
行動だけではなく言葉もとても大切なもの。
でも言葉にだってその人なりの理由はある。
人の心は自由。
だから心は無理に変えなくてもいい。
心は変えなくても自分の意志で自分の行動は変えていけるから。

この人が嫌い。
でもそれは仕方がない。
誰だって相性というものがある。
しかし自分だって悪口を言われたら嫌だ。
だから態度には出さない。

自分がされて嫌な事は人にしない。言わない。
その優しさと勇気を持つことが大切。

人は誰も完璧ではない。
それぞれ違った凸凹がある。
自分と合う人、合わない人だっている。
それは悪いことではなく自然なこと。
合う人が正しくて合わない人が間違っているわけではない。

先生の促しでB君もC君に謝る。

こんな酷い悪口を言われたのだからB君を責めるのが当たり前、ではない。
相手がした事に対して自分がどう捉えるのか。
そして自分がどうするのかが大切。

人は完璧ではないしB君にもそれなりの理由がある。
B君の言ってくれた事が自分の学びになることもある。
自分もB君も責めることなく、教えてくれたB君に感謝をし、自分の行動だけをこれから変えていくことだって出来る。
そしてB君を許すという選択も自分次第で出来るのだから。
全てはC君の捉え方次第。

C君は常日頃の自分の言動を反省しB君を許す。
C君に謝ることが出来たB君も自分を許すことができる。

その後子供達がすぐに変わらなくても先生は責めることなどしなくてもいい。
人はそんな簡単には変われない。
大人だってそう。
自分には簡単でも相手には難しいことだってある。

完璧な人など誰もいない。
人間なんだから上手く出来ない時だってある。
失敗はどこに問題があったのか教えてくれる大切な経験。
失敗の理由を知り、自分も誰のせいにもせず、自分の行動だけまた変えていけばいいだけ。
生徒も先生も…

少しずつでいい。
諦めずひたすら前向きに一歩一歩歩んでいく。
それがとても大切なこと。


目に見えないものを見ようとする大切な心

行動の理由は目に見えるところ、分かりやすいところばかりじゃない。

A君にはC君をかばうという理由があった。

でもそれだけではない。
A君は手を出すこと以外の他の伝え方がわからなかった。
怒りや衝動を抑えることが自分では難しかった。

ではなぜ他のやり方が分からなかったのか…
なぜ衝動性を抑えることが難しいのか…
生まれ持ったものなのか、親や周りの人などの環境の影響なのか、本人の意思の弱さなのか…

目には見えない、もしくは見えにくいその背景を知ることが最も大切であり、行動の本当の理由を知れば本人も周りの人達も、自分や人を心から許すことができ、根本的な解決にも繋がっていく。

衝動的な感情を抑える事が難しいという生まれ持った特性もある。
障害名はその人の困り感を表すために付けられた診断名。
自分の感情をコントロールすることが難しいのは本人の意思が弱いせいでも、努力不足のせいでも、親の育て方のせいでも誰のせいでもない。
周りを困らせているのではなく、一番困っているのはA君本人。

生まれもった特性だけではなく、 A君の家庭環境の影響による可能性もある。
親から一方的に力で抑えられていれば、もしくはその姿を見せていれば力で抑える事を子供は学ぶ。
それが人との関わり方の自然な姿だと誤学習してしまう恐れがある。
もしくは子供にそれがいけない行為であることを親が教えたり、感情をコントロールできるように対策をしていない可能性もある。

しかしたとえ親の影響だったとしてもその親が悪いのではない。
その親も同じように自分の親から受け継いでしまった事なのかもしれない。
子供にどう対応してよいか分からず、なだめるしかなかったのかもしれない。
もしそうだとしたら親だってきっと困っている。苦しんでいる…

家庭環境だけとは限らない。
A君を取り巻く外からの情報刺激も考えられる。
しかし親の状況によりA君の遊びの制限が難しかったのかもしれない。

A君の特性を理解できない周りの人達からのマイナスのシャワーがA君を衝動性に走らせてしまったのかもしれない。

診断名は差別をするためにつけられたわけではない。
その人のつまずきや生きづらさの理由を理解してもらい、困っている人の心に寄り添うため。

A君が周りの人達を困らせているのではなく、周りの人達がA君を困らせていたのかもしれない。
それぞれが持っている価値観で決めつけA君の気持ちを理解できず、一方的に自分達の気持ちを押しつけてA君を困らせていた可能性もある。

でもA君の周りの人達にもそれぞれの理由がある。
自分や周りに同じような特性の人がいなければ学ぶ機会もあまりなく、理解が難しかったのかもしれない。
人は同じような経験をしなければ当事者の本当の気持ちは分からない。
障害はその本人と周りの人達との間にある障壁をも意味する。

またその時のA君の周りの人達には、自分の心に余裕が持てず他人のことを気に留めたり、大事にできる状態ではなかったという理由があったのかもしれない。
人は自分を大事にできなければ人を大事にすることはできない。
本人が一番困っているのだから。
そしてその自分を大事にできないという本人のせいではない見えない理由も、周りの人達にはあったのだから。


どの理由もA君自身も親も誰も悪くはない。
誰のせいでもない。
みんなそれぞれの原因や背景があったのだから。

そしてC君の悪口を言ったB君にも見えない背景があったのだろう。
ありのままの自分に自信がないから注目を集めて自分を認めてほしい。
不完全な自分を信じていないから、人を悪く言うことにより自分の方が優れていると信じたい心理が無意識に働いていたのかもしれない。
でもそれも同じようにB君も、B君の周りの人達も誰も悪くはない。
誰のせいでもない…

誰のせいでもないのに、誰も悪くはないのにみんなが誰かを責めている。

人を責めるのは簡単。
相手を責めれば一時は自分が楽になる。
しかし自分のした事はいつか自分に返ってくるもの。

人を責めれば今度は相手から責められる。
憎しみは憎しみを生む。
相手の言動は自分のしている事の鏡写しだから。

そして最も怖いのは自分が自分に罰を与えること。
人を責めている自分を好きにはなれない。
無意識のうちにどこかで自分が自分を責めている。
そんな風に周りから見えなくても、自分でも気が付いていなくても、心のどこかで自分を責めている。
そして少しずつ自分を嫌いになり、自分を信じられなくなり、自分を守ろうとしてまた人を責める。
負の連鎖が続いていってしまう…
とても悲しいことであり最も不幸なこと…

そうして人と人は傷つけ合っている。
する必要もない傷つけ合いをしている。
誰のせいでもないのに…
誰も悪くはないのに…

みんなが困っている。
みんな苦しんでいる。泣いている…
みんな誰も笑顔にはなれない。

だからこそ、目には見えない理由、目には見えないものを見ようとする思いやりの心がとても大切であり、みんなが笑顔になるためにもとても大事な力でもある。

みんなが笑顔になれる5つの方法


誰も責めることなく、誰からも責められることもなく、みんなが笑顔になるための5つの大切なことがある。


①完璧ではないありのままの自分を受け止め、そんな自分を好きになる

まずは自分が自分を信じること

みんなには目には見えないそれぞれの理由があり、それは誰が悪いのでも誰のせいでもない。
だからどれが正しいとか間違っているとか関係なくありのままの自分、そしてありのままの相手を受け止めることが大切であり、それが自分だけではなく人を大事にしていく第一歩となる。

そのためにまずは、一人一人が自分を好きになること。
ありのままの自分と向き合い自分を客観視し、自分を正しく知る。
そして美点も欠点もある等身大の自分を受け止めそんな自分自身を好きになること。

今の自分の持ちものにはそれぞれ目には見えない理由が必ずある。
それは自分が悪いわけでも誰が悪いわけでもない。
だから、自分も誰のせいにもすることなくまずは今の時点での偽りのない"自分"を受け止め、そんな自分を丸ごと信じること。
そこから始まっていく。

もし今の自分を好きになれないのなら、なぜ好きになれないのか。
どこがなれないところなのか、なぜ自分はそうするのか、本当は自分はどうなりたいのか、じゃあどうすればいいのか…
自分に問いかけること。
答えは自分の中にある。

ただ自分の良いところが見えていないだけなのかもしれない。
具体的に書いてみれば目に見える。
自分を客観的に見ることが自分で自分を知る一番の方法。
自分の見えない部分…見えにくいところ、見えていないところに気づくことが大切。

人はそのままでも魅力的なのだからそこからさらに少しでも成長できたらそれは本当に素晴らしいこと。
これからはもっと自分を好きになれるような行動をしていけばいい。

なりたい自分になる。
自分の為に、そして人の為になることをする。
そんな自分をさらに好きになっていける。
そしていつか必ず、自分も人も愛せるようになっていく。

人と比べず、今の自分よりさらに自分らしく少しずつ成長していけるように自分を生きればいい。
人は完璧ではないから成長できる。
人と人との間で楽しく進化していけばいい。


②自分の生活環境を見直し整える

自分が自分を大事にすること

今の等身大の自分を受け入れ、自分の周りの環境や人間関係、そして自分の具体的な生活やリズムを見直し整えていく。

何時に起き、何を食べ、何をしているのか。
自分の具体的な行動が自分を作っている。
だから自分を好きになれるような具体的な行動に変えていくこと。

そして自分の置かれている環境や自分の周りの人達が本当に自分の成長にとって良い影響を与えているのか。
ここにいる自分を好きになれるのか。
なりたい自分を阻止していないか。
そこを自分で感じ、考え、行動に移していく。

たとえ言いにくい事でも、相手から嫌われたとしても、自分の為に言ってくれる人が本当の友達。本当の人の為にできる人。

自分の行動は自分の意志で変えていける。
自分を大事にすれば人も大事に出来るようになる。
少しずつ人の為に行動できるようになっていけばいい。


③自分の為にも人の為にも自分を好きになれるような行動を積み重ねていく

自分も人も大事にすること

いきなり人の為に、なんて思わなくてもいい。
とりあえず自分を好きになるためでもいい。

"街を歩いていて落ちているゴミを拾う"

そんな些細な事からでいいから、とりあえず自分を好きになれるような具体的な行動に移してみる。
誰も見ていなくても自分は知っている。
そんな自分を好きになっていける。
心は後でついてくるから。

"人の為と書いて偽りと読む"

とりあえず人の為になる具体的な行動に移してみることが大切。
人の為にした事は結局は自分の為にもなっているもの。

人の為にしている自分が好き。

人の為にした事が自分の学びにもなっていた。

相手にありがとうと言ってもらえて嬉しかった。

相手の言動は自分のしている事の鏡映し。
自分のした事は良い事も悪い事も最後は自分のところに返ってくるもの。

それを忘れると、
"あなたの為にやってやったのに!"  になる。
人の為と書いて"偽り"と読む。
人の為、だけだと人のせいになる。

偽善者にならないように、人の為にも自分の為にも、最終的には自分で考え自分の意志で決断し自分で責任を持って自ら行動していく事が大切。

人の振り見て我が振り直せ。
見返りを求めて人を責めたり愚痴を言うのではなく、自分を見直し自分で状況を変えていく。
自分も、誰も責めることなく…

人、ではなく常に自分。
他人ではなく自分任せの人生にする。
自分の人生、自分が主役なのだから自分で操縦していく。

そして忘れてはいけないのは自分に必要な学びや自信を与えてくれた相手に感謝をすること。
人の為にやってやった、だけだから人の為だけになる。
自分の見えないところ、自分の陰に隠れている大事なところの身になった。
だからお陰様。


①完璧ではないありのままの自分を受け止め、そんな自分を好きになる。
自分が自分を信じる。
それも成長。

②自分の生活環境を見直し整える。
自分が自分を大事にする。
それも成長。

③そして自分の為にも人の為にも自分の意志で自分を好きになれるような具体的な行動に移していき、さらに積み重ねていく。
自分も人も大事にする。
それも成長。

そして、そこから更なる成長のためには、自分の美点や得意な事に意識を向け、自分が持っている特性や能力を伸ばし自分の可能性を開花させていくこと。
それが人の役に立ち、更なる自分の自信に変わる。

④自分の美点を伸ばし自分の可能性を開花させ人の役に立つ

自分だけでなく人からも大事にされること

それも成長。
自分のした事は結局は自分のところに返ってくるものだから。

人には美点もあれば欠点もある。
人は完璧ではないから全ての欠点を無くすことなどできない。
美点と欠点は一枚の紙の裏表のように一体。
その場面により美点にも欠点にもなる同じひとつの特徴。
だから欠点が無くなれば美点も無くなってしまう。
その人の特徴、可愛いらしいところ、人間味も無くなってしまう。
ではどうすれば欠点を克服できるのか…

この場面での自分の欠点は好きになれないな…
このままでは自分の為にも人の為にもならないな…
と感じたらその欠点だけを自分らしく少しずつ直していけばいい。

場面によっては同じ一つの特徴である裏の美点が顔を出すこともある。
その特徴を思い切り発揮できる場面ではその特徴を十二分に活かす。
それが美点になる。

そしてその特徴には合わない場面の時は、その欠点に一時隠れてもらえばいい。
そのためには視点を欠点ではなく、その裏にある美点に方向性を変えて欠点を乗り越えていけばいい。

美点を伸ばせば欠点は自然と薄れていくこともある。

美点を利用して欠点を抑えることも出来る。

美点を活かす事が出来れば、たとえ欠点はそのままだったとしても、そこが可愛く思えたり許せたりすることもある。

自分の良いところに着目して自分の足りないところを補なうことができたら、自分をより好きになり、ストレスなく自分を乗り越えていける。

しかし全ての欠点を無くすことはできない。
欠点は誰にでもあるもの。
そして欠点があるからこそその裏の美点もある。
だから人にとって美点同様欠点も必要不可欠なもの。

自分にも欠点があるから人の欠点を許すことができる。

欠点により失敗経験もするから人の痛みが分かる。

欠点があることにより、自分を過大評価して人に対して傲慢になることを防ぐことが出来る。

だからこそありのままの等身大の自分を受け入れ美点だけではなく自分の欠点を知っておくことも大切なこと。
欠点は決して悪者ではない。

誰もが必ずある美点と欠点。
欠点ばかりに傾いてしまったら自分も周りの人も苦しい。
だから美点と欠点のバランスを整えていくことが大切。
そうして心のバランスを整えていく。
それも成長していくということ。


自己肯定感は自分で高めていけるもの

A君は友達のC君をかばった。

A君には行動力がある。
そして正義感が強く友達想いの優しい子。
欠点の裏にあるそれらの美点を伸ばしていく。

衝動を抑える事が難しく手を出してしまうという欠点に着目するよりも、同じ特徴であり美点にもなるその行動力をA君の優しさ、良いところに利用して伸ばしていければ自分の自信にも繋がる。

例えば…
クラスに学校に来れず困っている子がいたら、家まで様子を見に行ってくれるように先生はA君に促してみる。
正義感が強く、上手くできなかった時の辛い気持ちを知っているA君は良い理解者になるだろう。
そして持ち合わせている勇気のある行動力で、自分の為にも人の為にもなるような思いやりの行動へと変えていけるようになるだろう。

またはC君の良さをB君に優しく伝えてあげるように先生がA君にそっと促す。
行動力のある友達想いの優しいA君ならきっと少しずつ出来るようになっていくだろう。
誰もが良いところがある事を教えてあげればB君の人の見方も変わる。
そしてB君自身も自分の良いところに気づくようになり、自分に自信が付いて人を責める必要が少しずつなくなっていく。
B君やC君の役に立ったA君は自分を好きになり、さらに自分の為にも人の為にも気持ちよく成長していける。

欠点がA君の生まれ持った特性だったとしても同じこと。
早期による本人や周りの人達の特性の理解、そして適切な治療や対策からその特性による欠点は軽減していくことが出来る。
同じひとつの特性である行動力や発想力に着目し、美点を活かして活躍することも出来る。
美点を伸ばしていけば自然と欠点は薄れていくこともある。

治療による薬も上手に使えばその子も周りの人達も楽になる。
薬がお守りになればみんなが安心して過ごせることができる。

でも薬だけに頼るのは良くない。
一番の治療薬は一番苦しいその子の気持ちを分かってあげること。
その子の意思が弱いせいでも、努力不足のせいでもない。
あなたのせいではないのだと周りの人達が理解してあげること。

その子のありのままを受け止め、その子の良いところを見つけて褒めたり、その子の存在そのものを認めてあげたら、どんな薬よりも効果があるのではないのだろうか。
何でも頼り過ぎるのはよくない。
バランスが大事。

発達障害という診断名はその子の困っている理由を探るための一つの判断目安に過ぎない。
だから診断名に振り回されるのではなくその子の心に寄り添うことが大切。

A君は障害があるから衝動を抑えられずに手を出した、だけではない。理由があるから手を出した。
障害だけではなくその子自身と向き合うこと。
これもバランス。
同じ診断名でも一人一人みんな違うのだから。
障害のない子達がみんな違うのと同じように…

障害のある子もない子もみんな凸凹がある。
診断名の付いている子は付いていない子よりその凸凹の差が大きいだけのこと。
その子の困り感が大きければ大きいほど、優れているところも大きいということ。
偏見を尊敬に変えることも自分次第でできる。
その捉え方が自分の人間としての幅を広げていく。

自分が持ち合わせている才能をみんなが気づき、自分の特別な美点を活かしていけば、自分の役割や生きがいを見つけることができ、生き生きと輝いていく。
それがこれからの人生を強く生きていく大切な力、自信になる。
そうしてありのままの自分を受け入れ美点も欠点もある自分の特性を乗り越えていく。

障害あるなし関係なく、同じ一つの特徴なら、欠点よりその裏の美点を意識して伸ばしていく方がいい。
良いところのある自分を、そして足りないところもある可愛い自分を好きになる。
そして同じように人の良いところを見つけ認められる自分。人の足りないところを補える自分を好きになる。
そうして自分も人も大切にする。

先生が生徒の欠点に着目すれば、その生徒や周りのクラスメイトも、自分や人の欠点に目がいくようになる。
みんなが欠点を意識することで、一人一人がより欠点を強めてしまう危険性もある。

欠点という対戦相手は、相手が強ければ強いほど真正面から向き合うとさらに強くなる。
だからファイティングポーズを構え向き合ってはいけない。
前からとても太刀打ちできないような強い相手がやって来たら視線をそらす。無視する。逃げる!

