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“母親であること”にアイデンティティを持つのは危険っぽいという話

1週間くらい前に24歳になった。そして、あと1週間くらいで出産予定日を迎える。

ちょうど1年前のゴールデンウィーク明けに閉鎖病棟へ医療保護入院になったことを考えると、めまぐるしいスピードで環境が変わっていて少しこわい。

入院を経て双極性障害の薬を飲むのをやめてから1年が経ち、現在はかなり精神も安定している。
精神安定剤を飲まないで暮らせるならそれに越したことはない。少なくとも、自分の脳みそで考える力を失くしたくない私には合わない治療法だった(個人的な意見なのでお薬飲んでいる人は勝手に断薬せずお医者の指示に従ってください。私も主治医と相談して10代の頃から続けていた服薬を入院1ヶ月かけて断薬しました。ひとりで断薬は反動でオーバードーズしかねないのでやっちゃダメ)。

特にベンゾジアゼピン系の不安をやわらげる薬をやめるのは本当に大変。断薬を始めて数日は病室の壁に頭を打ちつけて泣いた。
何年間も飲み続けているうちに目も虚になるし思考力が低下して正常な判断が難しくなる。本来自分の考える力をつかって回復する能力がある人まで「まるで精神病」みたいな状態に持っていってくれるのが精神に作用するお薬たちです。
私は非合法のおクスリを使ったことがないからわからないけど、病院で処方されてる精神薬だって大差ないと思う。脳みそが化学物質に支配されて働かなくなる。

数年前、精神障害者保健福祉手帳を役所で受け取ってから「私は自他共に認める精神病患者なんだ」と、あろうことかそこにアイデンティティを見出そうとしていた時代もあるけれど、ただ単に生まれつきの性格と育った環境が相互に作用して極端な思考の癖がついていただけで、私は病気じゃなかった(少なくとも転院したあとの今の主治医は“双極性障害”の診断書は出してくれませんでした)。

人間なんて程度の差はあれ誰でも少しずつ病気みたいなものなんじゃないかな。
「うつっぽい」とか「無性にイライラする」とか「人を殺しそう」とか思ったときは、太陽がのぼったら起きて、バランスの良い食事を3食摂って、少し散歩などして、夜はできれば日付が変わる前に眠る。
ほんとうにこれだけで心はとっても良くなる。でも、そもそも精神状態がよくないときに生活リズムを自分でコントロールするのって死ぬほど難しいんだよね。
私も閉鎖病棟の中で規則正しい生活リズムを強いられることがなければ、朝眠って夕方に起きる生活をいつまでも続けてたと思う。

うつが治った人のアドバイスってクソみたいに参考にならないな、と私も思っていたから、私はできれば今現在苦しんでいる人にも参考になるようなメンタルヘルスの話をしたいんです。
いつかそういう話ができるように、とりあえず今は赤ちゃんを産んである程度育ててマミーブレイン(女性は出産前後に脳が5%萎縮するらしい)が元の状態に戻るのを待たなくちゃいけない。妊娠してから頭が働かなくて本当に悩んでる。

さて、前置きが長くなりましたが、“アイデンティティ”について最近考えていることがあるので備忘録としてここに。

アイデンティティとは、同一性、すなわち「《他ならぬ》それそのものであって他のものではない」という状態や性質のこと、あるいは、そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
「自分は何者であるのか」という問いに象徴され、状況や時期などによって変わることのない自分は自分である、という自己認識として確立される。帰属意識などもアイデンティティの確立に密接に関わる。
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“アイデンティティ”という言葉を初めて知ったのは多分中学生の頃。椎名林檎の『アイデンティティ』を初めて聴いたとき。

曲名の意味自体はよくわからなかったけど「優れていて劣っていて 数だとかレヴェルとか 此処に居れば良いのですか 誰が真実なのですか お金が欲しいのですか あたしは誰なのですか 何処に行けば良いのですか 君を信じて良いのですか 愛してくれるのですか あたしは誰なのですか 此の先も現在(いま)も無いだけなのに…」という歌詞が、高校受験に向けてひたすら偏差値と内申点を上げるためだけに生きていた中学3年生の私に刺さってました。

高校入学して心理学に興味を持った時に“アイデンティティ”について初めて本で読んで、その時もやっぱりいまいちピンとこないままだったんだけど、年齢を重ねるごとにだんだんと理解できてきたような気がする。
難しい言葉でややこしく説明されてもわからないけど、「自分の好きなものはこれ」とか「私は○○のために生きてる」みたいなことを周りの評価とか自分の置かれてる環境によって左右されなくなって初めてアイデンティティの確立ができたっていえるんだろうな。

