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“ともだち”っていうルール

平成2年。

後になってそれは、後悔や失意、もしくは運良く、あるいは強かに難を逃れた者たちから渦中の者たちへの嘲笑を含みながら「バブル」と呼ばれる時代の只中に、中学2年生の僕はいた。とは言え、実際には既にその終焉へのスタートは切られていた。永遠の右肩上がりを皆が信じていた日経平均株価は前年の大納会を頂点に急激に下がり続け、この年の終わりには4割引の大セールとなっていた。

と、このような話は大人になってから知ったことだ。
一億総浮世離れな時代の只中にたまたま生きていても、ニキビ面の田舎の中学生がそれを実感できるような機会はなかった。外車に買い替えたとか、夏休みに家族全員でサイパンに行ったとか、長年家業を営んできた古めかしい店舗兼住宅が立派なビルに変わったとか、今思えばまさに庶民レベルでの景気のいい話は転がっていたけれど、毎月の小遣いが札束になったわけでもない。

ただでさえいろいろと難しいお年頃のうえ、同級生が皆女性の裸体で目をギラギラさせている時期に、手前と来たらそのギラギラしている同級生の裸体を想像してはギラギラしているのだ。既にそうなることへの疑問はなかったけれど、人に知られて歓迎されることでもなければ看過されることもないと思っていた。毎日「皆と同じ女性をギラつき対象にできるんだけど、そういうことにはあまり興味がない中学生男子」を演じることに必死だった時期、浮世離れの匂いなど感じている余裕はなかった。

中1のから同じクラスにだったとある男子への恋心はまだ続いていた。お互いの家を行き来したり買い物に付き合ったり、CDやゲームボーイのソフトのの貸し借りをしたり、そういった学校外での接点が増えていた。僕は今でもサザンオールスターズが好きなんだけど、きっかけは彼がサザンを好きだったからだ。少しでも彼と共通の話題を増やしたいと思って聞き始め、レンタルCD屋に足繁く通っては借りたアルバムをテープにダビングして毎日のように聞いていた。おかげで今もカラオケで歌う曲のレパートリーには事欠かない。

何かにつけて彼の方から声を掛けてくれることが多く、本当は誰よりもずっと一緒にいたいのにそれを言葉に出来ないばかりか、「まぁ、お前が言うなら一緒に行ってやるよ。」と言わんばかりの態度しか取れなかった自分は彼の行動や言動に心底依存していた。依存だとしても、その時の多幸感は今でも思い出せるくらい強烈なものだった。

その他大勢の中学2年生と同様に、僕も彼も(対象とする性別は異なれど)性的なことに大いに関心があった。彼は割と明け透けに言葉に出すタイプの人で、その度にドキドキしながら「そういうこと言うのやめろよー。」と胸の内とは裏腹な言葉を返すと、その反応が面白かったのか更に言葉を重ねてはからかって来る人だった。一体どこから入手したのか、「これスゴいんだぜ?」と言いながらモザイクの無いアダルトビデオを貸してくれたのも彼だった。

そんな他愛もないやり取りから、少しずつ僕たちの接触レベルが上がっていった。学校の休み時間に教室の隅に僕を立たせると、彼は背中を向けて僕の前に立ちはだかり強めに寄り掛かる。そして後ろ手で僕の股間をまさぐるのだ。僕は笑いながらいつものように「やめろよー!」と言葉では抵抗するもその手を払いのけることはしなかった。そうやって嫌がる素振りを見せれば彼は面白がって続けて来ることを知っていたからだ。程なくして「なんだぁ?この程度で勃っちゃうのかぁ?」と、笑いながら彼が体を離す。その瞬間の切なさと言ったら!

その後、彼は家に遊びに来るたびにそういう「じゃれ合いのように見せかけた着衣ペッティング」を繰り返した。彼が何を思ってそういう行動に出たのか、当時も今もわからない。彼にされるだけではなく、僕も彼を触りたいと思った。ただ、僕が仕返しの体で彼に手を伸ばすと決まって拒まれた。それが「告白してフラれた時の失望感や未練がましさってこんな感じなのかな?」と僕の気持ちをかき乱した。告白なんか絶対に出来ないのに。

いつでもどこでもこの人と一緒にいたいと思った。

僕はこの時、完全に恋に落ちていた。恋に落ちるということがこれほどまでに辛いものならば、そこら中で恋をしては悲喜こもごも、なのに最後は首尾よく大団円を迎えるトレンディードラマの世界がどうにもこうにも現実味を帯びてこなかった。全ては僕の中で始末すべきことだった。思慕の念を彼に伝えても、それが成就する可能性より自分の居場所がなくなる可能性の方が限りなく高かった。パソコンもインターネットも手にしていない14歳の僕にはそれ以上の未来は見えなかった。

中3になると彼とはクラスが離れ、それまでのような可愛らしくも濃密な接触の機会を失った。当初は地元の高校へ進学しようとしていたけれど、この頃になると自分が住んでいた田舎町の狭さが段々と窮屈になっていた。世の大きな流れからは外れたことによる後ろめたさ故に、どこへ行っても顔見知りがいることで監視されているような感覚が芽生えつつあった。

15歳の春、片道1時間半の電車通学が始まった。
高校生になっても彼と会う機会は何度かあったけれど、「彼女にプレゼントを買いに行くから付き合ってほしい。」と、どこにでもいる健全な男子らしい彼の発言にときめいては傷ついて、段々と疎遠になっていった。

いつのまにか時は流れ、恋だの愛だのに一喜一憂出来た頃が懐かしく思えるほどには年齢と経験を重ねていた頃、地元とはだいぶ離れた街で一度だけ彼を見かけた。彼女らしき女性と一緒に無印良品で家具を選んでいた。クシャッと屈託なく笑う顔が見えて、危うく名前を呼びそうになった気持ちをあの頃と同じように押し殺した。

それでよかった。


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