欠点を直さなければ!と欠点と真正面から向き合うと、その欠点をより意識してしまい返って悪化する。
欠点から視線をそらし、その裏の美点に注目して伸ばしていく方がいい。
欠点を欠点として見るのではなくその裏の美点を意識して伸ばしていく。

そうすると自然と欠点は薄れていくこともある。
自分の他にある美点を利用して欠点を抑えたり、克服することもできる。
美点を伸ばせばたとえ欠点はそのままだったとしても、そこが可愛く思えたり、許せたりすることもある。

欠点よりも美点に着目した方が自分を責めることなく、気持ち良くよりスムーズに欠点を乗り越えていける。
そして自分の美点を意識して伸ばしていくことにより、自分の自己肯定感も上がり、人の美点にも意識がいくようになる。

だから先生が生徒の美点に着目すれば、みんなが自分や人の美点に気づくようになり、みんなが気持ち良く自分の美点を伸ばし欠点を克服していける。
そうして自分を好きになり人も好きになる。
自分もみんなも笑顔になっていく。

上手く出来なかった先生だって同じこと。
失敗には本人しか分からない、もしくは本人も気がついていないような目には見えない理由があったのだから自分を責めることは何もない。

その人が悪いから欠点を直して成長する必要がある、のではない。
欠点があるのはその人のせいではないから。
そして欠点にはそれなりの理由があるのだから。
だから人から責められたとしても、そんな欠点のある自分も好きになれるのなら無理に直さなくても受け止めればいい。
欠点も人にとって必要不可欠なものだから。

欠点があるから人の痛みが分かる。
欠点があるから人に優しくできる。
欠点があるからこそ人を思いやれる。
そしてそんな自分を好きになれる。

自分の為にも人の為にも欠点はとても大切なもの。
そして欠点の裏には美点だってある。

美点と欠点は一枚の紙の裏表のように一体。
同じ一つの特徴。
だから欠点をなくすのではなく美点と欠点のバランスを整えていくことが大切。
そうして心のバランスも整えていく。

気づいた時が変わっていく時。
成長するチャンス!
先生も生徒もこれから自分の美点で少しずつ補っていけばいい。
失敗したらまたやり直せばいいだけ…

どんなベテランの先生でも、立派な親でも賢い子でも完璧な人など誰もいない。
だから大人も子供も、先生も生徒も、親も子もお互い学び合う同志。
人と人との関わりの中で人は成長していく。

自分が自分を好きになれないような欠点は自分の意志で変えていけばいい。
自分の為だけなら出来ない事も人の為なら出来ることもある。
だからこそ相手の立場になって考え行動することが、自分の美点を伸ばし、自分の欠点を乗り越えていくための一番の方法なのだと思う。
人を想う心が自分をより成長させてくれる。
自分の為にも、人の為にも少しずつ自分らしく自分を好きになれるように自分を成長させていけばいい。

周りを困らせているように見える人は、本人が一番困っている。
自分で解決することが難しいから困っている。

だから困っている人を責めるのではなく周りの気づいた人、出来る人が考え、勇気を出して行動に移していく。

A君を優しく誘導してあげるのは必ずしも担任の先生でなければいけない訳ではない。
先生だって人間。完璧じゃない。
苦手な事だってある。
知らない事だってある。
周りの分かっている先生達、気づいている保護者達や地域の人々、勇気のある子供達…
一人一人が今自分に何が出来るのかを考え、具体的な行動に移していくことが大切。

もし誰も分からなかったらみんなで一緒に考える。そして調べる。
一個人の知識や知恵なんて狭いもの。
自分には想像もつかなかった理由がそこにはあるのかもしれない。
それが分かれば自分の学びにもなる。
そして考える力も身に付く。

知識や知恵を身に付けるということは自分の為でもあり、人の見えない理由を知ろうとする思いやりの行為でもある。

人の目には見えない理由を知り人の役に立つ。
人の為にできた自分を好きになる。
それが自分の自信に変わる。

自分の美点を伸ばし欠点を乗り越え、自分に与えられた可能性を開花させる。
それが人の為となり、自分の更なる自信へと繋がっていく。
人の為にした事は結局は自分のところに返ってくるもの。

人と人との関わりが自分を知る一番の方法。
人を想う心が自分を成長させる一番の方法。


人と人との関わりの中で最も大切な信頼関係はどう築いていくのか

人は変えられない。
だから自分が変わる。
自分を好きになれない行動は自分が変えていく。
誰のせいにすることもなく…

でもそれは簡単なことじゃない。
人間は欲張りな生き物。

自分の思い通りにしたい欲。
楽な方に行きたい欲。
人より優位に立ちたい欲もある。
だからとても難しい。

人にはそれぞれの考え方や価値観があり、どうしても自分の価値観で他人を見てしまうもの。
自分には出来るから他人もできて当たり前!ではないのに…
私も同じこと。
今までの経験から痛いほど出来ない人の気持ちを分かっているのに、それでも色眼鏡で見てしまう自分がいる。

年齢も性別も立場も関係ない。
自分と人は違うのだから自分のものさしは他人には通用しない。
自分には出来ることでも相手にとったら難しいこともある。

その人にとったら本当に出来ないことかもしれない。
出来たとしても自分が出来るのとは比較できないくらい難しいことなのかもしれない。
逆に相手には出来て自分には出来ないところだってある。

まずはその違いに気づくこと。

そして違いを知ること。

皆それぞれ一つ一つが違う。
だからこそ自分の固定観念や偏見を捨て、ありのままの相手を知り、等身大の相手を受け止めることが大切。

相手が頑張っても出来ない。
それは仕方ない。
その人のせいじゃない。
やる気の問題ではなく出来ない理由が他にある。

その人の為と思って叱っても本人を苦しめているだけ。
じゃあそこからどうしたらいいのかを考える。
自分がそこに対して何ができるのかを考える。
自分にだって同じように苦手なことがあるのだから。

自分にはこんな欠点がある。
だけど周りの人達は受け入れてくれている。
許してくれている。
だから自分も人の欠点を許せる。
犠牲者なんて誰もいないのだから。

不完全な相手を受け止めるにはまず、ありのままの自分を知り、不完全な等身大の自分を受け止めることが大切。

不完全な自分の欠点を知らずに自己肯定感が高いというのは私は違うと思う。
過大評価も過小評価もせず、ありのままの自分を見ること。知ること。そして受け止めること。
美点も欠点もある本当の自分を知っていれば人に対して高慢になることも自分を卑下することもない。

相手にも同じようにどれが正しくどれが間違っているなど関係なく、まずはありのままの相手を受け止めること。
欠点があるのならその分美点もあるのだから。
相手を否定せず、相手のありのままを受け入れる安心した空気があれば、相手は心を開いてくれる。

相手の気持ちに寄り添い、その人のせいではない目には見えない理由を知り、出来る形で補ってあげればいい。

何に困っているのか相手に問い、もし自分が代わりにした方が良いこと、自分に出来ることがあれば助けてあげればいい。
相手が出来るように補助や誘導をする事もひとつのやり方。

もし相手に伝えたいことがあるなら責めるのではなく、優しく教えてあげればいい。
お願いすればいい。
分からないのは相手のせいではないのだから。

自分だって知らないことはあるのだから相手だって同じこと。
逆に自分が知らないことを相手は知っているものだから。
ただ自分と知っている場所が違うだけ。

もし過ちを犯してしまったならなぜいけないことなのか理由が分からなかっただけなのかもしれない。
それを今まで学ぶ機会がなかっただけなのかもしれない。
学ぶ機会があったとしても本人にとってはとても難しくそこから読み取れなかっただけなのかもしれない。

そして頭では分かっていたけれど、どうしても上手く出来なかったのかもしれない。
だとしたらなおさらなぜ出来ないのかその理由を探る必要がある。
その人のせいではない目には見えない理由が必ずあるから。

いくら相手の為と思っても、困っている人を責めさらに困らせるのは相手の為ではない。
自分の考えを一方的に押し付けたり、自分にとって都合のいいやり方を相手にするのではなく、相手が何を求めているのかを知ること。
それが相手の立場に立って考えるということ。

一番困っている当事者の立場になり考えることが本人も周りも困らなくなる一番の解決法であり、困っている人が安心して助けを求められるような空気づくりにも繋がっていく。

人は自分が否定されると思うと敵とみなし自分を守るため心を閉ざしてしまう。
人にはそれぞれ目には見えない、その人のせいではない理由がある。
だからまずは見えない理由を知り、相手のありのままを受け止め理解すること。
その共感力が安心した空気を生み出し相手は心を開いてくれる。
心が開けば耳も開く。開いたところで改善策を伝え一番大事な行動へと移していくことができる。

それでも人の価値観や考えはなかなか変わらないもの。
そうしたら具体的な行動だけを伝えればいい。
伝え方次第で相手は変わる。
一番大事な行動を変えることができれば、次第に思考も心も変わっていく。

皆それぞれ違うから対応策も皆それぞれ違う。
困っている人が自ら気持ちよく良い行動に移せるにはどうしたらいいのかな?
困ってる相手に対して今、自分に何が出来るのかな?
そこを心で感じ、頭で考えて、一人一人が大事な行動に移していく。
それが自分自身の学びや自信になり自己成長に繋がっていく。
相手の為にしたことは最終的には自分のところへ返ってくるもの。

もちろん自分だって苦手なことはある。
出来なければ出来る人に頼む。
みんな違うから補い合える。

だから違うって良い。
違うから良い。

誰かに補ってもらえたら今度は自分が出来るところを誰かに補ってあげればいい。

人は完璧ではないからこそみんなそれぞれ違う。
みんなそれぞれ違うから一人一人違う役割がある。
必要のない人なんて誰一人としていない。

そして欠点のある相手を許すことができたら、欠点のある自分も許せるようになる。
人を許すことができたら相手のいいところが見えてきて感謝の気持ちが溢れてくる。
そしてそんな自分も好きになれる。
自己肯定感は人から貰うだけじゃない。
自分で高めていけるもの。
そして人にも与えてあげられるもの。

困っている人が困らなくなるにはどうしたらいいのだろう。
そこに対して自分に何ができるのかを考え具体的な行動に移すこと。
それが本当の人の為、思いやりというものなのだと思う。

そしてたとえ自分には何も出来ない立場だったとしても、原因や背景を知る必要がなかったとしても、自分とは合わない人でも…その人にしか分からない理由が何かあるのだと理解すること。
そして何もしない、見ない、聞かない、言わないことも思いやりのひとつ。

人の背景は目には見えない不確かなもの。
でも、その不確かな理由を知ろうとする心。
目に見えないものを見ようとする心。
その思いやりの心がとても大切で、でも今現代大きく欠けているものでもある。

自分の心を知りたい、人の心を知りたいという想いは、自分を、そして人を大事にするということでもあり、人として自然な心理なのだと思う。
見えない心を知ろうとすることで本当の意味で自分や人を理解して許すことができたり、自分の役割を知りさらに前向きにチャレンジしていける。

⑤見返りを求めず相手の立場になって考え行動していくこと。

そんな無償の愛を与えられる人になりたいと願い続けて、自分を好きになれるような行動をまた積み重ねていく。
結果それが最も尊い自分の愛し方だから。
そんな自分を決して嫌いにはならないから。
自分のした事は最終的には全て自分のところに返ってくるものだから。

自分も人も心から信じること

それも成長。

自分も人も心から愛せるように、立ち止まったり、時には寄り道したり、失敗して転んだりしながらも諦めず、また立ち上がって前を見て自分らしく歩んでいく。
それが生きてゆく、ということなのだと思う。


自分が自分になる

自分は自分しかいない。
地球上に自分は他の誰もいない。
他の誰も自分にはなれない。
だから自分が自分になる。

今のありのままの自分を受け止め、自分が自分を好きになる。
自分の美点を伸ばし自分に与えられた役割を果たし人の役に立つ。

人と比べず、そこに自分の大事な人生をかけていけばいい。
人の為になれば自分の喜びに変わる。
楽しく自分らしく少しずつでいい…
自分を成長させ、人の役に立ち、自分を輝かせていく。
そのために人は生まれてきたのだと思う。


人のしている事に何も言わずただ見守ることも時には必要なこと。
一番大切なことは人間の存在を愛すること。
人の為に直接出来ることはほんのわずかなこと。

笑顔で挨拶する。
目が合ったらにっこり笑う。
日常の些細な会話を楽しむ。
気持ちを受け止める。
手をさする。
ただ抱きしめる…

そして人が困って助けを求めてきた時に手を貸してあげればいい。
優しく促してあげればいい。
問いかけその人自身が答えをさぐる。そのお手伝いをするだけ。

自分が正しいと思う常識は人には通用しない。
その人が何を感じ、何を考え、どうしたいのか。
それはその人のみ知ること。
答えはその人の中にしかない。
自分とは違うその人にしかないもの。
それがその人がその人になる。自分が自分になるということ。

自分が悩むことは何もない。
自分にも大事なことがある。
自分の人生の時間もとても大切なもの。
同じように人の時間も。大切なその人の自分の時間。

人のことにやきもきして人や自分の大切な時間を失い、結果的に人や自分を傷つけてしまうのなら、ただ見守るくらいがいい。

その人には目には見えないその人にしか分からないような理由があるのだから。
そしてそれは、その人のせいでも誰のせいでもないのだから。

たとえその人が失敗したとしても、その失敗はその人にとって必要で大切な学び。
そして人から受けた傷もその人にとっての大事な教えになる。

だからその人から頼ってきた時、助けを求めていると感じた時に手を貸してあげればいい。
それまでは暖かく見守っていてあげれば、それでいい。
その人にも自分にはない美点があるのだからきっと大丈夫。
その人の欠点はその人の美点で、そして自分の美点で補っていけばいいのだから。

人間は経験から学び取ることが出来る。
そして同じような立場の人の気持ちや痛みを理解してあげることも出来る。

だから辛い経験をした自分、失敗した自分を責める必要など何もない。
悲しい経験は自分を好きになるため、人を好きになるための大切な、そして貴重な宝物だから。

その分楽しかったことや嬉しかったこと、周りの人達が与えてくれた喜びや愛もある。
それらのたくさんの宝物を大切に胸に抱きしめ、大事なことを教えてくれた人々に感謝をし、自分の学びを喜びに変えてまた再び歩き出せばいい。

人を変えるのではなく自分が変わる。
自分が変われば相手も変わる。
そうして波紋が広がるように周りも少しずつ少しずつ変っていき社会全体が変わっていく。

そんな誰も責められることのない安心安全な社会の中で、みんなが自分らしくいられ、一人一人の持っている可能性を最大限発揮することができ皆光り輝いていく。
そして世の中も人の心もより豊かになり地球全体が愛で包まれていく…


人はいくつになっても成長できる

今までのたくさんの気づきの中から私も親も少しずつ変わってきた。

私が親にしてきた事は確かに間違っていた。
私は親を責め続けてきた。
私は変えられない親を変えようとしていた。
私は親に自分のありのままを認めてもらいたくて必死だった。

でもそれは、これから生きていく為に自分の中にあるぽっかりと空いた穴を一生懸命埋めようとしていたから。

そして自分の為だけではなく、親と仲良くやっていきたい、自分の子には同じ思いをさせたくないという願いからだった。

そして親も同じ。
親が私にしてきた事も間違っていた。
親は私をずっと責めてきた。
変えられない私を必死で変えようとした。
だから親も苦しかった。

でもそれは、私の為にもなると信じていたから。
そして自分自身を守るためでもあった。

厳しい状況の中でも数えきれないくらいのたくさんの無償の愛を与えてくれたのも親だった。

お互いやり方は間違っていたけれど、そこには目には見えない理由があった。
そしてやり方は間違っていても、自分も人も大事にする愛が、親の中にも私の中にもちゃんとあった。

もう誰も責めなくていい。
ただ前を向いて今よりもっと自分を好きになれるように楽しく成長していけばいい。

肩の力が抜けてとても楽になった…

今は失敗を繰り返しながらも前向きにトライして、たくさんの学びを与えてくれる周りの人達に感謝できる不完全な自分を好き、と思えるようになってきた。
自分らしく、少しずつ、ゆっくりでいい…

親は今、孫育てで大忙し。
昔と変わらずテキパキと要領よく日常をこなし、自分も人も大切にしている。
そして私を育ててくれた時よりもずっとたくさんの無償の愛を孫達に注いでくれている。
今までの悲しみを学びに変え、お互いの過ちを許し合った私にも…

