気がつけばそこにあるもの
平成4年。
少し前まで新鮮味があった「平成」も、もはや空気となって久しかった。
この年、僕は中学校を卒業し、電車を乗り継いで片道1時間半の距離にある高校に通い初めた。
エゴや利害関係や政治力と言った、これから先の人生において少なからず影響がありそうなものの片鱗に触れることが出来た中学での経験から、当面の目標は3つ。親や社会からは善良な一生徒だと思われるようにすること、だけど同級生からはダサいと思われないようにすること、そしてゲイであることがバレないようにすること。
正直なところ、高校生活の記憶はあまり残っていない。比較的自由な雰囲気の校風だったこともあり、傍から見れば楽しい高校生活を謳歌しているように思われていたに違いない。そう思われなければ困る。そう思われるために、そう見られるために人一倍努力したのだから。今となってみればものすごくちっぽけな世界に向けて張っていた滑稽な見栄だけど、この頃はそうしなければ自分を守れないと思っていた。目標達成を妨げる脅威が起きないよう、毎日が平穏に過ぎ去ることだけを願っていれば記憶に残るはずもない。高校の同級生の中で今でも連絡先が分かる人が一人もいないことが、ある意味目標を達成した成果なのかもしれない。
原稿用紙1枚に足りない程度の文章で片が付くほど記憶が希薄な高校時代も終わり、正月明けから阪神大震災、地下鉄サリン事件、Windows95発売と、この年から始まった今年の漢字に「震」が選ばれるほど世の中を震撼させたニュースが続き、もうなんだってアリみたいな時代だからと安室ちゃんが歌い上げた平成7年の春に僕は大学に入学した。この頃はテロ対策の名目の下、駅のゴミ箱がことごとく撤去されて難儀した記憶がある。
大学時代は一言で言うと楽しかった。多少の制限はあれど、自分の受けたい授業だけを選択できることも、授業の出欠席を自分次第で決められることも、高校までのように毎日必ず同じ教室で同じ人達に会うことを強制されないのも楽だった。関係性の密度が薄ければ自分が隠していることがバレる可能性が低くなると思えた。バイトをしてみたり、サークルに入ったり、その他大勢の学生と同じことをしようと努めたのも、自分の存在を薄めて周囲の記憶に残りたくなかったからだ。4年後にまた別の世界へ出ていく時には全てリセット。卒業まではそうやってやり過ごすつもりだった。
しかし、大学2年になる直前に世界が変わった。好きな人が現れ、その人と付き合うことになった。サークルの同期で、同い年。当然ノンケだと思っていた人。
この頃に至るまで自分以外のゲイと会ったことはなく、ノンケへの恋の片道切符を使わない(告白しない)まま何枚も買っては破り捨てて来たので、今回もまたその1枚の人になるはずだった人はゲイだった。それを告白してから知るんだから、今思うとあの時の無鉄砲さと向こう見ずな自分が怖くなる。大学を辞めるつもりで、それまでの全てを捨てるつもりで告白したあれほどの気概はこの先一生出ては来るまい。今流行っている歌と言えば…くらいの認識だったウルフルズの「バンザイ〜好きでよかった〜」は、この日から脳内ヘビロテ曲になった。
とにかく、生まれて初めて「お付き合い」をすることになった。ポパイやホットドッグ・プレスに書かれていたことはほとんど役に立たなかった。
それまでとは打って変わった世界に生きていることが新鮮だった。彼と一緒にいるといつもの街並みが華やいで見えた、そんなことすら口走ってしまいそうなくらい浮かれていた。春めいていく時季だったこともあり、我が世の春とはまさにこのことかと思えた。
春休みが終わるまでは。
春休みが終わり、授業が始まると隠すことが増えていた。「自分はゲイである。」が、「自分はゲイであり、ゲイと付き合っている。」ことに変わった。自分一人のことを隠している時は、万が一それが明るみになったとしても自分一人が傷つけば済んだけれど、今度は自分以外が傷つく可能性が出てきた。自分が傷つくのは何ともなかったなんて言えば嘘になるけれど、割とどうでも良かったしどうにでもなると思っていた。けれど、彼を傷つけるのは嫌だった。絶対に嫌だったし、絶対に失いたくないと思った。
以前に増して周到に嘘をついた。高い壁を築き、普段はその壁の外側で外向きの自分がニコニコしていたけれど、その必要がなくなった時にはすぐに壁の内側でひっそりと安らかに過ごしていた。大学の友人には地元の友人に会うと嘘をつき、地元の友人には大学の友人に会うと嘘をつき、彼と会っていた。自宅から大学へは電車で2時間ほど掛かったので、こういうアリバイ工作が容易だった。
SNSどころかデジカメもGPSも、それらを搭載して室内でも地下でも繋がる携帯電話も普及していなかった時代にただただ感謝である。
嘘をつけばつくほど楽になっていった。罪悪感は全く無かった。
彼とはもちろん喧嘩もした。喧嘩と言うか、感情の塊のような僕が感情の欠片を投げつけては、常に冷静で感情の起伏が少ない彼に見事にかわされるような一方的な諍いのことが多かった。彼との関係を壊されたくない、壊したくない。張り詰めた思いというものは往々にして空回りし、時に彼への攻撃と化してしまうこともあって、随分と迷惑も掛けた。その度に彼の大らかさ、屈託の無さに救われた。会っているといつも時間があっという間に過ぎ、この時間がずっと続いてほしいと願い、続かせるためにどうすればいいかずっと考えているうちに、当然のように季節は流れて平成も二桁の時代になろうとしていた。
安室ちゃんは結婚して、休業して、出産して、復帰していた。
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