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賑わう街の記憶——鉄道の開通とノンフィルム資料から見る米子の映画館②

2023年8月1日(火)~8月30日(水)にかけて、米子市立図書館にて開催した展覧会見る場所を見る2+の「賑わう街の記憶——鉄道の開通とノンフィルム資料から見る米子の映画館」の解説文(会場にて希望者に限定配布)を掲載します。

前回(第1回)の記事は以下のリンクからお読みください。

8月11日(金・祝)には、会場の米子市立図書館でギャラリートークを実施しました。本展出品作家のClaraさんと、米子シネマクラブの会長として米子・境港の映画文化の発展に尽力してきた吉田明広さんに、展覧会の感想や鳥取での映画の思い出についてお話を伺いました。当日のレポートも記録していただいておりますので、こちらも併せてご覧ください!


山陰座×地方私鉄

1928(昭和3)年頃の昭和劇場(山陰座の後身)。何度も改称を重ねる。
松尾陽介『ふるさとの想い出写真集 明治・大正・昭和 米子』(国書刊行会、2020年)より

角盤町で興行していた米子大劇場(米子大劇)は、1926(大正15)年に開館した山陰座(山陰劇場)から歴史が始まりました。同年2月14日付の『因伯時報』には「島根県方面よりは電車見物かた/\多数の団体殺到する予報もあり」と掲載されており、県外から鉄道に乗車して、大勢の観客が山陰座に詰めかけていたようです。山陰座の誕生によって、米子市内の映画常設館は米子館米子キネマ館を合わせた3館、そして芝居小屋の朝日座御幸座も含めると5館体制になりました。5館はそれぞれ終戦を迎えた後も映画館として長い間存続します。

『因伯時報』1926年2月14日付

映画館が乱立した時期と前後して、米子の交通網もさらに拡大していきました。1924(大正13)年7月から地方私鉄である法勝寺電車が開業。現在の米子駅の北東に存在した米子町駅(1927(昭和2)年の米子市制施行後は「米子市駅」に改名)から西伯郡南部町(当時は西伯町)の法勝寺駅間を結んでおり、1967(昭和42)年に廃線となるまで地元住民の生活に必要不可欠な交通手段として利用されました。当時の車両は米子市と南部町に1両ずつ残っており、2011(平成23)年には鳥取県の保護文化財に指定されています。

米子市元町パティオ広場に保存されている、法勝寺電車。
日本に現存する最古の木造三等客車。2023年3月8日撮影

また、法勝寺電車が開業した翌年にあたる1925(大正14)年には、米子電車軌道(皆生電車)が開通しました。当初は角盤町と皆生温泉を結ぶ運行でしたが、その後、角盤町から灘町経由で米子駅に通じる灘町線や、角盤町から市役所を経て加茂町へ向かう中央線が続々と開通しました。全線7.7kmの営業路線で、祖田定一『さよならチンチン電車——法勝寺電車の記録』(個人出版、1989年)によると、1929(昭和4)年頃は年間80万人が乗降しており、山陰では珍しい市街電車を地元住民はよく自慢の種にしていたそうです。鉄道によって交通アクセスが整備された皆生温泉はより一層活気づき、1925(大正14)年には過去最高の売上を記録しました。

山陰線が開通して県内外から人が押し寄せることになった米子は、より利便性の高い交通手段を用意する必要に迫られ、市内を走る法勝寺電車米子電車軌道がほぼ同時期に誕生しました。米子駅や繁華街の角盤町を起点とする地方私鉄が市民に親しまれる環境になったのは、映画館が街の発展を先導したことが要因の一つとして考えられます。戦後に米子グランド映画劇場(山陰座の後身)の社長を務めた高橋務氏は「映画館ができてから、その周辺がにぎわい、商店などが密集し始めた」(『日本海新聞』2005年7月24日付)と当時のことを語っており、街の発展途上期に建設された数々の映画館が米子に与えた影響の大きさが窺えます。

米子大劇×高橋ユニオンズ

山陰座が米子大劇場(米子大劇)に改称したのは、1947(昭和22)年8月のことです。ナイトショー特別試写会といったユニークな催しを企画していたのが特徴で、『日本海新聞』にも数多くの広告を掲載しています。1950(昭和25)年1月には「野球と映画の会」と題して、米子出身のプロ野球選手である土井垣武を招いて座談会抽選会を開催しました。

『日本海新聞』1950年1月18日付

米子大劇場は野球に関連したイベントを他にも開いており、球団を設立したばかりの高橋ユニオンズというプロ野球チームが、1954(昭和29)年に長期ロード・山陰シリーズとして米子にやって来たことが『山陰新報』から確認できます。高橋ユニオンズは1956(昭和31)年までの3年間、パシフィック・リーグに所属したチームで、1957(昭和32)年に大映スターズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に吸収合併されました。

川島卓也『ユニオンズ戦記』(彩流社、2022年)によると、ユニオンズは大阪発下り急行「いずも」に乗り、米子駅に到着すると駅前に集まった5000人に及ぶファンに向けて約100個のサインボールを投げ、市内パレードも行いました。米子大劇場は前夜祭の会場として開かれ、超満員のファンは選手や監督と交流を深めたようです。翌日の試合でユニオンズは湊山球場で近鉄パールスとダブルヘッダーを行い、2試合連続のサヨナラ勝ちを収めて、大盛況のうちに米子での試合を終えました。ラジオ山陰試合中継を行ったり、市内各商店からホームラン賞用の商品が寄贈されたりと、街全体で野球観戦に熱中していたことが感じられます。

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