そんな親を私は誇りに思う。

人はいくつになっても自分次第で成長できる。


自分の人生は自分のもの。
自分の人生、自分で操作していく。

生まれもった性格は変えられない。
生まれた時代や育った環境も変えられない。
でも自分のそれまでの経験から少しでも学び取り自分自身を変えていく事はできる。

これから子育てをする人は、今までの喜び、そして悲しみから学んだことを子育てで活かしていけばいい。
自分の美点や子供の美点を意識して伸ばしていく。
そんな自分も愛する我が子も好きになっていける。

もし子育てを失敗してしまったと悔んでいる人だって同じこと。
自分を責めることなどしなくていい。
失敗には仕方のない理由があったのだから。
あなたにしか分からない、もしくはあなたも気づいていないような目には見えないどうしようもなかった理由がそこにはあったのだから。

過ぎたことは悔んでも仕方がない。
悲しんでも誰にも何も良いことなど起こらない。
時間の無駄!
人の時間は限られている。
これからが大事!
生きている限りいくらでもやり直しは出来る。

人はいくつになっても自分次第で成長することが出来る。
だから大丈夫。
あなたはまだ生きているのだから、これからのあなた次第で自分を変えていける。

自分の人生は自分で操作していく。
自分が自分を大事にする。
自分を知り、今の不完全なありのままの自分を受け止め、そんな自分を好きになる。
自分の美点を伸ばし、人の役に立ちそんな自分を好きになる。
そうして自分を好きになれるような行動を、失敗を繰り返しながらも諦めずに自分らしく積み重ねていく。

そしていつか無償の愛を与えられる人になれるように焦らず少しずつでいいから自分を成長させていく。
自分のせいにも、誰のせいにもせず、楽しく自分を進化させていく。
自分の限りある命を、一日一日大切に使っていく。


みんなそれぞれ違う役割がある

子育てだって誰も完璧には出来ない。
自分とは違う価値観を持っている子どもを自分一人の価値観で育てるより、信頼できるいろいろな価値観や手で育てた方がいい。
自分一人で頑張ろうなんて抱え込まずに頼った方がみんなにとっていい。
完璧な人なんていないのだから、一人で完璧にやろうなんて誰だって無理なのだから。
誰もがある苦手なところを、みんなそれぞれできる形で補い合えばいい。


親ができることは、不完全な自分や人を受け止め、お互いの足りないところを補い合う思いやりの姿や、失敗しながらも成長していく等身大の自分を子どもに見せること。

"ごめんね" と "ありがとう" の暖かな優しい空気に包み込んであげたら、子どもは安心してありのままの自分を好きになり、自分らしく少しずつ成長していくだろう。

そして出来た時だけでなく、上手く出来なかった時でも子供の気持ちを受け止めてギュッと抱きしめてあげたい。

大丈夫、大丈夫…
どんなあなたでもお母さんは大好きだよ。
失敗したらまた一緒にやり直せばいいだけ…


人はみんな持っているものと持っていないものがあり、それは皆それぞれ違う。
でもそれは誰のせいでもない。

今自分の持っているものに感謝をし、足りないところは少しでも補って次の代へ渡していく。
それがその時代のその人に与えてもらった役割なのだと思う。



【時代】

時代が人に与える影響は大きい / 私の親が自分を守らなければならなかった理由とは


親がありのままの私を受け入れられなかった理由

私の両親がまだ幼かった戦後は貧しく、物も不足していてテレビ、冷蔵庫、洗濯機など三種の神器と呼ばれた"物"が神とされる時代。
目に見える"物"が大事だったから、目に見えない"理由"が見えにくい傾向にあったのかもしれない。

そして3Kといわれた高学歴、高収入、高身長も同じ目に見えるもの。
勉強さえできればいいという思考も仕方のないことだったのかもしれないし、子供の将来を思っての事だったのだろう。

戦前の日本は植民地があった影響により、人と人との違いに着目した教育だった。
しかし戦後は戦争や高度成長期の特徴でもある、みんな一丸となって、みんなで同じように同じ成果を求めて皆打ち込む、という画一的な思考に変わった。
兵隊の行進のように一糸乱れず、足並み揃えて同じ事をすることが正しいとみなされた。

それは今現在も変わらない。
みんな仲良く同じように出来る子が良い子。
みんなと同じように出来ないのはその子のせいではないのに、逆に他の子が出来なくて、その子にしかできない事もあるのに、同じではないというだけで問題児とされてしまう。
そして違う教室に排除される。
そこから差別が始まる。

みんな一斉に同じ事を同じレベルで出来る事が良い事とされる今もなお続いている教育の概念。
その常識こそが一人一人の持っている大切な個性を無くしてしまっている。
出る杭を打つことは日本の、そして世界の貴重な宝を潰しているのと同じこと。

みんなの輪を大切にする協調性も確かに大切。
しかし自分を信じ自分の考えをしっかり持っていれば異なる意見が出ることはごく自然なこと。
人は皆それぞれ違うのだから。誰一人として同じ人などいないのだから。

人と違う意見は決して悪い事ではない。
多様な意見が出れば出るほど、さらに豊かな前進的な新しい案がそこから生まれる。
個人では出来ない、同じ意見同士では出来なかったことが、それぞれ異なる考えや価値観で編成されたチームワークで成し得ることが出来る。
これからは一人一人の個性がそうして活かされていく時代。

幼い子供は自分とは違うそれぞれの個性を自然と受け入れているもの。
偏見は大人が植え付けている。
いじめは大人から学んでいること。

失ってしまった純粋な心。
そして相手を大切にする心、人を思いやる心を大人は子供から学び直す必要がある。

親や兄弟と同じように上手に出来なかった私はまさに問題児だった。
だから親は私を皆と一緒に揃えようとした。

親が育った時代は今よりも国、上司、学校の先生、親など目上の人の言うことには絶対的な権力があった。
歳を重ねていても、立場が上でも、完璧な人など誰もいないのに…

戦時中や戦後の時代は、輪を乱さずみんなで同じ目的を遂行していく為に、個人の意志や考える力を封じ込め、覚える力や服従する力を身に付けさせた。
そのような権力者の姿をまざまざと見せつけられ、今度は自分が親となり権力を握る側になったら…
自分がされてきた事と同じように子供に指示、命令して強制させる事は、親にとったら何の疑問もなく自然な事だったのかもしれない。

生まれ育った時代が人に与える影響は、とても大きい。


決して忘れてはいけない大切なこと

戦争で人の命も、人の心も、自然も物も、大切なものをたくさん失った。
戦後間もない頃は人間が最低限満たされなければ生きていけないものさえ満足に手に入らない厳しい時代。

食べること。
安心して眠れること。
安全に暮らすこと。

自分の祖父母世代の人達が、戦後の不自由な中、暑い日も寒い日も関係なく必死になって働いてきてくれたおかげで、物は豊かになり安心安全な暮らしを取り戻すことができた。

その後も親世代の人達が引き継ぎ、朝早くから夜遅くまで一生懸命真面目に働き急速に経済が成長した。
それは奇跡的なことであり勤勉でまじめな日本人だからこそなし得ることができた。
そしてみんなで一丸となり足並み揃えて同じ目的に向かって努力してきた結果。

今私達の生きる現代社会では、栄養のあるものを十分食べることができ、安心して眠ることができる家もあり、環境が整備され心身ともに安全な生活が何不自由なく送れるようになった。
そして科学や技術が進歩してとても便利な世の中にもなった。
今自分達の周りに当たり前のようにあるものは決して当たり前なんかじゃない。


人間にとって大事な三つの力。

思いやる力…共感力
考える力…思考力
行動する力…行動力

心で感じ、頭で考え、体を使って行動していく。
だから心や思考も大事。
でも一番大事なのは行動。
具体的な行動が自分を作っている。
行動することで自分を、そして周りを変えていく。

自分の為に、家族の為に、社会の為に、日本の為に、戦後を生きてきた人達は、ひたすら身を粉にしてそれを示してくれた。
そのおかげで生活が変わり、社会が変わり、日本が変わった。
今自分達の周りにある豊かな暮らし。
その恩恵を受けている私達だからこそ、それが決して当たり前なんかじゃないことを決して忘れてはならない。


今なぜ鬼滅の刃が流行っているのか/今の時代に必要なとても大切なメッセージがその中にはある

人にとって必要不可欠な安心安全な暮らしをまずは手に入れる。
その為に祖父母世代や親世代の人達は汗水流して一心に働いてきてくれた。
しかし豊かな生活を手に入れることができた反面、犠牲になってきたものもある。

とりあえず生きていくことに必死で子供を養っていくことすら大変だった戦後。
そんな時にありのままを受け止めてほしい、なんて子供の気持ちなど、とても一番には考えてあげられる状況ではなかっただろう。

"抱き癖がつく"

抱いてほしい、構ってほしいと訴える子供の気持ちより、大人の都合を優先せざるを得なかった状況は、子供だけでなく親だってきっと辛かったはず。

親に自分自身を見てもらいたい、知ってもらいたい。そして受け止めてもらいたい。
そんな想いを抱えたまま大人になった親世代の人達は、今度は自分の夢ややりたい事を犠牲にしたり、今のようにパワハラ、セクハラなんて言葉もなく、権力の乱用が当たり前のように繰り返される中、家族の為、社会の為に豊かな暮らしを創ってくれた。もちろん自分の為にも。

戦争で夫を亡くし女手一つで子供を育て上げてきた女性や、恋人を亡くした女性も多い。
貧しくて里子に出され一生独身を通さざるを得なかった女性達もいる。

男性はいい大学に出て一流企業に就職することや家業を継ぐこと。
そして女性は専業主婦になることが幸福のシンボルだった高度成長時代。

生活の為にも必死で働き日本の経済成長を陰で支えてきた独り身の女性達は、夫を支える専業主婦になることが女性としての理想像だったその当時、肩身の狭い想いをし、賃金も男性よりも低く、報われることはなかった。


たくさんのものを失った戦争。
戦後の人達が必死になり日本を支えてくれたお陰で物は豊かになった。
しかし物を手に入れて便利になった分、人の心がまた犠牲になってしまった。
祖父母達や親達世代の人達は心を大事にしなかったのではなく、大事にしてこれなかった。
自分の心も、子供の心も…

自分達の考えや気持ちを封じ込めて日本の復興のため、日本の成長のため、そして自分達や子供達のために必死に行動した結果。
それを誰が責められるだろうか。

それは過去の話ではない。
今現代も続いていること。

核家族化が進み地域との関係性が希薄になりパートナーは仕事で忙しく孤独な子育てを強いられている過去から現在。
今まで自分を認めてもらえず自分の中にある寂しさを抱えながらの孤独な子育て。
今毒親と呼ばれている人達がいるのもそんな目には見えない時代の背景が影響しているのではないだろうか。

毒親達の心は、今自分達の周りにある大切なものを手に入れてくれた代わりに満たされずに苦しんでいる人達…

自分の心を大事にしてこれなかった人が自分の子供の心を大事にしてあげることは難しい。
人はある一定程度幸せでなければ、たとえ自分の愛する子供に対しても幸せを願ってあげられないもの。

戦後を生きてきた人達は自分達の為だけではなく、これからを生きていく子供達の為にも頑張ってきてくれた。
今当たり前にあるものの恩恵を受けている自分達が、その豊かな暮らしを築くため心を犠牲にしてきた毒親と呼ばれている人達を責めるということは、戦後の日本を陰で支えてきた独り身の寂しい女性達を軽視した当時の差別と同じこと。

戦後の独り身の女性達も毒親達も、本人がなりたくてなった訳ではない。
その背景を見ずに、悲しんでいる心に気づかずその時の常識や同調圧力に左右された人々から責められる。
そして毒親に育てられ悲しく苦しい想いをした子供からもまた責められ、そんな毒親の自分を毒親は責める。
その子供もまた、育ててくれた親を責めた自分を責め、自分の子供までも責めて毒親となり、負のループが繰り返される。

みんなが苦しみ、みんなが泣いているように感じるのは私だけだろうか…

他人事ではない。私もがっつり時代の波に呑まれている当事者の一人だ。

良いものも悪いものも代々同じことが繰り返される。
でもそれは誰のせいでもない。
誰が悪いのでもない…
悪いのは"戦争"という出来事。
その戦争を起こし、そこに関わった人達の行動だけ。
その人達自身ではない。

もちろん同じ時代の人達だから皆一緒ではない。
時代の影響だけでなく、元々の生まれもった性格や育った環境、それまでの経験なども人の価値観や考えに影響する。
でもはっきり言えることは、その人の持っているもののどの理由も、その人のせいでも誰のせいでもないということ。

時代も、環境も、生まれ持った個性も、誰のせいでもないし、その人に合っている大切なものでもある。悲しみの裏には必ず得ているものもあるから。

だから過ぎたことはもういい。
これからが大事!
どこかで気づいた人が、今の自分にできることをして負の連鎖を少しでも断ち切っていく。
みんなそれぞれ目には見えないどうしようもなかった理由がその時にはあったのだから、自分も誰のせいにもせず、ただ自分の行動だけを変えていく。
自分らしく少しずつでいいから…


鬼滅の刃が今この時代に流行っているのにも理由があるのだと私は思う。

見た目は鬼。
だけど鬼になってしまったのは目には見えない理由があった。
なりたくてなった訳ではない。
その人が悪いわけではない。

現世界ではアニメのように分かりやすい鬼ではなく、見た目には分からない鬼がそこら中にたくさんいる。

戦後の寂しい独身女性を責めたその当時の人達。
子供を責める毒親達。
被害者だと思い込み毒親を責める子供達やその時の常識に流される世間の人達。
コロナ感染者を誹謗中傷する人達。
問題を起こしたA君やB君。
そのA君やB君を理解できずに責める先生や生徒や周りの人達。
そして私を責めた親や親を責めてきた私も…

誰でも鬼になり得る。
相手の見えない理由を見ずに鬼となり人を攻撃する。


親は私を責めた。
他人を責める人は自分も責めている。
そんな風に見えなくても、自分でも気が付いていなくても心のどこかで自分を責めている。

自分に自信がないから強がる。
自分を認められないから子供も受け入れることができず否定する。
自分を信じていないから子供を縛ろうとする。

親は自分の威厳を保つため、自分の中のぽっかりと空いた穴を見せまいと必死だった。
子供の言い分を認めてしまったら自分を否定しなければいけないと怯えていた。

自分に自信がないから子供を否定することで自分は大丈夫だと思いたかった。
それがしつけのため、子供の為にもなると信じていたのではなく親自身が信じたかった。

子供が自立してしまったら自分が捨てられるような思いだった。
自分が無くなってしまうようで怖くて子供に執着した。
一番苦しんでいたのは親だった。

心の中にぽっかりと空いた穴があったのは私だけじゃなかった。
親も同じ。
ありのままの自分を受け入れてもらえなかったのは親だった。

そんな悲しんでいる親を、泣いている親を私は責めてきた。
本当の鬼はそんな辛い想いをしている人を毒親と呼ぶ私のことだと気づいた。
戦後の独り身の悲しい女性達にした差別と同じことを私はしていた。
欠点と同じだけ親には美点もあったのに。

いつも明るく気丈に振る舞い悲しい姿を子供に見せることはなかった。
悲しみを知っているからこそ、ちゃんと話をすれば理解しようとしてくれた。
責任感がありただただ子供のことに一生懸命だった。

そして私にも親を責めた見えない理由があった。

褒められたことがなかったから自分や相手の美点に気がつかなかった。
認めてくれないからしつこく責め続けた。
親を責めることで自分は正しいんだと信じたかった。
だから何とか自分を保つ為にも親を許すわけにはいかなかった。
自分にもできてしまった穴を埋める為に私も必死だった。

でも私は親と仲良くしたかった。
親を好きになりたかった。
そして自分の子供には私と同じ想いを絶対にさせたくなかった。
だから間違っている親を責め正そうとした。

私と同じように、目に見えない理由に気づかず鬼になってしまった人達にもそれぞれの理由があるのだと思う。

自分に自信がなくそれを埋めようとして人を責める人達。
自分の心に余裕がなく人を思いやれなかった人達。
自分で自分をコントロールできずに困っている人達。

子を想う愛はあるのに上手く愛せず本当に苦しかったのは毒親達。
親が大好きだからこそ認めてもらいたかった毒親に育てられた子供達。
本当に困っていたのはA君やB君。

誰のせいでも誰が悪いのでもない。
苦しんでいる鬼にとっては、どうすることも出来ないどうしようもない理由がその時にはあった。
見た目の鬼の姿ではなく、その裏にある目には見えない理由を見ようとする心を持つこと。
そして自分が同じ立場だったらどう思うのか、想像することが大切。

想像することは思いやり。
同じ想いを知っていれば想像することが出来る。
本を読んだり、映画を観たり、話を聞いたりして見聞を広め、擬似体験することもできる。
しかし同じような生の経験をしなければ本当の理解はできないもの。
見えない理由を知るには知識より様々な経験が大切な鍵となる。

楽しい経験、嬉しい経験から人は喜びを感じ、 失敗した経験、悲しい経験から人の痛みを学ぶ。
経験に勝るものはない。

しかし一人の人間が全てのあらゆる事を経験することは不可能。
だからすべての人を理解することはとても難しい。
だからこそ相手を理解したいと思うのなら、自分の固定観念で判断せず直接聞いてみればいい。
たとえ相手を理解したくなくても、理解できなかったとしても、その人にしか分からない、もしくはその人自身も気づいていないような見えない理由が何かあるのだと想像すること。
そして何も言わない優しさ、許す勇気を持つことも必要なのだと思う。

