つれづれつづり/009

つれづれつづり/009

マガジン

  • つれづれつづり

    • 144本

    それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。

記事一覧

Step By Step

いまだに国からマスクは届かない。 ウイルスの拡散防止のためというよりは、シーズン的に花粉から身を守るために必要としていた時期にあの品薄騒動が勃発し、一時はどうな…

世界と世態と世代の中で

ふと、去年のカレンダーをぼんやりと意味なくスクロール。 2019年の4月の今ごろ。 憲政史上初、200年ぶりの譲位に伴う改元が間近にせまったお祭りムードの中、なにかにつけ…

誰かが甘く誘う言葉にもう心揺れたりしないで

そうは言っても明日はやって来るし、明日どころか今日だって生きなきゃならないし。 夜逃げのように職場を去っても、まだしばらくは誰かに雇用される日々は続く。 不景気…

何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて

散らばった粘り気の強い物体をかき集めて容器に入れて蓋をしようとしても、ニュルっと隙間から溢れては散らばって集めてを繰り返していた。 この2ヶ月間、文章をまとめるこ…

辞めました

2019年3月、サラリーマンを辞めた。 1999年4月から始めてちょうど20年。 始めて、じゃないな。 始まって、だな。 そこに自分の意志が働いてはいないもの。 飲食店開業? …

それでも恋は、恋。

前回の記事を書いたあと、ほどなくして43歳になった。 子供の頃からつねづね「早く大人になりたい」と思っていて、ゲイ能界の巷間に横たわる【若さこそ正義】といった怨念…

自己肯定感が低い人の恋バナ

愛の部分はさておき、恋の部分の話ならできそうな気がする。 僕にとっての恋愛が、「そんなものは無いのである。」からのスタートだったのは前回書いたとおり。 それでも…

LOVE 2019

「プレリュードに乗ってディスコに行って赤プリに泊まって…。」と、令和の時代には些か意味不明なワードをスラスラと並べ立てられるくらい物質文明の子だったもんな…と回…

Re:終わりと始まり

令和元年。 レコードを聞きながらこれを書いている。 ちょうど平成が始まった頃に音楽メディアの主役の座をCDに奪われたレコード。 紆余曲折を経て、平成の終わり頃から再…

辺際

平成11年。 新たな歌姫が低い天井の下で窮屈そうに歌っているうちに、巷に溢れる物はおよそ半透明になり、ジャニーズの新グループがデビュー曲で着た衣装も透けていた。 …

気がつけばそこにあるもの

平成4年。 少し前まで新鮮味があった「平成」も、もはや空気となって久しかった。 この年、僕は中学校を卒業し、電車を乗り継いで片道1時間半の距離にある高校に通い初め…

“ともだち”っていうルール

平成2年。 後になってそれは、後悔や失意、もしくは運良く、あるいは強かに難を逃れた者たちから渦中の者たちへの嘲笑を含みながら「バブル」と呼ばれる時代の只中に、中…

終わりと始まり

昭和64年1月7日。 中学受験を間近に控えて、通っていた塾の冬期講習最終日。 まだその人のことをよく理解していなかった、教科書に出て来る眼鏡を掛けたおじいちゃん。そ…

Step By Step

Step By Step

いまだに国からマスクは届かない。

ウイルスの拡散防止のためというよりは、シーズン的に花粉から身を守るために必要としていた時期にあの品薄騒動が勃発し、一時はどうなることやらと鼻水を垂らしながら気をもんでいたのだけれど。
自粛の手持ち無沙汰が作らせた友人お手製の布マスクの恩恵にあずかる頃には、花粉も鳴りを潜めていた。
いまや感染を防ぐというよりは、良識ある日本国民であることを証明するバッヂになったマ

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世界と世態と世代の中で

世界と世態と世代の中で

ふと、去年のカレンダーをぼんやりと意味なくスクロール。
2019年の4月の今ごろ。
憲政史上初、200年ぶりの譲位に伴う改元が間近にせまったお祭りムードの中、なにかにつけて「令和」を謳えばそれでヨシと言わんばかりのころ。
自分のスケジュールにも「平成最後の〜」といった大義名分の集まりが記録されていた。
平成最後の日は中野でジンギスカンを食べて、翌日の令和初日から車で旅行に出かけたんだった。
そうい

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誰かが甘く誘う言葉にもう心揺れたりしないで

誰かが甘く誘う言葉にもう心揺れたりしないで

そうは言っても明日はやって来るし、明日どころか今日だって生きなきゃならないし。
夜逃げのように職場を去っても、まだしばらくは誰かに雇用される日々は続く。

不景気の風が吹きすさぶ中、それまで勤めたどこの職場でも正規雇用より非正規雇用の人員数が多く、とりわけ派遣社員の比率は高かった。

でも、これといった目的意識もないまま世間体のためだけに働いているのに「社員だから」というくくり一つで雑用から責任ま

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何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて

何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて

散らばった粘り気の強い物体をかき集めて容器に入れて蓋をしようとしても、ニュルっと隙間から溢れては散らばって集めてを繰り返していた。
この2ヶ月間、文章をまとめることができなかった。

