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LOVE 2019

「プレリュードに乗ってディスコに行って赤プリに泊まって…。」と、令和の時代には些か意味不明なワードをスラスラと並べ立てられるくらい物質文明の子だったもんな…と回顧しながら自分の恋愛観ってなんだろうと考えている。

恋愛ってのは最低限2人の個性が絡み合った結果の産物じゃない?
人によっては、そこには僕も含まれるのだけど、人じゃない物体や物質に恋愛感情を抱く場合もあれどそこはひとまず置いといて。
すなわち、僕という人の個性を定義しないとその先が見えてこないのかなと思った。

僕の個性はと言えば、思いつく筆頭候補は「ワガママ」に他ならない。
中国では、一人っ子政策以降の物が豊富な時代に生まれ、両親と祖父母からふんだんな資金と余りある愛情を受けて育ち、自分がそれらを与えられる特別な存在だとなんの疑問も抱かない男児を、「小皇帝」と呼ぶらしい。
書きながら、たった数文字にこれだけの意味を持たせるセンスにニヤリとしてしまった。

そう、僕はワガママなんだ。
人の立場になって考えることなんか出来ない子供だったけど、それが許された。
許された、なんてのは今だから言える客観的な表現であって、その只中にいた時はそれが特別とも思わなかった。
体が大きくなるにつれて、自分の生きる世界も少しずつ大きくなって、その過程でワガママの質と言うかスタイルが磨かれて来たから、今に至ってもなんとか社会とよろしくやれているんじゃないか。
伊達や酔狂で昭和から生きてるわけじゃないっぽいこと言ってんな。

そんな僕だから、誰かの個性と絡み合うようなことはないと思ってた。
もっと言えば、そこには興味がなかった。
バカみたいにクルマが好きだった子供の頃に、折よく「恋愛はクルマでキマる!」的な文化が花開き、クルマのことを知れば、何かしら恋愛にまつわるエトセトラに触れられた。
運転手から手が届きやすい位置に助手席のシートを倒すレバーがある、なんてクルマに触れれば疑問を抱かずにはいられないし、そういうところから男女のあれやこれやに合点が行くことが多かっただけだ。

インターネットもWikipediaもなかった頃に知的好奇心を満たしてくれる手段は辞書だった。
子供の探究心を育てることに熱心だったうちの親は、幼い僕が「これってなに?」と聞くたびに「すぐに人に聞くんじゃなくて、辞書を引きなさい。」と諭した。
飯の種を蒔いては刈り取る零細自営業に勤しむ脇で、取るに足らない疑問を淡々と投げかける子供がただひたすら面倒臭かっただけであろうことは想像に難くないが、「誰かに聞く」は選択肢になかった。
そうして何にするにも理論武装の頭でっかちとなった僕は、文頭のようなキーワードに心躍るイヤな子供になった。

芽生え始めた興味をもとに、辞書で「恋愛」を引くと「男女が互いに〜」とか「特定の異性に〜」とかそういう書き出しで始まって、とっくの昔からゲイである僕にはのっけから閉店ガラガラ状態。
今じゃだいぶ記述の仕方が変わったんだろうけど、WHOで精神疾患と銘打たれてた時代だもの、無理もないよね。

そんなわけで、僕にとっての恋愛は「そんなものは無いのである。」からのスタートだった。
そりゃあ、「こんなにも男女で違う恋愛観!違いを乗り越えてシアワセを掴もう!」みたいなタイトルの記事を一瞥し、記事の中身よりも「幸せ」をカタカナにする意味や狙いについて考えてみたくもなるもんだ。
そんな巷間の概念に翻弄されつつ、芯になりそうかもしれないと拾って来た細い枝に少しづつ粘土や樹脂で肉付けをし、本物に見えるペンキを塗って、見てくれはそれなりの樹になったように見える自分なりの恋愛観を育てた。
真偽のほどを論ずるものではないと思ってはいても、やはりどうしてもそれが本物とは今も思えずにいる。

かつて「ニセモノなんか興味はないワ ホンモノだけ見つけたい」と高らかに歌い上げた歌手だって、あれから20年経ったら「ニセモノだって愛せたなら ホンモノより輝き出す」とリメイクする時代。
なんかいいよね、気兼ねなくニセモノだっていいじゃんと言えるような時代。
生きやすいなと思う反面、諦念の境地のような気もするけど、まぁなんでもいいかと思えるくらいには年齢を重ねたのかもしれない。

そんな僕が恋愛観のようなものを書く回のスタートです。



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