この人が嫌い。でも悪口は言わない。
自分がされたら嫌だから。
先生がB君に促したように態度に出さないことも思いやり。

人の心は自由。
どれが正しくてどれが間違っているなどない。
人間だから相性だってある。
だから心を無理に変えようとしなくてもいい。

自分の心=行動ではなく、
心と行動の間に思考というフィルターを持つこと。

感じたことをそのまま行動に移すのではなく、自由な心に思いやりの思考というフィルターを通して一番大事な行動へ移していく。
それが自由とセットの責任というもの。

思考を入れるには、嬉しい経験だけではなく悲しい経験も必要であり、それまでの様々な自分の経験から相手の気持ちを想像し、思いやりの行動に移していくことができる。
だから今までどんな辛い経験をしたとしても無駄な経験など何一つとしてない。

誰だって合う合わないはあるのだから全ての人を受け入れることはとても難しい。
だからその自由に感じる心はそのままでもいい。
とりあえず合わない相手に対して態度に出さない思いやりの行動を実体験すること。

そして相手と同じように自分にも欠点があり、
自分と同じように相手にも美点があること。
自分と同じように目には見えない理由があるのだと想像すること。
そうすれば自然と心は後からついてくる。
少しずつ合わない相手も許せるようになる。
自分が変われば相手も自然と変わっていく。

相手の態度は自分のしていることの鏡映し。
だから人の振りを見て我が振りを直す。
相手に悪口を言えば自分もこれから毎日気まずくなる。今度は自分も悪口を言われてしまうかもしれない。何か自分が失敗した時、相手に気持ちよく助けてもらえるのか…
相手にした事は結局はブーメランのように自分に返ってくるもの。


人として知識を得ることは大事なこと。
でももっと大事なのは人の知恵。
これからの時代に必要なのは人の考える力。

覚える力だけではなく考える力を身に付けるということは自分の為でもあり、相手の気持ちや人の見えない理由を想像する思いやりの行為の一つでもある。
同じような経験をしていなくても、知識がなくても、考えることができれば想像できる。

その時代の常識や、みんなそうだからと自分の頭で考えず同じ意見に賛同してしまう同調圧力。
それらに惑わされずに、目には見えない背景を想像し、そこに対して自分に何ができるかを自分で考え自ら行動していく。
見解や常識は時代によって変わる不確かなものだからこそ、疑う勇気と考える力が必要になる。
それが今の時代に問われる責任というもの。


人や周りを変えることはとても難しい。
みんなそれなりの理由があったのだから。
だから自分の心だって簡単には変えられない。

でも自分の行動は変えられる。
自分を好きになれるような行動に自分の思考で変えていける。
人はいくつになっても自分次第で成長できる。

人間にとって大事な三つの力。
思いやる力。考える力。行動する力。

思いやりの心や考える力も大事。
でも行動しなければ何も変わらない。
だから最も大事な行動へと移していく。

人には美点も欠点もある。
それなら相手の美点を意識する。
どうしても受け止められない欠点は本人だって苦しんでいるかもしれない。

困っている人が困らなくなるにはどうしたらいいのだろう。
そこに対して自分に何ができるのかを考え具体的な行動に移すこと。
それが本当の人の為、思いやりというものなのだと思う。


今の時代に生きている自分達の役割は鬼退治ではない

どれが良い時代、悪い時代なんてない。
時代は人が創っていくのだから。
足りないところがあれば良いところもある。

厳しい高度成長期を乗り越えてきた親世代の人達の中にも、その時代の波に乗り、自分の個性や特技を活かしやりがいを見つけ自分を輝かせてきた人もいる。
祖父母世代から受け継いできた良いものを大事にし、また自分達の代へ引き継いでくれたものもある。

貰えなかったものがあれば貰えたものもある。
その時代の影響により被害に合った人達や犠牲になったものはたくさんある。
でもその哀しみの経験が自分や自分の周りのたくさんの人達に大きな学びを与える。
だから犠牲者なんて悲しい人達は誰もいないのだと思う。

完璧な人も、完璧な時代もない。
その時代が人に与える影響は大きい。
でも無駄なことなど何もない。
その経験は自分の成長のために必要だった。
その時代の為にもこれからの時代の為にも、そして自分の為にもこれからの新しい世代の人達の為にも、すべての経験はこれから進化していくための大切な成長過程。

足りないところを責めるのではなく、良いところ、補ってもらえたところは先代の方々に感謝をして、足りないところ、補いきれなかったところは今度は自分達世代が補って次の代へ渡していく。

これからは目に見える環境だけではなく、目に見えないもの…人の心や思考も取り戻していく時代ではないのだろうか。

"鬼を本来の人間の姿に戻していく"

それがこの時代の自分達に与えてもらった役割なのだと思う。


時代の背景からしても毒親の子供達は今相当な割合でいるのではないのだろうか。

毒親に育てられた人達。
確かにあなたも苦しかった。悲しかった。
言葉にはならない悔しさがあった…
ありのままの自分を受け止め、そして愛してほしかった。

それは子供だけではない。大人も一緒。
誰にでもある欲求。
自分を受け入れられなければ自分の足で立って歩くことさえできないから。
そこから成長することもできないから。
そして自分を受け入れられなければ人を認めることもできないから。

でも、そんなあなただからこそ、同じ痛みを知っているあなただからこそ、自分の親に、自分の子供に、周りの人達に、そして自分に対しても、同じ苦しみ悲しみを繰り返さない勇気と優しさ、そして行動力を持つことができる!
正義感が強く、上手くできなかった時の辛い気持ちを知っているA君のように…

相手の気持ちを想像するには経験が大事。
人には見えない理由があることをあなたが一番
よく知っている。
悲しい経験は人を優しくする。

だから大丈夫。
自分が鬼にならないように自分を変えていける。
それが結局は自分の為だから。
様々な経験から自分を成長させ自分を光輝かせる為に生まれてきたのだから犠牲になったものは何ひとつ無駄ではない。

欠点の分だけ親には美点もある。
もちろんあなたにも。
今まで自分の周りに当たり前のようにあったものは決して当たり前なんかじゃない。

欠点のある相手を許すことができたら、欠点のある自分も許せるようになる。
人を許すことができたら相手のいいところが見えてきて感謝の気持ちが溢れてくる。
そしてそんな自分も好きになれる。
そうして自分を、そして人を信じられるようになる。

自己肯定感は人から貰うだけじゃない。
自分で高めていけるもの。
そして人にも与えてあげられるもの。


皆それぞれ違うからみんなそれぞれ違う役割がある。
皆それぞれが違う役割でそれぞれ違う補い方をしていけばいい。
それが自分らしさであり、自分を、そして人を大切にするということ。


自分の番を生きる

温故知新

故きを温ね新しきを知る。
過去の延長線上に今の時代を生きる親達や自分達そして子供達がいる。
ここからさらに未来に向かって真っ直ぐ延びていく線の先にはまだ見ぬ孫達がいる。

この時代に生きる三代が重なり一緒になって協力し合いこれからの新しい未来を創っていく。
それぞれ違う個性を活かして。
その先にまだ続いていく未来の子供達の為にも。

先代から受け継いだたすきの綺麗なところは大切にして、ほつれたところは直して走る。
ほつれた部分を直しても、付けて走ればまたほつれる。
欠点のない人はいないから今度は自分が想像もしなかった別のところがほつれてしまうもの。

よそ見をして転んで大きく破れたところは当て布をして補う。
穴は大きければ大きいほど一代では補いきれない。
補いきれなかったところは子供世代へ託す。
そうしてまた次の代へたすきを渡していく。

たすきを渡すのは自分の子供とは限らない。
次の時代を走っていく若者達へ心のたすきを渡していけばいい。

自分達のたすきを受け取った次の代の子供達もまた親世代の作った新たなほつれを直しては走り、綺麗なところは大切にして次の代へ渡していく。
そして次の代もまた…


完璧な人はいないから完璧な時代もない。
だけど人は学ぶ事が出来る。
過去と同じ大きな穴を作らないように自分の意志で自分の行動を変えていく事は出来る。
人間は欲深い生き物。
欲に目を奪われ転ばないようにしっかり前を見て走る。

戦争により自然も物も、人の心や思考も、そして人の命もたくさん失った。
そして自分とは違う、隣人を愛するという日本人の魂も…

戦争による直接的な被害だけではなく、その後何代にも渡る間接的な被害が続いていく。
その犠牲になったものは計り知れない。
たくさんの大切なものを一瞬にして奪ってしまう戦争を決して…決っして繰り返してはいけない。

自分がもし戦時中に生きていたら…
自分の愛する人や我が子が戦争に巻き込まれたら…
そこを一人一人が想像する。
想像する力は思いやりの力。

今この時代の、この時の、この瞬間に、自分を好きになれるような行動を自ら考え、自分の意志で決断し一人一人が実行していけば避けられるのではないのだろうか。

見返りを求めず相手の立場になって考え行動していくこと。

そのゴールを目指し親から受け継いだ心のたすきを掛けて自分の番を生きていく。
今よりもっと自分を好きになれるように…



【真の豊かさ 真の幸せ 真実の愛】

世界的人気を集めた「アナと雪の女王」 そして答えのないオリンピックの開催の有無 / そこから気づく今の時代に最も欠けている大切なものとは何か…


本当の幸せがある場所は自分の外側?
それとも内側?

本当の幸せとは何だろうか。
自分の欲しいものが手に入ることだろうか。

人間には欲がある。

生きていくために必要不可欠な食欲や物欲、金銭欲などがある。
社会的に名誉のある地位に就きたいという名誉欲や困難を乗り越え成功したいという達成欲がある。
家族や仲間を大切にしたい関係欲も人にはある。

そんな目に見えるものも確かに大事。

食べなくては生きていけないし必要最低限の物だって必要。
その為にお金が無くては生きてはいけない。

昇進したいから苦しくても乗り越えていける。

子供を大学に行かせたいから一生懸命働く。

恋人が欲しくて綺麗になりたいから頑張って自分を磨く。

人には欲があるから自ら行動に移し自分を成長させる事ができる。

ではそれらの目に見える欲が満たされたら人は幸せなのだろうか。

欲には足りているのにまだ欲しい、まだ欲しいと欲しがる貪欲や、人より優れていたい優越欲、相手を思い通りにしたい支配欲など自分を滅ぼしてしまう欲もある。

いつまでも目に見えるものにしがみついて依存してしまうと自分も周りも苦しくなる。

お金のため、昇進のためと思って仕事に執着し過ぎても家庭を壊す。
子供の為と思って人に依存し過ぎても親も子も壊れる。
恋人の為と思って美容に執着し過ぎても自分も相手との関係も壊れる。

自分も周りの人も不幸にする。
目に見えるものに求め過ぎるのはよくない。

欲がなくては生きてはいけないし成長することもできない。
でも欲が過ぎても自分も、自分の大切な人達までも滅ぼしてしまう。
何でも過ぎるのはよくない。
ほどほどがいい。
バランスが大事。


目に見えるものは自分の外側にあるもの。
そして自分の外にあるものは変化するもの。

倒産すれば会社も収入も肩書きも失う。
子供はいつかは自立して親元を離れる。
歳を重ねれば見た目も変わるのが自然な原理。

だから永遠ではない。
その永遠ではないものにいつまでもしがみついていると不幸になる。
変化するものに依存し貪欲に欲しがればいつになっても幸せにはなれない。

いくら裕福でも高い地位や名誉があったとしても自分の外側にいつまでも執着して自分の幸せを求めていれば心は貧しくなっていく。

本当の幸せは自分の外側にはない。
自分の内側にあるもの。
目に見えないところにあるもの。


あなたにとって幸せとは何ですか?
何か特別なことを成し遂げないと幸せにはなれないのでしょうか…
大丈夫、あなたは今すぐ幸せになれます!


人間は欲張りな生き物。
自分の外側にあるものも人にとっては大事なもの。
だから最初は "外にある報酬を得るために頑張る" でもいい。
その方がモチベーションが上がりやる気もアップする。
そこから少しずつ "成長できた自分を好きになり喜びを感じてまた頑張る" になっていけばいい。

目的と手段は履き違えてはいけない。
自分の外側にあるものを、自分に本当の自信をつけるためのきっかけ作りに利用すればいい。
スモールステップでいいから自分の外から内へ求めるようにしていく。
自分の内へ幸せを求めていく。


しかし、自分の外にあるものへ執着してしまう依存体質にもちゃんと理由がある。
大なり小なり誰にでも自分の心の中に空いた穴はあるもの。
親も周りの人達もそして自分も、完璧な人など誰もいないのだから。
そして人に与える影響が大きい時代もあったのだから。

だからみんなにある心の穴は誰のせいでも誰が悪いわけではない。
空いた穴が大きければ大きいほど何かに依存して必死になってしがみついていなければ倒れてしまいそうで、とても一人では立っていられいような状態だったのだから今までは仕方のなかったこと。
あなたのせいではない。

そして自分のぽっかりと空いた穴に影響を与えた人達にも大きな穴があり、自分と同じように苦しかったのかもしれない。
辛かったのかもしれない…
目には見えないけれど、その悲しい想いは同じ経験をしているあなたならよく分かるはず。

だから誰が悪いわけでも誰のせいでもない。
自分がされて嫌だったことを仕返して、泣いている相手にさらに自分と同じ辛い想いをさせるのではなく、誰が悪いわけでもないのだから、ここから誰のせいにもせずに自分の行動だけを変えていくことが大切であり、それが自分も周りの人も幸せになる方法でもある。

憎しみからは幸せは生まれない。
憎しみから生まれるものは、更なる憎しみと悲しみだけ…自分も、誰も幸せにはなれない。
そんな自分を更に嫌いになるだけ。
それが最も悲しいことであり不幸なこと。

だから自分も、誰も責めなくていい。
周りを困らせているように見える人は本人が一番困っている。
あなたが一番辛かったのだから。
そしてあなたにはその分美点もちゃんとあるのだから。
同じように自分に影響を与えた人にも…

だから大丈夫!
大事なのはこれから!
変わらずそのままの自分でいくのか、自分を変えていくかは自分の意志で選べる。

自分に問いかけてみる。
そのままの自分でも好きになれるのならそのままでいいのだと思う。
でも少しでも、これでいいのだろうか…
これが本当になりたい自分なのだろうか…
これは本当に自分の為にも人の為にもなることなのか…
と引っかかる自分がいるのなら、そこから誰も責めることなく、自分を自分らしく少しずつ変えていけばいい。

最初の一歩はとても勇気がいる。
でも一歩踏み出せば明るい未来に一歩近づく。
自分の大事な人生は自分が操作していく。
そのためにまずは、今の時点での不完全な自分を丸ごと信じること。
人は誰もが不完全。
そこには目には見えない理由があったのだから。
そしてそれは自分も誰も悪くはないのだから。

そして自分の美点を活かした自分の生きがい、やりがい、役割を見つけること。
仕事でも趣味でも何でもいい。
人と比べず自分にしかない、自分の為にも人の為にもなるような、なりたい自分に自分で近づけていく。
人の役に立てばさらに気持ちよく自分を成長させていける。

その人にとって乗り越えられないような試練は与えられない。
今こんな辛い経験をしているということは、あなたが必ず乗り越えられる強い人だからこそ与えてもらった試練。
それだけでも凄いこと!
だからそんな自分を見下すことなど何もない。
今の自分に自信を持ち、そこから自分らしく少しずつでいい。
焦らず、誰のせいにもせず、自分をもっと好きになれるような行動を積み重ねていけばいい。
人は成長するために生まれてきたのだから。
人は完璧ではないから生まれてきたのだから。
だから人を変えるのではなく、自分の為に自分を変えていく。

一人で解決することが難しいようなら適切なところや適切な人にお願いをすればいい。
人には自分の得意なところを活かしたそれぞれの役割があるのだからそこに頼ればいい。
自分では解決できないと悲観的になることなど何もない。自分には自分の役割が他にちゃんとあるのだから。

人を頼り解決できたら相手の自信にも繋がり人の為にも自分の為にもなる。
最初は自分の外に頼ればいい。少しずつ外から自分の内へ求められるようになればそれでいい。
そうしてスモールステップで自分を成長させ自分の役割を知り、いつか自分のできる形で誰かに補ってあげればそれでいい。
人と人はお互い様、お陰様なのだから。

人は悲しみが大きい分、それだけ人の痛みを分かってあげられる。人の弱さを受け入れられる。
今までの悲しみは自分の大事な肥やしになる。
そして人を思いやることのできる優しい宝物に自分でしていくこと。

人は最初から上手にはできないもの。
だから失敗だってするのは当たり前。
その失敗もまた自分の為にも人の為にもなる大切な肥やしに変わっていく。
失敗から多くを学び、見えない理由を見ようとする思いやりの心や想像力を育むことができる。
またその新たな優しい宝物を胸に抱きしめ、またそこからやり直せばいいだけ。
今よりもっと自分を好きになれるように…

どんなに裕福でも、若くて綺麗でも、立派な肩書きがあって周りから認められても、自分が自分のことを好きになれないのなら幸せとは言えない。
自分を偽っても、自分をよく見せようとしても、そんな自分を常に見ているのは自分。
自分が一番よく自分を知っている。

自分の中に幸せを見い出すことができたら、周りの状況がたとえ変化しても揺るぎない自信がそこにはある。
幸せは目に見えるもので測れるものではない。
だから周りの評価ではなく、自分が自分を評価すればいい。