このマガジンに定期的に寄稿するようになってから早いもので1年が経った。
これまではどんなお題が出てもそこそこサラッと何かしらの記事には出来たのに、今回のテーマ「仕事」はそうはいかなかった。
それはきっと、今までずっと

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辞めました

辞めました

2019年3月、サラリーマンを辞めた。

1999年4月から始めてちょうど20年。
始めて、じゃないな。
始まって、だな。
そこに自分の意志が働いてはいないもの。

飲食店開業?
独立してフリーランス?
いまさら自分探しの旅?
サラリーマンを辞めた、のあとに続くのは、概ねこんな感じがセオリーのような気がするけど、そういう「前向きに進むための辞職」ってわけではなく。
2019年も11月も終わりそうな

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それでも恋は、恋。

それでも恋は、恋。

前回の記事を書いたあと、ほどなくして43歳になった。
子供の頃からつねづね「早く大人になりたい」と思っていて、ゲイ能界の巷間に横たわる【若さこそ正義】といった怨念のような概念に触れるたびに薄ら笑いを浮かべてやり過ごす僕には、見た目や感性の老いに多少の抵抗はするものの加齢にともなうネガティブな感情はない。

ただ、やっぱり笑ってしまう。
「お前が43歳かよ」と。

その年齢に達した日に、その年齢に対

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自己肯定感が低い人の恋バナ

自己肯定感が低い人の恋バナ

愛の部分はさておき、恋の部分の話ならできそうな気がする。

僕にとっての恋愛が、「そんなものは無いのである。」からのスタートだったのは前回書いたとおり。
それでも何度か恋をした経験があるのはやはり本能と言うべきものなのか。
恋をして、「そんなものは無い」と蓋をしようとして、蓋ができた恋とできなかった恋、それと蓋の存在を忘れていた恋がある。

蓋ができた恋は中高生の頃の恋。
同級生、先輩、後輩…アラ

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LOVE 2019

LOVE 2019

「プレリュードに乗ってディスコに行って赤プリに泊まって…。」と、令和の時代には些か意味不明なワードをスラスラと並べ立てられるくらい物質文明の子だったもんな…と回顧しながら自分の恋愛観ってなんだろうと考えている。

恋愛ってのは最低限2人の個性が絡み合った結果の産物じゃない?
人によっては、そこには僕も含まれるのだけど、人じゃない物体や物質に恋愛感情を抱く場合もあれどそこはひとまず置いといて。
すな

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Re:終わりと始まり

Re:終わりと始まり

令和元年。
レコードを聞きながらこれを書いている。

ちょうど平成が始まった頃に音楽メディアの主役の座をCDに奪われたレコード。
紆余曲折を経て、平成の終わり頃から再び生産枚数が伸びているらしい。かく言う僕も半年ほど前から興味が出て来て、中古のプレーヤーやアンプ、スピーカーを一通り揃え、二束三文で売られていたジャンク品のレコードを漁って楽しんでいる。

トレイにポンと載せるかスロットへ挿入して再生

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辺際

辺際

平成11年。

新たな歌姫が低い天井の下で窮屈そうに歌っているうちに、巷に溢れる物はおよそ半透明になり、ジャニーズの新グループがデビュー曲で着た衣装も透けていた。
聞いて話すだけだった携帯電話がインターネットに繋がり、ポケベル娘から順調に成り上がってきたアイドルが難関大学へ3ヶ月しか登校しないと批判されていた頃、あちこちへ電話をかけていた平成おじさん内閣の支持率は急上昇し、日本の未来はWowWow

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気がつけばそこにあるもの

気がつけばそこにあるもの

平成4年。

少し前まで新鮮味があった「平成」も、もはや空気となって久しかった。
この年、僕は中学校を卒業し、電車を乗り継いで片道1時間半の距離にある高校に通い初めた。

エゴや利害関係や政治力と言った、これから先の人生において少なからず影響がありそうなものの片鱗に触れることが出来た中学での経験から、当面の目標は3つ。親や社会からは善良な一生徒だと思われるようにすること、だけど同級生からはダサいと

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“ともだち”っていうルール

“ともだち”っていうルール

平成2年。

後になってそれは、後悔や失意、もしくは運良く、あるいは強かに難を逃れた者たちから渦中の者たちへの嘲笑を含みながら「バブル」と呼ばれる時代の只中に、中学2年生の僕はいた。とは言え、実際には既にその終焉へのスタートは切られていた。永遠の右肩上がりを皆が信じていた日経平均株価は前年の大納会を頂点に急激に下がり続け、この年の終わりには4割引の大セールとなっていた。

と、このような話は大人に

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終わりと始まり

終わりと始まり

昭和64年1月7日。

中学受験を間近に控えて、通っていた塾の冬期講習最終日。
まだその人のことをよく理解していなかった、教科書に出て来る眼鏡を掛けたおじいちゃん。その人が何なのかイマイチ掴みにくいけれどいつもそこにいたっぽい人が亡くなったとテレビが伝えていた。

映像には涙を浮かべる大人が映っていたけれど、ついこないだまで同級生にからかわれては度々泣いていた僕でもその程度の認識しかない人が亡くな

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