18歳くらいまで自分の好きなものが本当に分からなくて、「これを好きって言ってもみんなに変だと思われないかな…」が物事の判断基準になってたからものすごく生きづらかった。
20歳を過ぎてだんだん自分の好きなものやことがわかり始めてからは「私がわたしであるために必要なものは私のからだとこころのみ。帰属意識は必要ない」というのが気づけばポリシーになっていた。
“好き”とか“やりたい”、もしくはその逆の感情に従って生きていたら、疫病が収束したあとに戻る集団が無いことに気づいてなんだかどうしようもない孤独感に苛まれた。
どこかに対する帰属意識がつよすぎるのも問題だけど、少しくらい持っていないと人って不安になるんだ。

それと同時に“わたしはおなかの子どもの母親である”ということを強く意識して、これはもしかしてすごく危ないんじゃないかと気づいた。
安定した仕事もしてなくて、歌をつくって歌うこともつらくなっちゃって、今現在何もしていない私が子どもを産んで育てることに集中してしまったら、“母親”という役割に安心して依存してしまう。
子どもはなにがなんでも保護者を求めるものだから、承認欲求なんかも満たされた気になったりして。

親と子はいつか精神的にも経済的にも離れることを前提に、親のほうから積極的に自律・自立を促す関わりをしていかなくちゃいけないのに、“母親”という役割に依存していたらいつまでも子どもを手放せなくなってしまう。
それに気づけないまま子どもを成人させてしまった人が、いわゆる“毒親”と呼ばれる人たちなんだろう。
本人にとっては、ただわが子を愛して大切に育てただけなのに。愛はとっても難しいよね、加減が。

あくまでも自分を構成するひとつの要素としての“母親”という役割にとどめておいて、自分は自分の人生を生きること。
あと数日後に始まる何年も続く子育ての中で、このことをいつも忘れないようにしたい。

妊娠してからさまざまな人との関わりの中で、“親は子のために自分を犠牲にすべき(“親らしく”振る舞うべき)”のような風潮がまだ根強く残っていることを感じた。
「母親になるんだからもう派手な服装や髪型はやめなさい」とか「子どものために生きなさい」といった類の言葉をかけられることが多かった。
正直つわりのしんどさとかにやられて、多少の違和感は覚えつつも「そうだよね。母親らしく生きて自分はある程度抑えなきゃ」みたいに思ってしまっていた時もある。

でも“威厳のある父親”とか“控えめな母親”のようなステレオタイプの親が必ず子どもに良い影響を与えるわけじゃないし、「子どもの気持ちに親が共感すること」が子育てにはとても大事だと思うんだよ。
親からの共感があれば人はつよくやさしく生きられるはず。そこに“親らしく”という要素は一切必要無い、人間と人間の関わりだから。
“親らしく”なくても、人間らしい優しさを持って接すれば自然に子はまっすぐ育つって私は信じているよ。

若くして子どもを産んだ人は特にアイデンティティの確立がすごく難しいと思う。自己認識が曖昧な時に子どもが生まれたら、どうしても“親である”をアイデンティティにしてしまうだろうから。
私は来年にはアラサー(!)になるから際立って若ママではないけど、ついこの間まで学生で自分のことだけ考えていればよかったから、突然守るべき存在みたいなのが現れるとどうしても自分の役割をそこにあててしまいそうになるよ。
子どもが小さいうちはそれでもいいと思うけど、大人になってからお互い本当に困ると思う。いつの間にか共依存になって離れられなくなる。そういう親子、いっぱいいると思うんです。

あくまで親は子の人生のお手伝いをするだけで、親は親自身が主人公の人生を生きるべき。
自分を犠牲にした途端見返りを求めるようになるし、生きる意味を自分ではなく子どもに見出そうとしたら、子どものことを自分の“正しい”に当てはめて支配したくなると思う。

ひとりだった頃のように「全て自分のため」とはいかないけど、子育て中の生活の一部に自分のためのことを取り入れないといつまでも子離れできない毒親になってしまう。そしたら親も子もどちらもつらくなる。
だから全国のママたちは私も含め、できるだけ自分をないがしろにしすぎずに生きてほしいって思います。
私は自分を大切にすることもちゃんとがんばりたい。

こういうことをいちいち考えず自然に素敵な子育てができてしまうひとは愛の天才だよ。ジーニアス・オブ・ラブね。私は自分の子どもをそういう天才に育てたい。

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