自分が自分を信じる。
自分を偽らず今の等身大の自分を受け止め、心に空いた穴のある自分をまずは好きになること。
特別な事をしなくても人は今すぐ幸せになれる。
幸せは自分の心が決めるのだから。

そして大切なのは、誰も責めずにそこからさらに自分を好きになれるような行動を自分らしく少しずつ積み重ねていくこと。

自分らしく、少しずつ…
欲張れば自分を壊してしまうから。

自分の欲に負けることなく、見返りを求めずに相手の立場になって考え行動していくこと。
いつかそんな無償の愛を与えられる人になるれるように、誰も責めることなく人と人との間で楽しく自分を成長させていく。

そんな自分を好きになれるから。
それが自分を愛するということ。
それが幸せというものではないのだろうか。

本当の幸せは自分の内にあるもの。
だから人を変えるのではなく自分が変わる。
自分が変われば相手も変わる。
そうして波紋が広がるように周りも少しずつ少しずつ変っていき社会全体が変わっていく…


『自分の内に求める』
それがオリンピックの真の勝者

期限の迫るオリンピック開催の有無。
オリンピックでの出場を目指し今までひたすら頑張って練習してきた選手達。
幼い頃からの夢だった人達もいるだろう。
もし中止になったらその想いは自分の想像を遥かに超えるものかもしれない。
当事者でなければ本当の気持ちは理解できないから分かったような口を聞いてはいけないが想像しただけで苦しくて胸が痛くなる。

オリンピックの聖火ランナーに選ばれた人達が聖火リレーに掛ける想いもみんなそれぞれにある。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響がなければオリンピック開催へのみんなの思いはただひとつ…

今までの努力によって勝ち取る目に見える名誉や栄光ももちろん大事なもの。
でも目に見えるものの中で、人の命より大事なものはこの世にあるのだろうか…

医療従事者の方々が自分の命の危険と隣り合わせの中、命懸けで頑張っている姿。
今でさえ逼迫している医療現場。
オリンピックが開催されたらどうなってしまうのか…
そして今も苦しんでいるコロナウイルスに感染してしまった人達が大勢いる。
もし自分が同じ立場ならどう感じるだろうか。
どんな風に思うだろうか…
想像することは思いやり。

目に見えるものは変化するだけではない。
自分では変えられないものもある。
オリンピックは状況により変化する目に見えるもの。
そして自分の意志では変えられないもの。

自分では変えられない自分の外にあるものではなく、目には見えない自分の内に自分の幸せを求めることができる人達こそが、この未曾有の危機を乗り越え、オリンピックの真の勝者となることができるのではないだろうか。
オリンピック自体を目的とするか、自分を成長させていくための一つの手段とするか。
それが勝負の鍵となる。

本当の幸せは自分の外側にはない。
自分の内側にあるもの。
目に見えないところにあるもの。


真の豊かさとは

男女平等を掲げる東京五輪。

でも男性と女性は違う。
人を産めるのは女性だけ。
筋力や体力があるのは男性の方。
脳の違いも考え方の違いもある。

男性は皆一緒ではない。それぞれ皆違う。
女性も同じように同じ女性でも皆違う。
そして男性でも女性でもないXジェンダーの人達もいる。
さらにLGBTQIA+、障害のある人達、様々な人種や民族の人々…多種多様な人達が地球上にはいる。

だから男女の違いに限らず人と人との感じ方や考え方、意見の違いがあるのは当たり前であり自然なこと。

意見の違いは決して悪いことではない。
大事なのは自分とは違う意見を否定するのではなく共感し合いまずは受け止めること。
相手の気持ちを想像し、自分がされて嫌なことはしないこと。言わないこと。
それぞれ異なる意見の交わし合いの中から、より豊かな案が生まれてくる。


本当の豊かさとは必要以上に物を増やしたり科学や技術が進歩することではない。
年齢、性別、障害、国籍、人種など一切関係なく、すべての人と人とのお互いの違いを尊重し合う多様な価値観の中で、それぞれの与えられた役割を担い、みんなが持っている能力を最大限発揮していく。
そして限りある資源や環境を守りながら上手に回していく方法をみんなで知恵を出し協力し合い生み出していく。

みんな違うからこそお互いの自分にはないところに惹かれ合いそれぞれ違った役割がみんなにある。
必要のない人なんて誰一人としていない。

すべてを一緒にするのが平等ではなく、一人一人の違いを認め合い、そして受け止め、それぞれにしかない良さを目的達成に向けての前進的な方向に使っていく。

男とか女とか、障害があるなしとか、立場や人種、民族などの枠を超え、一人一人が人間のために地球のためになることは何かを多種多様な脳で考え、異なる意見をそれぞれ出し合う。
その多様な意見を共感力と思いやりの思考でまとめ協力し合って行動に移していく。
人にとって大事な三つの力で人間の、そして地球の危機を乗り越え改善していくことがきっとできる。
みんなの違いこそが無限の可能性を生む。

そうして世の中も人の心もより豊かになり地球全体が愛で包まれていく…
自然と人、人と人との上手な共存。
それが真の豊かさなのだと思う。

そんな日が訪れることを願い、様々な経験から一人一人が自分を自分らしく成長させていく。
誰のせいにもせずに…


豊かな人とは裕福な人でも名声がある人でも権力のある人でもない。
外にあるものは変化する。
永遠ではない。

幸せを自分の外ではなく自分の内に求めている人。
人を変えるのではなく自分を変えていける人。
それが豊かな心を持っている人。

自分の過去の経験から相手の目には見えない理由を想像し思いやりのフィルターを通して自分を好きになれるような行動に移していく。
そんな自分を心から愛せるようになり自分の自信に繋がっていく。
自分の内に変わることのない愛や、揺るぎない自信のある心の豊かさこそが人としての真の豊かさなのだと思う。


真の幸せ/ 真実の愛とは 
見えていなかったのは自分の内にある真実の愛と空いている穴の本当の理由

親は自分の外に幸せを求めていた。
お金や物、家、世間体そして子供達などの目に見えるもの。
それらの変化するものに依存していた。

時代が人に与える影響は大きい。
戦後の貧しい時代。
人間にとってまず生きていくために満たされなければならない欲。

食べること。安心して眠ること。
安全な暮らし。

それが満たされなければ人はそこからさらなる高い志向を目指し成長して自己実現することはできない。
だからこそ人として最低限必要な欲求を手に入れるために戦後の人々はただひたすら必死に働き日本を支えてきてくれた。

目に見えるものを求めることが目的だったのは、自分達の為でもあり、これからの時代の子供達の為にも必要不可欠なことだった。

だから目に見えない理由を見ようとする思いやりの心や考える力の欠如。
そして自分の目に見える外側に強く幸せを求めてしまうような今現代まで続いている価値観は、決して誰のせいでも誰が悪いわけでもない。

戦後の貧しい時代に生まれ厳しい家庭環境の中で育った親。
硬いしきたりの中で厳しくしつけられ、ありのままの自分を受け入れられず自分を大事にできなかったのは親だった。

自分に自信がないから何かに依存しなければ生きていけなくなる。
だから自分の外に幸せを求め子供に執着してしまったのは仕方のなかったこと。

でも、その分親は真面目で頑張り屋。
朝早くから夜遅くまで家族の為に一生懸命働いてくれた。
勿体ないと食べ物を粗末にせず、物をとても大切に扱っている。
子供の為ならお金に糸目は付けず、やりたい事を応援してくれた。

誰にも欠点があれば美点もある。
生まれた時代の影響や育った環境、それまでの経験による価値観がある。
人の持ちものは誰のせいでもない。

自分の周りに当たり前のようにあったものは当たり前ではなかった。
そして自分の周りにないものには、目には見えなくてもそれぞれの理由があり、それは誰のせいでもないことを私は知った。
私はもうこれで親を許せたと思っていた。


でも…
それでも私はまだ親を許せてはいなかった。
どうしても納得がいかず私はまだ親を自分の中で責め続けていた。

私は過ちを認めているのになぜ謝らないの?
なぜ自分を変えようとしないの?
たとえ親のせいではない理由があったとしても、やっていることは間違っているから苦しかったのに、誰からも理解されずに私だけがみんなから悪者と思われている!

それが耐えられなかった。
自分が苦しいのは私ではなく親や周りのせいだと信じたかった。

でも自分が親になり私の元へ生まれてきてくれた愛する我が子や、いろんな形で出会ったたくさんの大切な人達からとても大事なことを気づかされた。

私はずっと自分ではなく親と向き合っていた。
親の理由を探り理解はできても、自分の本当の理由には気づいていなかった。
自分の内ではなく、私はまだ自分の外にあるものに執着していた。

私も親と同じように自分の外に幸せを求めていた。
私は自分を信じてもらいたかった。
親や自分の周りの人達に自分を信じてもらわなければ私は幸せになれないと思っていた。

だから私は親や周りを変えようとした。
自分の中に空いた穴を自分ではなく自分の周りの人達に埋めてもらおうと思っていた。
空けた親自身に償ってもらおうと思っていた。
自分の外にある自分では変えられないものにずっとしがみついていた。
だから苦しかった。
親や周りの評価にいつまでも依存していたのは私だった。

でもそれは…

大切な親だからこそ自分の本当の心をどうしても知ってもらいたい、認めてもらいという想い、
そして大切な親だからこそ間違いを正そうとした親への想い、
どんな理由があろうが行動は間違っているから。その影響でずっと苦しんできたことを知ってほしいという自分の長年の想い、
そして自分と同じ悲しい思いを我が子には絶対させたくないという子供への想い。

私の内に自分や親や子どもを大事にする愛があったからこそ、真の答えをずっとずっと一人で模索し続けてきた。
たくさんの愛が私の内にあるが故に私はずっと親に依存してきてしまった。
ただ、やり方が間違っていただけ…

親と一緒。

誰も悪くはないんだ。


ずっと苦しかった…
でも私の内に愛があったのは親が私にちゃんと愛を与えてくれていたから。

目に見えるものが大事な親にとって惜しみなく子供にお金を投資してくれたということは、それは親としての子どもに対する最大の愛情表現だったに違いない。
それが私の親の愛の形だった。
私はとても愛されていた。
親の愛が私の内にある愛を育んでくれた。
足りないところばかりに目がいき、良いところに気がついていなかった。
親に対しても自分に対しても。
自分にも親にも愛があるのにそれに気づかず私はずっと自分も親も責め続けてきてしまった。

自分に愛を与えてくれた親や周りを責め、愛のある自分を責め自分が自分を嫌いになった。
自分が自分を嫌いになる。
自分が自分を信じられなくなる。
それが最も恐ろしいことであり最も不幸なこと。
それが今までの私だった。

答えは自分を一番よく知っている自分の中にしかないもの。
自分の大切な人達からもらったたくさんの愛や教えを胸に抱き、自分が自分と向き合い、自分自身に問いそして書き出していき、目には見えない一番大事ことがやっと分かった…


でも自分の外側にいつまでも求めてしまった目には見えない理由が私にもある。

自分の生まれ持った性格や、過去からずっと続いてきた権力乱用、自分ではなく人を変える時代の影響。
そんな時代の影響による弱者に足りないところを責め立て自分達の感情や都合を押し付けるしつけ、教育の影響…

これは私達家族の問題だけではない。

代々続いてきた支配による"我慢"が、個人が尊重されるようになった現代に怒りを爆発させたように私は思えてならない。

それがSNSでの誹謗中傷、モンスターペアレント、コロナ警察、いじめや毒親やセクハラ、パワハラなど誰か対象者を見つけは責め立てる。そのため不登校、引きこもり、鬱病、自死など現代の深刻な問題に繋がっていく。

時代の影響から今まで自分を大事にされず、ぽっかりと空いた寂しい穴がある人達が、バッシング依存しているのではないだろうか。

誰も悪くはないのに…

その為に豊かになったものだってある。
だから今までのことは仕方のなかったこと…
親も私もみんなも苦しかったのだから。
誰のせいでもないことを私はもう知っているから、だから親も自分も誰も責めることはもうしない。したくない。もう誰も責めたくない。

大事なのはこれから!

目に見えるものは親世代の人達が余るくらい充実させてくれた。
これからは今まで出来なかった分、自分としっかりと向き合い、目には見えない理由を知り自分を許すこと。

そして自分も誰のせいにもせず自分の内なる成長に求めていくこと。困っている人を変えるのではなく、今の自分に出来ることをして一人一人が行動に移し自分を進化させていく。

今までの時代の良いところは感謝し、足りないところは自分達の代が補なっていく。そんな風に人を責めず支え合う姿勢を自分達が次世代を託す子供達に見せていく時代。

お国の為、社会の為、自分の為から人の為に。
結果、国も社会も自分も目には見えないところが豊かになっていく。

愛は時代によって変わっていく。変えていくもの。

目に見える外からの評価もとても大切なもの。
人から褒めてもらえたり認めてもらえたら素直に嬉しい。
そんな自分を好きになれる。
そしてもっと自分を好きになれるように自分を成長させることができる。

でもそこに依存し過ぎるのは良くない。
何でもバランスが大事。

外からの評価は変化する。
変化するものにいつまでもしがみついていると自分を、そして周りの大切な人達までも苦しめてしまう。
だからこそ外からの評価を変えようとするのではなく自分を変えていく。
評価は後でついてくるものだから。

周りからの賞賛が自分への評価なんて常識は私は信じない。
まずは自分が自分を信じる。
周りには見えない愛や理由が私にはあったのだから、自分が自分を信じなければ誰も自分を信じてはくれない。
自分が自分を信じ、ありのままの自分を受け止め、そこから自分を好きになれるような行動を積み重ねていけばいい。
自分を自分らしく成長させていき、自分の力で自己肯定感を上げていく。
周りからの評価は頑張った自分へのプレゼントだと思えばいい。
でも一番の自分へのご褒美は自分が自分を認めてあげること。
自分の努力は自分が一番よく知っているのだから。

そして周りからの厳しい評価は時に自分を成長させるためのアドバイスにもなり得る。
受け止めるかどうかは自分が判断すればいい。
自分が納得したのなら、今の自分よりさらに好きになれるように誰のせいにすることもなく、これからの自分の行動を気持ちよく変えていけばそれでいい。

美点と欠点は一枚の紙の裏表のように一体。
私は欲が深い。だから執念深いところがある。
だけどその分向上心もある。
繊細だから傷付きやすい。だから人の痛みはより理解できる。だから相手を想う愛もある。
こだわりが強いからとことん考える。
その美点を利用して欠点を補っていく。

これからは親から受け継いだ自分の内にある愛を自分の美点である思考と向上心で伸ばして人の為に使っていく。その役割を自分の自信に変えていく。
美点を伸ばせば欠点は自然と薄れていくこともある。

誰でも欠点があれば美点だってあるもの。
自分の特性と上手に付き合っていく方法を自分を一番よく知っている自分が見つけていく。
そうして自分の美点で欠点を乗り越え自分を成長させていく。

そんな自分を好きになり自分の中の空いた穴を誰も責めることなくこれからは自分で埋めていく。
だから周りの人達が自分の空いた穴を少しでも埋めてくれたらそれは本当に幸せなこと。

そんな私を愛してくれる大切な家族や友人がいる。
私の周りに私に親切にしてくれる大切な人達がいる。
それが幸せというもの。

でも本当の幸せは自分の外ではなく内にあるもの。
相手が愛してくれるから自分も愛すのではなく、自分が愛しているから相手を愛する。
だから本物の愛は人からもらうのではなく自分が与えるもの。

自分が、自分を愛する。
そして自分が、人を愛する。

私の周りに私が大切な、私が愛する人達がいる。
それが真の幸せであり、それこそが真実の愛。

そんな無償の愛をたくさんの人達に与えられるようにこれからも自分を自分らしく少しずつ成長させていく。

自分らしく少しずつ…
時代の波にがっつり呑まれている一人だから…
欲張れば壊れてしまうから…


「アナと雪の女王」がみんなの心に強く響く理由とは

自身の魔法により王国を凍らせ人々を困らせていたエルサ。
しかし自分の持っている才能を上手くコントロールすることができなくて一番困っていたのはエルサ本人。
人々にひた隠しにしていたが故に皆には見えない苦しんでいる理由がエルサにはあった。
エルサは孤立することで自分の中の空いた穴を埋めようとしていた。

そしてずっと一人で寂しくて心の中にぽっかりと空いた悲しい穴があったアナ。
その穴を埋めるために自分の外に愛を求めたアナが信じていたものは真実の愛ではなく偽りの愛だった。

困っていた二人がなぜ幸せを手に入れることができたのか。

人の持ちものにはそれぞれの理由があり、それは誰のせいでもない。
何でも凍らせてしまうというエルサの持っている恐ろしい魔法。
その魔法という一つの特徴は扱い方により美点にも欠点にもなり得る。
その欠点の裏にある美点を活かし欠点を乗り越え人々の役に立つことができたのは二人の姉妹の無償の愛があったから。
そして真実の愛を教えてくれたオラフやクリストフがいてくれたから。

見返りを求めず相手の立場になって考え行動すること。

そんなアナのエルサに対する無償の愛がエルサの凍っている心を溶かす。
そして凍ってしまったアナを溶かしたのはエルサのアナに対する真実の愛。

アナはエルサが自分を避けている見えない理由が分からなかった。
でもずっとエルサを愛していた。
自分も一人で寂しいのに孤立したエルサをいつも心配していた。

そしてエルサもまたアナを避けることがアナの為にもなるとずっと信じていた。
二人の両親も同じこと。
やり方は間違っていたけれど、それが二人の愛する子供達やみんなの為にもなると信じて行動したことだった。

誰もが生まれ持った愛がある。
自分の見えないところにみんなが必ず持っている愛がある。
そこに気づくこと。

自分の内に幼い頃からずっとある真実の愛に気づいたエルサ。
そして自分の持っている魔法には欠点だけではなくその裏側に美点があることにやっと気がついた。
真実の愛こそが凍りついた人の心や世界を溶かしていく。

アナやエルサように愛も心の中にあるぽっかりと空いた穴もあるありのままの自分を受け止め美点を伸ばし欠点を乗り越えていく。
美点と欠点のバランスと心のバランスを整え自分を成長させていく。
これからは周りの人達からの愛だけでなく自分の愛で自分の中にある穴を自分でも埋めていける。
そして自分にしかない自分だけの役割を知り人の役に立って自分を輝かせていく。

それが人としての本当の喜びであり、心から自分を愛するということ。
愛は自信に変わる。
自分に自信を持ち自分で自己肯定感をあげていく。
そして愛や心の隙間を持っているみんなを自分が信じ自分が愛すること。
それが真実の愛であり真の幸せ。


今年は終戦後76年目を迎えた。
そして風の時代、変化の時代の到来。
この時代にたくさんの人達が興味を持ち爆発的な人気を得た鬼滅の刃やアナと雪の女王。
目には見えない、もしくは見えにくい理由を見ようとする心の大切さ。
そして真実の愛とは何かを世界中に訴えている。

そこに子供だけでなくたくさんの大人達も自然に惹かれていくということは、自分達のぽっかりと空いた寂しい心が知らず知らずのうちに求め導かれているのかもしれない。

自分の心の中に空いた穴は大なり小なり誰にでもあるもの。
親も周りの人達もそして自分も、完璧な人など誰もいないのだから。
だから自分に影響を与えた人達にも寂しい穴はある。
でもそれは誰のせいでも誰が悪いわけでもない。
そこには目には見えない理由があるから。
そして自分にも親にも周りの人達にもみんなに心の穴と同じように人を想う愛が必ずあるから。

人には目には見えなくとも誰にでも心の隙間と愛がある。
そしてその心の隙間にも愛にもそれぞれの理由がある。

その受け継いだ愛に感謝をすること。
そして今までの経験から得ることができた、目には見えない理由を見ようとする思いやりの共感力と人を想う想像力。
一番大事な思いやりの行動へと移していく思考力と行動力を持ち、誰にでもある空いた隙間をみんなの愛で埋めていく。
そうして本来の自分を取り戻し、今までの経験をプラスに変えてさらに自分を輝かせていく。

人は生まれてからたくさんの経験をする。
長所も短所もある可愛らしい種を握りしめて、その時代という土地に生まれてきた。
その土地に根を張り、楽しい経験が光となって降り注ぎ、悲しい経験は肥やしになる。
出会った様々な人達から潤いのシャワーを貰い、自分の蕾を少しずつ開花させる。
綺麗に咲いたそれぞれ違う花々は人々を癒し、みんなを笑顔にする。

今まで与えられた全ての経験は自分を輝かせるための大切な宝物。
無駄な経験など何一つとしてない。

人と人との関わりの中での様々な経験を通して自分を成長させていく。
そして自分の役割を知り、人の役に立ち、自分を輝かせる。
そのために人は生まれてきたのだと思う。

だから人を変えようとするのではなく自分を変えていく。
自分を成長させるために生まれてきたのだから自分を変えていく。
全ての経験が宝物なのだから自分も誰のせいにもする必要もない。

目には見えない理由を知り、人を変えるのではなく自分が変わる。
自分が変われば相手も少しずつ変わっていく。
人の為になれば自分の喜びに変わる。
そして自分の更なる自信へと繋がっていき、そこからまた気持ちよく、自分らしく、自分を変えていける。

愛は巡り巡る。
それが心から自分を愛し人を愛するということ。
それこそが真実の愛であり、人としての真の幸せ。

世界中の一人一人が自分や人の内にある愛や心の中の隙間に気づき、自分を、そして人を信じ、困っている相手の立場になって考え行動に移していけば、欲に依存し、物や環境そして人の心や人の命までも犠牲するような戦争など起こり得るはずもない。

真実の愛こそが人を、そして地球をより豊かにしていく。

「アナと雪の女王」はそんなとても大切なことを教えてくれる今の時代に必要な映画なのだと思う。


私がこれからできる親への真の恩返しとは

私がこれから親にしてあげられることは、親の内にある真実の愛に感謝をすること。
そして自分に与えてもらった愛で今度は無償の愛を与える側になること。

親の心の中にある愛やぽっかりと空いた穴。
美点も欠点もある親のありのままを受け止め、そこから少しずつ親らしく成長していくことを願うこと。
それが私から親へ与えてあげられる無償の愛。
人はいくつになっても成長することができる。

でもそれは一方的に自分の考えを押し付けることではない。
親に自分のありのままの姿を見せればいい。
自分を手本にしてもらえるように自分を成長させていけばいい。
そしてもし親が困っていたら助けてあげればいい。
優しく促してあげればいい。
"お母さんはどうしたいの?"
親自身がどうしたいのか、どうなりたいのか、その為にはどうしたらいいのかを問いかけ自分の中にある答えを探していくお手伝いをすればいい。

自分が正しいと思う常識は人には通用しない。
生まれ持った性格もある。
美点や欠点、得意なことも苦手なこともある。
生まれた時代や育った環境、それまでの経験から皆それぞれ違う考えや価値観がある。

親が何を感じ、何を考え、どうしたいのか。
そしてどんな自分になっていきたいのか。
それは親のみ知ること。
答えは親の中にしかない。
自分とは違う親にしかないもの。
それが親がありのままの親自身になるということ。

人は皆それぞれ違う。
人の心はどれが正しくどれが間違っているなどなく自由なもの。
同じように人の思考も自由。
どう考えるかはその人次第。
だから人は簡単に変えられるものではない。
だからこそ諦めずに自分を変えていく。

自分を好きになれるような行動を自分らしく少しずつ積み重ねていけばいい。
何も言わずその姿を見せるだけでいい。
その姿から気づき親が変えたいと思えば変えていけばいい。
変える必要がないと思えば変えなくてもいい。
答えは親の中にしかないもの。
自分ではない親の中にしかないもの。

そしてたとえお互い理解できないことがあったとしても、そこには目には見えない理由がそれぞれにあるのだから責め合う必要は何もない。
自分の外にあるものを変えることは難しい。

しかし目に見えるものは変化する。
これから訪れる数々の経験から新たな気づきや学びがお互いきっとある。
そこから自分を成長させ、自分の思考を、行動を、そして心を自分らしく少しずつ変えていける。

人を変えるのではなく自分を変えていく。
自分が変われば相手も変わる。
そして波紋が広がるように周りも少しずつ少しずつ変っていき社会全体が変わっていく。

完璧にはできなくても見返りを求めない無償の愛を我が子へ、そしてたくさんの方々へ注いでいくということは、自分の学びでもあり、親に大切な教えを持って生まれてきてくれた子どもに対する感謝の想いと、たくさんの真実の愛を捧げてくれた親への真の恩返しなのだと私は思う。


決断をする時に私が大切にしているもの

孤独は人を聡明にする。
自分と向き合う一人の時間は自分を守るためにも自分の成長のためにも大切なもの。

しかし人との関わりを断つ孤立は良くない。
人と人との関わりが自分を知る一番の方法。
人と人との関わりが自分を成長させる一番の方法だから。

自分一人の知識や価値観なんて狭いもの。
自分一人では知る由もなかった知識を得ることができる。
自分とは違う意見を聞くことも思考の幅を広げ、自分と人とは異なることを学ぶ。

自分一人で考え過ぎるのも自分の外に求め過ぎるのも良くない。
何でもほどほどがいい。
バランスが大事。

私が決断をする時に大切にしているものは、
適度に人と関わり、適度に自分と向き合う。
そして最終的には自分で考え、自分で決断し、自ら行動に移していくこと。
誰のせいにもしなくてもいいように、自分の人生は自分が操作していく。

何かを決断する時は人に相談してもいい。
情報を集めてもいい。
自分の中にはなかった何かを得られる。
でも完璧な人はいないから全て完璧なものなどどこにもない。
自分に合う答え、合わない答えもある。
だからこそ最終的には自分で決める。

人に言われたことや得た知識をそのまま行動に移すのではなく、自分のフィルターを通して自分で判断していく。
答えは自分の中にしかないものだから。

"どれが自分を好きになれるような行動なのかな?"

自分はどんな自分になりたいのか。
どれが本当に自分の為にも人の為にもなることなのか…
そこを感じ、考え、そして動く。
他の誰でもない自分の中に答えはある。
自分も人も不孝にしないように自分で考え決断することが大切なこと。

知識を得ることも大事。
しかしこれからの時代に必要なもっと大事なのものは人の知恵。考える力。
自分の内に今までの知識や経験から得た思考のフィルターを持つことが大切であり、その思考力が見えない理由を知り、人や自分を大切にする思いやりの力となる。

相手のことを考えず自分の感情のままに行動するのは幼い子供と心の幼い人。

その誰のせいでもない見えない心を子供から大人へ成長させていくためには、自分のやりたいことや好きなこと、自分の感じたことをそのまま行動に移すのではなく、自由な心と行動の間に人を想う思考を入れて相手を思いやる行動に移していくこと。
それが大人の責任であり、自分を信じる力にも繋がっていく。

人間にとって大事な三つの力。
思いやる力。考える力。行動する力。
自分に問いかけ心で感じ、頭で考え、体を使って一番大事な行動へと移していく。

もし自分の感情のままに動いていた幼い自分に気づいたとしても自分も誰も責める必要は何もない。
それにはあなたにしか分からない、もしくはあなた自身も気がついていないような目には見えない理由があったのだから。
その時はあなた自身が一番困っていたのだから。
そしてあなたの中には人を想う愛がちゃんとあるのだから。

今までの事は仕方がない。
過ぎたことはいい。
これからが大事!
気づいた時が変えていく時。決断する時。
これから少しずつ自分らしく自分を好きになれるような行動を積み重ねて自分を成長させていけばいい。


人にも物事にもメリット、デメリット双方が存在する。
何かを得れば何かを失う。
その法則を分かっていれば良いとこ取りなんてない事を事前に想定することができる。
何かを得てからこんなハズではなかったと後悔しなくてもいい。
これを得られるなら何かを失ってもいいと覚悟をすることも、デメリットを最小限に食い止める準備もできる。
でもそれも経験から学ぶこと。

知識からも得ることはできる。
しかし知識は知恵から生まれるもの。
知恵は経験に思考を加えたもの。

だからこそ、その貴重な経験や思考力から得た宝物である知恵を無駄にせず、これからの人生に活かしていく。その知恵が人にとって必要な知識になり、大事な共感力、観察力、判断力、決断力、そして行動力に繋がり、その経験からまた新たな深い思考力にも繋がっていく。

その人にとって無駄なことは起こらない。
自分の成長のために必要な学びだった。
だから誰のせいにもせず、その大切な経験をさせてもらえたことに感謝をしてまた再び歩き出せばいい。
感謝の気持ちに気づいたら日々が明るく潤ってくる。
そんな自分を少しずつ心から好きになっていける。

人は完璧ではないから成長できる。
人と人との間で楽しく自分らしく自分を成長させていけばいい。

人と比べず自分らしく自分を変えていく。
自分と人は違う。
美点も欠点も、得意なところも苦手なところもみんなそれぞれ違う。

みんなが出来ているから…人に言われたから…
それは自分には関係ない。
自分と向き合い、自分を正しく知り、その目標が自分にとって正しいのか。
自分に見合っているのか。
本当になりたい自分なのか。
そこを見極める必要がある。

そして昨日の自分より今日の自分。
今日の自分より明日の自分。
人ではなく過去の自分と比べていく。
対戦相手は人じゃない。自分自身の中にある。

時には立ち止まる時だってある。
戻ってしまう時もあるだろう。
人は完璧ではないから失敗はするもの。

失敗したからといって自分に自信を失くす必要などない。
失敗したということはチャレンジしたということだから。
勇気を出しトライしたということだから。
そして失敗から学ぶこともたくさんあるのだから。
失敗した時でも自己肯定感を上げることはできる。

だから自分を諦めることはない。
一番恐ろしいことは失敗をすることではなく、自分に自信を失うこと。
それこそが自分を失うことになる。

失敗経験は宝物となる。
今までの悲しい経験が肥やしとなって花咲く日が必ず来る。
明けない夜はない。だから必ず夜明けはやって来る。
失敗から得た学びを糧にしてまたやり直せばいいだけ。

自分を奮い立たせるもの。
それは信念…自分が正しいと信じる強い心。
その信念が思考に加わり強い意志へと変わる。
そして失敗を恐れずチャレンジする勇気が、その意志を一番大事な行動へと促していく。

勇気は自分に与えられた使命感から起こる。
自分の役割に気づき、勇気を出し、自分の持っている能力を活かして人の役に立つ。
人の笑顔が自分の喜びに変わり、更なる幸せへと変わっていく。
それこそが自分の内なる揺るぎない自信となる。
その変わらない自信が自分を恐れず、また前向きにトライしていく原動力となる。


木の根は目には見えないところにある。
でも花を、枝を、幹を支える一番大事なところ。

花や枝や幹を切っても枯れはしない。
けれど根っこを抜けば全てが枯れる。
最も大事なところは目には見えないところにある。

その大事な大事な根に今までの様々な経験から得た肥やしや光や潤いのシャワーを与え、太くそして長く成長していく。
その宝物である経験が、風が吹いても倒れない強い根っこ、揺るぎない自信へと変わっていく。

自信は目に見えないところにある。
嬉しい経験が光に変わり自分の自信になる。
そして悲しい経験は肥やしとなって人の心を癒す。
それが更なる自分の自信へと繋がっていく。

様々な経験から得た自信が自分を愛し、そして人を想う愛に変わる。
そうして自分の内が愛で満たされ自分の魂が光輝いていく。

一番大切なのは行動していくこと。
行動することで自分を変えていける。

今生きている私達には身体がある。
だから今は身体を使って行動に移していくことが一番大事なこと。
しかし命を失ったら身体は無くなる。
そして残るのは魂だけ。
その魂が持っていくことができるものは決して目に見えるものではない。
生まれてからの様々な経験から得たもの。
それは愛と自信。

現世においての一番大事な手段は行動であり、最上位目的は自分の内を愛と自信で満たすこと。
最も大事なところは目に見えないところにある。楽しい経験も、辛い経験も全ては自分の魂を輝かせるため。
様々な経験を通して自分を成長させ、心を愛と自信で満たしていく。

だからこそ限りある命を無駄にしないように一日一日を大切にし、自由な心に思いやりというフィルターを通し、信念と勇気を持って大事な行動へと移していく。
失敗してもそれも全て学びになる。
だから恐れずチャレンジしていく。


私は欲深い。
だから転んでもただでは起きないタイプ。
そして諦めも悪い。
だからこそ失敗から多くを学び自分の自信に変え、また恐れず前向きにチャレンジすることができる。

それは私の大切な親友が教えてくれたこと。

人と人との関わりが自分を知る一番の方法。
人と人との関わりが自分を成長させる一番の方法。
そして人を想う心が自分を成長させる一番の方法。
人と人との間で自分らしく少しずつ自分を進化させていけばいい。


「鬼滅の刃」「新型コロナウイルス」「オリンピック」「アナと雪の女王」「毒親」「発達障害」

全てが共通して教えてくれるたった一つの大切なもの

それは…

【目には見えないものを見ようとする心】

その思いやりの心がとても大切で、でも今現代大きく欠けているものでもある。

「鬼滅の刃」

鬼になってしまったのには理由がある。
目には見えない心の内にぽっかりと空いた穴を埋めるために必死で鬼は人を攻撃する。
元々は人間だった鬼の見えない理由を知ること。
目には見えないところを想像し共感する炭治郎の思いやりの心や優しさが鬼に人の心を取り戻させる。
真実の愛が鬼を本来の姿に戻す。
そして目には見えない鬼の内には受け継いだ愛もちゃんとある。

「新型コロナウイルス」

ウイルスは目には見えないもの。
目には見えなくても人の命を奪ってしまうほどの強い力を持っているもの。
その目に見えないウイルスを一人一人が意識することで感染拡大を抑えることができる。

出歩く若者達へのバッシング。
確かに人の事を考えない軽率な行動は良くない。
しかし今まで周りの大人達から自分のことを大事にされた経験がない若者が、他人のことを大事にできるのだろうか。
それに熟年者に比べ若者達はパワーに満ち溢れている。
同じ我慢でも決して同じではないことも理解しなければならない。
若者達にも目には見えない理由がそれぞれにある。

止まらない感染してしまった人への誹謗中傷。
感染者は移ろうと思って移ったわけではない。
どんなに気をつけていても感染してしまう時だってある。
どうしてもやらなければいけない事や行かなければならない所だってある。
目には見えない理由がそれぞれにはあった。

そして明日は我が身。
もし自分が同じ立場ならどう思うだろうか。
どう感じるだろうか…
見えないところを見ようとする想像力こそが思いやりの力。


「オリンピック」

オリンピックを目指し並々ならぬ練習量を積み重ねて今まで頑張ってきた選手達。
今までの努力によって勝ち取る目に見える輝かしい名誉や栄光は大切な宝物になる。
しかし目に見えるものの中で人の命より大事なものはあるのだろうか。

目に見える周りからの称賛は永遠ではない。
変化するもの。
そして自分の外にあるオリンピック自体を自分で操縦することは難しい。
自分では変えられない自分の外にあるものではなく、自分で操縦できる自分の内に自分の幸せを求めることができる選手達こそが、オリンピックの真の勝者となり、さらに真の幸せ、真の豊かさを手に入れることができるのではないだろうか。

医療従事者は目に見えないウイルスへの不安から肉体的だけでなく精神的にも過酷な業務を強いられている。
命の危険と隣り合わせの中、患者の為に必死に働き、家族を守るため車中泊している医師や看護師も実際いる。
親と会いたくても会えず、いつ自分の親も感染してしまうか分からない不安や寂しさを抱えている医療従事者の子供達が周りの人達に無視されたり、通学拒否されたりしていることも事実。

今でさえ逼迫し著しい負担をかけてしまっている医療現場。
これでオリンピックが開催され感染が瞬く間に広がってしまったら、現場も、命懸けでみんなを守ってくれている医療従事者も、その家族達もどうなってしまうのか…
もし自分がそれぞれの同じ立場だったらどう考えるだろうか…

コロナウイルスに感染して亡くなってしまった人達や今まさに病気と闘って苦しんでいる感染者達も日本だけでなく世界中にたくさんいる。
そしてそれぞれの悲しんでいる家族達も…
もし自分が同じ状況ならオリンピックの開催をどう感じるだろうか。

ただオリンピックが開催されることにより収益を得られ、生活が安定することを期待している人達もいる。
生きていくためにはお金もとても大切なもの。

しかしオリンピックが開催されることによりさらに死者や苦しむ人々が増えることも予測される。
 
目には見えにくいそれぞれの状況や想いを知り、目に見えない答えのない答えを今まさに出さなければならない時。

「アナと雪の女王」

エルサの魔法は目に見えないもの。
自分を知り、自分を成長させる一番の方法である人と人との関わりを閉ざしてしまう孤立。
そんな悲しい孤立をしなければならないアナやみんなには見えない悲しい理由がエルサにはあった。
そして目には見えない真実の愛もエルサにはちゃんとあった。
ただ自分の見えないところに気がついていなかっただけ。
その目には見えない真実の愛が凍りついてしまった人の心や世界を溶かしていく。

アナは目には見えないエルサやクリストフの真実の愛が分からなかった。
でもアナはエルサに会えず誰とも会えずずっと孤独で目には見えない寂しさを心の中に抱えていた。
でもアナにも目には見えないエルサを想う無償の愛があった。

アナに真実の愛を教えてくれたのは、アナの為なら溶けてもいいとアナを守ろうとした目には見えない無償の愛を持っているオラフだった。

やり方は間違っていたけれどアナやエルサの両親にも子を想う目には見えない真実の愛があった。

そしてハンスはアナやみんなを裏切った悪者なのか?
ハンスは自分が一国の王になりたいがためにエルサやアナを消そうとした。
しかしアナやエルサのいないアレンデールの住民を守ろうと必死で頑張った。
住民は先の見えない不安をハンスに頼った。

13人兄弟の末っ子であるハンス王子は、王様になれないことから両親から期待されず育てられ、さらに兄弟からも無視され、いじめられて心の内にぽっかりと空いた寂しい穴があった。

ハンスは目に見える王という立場が欲しかった。
自分の内の悲しい心の穴を埋めるためにみんなに自分を認めてもらいたかった。
変化する目に見える王という立場やみんなからの信頼。
そんな変えられない自分の外にあるもので自分の内を埋めようとした。
自分を変えずに周りを変えようとしたその行動が自分自身を滅ぼし、みんなを不幸にさせる。

根っからの悪者なんて誰もいない。
たとえ行動は間違っていてもそこには見えない悲しい理由がある。
目に見えないところにあるものの大切さ。
そして目には見えない無償の愛、真実の愛、真の幸せとは何かを世界中に訴えている。

「毒親」

毒親と呼ばれている人達はなりたくて毒親になったわけではない。
心の内にぽっかりと大きく空いた寂しい穴には目には見ることのできない時代の背景などの悲しい理由があった。
そして毒親の内にも子を想う愛がある。
ただあまりに大きく空いた穴があるが故に愛が見えなくなっていただけ。
子供を、そして自分も上手く愛せなかっただけ。

毒親を親に持つ子供はありのままの自分を受け入れてもらえず、目には見えない自分の内にある大きく空いてしまった悲しい穴を埋めるために親を、そして周りを責める。
そうしてまた自分自身にも大きな穴を空けてしまい自分の愛する子供にも目には見えない穴を空けてしまう。

良いことも悪いことも代々繰り返していく。
だから毒親から貰った目には見えない、見えにくい愛も必ず受け継いでいく。
そして今までの悲しい経験は人を想う愛に変わる。
人の為になれば自分の愛に変わる。
自分の内が愛で満たされ、人を想う真実の愛がみんなを笑顔にしていく。


「発達障害」

近年発達障害児が増えている。
発達障害の診断基準の変更や医療の進歩による不妊治療が可能となったことなどが理由として挙げられている。

でも本当にそれだけだろうか。
発達障害は見た目には分からない障害。
周りの人達の無理解によるストレスが、より発達障害の傾向を強めてしまっているとも言われている。
自分達の目に見えないところを見てほしい。
目には見えないところが最も大切なんだとみんなに訴えてくれている気がしてならない。

周りを困らせているように見える子は本人が一番困っている。
どうしていいのか分からず困っている。
その困っている子を無理やり変えようとするのではなく、その子の周りにいる一人一人が目には見えない行動の理由を知ること。
そしてその子の困り感に寄り添う共感力や、想像力、そして思いやりの行動に移していく勇気と自信を持つこと。

それがみんなにとってとても大切なものであり、今現代大きく欠けているものでもある。
発達障害の子供達が増えているのは、そんなみんなの為に大切なことを教えてくれるためではないだろうか。

今の時代に必要なとても大切なことを教えてくれる愛情深い子供達。
そして自ら厳しい人生を選んで生まれてきた向上心のある子供達。

そんな発達障害の子供達は、定型発達の子供達に比べ凸凹が大きい。
欠点が大きいということは、その裏にある美点も大きいということ。
目に見えないところが大きく欠けていて辛い想いをしている分、特別な才能を持っている可能性があるということ。

そんな発達障害の子供達が増えているということは、これからの変化の時代にその優れた才能を必要とされているのかもしれない。
だとしたらその特別な才能をみんなの為になるような好転的な方向に活かしていけるように、障害あるなし関係なくみんなが持っているそれぞれ違う心や脳、身体を使って協力し合い、一番大事な行動へと移していかなければならない。

全ては不確かな想定にすぎない。
しかし発達障害に限らず目には見えない障害を持っている人達は、見えない可能性やみんなを想う愛を持っているが故の偏りであることをみんなが知れば、ただ少数派というだけで起きている悲しい差別や偏見などなくなっていくのではないのだろうか。

定型発達の子供達にも見えない才能はたくさん隠れている。
その子にしかない、その子だけの能力を周りの大人達が上手に引き出して、その子が自分の力で伸ばしていけるようにお手伝いをしてあげれば、その子はさらに伸び伸びと成長し、自分の事が好きになっていけるだろう。

誰にもその分欠点はあるもの。
障害があるから欠点を許されて障害がなければ許されない、というのはどちらも間違っている。
たとえ凸凹が小さくても、診断名が付いていなくても、その子が困っていることには変わりはない。
障害がなくても、周りの子は出来たとしても、その子にとったらとても難しいこともあるのだから。

何に困っているのかな…
どうすれば困らなくなるのかな…
障害のある子もない子も、その子のせいではないその子の困り感に一緒に寄り添い、助け合ったり、補い合ったり、許し合ったりしてお互い成長していく仲間同士。
どちらが上でも下でも、傲慢になることも卑下することもない。
相手を否定せず、自分とは違うありのままの相手を受け止め、見えにくい、もしくは全く見えない理由に気づくこと。
そのためにはまずは等身大の自分を知り、好きになること。

人の為にも自分の為にも、今自分に何ができるのかを考え行動していく。
今の自分からお互いが成長し合うことを願い続けていくこと。

そうしてお互いの間にある障壁を取り除いていく。
障害のある子もみんなそれぞれが違う。
障害のない子もみんなそれぞれ違う。
障害のある子とない子の違いは平等な違い。
障害あるなし関わらずこれからの新しい未来をつくっていく子供達は可能性の塊。

そんなこれからの時代を生きていく愛する子供達のために、今を生きる自分達のために、そして輝かしい未来をつくっていくためにも、健常者も障害者も、大人も子供も、男も女も、立場も国籍も人種も民族も宗教も一切関係なく、それぞれに持っているみんな違う可能性を精一杯開花させていく。

人は誰もが完璧ではない。
だからみんなそれぞれ違う。
みんなそれぞれ違うからこそ、みんなそれぞれ違う役割がある。
みんなの違いをみんなで受け止め合い、その違いをみんなが笑顔になれるような前進的な方向へ使っていく。
だから違うっていい。
違うからいい。
必要のない人なんて誰一人としていない。

人間の目には見ることのできない心の内にある愛と隙間の理由に気づくこと。
それがとても大切なこと。

人に優しい肯定的な理由こそが誰もが持っている愛であり、目には見えないものを見る心こそが、その人の心の隙間の理由を知る思いやりの心であり愛でもある。

自分の心を知りたい、人の心を知りたいという想いは、自分を、そして人を大事にするということでもあり、人として自然な心理なのだと思う。

目には見えない心の内にある愛や隙間の理由を知ろうとすることで本当の意味で自分や相手を理解して許すことができたり、相手が困っている問題の根本的な解決にも繋がっていく。
そして自分の役割を知りさらに前向きにチャレンジしていける。

しかし全ての理由を把握しなければならないわけではない。
人には大事な時間がある。
大事な場面や大事な人もいる。
知る必要のない理由やあまりにも理由に執着し過ぎても先へ進めなくなる。
自分も周りも苦しくなってしまう。
でも本当の理由を知らなければこれからの対策が分からず先へ進めない時だってある。
その時の状況に応じて自分が判断すればいい。
何でもバランスが大事。

たとえ理由が分からなくても、知る必要がなくても、その人のせいではない見えない理由が何かあるのだということを知ること…そして信じること。
人は誰もが完璧ではないのだから。

何も言わずに見守る優しさや相手の成長を願うことも思いやりの方法。
見返りを求めず相手の立場になって考え行動すること。
誰のせいすることもなく…

相手の立場に立って考えるのは想像力。
想像力は人を思いやる力。
見えないところを見ようとする力でもある。

だからこそ、たとえ理由が分からなくとも、目には見えないものを見ようとする思いやりの心がとても大切であり、みんなが笑顔になるために最も必要で、大事な力でもある。

見えないものを見る心で自分の役割を知る。
自分に与えられた役割で人の役に立つ。
そんな自分を好きになり自分の自信に繋がる。
そして自信が愛に変わり自分もみんなも笑顔になってゆく…


輪廻転生

戦争によりたくさんの命を奪れた。
戦争で逝去された人達は、戦争によって命を落とすという経験をして帰って行った。

また再び生まれ変わった時にその哀しみの経験が自分の魂に貴重な学びとなって深く刻み込まれ自分の成長を促していく。

そのぽっかりと空いた穴を自分や周りの人達の愛で埋めていき、そこからまた様々な経験を積み重ねていく。
そして自分に与えられた役割に気づき、人の役に立ち、その喜びを自分の自信へと変えていく。

そうして巡り巡って自分の魂を成長させ、愛で満たされた自分を、そして人を、心から愛せるようになっていく…

それが輪廻転生であり、それが魂の真の幸せとなる。


みんなに伝えたいメッセージがここにある

世界中の国々の中で完璧な国など一つもない。
国も人がつくっているのだから。
だから過ちだって犯してしまうこともある。
失敗だってする。

失敗には目に見えない理由があった。
そしてその欠点の裏には美点だってある。
その過ちを責めるのではなく、誰のせいにもせず、それぞれの国が自分達の行動を自分達らしく少しずつ変えていくこと。
憎しみは憎しみを生むだけだから…

自分達の持っている美点を活かし欠点を乗り越え、世界の中での自分達の役割を果たしていく。
それが自国の幸せと自信へと繋がっていく。

しかし過去の失敗は誰のせいでもないからと言って受け止めない、というのは違う。
自分達の過去の失敗によって苦しんでいる人達がいるのなら尚更のこと…
誰のせいでもなくても、そこに理由があったとしても、自分達が苦しかったとしても、行動は間違っていたのだから。
その失敗により傷ついた人達がたくさんいるのだから。

自分達の過去の過ちを偽らず、全てのありのままの自分達を真摯に受け止め、相手側の立場に立って考え謝罪をする。そこから始まっていく。

もし自分が相手と同じ立場だったら…
自分の愛する人が相手と同じ状態だったら…
そこを想像すること。
想像する力は思いやりの力。

確かにその時の自分達にはそれ以外にどうすることも出来なかったことを謝るということは難しいしとても苦しい。
でも、ありのままの自分達を受け入れられなかったら、ありのままの相手も受け入れられない。
相手側も等身大の自分達を受け入れてはくれない。
何も改善されず結果また自分達を苦しめることになる。

苦しくても認めてみんなを幸せにするか。
苦しいから認めずみんなを不幸にするかは自分達で選べる。

本当の幸せは自分達の外にはない。
だから自分達の内に求めること。
自分達の成長を目的とすること。

だからこそ自分達の価値観や自分達のやり方を押し付けるのではなく、相手側の気持ちに寄り添い、見えない理由を知り、困っている人がどうしたら困らなくなるのかをみんなで考える。

そんなありのままを受け止めてくれる安心した空気があれば相手側も心を開いてくれる。
そして一番大事な信頼関係を取り戻すことができる。
目に見えるものは変化するものだから。

自分達の外にあるものは変えられない。
だから自分達が変わる。
素直に謝ればお互いに気持ちがいい。
そこから気持ちよく自分達らしく自分達の行動を変えていける。

人も国も一緒。
どうしたら仲良くやっていけるのかを、みんながそれぞれ違う脳で考え、異なる意見を出し合い、そこから生まれた豊かな案で思いやりの行動に移していく。

"これは本当に自分達を好きになれるような行動なのかな?"

本当になりたい自分達なのか。
自分達の為にもみんなの為にもなることなのか。
みんなが笑顔になるにはどうしたらいいのか…

そこを心で感じ、頭で考え、身体を使って一人一人が行動していく。
人にとって大事な三つの力で国の危機を乗り越えていく。

欲が深い。けどその分向上心はある。
その同じ一つの特徴である美点を伸ばし、戦後から現代まであらゆる部門での飛躍的な進化を遂げたドイツ。
日本には日本独自の特徴がある。

日本人は固定観念が強いところがある。
けどその分真面目なところもある。
戦後の復興、そして奇跡的な高度成長。
今までの苦難を乗り越えてきた直向きさ、勤勉さが日本人にはある。

統一性を重んじるためにそれぞれの個性を認められない傾向にもある。
けど調和を大切にして協調性に優れている面もあるということ。
だからこそマナーやルールを守り礼儀も正しい。

社交辞令や遠回しの言い方など思ったことをはっきりと言わないタイプ。
けどそれは気持ちを察し、相手の嫌がることは言わない優しく思いやりの深い心があるということ。それも日本人の良いところ。

美点と欠点は同じ一つの特徴で裏表で一体。
同じ一つの特徴なら、これからは欠点ではなく美点を意識して日本の欠点を乗り越えていく。
そんな日本の美点を活かし、このオリンピック開催に向けて浮き彫りになった様々な問題を一つ一つ改善していける。

時代の背景などそれぞれ目には見えない理由があったのだから誰が悪いのでも誰のせいでもない。
日本にとっても、当事者にとっても大事な一つの成長過程。
ピンチはチャンス。今が変えていく時!

誰のせいにもせず、日本を好きになれるような行動を日本人らしく少しずつ積み重ねていく。

ありのままの今の日本を受け入れ、等身大の日本を好きになる。
日本を大事にし、日本の為にも世界の国々の為にもなることをする。
そして他の国々の役に立った日本を好きになり日本の自信に変わる。
その自信がまた次にチャレンジする勇気へと変わっていく。
そうして日本人の自信と魂を取り戻していく。


今回のオリンピックが中止となれば莫大な損失が出る。
しかし日本経済にどれ程の大きな影響を与えるのだろうか。
果たして日本が潰れてしまう程のダメージがあるのだろうか…

オリンピックが開催されたらコロナ感染はさらに拡大し、二度と戻らない大事な人の命が今まで以上に失われていく可能性が高くなる。
目に見えるものの中で人の命より大事なものが他にあるのだろうか…
みんなを元気にするためのオリンピックがみんなを不幸にしてしまうのなら何のために開催するのだろうか…
みんなが笑顔で楽しく気持ちよくできる時まで待つことは本当に不可能なのだろうか…

人の心も思考も自由。
何が正しいとか間違っているかなどない。
でも先の見えない答えのない答えを出さなければならないことも事実。

私なりの見解としては、オリンピックが開催されたらコロナはさらに拡大し、感染者や死者も増え、倒産する企業もさらに増え、残された人達は人として最も必要である安心して食べられることや眠れることなどの生理的欲求さえ満たされなくなる恐れがある。
つまり戦後の日本と同じ状況になってしまう可能性があるのではと私は危惧している。

そうしたらまたコロナの苦しい直接的な被害だけではなく、自分を見失い、責め合い、傷つけ合うような悲しい間接的な被害が後世に続いていってしまう。
次第に目に見えなくなっていくコロナの影響という理由も分からずに…

すでに今までもコロナの影響で仕事が減り、生活が苦しくなり精神的にも追い込まれ、親だけでなく子供達にもそのしわ寄せが行き、辛い想いをしている大人達も子供達もたくさんいる。

実際コロナが流行りだした昨年一年間の児童虐待通告は過去最多となってしまった。
まだまだ終息の目処が立たないコロナ。
これでオリンピックが始まったらどうなってしまうのか…

いつでも一番弱いところにしわ寄せが行く。
一般市民。そしてまだ独り立ちも出来ず親から逃げることさえ許されない子供達。
その小さな心の悲しい想いを想像しただけで涙が出てくる。
私はもう決して自分と同じ悲しみ苦しみを、可愛らしい種を握りしめた可能性の塊である子供達にも誰にもさせたくない…

また戦争と同じ被害を繰り返してしまう…
いや、戦争による影響は未だに収まってはいない。
間接的な被害が続いている最中さらに悲劇の第二波が来ることになる。
そしてその悲劇は日本だけに留まらない。
オリンピックにより世界中の人達が集まれば地球全体が悲しみに包まれる…
第二次世界大戦よりももっと被害は広まり想像することも恐ろしい事態になりかねない。
もしそんなことになってしまったら…

みんなで想像してほしい…

だからこそ今、みんなに伝えたいメッセージがここにある。

"目に見えないものを見ようとする愛が必ずあなたの内にもある"

だからそのことに気づいてほしい。

オリンピック延期や中止による大きな損失は、日本が成長していくための貴重な授業料だと思えば、その他に何も変えられない戦争で失った日本人の魂、そして日本人としての誇りを取り戻すことができるのではないだろうか。

一番大事なものは目に見えない自分達の内にあるもの。
目に見える自分達の外側にいつまでもしがみついているとみんなが苦しくなる。
みんな不幸になる…

だから今こそ、みんなの愛でみんなの自信を取り戻していく時。
何かを失えば何かを得られるもの。
犠牲になったものは決して無駄ではない。
目に見えるものもとても大切だからこそ、決して無駄にしてはならない!

目に見えるものもとても大切なもの…
お金が無くては生きてはいけない。
オリンピックが中止になれば、開催により利益を得られることが期待されていた企業に大打撃を与える。
特に中小企業や個人事業主からすれば、延期や中止になった場合の損失はかなりの影響力がある。

しかしオリンピックを開催しなくとも解決できるいい方法が必ずある。
この危機を乗り越えていく最善の方法を、みんなが様々な脳で考え、異なる意見を出し合い、その多様な意見を共感力と思いやりの思考でまとめ、協力し合って一番大事な行動へと移していく。

だからみんな違うことは素晴らしいこと。
みんなの違いこそが無限の可能性を生む。
みんなの違いがみんなを笑顔にする。

そんな自分達が好きになれるような日本を、みんなそれぞれ違う心を一つにして創り上げていく。
自由な心に思いやりの思考というフィルターを通してみんなが笑顔になれるような行動に移していくこと。

日本の特徴である固定観念の強さ。
思い込みが強いということは深く信じこむということ。それだけ信念があるということ。
そして協調性がある。ここで心を一つにできる。
真面目で相手を想う優しさもある。

みんなの優しさの力でまとめた思考を、強い信念と勇気を持ち、みんなの心を一つにしてひたすら真面目に行動に移していく。
そうしてこの未曾有の出来事を、そして日本の欠点を乗り越えていく。

人と人との違いを自然に認め合っていた戦前。
そんな人との違いを尊重し合える日本人の魂。
思いやりの行為の一つである考える力。
そして美点を伸ばし欠点を乗り越え、日本人としての誇りも取り戻していける。

みんなの愛で日本の自信を取り戻す。
そんな日本を、そんな自分達を、そんな自分を好きになれる。

そして日本人の心も日本の世の中もより豊かになり日本全体が愛で包まれていく…



誰かを悪者にする必要は皆無!
じゃあそこからあなたはどうする?

時代が人に与える影響は大きい。
戦争が何もかも奪っていったと言っても過言ではない。
戦争を起こした人や戦争に加担した人達の行動はもちろん間違っていた。
とても許されることではない。
どれだけの命を奪い、どれだけの人達を苦しめたのか…

しかしその時のその人にはそうしてしまった何かしらの理由があった。
どうしてもそうしなければならない目には見えない理由が何かあった。

いけない事と分かっていても自分に与えられた強い使命感から突き動かされたのかもしれない。

自分や、自分の愛する大切な家族を守るためだったのかもしれない。

戦争を起こすこと以外のやり方が分からなかった。知らなかっただけなのかもしれない。

自分の内にある悲しい心の穴を埋めるために、自分の外にあるものにいつまでもしがみついてしまったのかもしれない。

悲しい穴があるが故に自分の心のゆとりがなく、相手の気持ちを考えてあげられる余裕がなかったのかもしれない…

確かに行動は間違っていた。
でも、間違った行動をしてしまったその人には、どうしようもない理由がその時にはあった。
だから戦争を起こした人も、加担した人も、とても苦しかったはず。悲しかったはず…
…だからこそ誰も悪くはない。
誰のせいでもない…

過去の事は誰かのせいにしても、恨みを繰り返すだけで何も良い事など起こらない。
見えない理由を見ずに相手を責めれば、相手も自分を責め、そして人を責めるようになる。
自分の行いを省みず、人を変えようと全てを人のせいにすれば、みんなが責め合い、傷つけ合う。そして、そこから悲劇が起こる。
憎しみから生まれるのは人の悲しみとまたさらなる憎しみだけ…

相手の見えない理由を見ずに責めているのなら、自分がされて嫌だった事と同じ事を自分はしているのだと気づいてほしい。
そしてそれを繰り返さない思いやりの心と思考を持ってほしい。

自分がされて嫌なことはしない。言わないこと。あなたの内にも人を想う愛が必ずあるのだから。
だからきっと戦争を起こした人にも愛はあったはず。
ただその美点を上手に使えていなかっただけ。
その裏にある欠点を意識してより強めてしまったのかもしれない。

人にとって意識はとても大切なもの。
自分の欠点を意識したり、こんな人にはなりたくない!と自分の脳で意識すれば、自分の欠点は強くなり、なりたくない人のように自分がなっていく。

同じ一つの特徴であるその裏の美点を意識したり、こんな人になりたい!と肯定的なイメージをすれば、自分の美点を伸ばすことができ、なりたい自分になっていける。

ただそのやり方が分からなかっただけ…

人に対しても同じこと。
相手の欠点を意識して指摘すれば、相手はより欠点が強くなる。
そして今度は相手が自分の欠点を指摘して関係性が悪くなる。
お互いが自分や相手の欠点をより強めてしまう。

逆に相手の美点を意識して認めてあげれば相手に自信が付き、相手もさらに美点を伸ばしていける。
そして相手も自分の美点を認めてくれてお互いの関係性が良くなる。
お互いが自分や相手の美点を気持ちよく伸ばしていける。

ただそのやり方を知らなかっただけ…

みんなそれぞれの理由がある。
だから過去の自分を責める必要は何もない。
あなたにも見えない理由があったのだから。
そしてあなたには人を想う愛がちゃんとあるのだから。

もし人を責めてしまったら、それは相手が悪いのではなく自分の心の中にある穴がそうしたのだと気づくこと。
だからあなたのせいでも誰のせいでもない。
自分を見失うことは何もない。
その自分の失敗が相手の大事な肥やしにもなるのだから。
相手がその悲しい経験から得た、人を思いやる心や想像力、そして思いやりの思考を使って他の誰かを癒していく。
人の悲しみは愛に変えることができるのだから。

心に空いた穴は大きければ大きいほど自分の愛は穴に隠れてしまって見えにくい。
だからよーく耳をすまして心の中の小さな声に耳を傾ける。
だからこそしっかりと自分と向き合い自分の内の声を聞こと。
そして気がつくこと。
あなたの内には愛がちゃんとあることを。
そして心の隙間には見えない理由があることを。
孤独は人を聡明にしていく。

自分に穴を開けてしまった人達にも目には見えない理由がそれぞれにある。
人は誰しも完璧ではないから、心の穴は必ずみんなにある。
誰もが欠点があるように。

生まれ持った短所に隙間が開けば欠点になる。
生まれ持った長所に愛が入れば美点になる。

親も周りの人達もみんな誰もが完璧ではない。
だから長所や短所だけでなく、誰もが美点や欠点もある。
そして心に愛や穴も必ずある。
だから自分にも長所や短所、美点や欠点、心に愛や穴があることは人としてごく自然なこと。

しかし人を責めればまたさらに穴は大きくなる。
そんな自分を責め自分に自信がなくなる。
自分が自分を嫌いになる。
それが最も恐ろしいことであり、それこそが自分を失うということ。さらにより大きな穴を自分で開けてしまうことになる。

自分を失う…
戦争により命を失った人達。
戦争の被害を受け傷ついた人達。
そして自分自身を失った人達。

当事者でなければ本当の気持ちは分からない。
だから分かったような口を聞いてはいけないことは充分分かっている。
でも全く同じ経験はしていなくても、今までの悲しみの経験から得た共感力や想像力はある。

痛かったよね…苦しかったよね…辛かったよね…

その悲しい気持ちを想像しただけで胸が張り裂けそうになる…

直接的ではなくても戦争による間接的な被害は今もまだ尚続いている。
長い期間、もしくは一生自分を失ったまま命を失っていく人もいるのかもしれない。
そして私もその被害に合った一人なのかもしれない…
今現在も目には見えない戦争による被害を受け、苦しんでいる人達がいることを決して忘れてはならない。

戦争による被害は直接的でも間接的でも、誰のせいではなくても、誰が悪いわけではなくとも、全ての人々を不幸にしたことは間違いのない真実。

だからこそ、自分の内の空いた穴を人を責めたり目に見えるものに依存して埋めようとするのではなく、自分の愛で埋めていく。
自分の為にも、人の為にも、自分を好きになれるような行動を少しずつ自分らしく積み重ねていくこと。
そして今まで自分に関わってきた周りの人達の愛に自分が気づくこと。
それだけでも穴は小さくなる。

今を生きる自分達がもう二度とこの惨劇を後世に繰り返さないように、みんなの愛で自分達の行動を変えていく。

人は誰もが完璧ではない。
だから誰も完璧になどできない。
それでも諦めずまたチャレンジしていく。
強い信念と勇気を持って。

誰が悪いのでもないのだから誰のせいにもせず自分の行動だけを変えていく。
同じ過ちを繰り返さないように…
人の命を無駄にしないように…

みんなで一人一人の、その人にしかない、その人だけの能力を最大限に発揮して乗り越えていく。
だからこそ一人一人の違いを潰さず認め合わなければいけない。
誰一人として無駄な人はいないのだから。
人との違いは大事な日本の宝なのだから。


私は戦争という失敗から多くを学んだ。
生命の尊さや今自分達の周りに当たり前にあるもの有り難み。
目には見えない愛や心の隙間があること。
そして愛にも隙間にもそれぞれ理由があることを…
だから私は戦争による間接的な被害者かもしれないが決して犠牲者なんかじゃない。

日本も戦争から得たものはある。
戦後変化したのはマイナスの部分だけではない。
日本の経済や教育、働き方や女性解放など日本に与えられたプラスの部分もある。
何かを失えば何かを得られる。
だからこそ犠牲になった多くのものは決して無駄ではなかった。

しかしその代償はあまりにも大き過ぎる。
戦争によりどれだけ多くのものが犠牲になったのか計り知れない。
犠牲になったものは目に見えるものばかりではないから…

だからこそもう二度と、みんなを不幸にしてしまう憎い戦争を決して、決っして繰り返してはならない。
これからを生きていく子供達のためにも繰り返すわけにはいかない!

戦争を起こさなくても、たくさんのかけがえのないものを犠牲にしなくても、他にいい方法が必ずある!

戦争から学びを得たのは被害者の人達だけではない。
戦後から今現在に至るまで世界中のたくさんの人々が過去の残酷な戦争から多くを学び取り一人一人の心や思考に刻み込んでいる。
だからこそ犠牲になった命や心は一つとして、ひとつたりとも無駄ではない。
決して無駄にしてはならない。

人は学ぶことができる。
過去の失敗から得た共感力や人を想う想像力。
自由な心にそんな思いやりの思考というフィルターを通し、一番大事な行動へと移していけば必ず防ぐことができる!
一人一人が意志を貫く勇気を持って。


見返りを求めず相手の立場になって考え行動していくこと。

そんな無償の愛を与えられるような人間になるために、失敗しながらも諦めずひたすら前を見て歩み続けていく。

それが最も尊い自分の愛し方だから。
自分のした事はブーメランのように自分に返ってくるものだから…

日本が、世界中のみんなが、そして地球が、笑顔で元気になれる方法をみんなの愛で感じ、みんなの愛で考え、みんなの愛で大事な行動へと移していく。


この時代という土地に根を張らせ、一人一人が持っている自分だけの蕾を自分らしく少しずつ開花させていく。
綺麗に咲いたそれぞれ違う花々はみんなの心を癒し、みんなを笑顔にする。

可愛い笑顔は人から人へと伝染していき、波紋が広がっていくようにみんなが笑顔になってゆく…

やがて花は散り、目には見えない大事な根に愛という名の栄養を蓄える。

その愛こそが風が吹いても倒れない太く強い根っことなり、次なる新たな命と最も大切である揺るぎない自信へと繋がっていく。


真実の愛が自分を、みんなを、そして地球を幸せにする。
それが人が人として生きる意味なのではないだろうか。


この世界中の全ての人類みんな誰も悪くはない。

だから誰かのせいにする必要は皆無。

じゃあ、そこからあなたはどう動く?


自分にとって一番大切なこと

今までずっと自分や人を責めてきた私はやっと自分の足で歩き出したところ。
ゴールまではまだまだ程遠い。

辿り着けるか分からないけれど、自分を、そして人を心から愛せるように、時には寄り道したり、立ち止まったり、失敗して転んだりしながらも諦めず、また立ち上がって前を見てひたすら歩き続けていく。

    "諦めず歩み続ける"


それが自分にとって一番大切なこと。
それが"生きていく"ということだから。

自分も誰のせいにもせず自分の行動だけを楽しく変えて新しい自分になっていく。
自分もみんなも笑顔になれることを願いながら。
そしてそんな自分を心から好きになれるから。

人と人との関わりの中で悩んでいる人も、そうでない人も
今よりもっと楽しく笑顔でいられますように…


【追記】

感動が人を動かす

人はそれぞれ違う。
真の幸せや豊かさ。真実の愛。
生まれてきた意味。そして生きる目的…
それは皆それぞれ違う。
どれが正しくどれが間違っているなどない。
心だけではなく思考も自由なもの。

ここに記したことは私の個人的な見解や自論であり、自分にしかない自分だけの答えはみんなそれぞれ自分の内にあるもの。

自分と向き合い、書き出し、客観視し、自分の心や思考を整理していくうちに様々なことに気付かされ自分の貴重な学びとなり自分の喜びへと変わった。
これまでの自分の経験がたくさんの人達に届き、一人でも多く自分の内にある愛や目に見えない答えを探し出し、自分にしかない自分だけに与えられた役割に気づいて自分を輝かせていくきっかけになれたら、本当に心から嬉しく思う。
そして今までの自分の悲しみが自分の更なる喜びへと変わっていくだろう。
それが私の幸せとなる。
それが人の為でもあり自分の為でもあるということだから。


人は誰もが完璧ではない。
完璧ではないから生まれてくる。
だからこそ完璧ではない自分を責める必要は何もない。

"どうしたらみんなが笑顔になれるのかな…"

それを心で感じ、頭で考え、一番大事な行動へと移していく。

失敗してもいい。
ただひたすら前を見て自分を好きになれるような行動を自分らしく少しずつ積み重ねていけばいい。
いつか無償の愛を与えられるような人間になるために。
自分も誰のせいにもせず…

私はこれから先たくさんの経験をしていく中で、また新たな気づきや学びを自分の進化に繋げていくだろう。
そしてもう二度と自分を見失わないように自分の内としっかり向き合っていく。


人の心も、思考も、行動も変えることは難しい。
全て自由だから。

人を動かすのは感動!
感動こそが人の心に直接働きかけ一番大事な行動へと移してゆく。


私に大切な学びとたくさんの愛を注いでくれた家族と友人

今までいろんなかたちで出会えたたくさんの大切な方々

そして映画「みんなの学校」と
木村泰子さんへ、感謝の気持ちを込めて…

たくさんの震えるような感動をありがとう!
みんな愛してるよ!


 お父さん
  お母さん  

     今までごめんなさい
       そしてありがとう
           大好きだよ…



自分の未来のために一旦過去の整理整頓。
そしてこの時代の役割の一助になることを願い ここに記す。