紙の上のスクリーンーー鳥取の映画館と「読む」メディア⑤ 「まち」をつなぐ、映画館の「読む」メディア
2023年1月30日(月)~2月5日(日)にかけて、Galleryそらにて開催する展覧会「見る場所を見る2」の第2部「紙の上のスクリーンーー鳥取の映画館と「読む」メディア」の解説文(会場に設置予定)を、5回に分けて掲載します。
前回(第4回)の記事は以下のリンクからお読みください。
また、展覧会の第1部「米子市内の映画館&レンタルビデオショップ史」の解説文は以下から読むことができます。
第1章「密集する劇場、度重なる火災」
第2章「最盛期の7館体制」
第3章「映画館の減少、スクリーン数の維持」
第4章「オルタナティブな上映の場」
レンタルビデオ店との共存を模索
本展示では、フェイドインから鳥取東映シネマ、そして鳥取シネマに至るまでに発行された4つの印刷物(『プレス・ハッスル』『Style』『VISION』『moimoi』)に注目しました。
それぞれの印刷物に異なる特徴がありましたが、どの時代にも共通しているのは、映画館が少ない鳥取でいかにして映画を楽しんで見てもらうかを念頭に置いて紙面を作り上げている点です。中でも、映画を見るためには映画館だけではなく、レンタルビデオ店も積極的に活用すべきだというメッセージを、当の映画館が観客に伝えていたことは、地方都市・鳥取ならではの特徴ではないでしょうか。
『プレス・ハッスル』が発行された1990年代初頭は、鳥取市内にレンタルビデオ店が続々と開業したり、衛星放送の視聴が可能になったりしたことで、映画鑑賞を家庭で楽しめる環境が形成された時期でした。
そうした状況下で映画館は苦境に陥るとの論調もありましたが、フェイドインの中村俊一郎社長は「周防正行監督の『Shall we ダンス?』が大ヒットしたのは、周防監督の旧作『シコふんじゃった』や『ファンシイダンス』をビデオで見て、周防作品の面白さに気付いたファンが、映画館に押し寄せたのが一因と思う」(『日本海新聞』1996年6月20日付)と述べ、ビデオが映画興行に与える影響を逆手にとって、共存しようと営業を続けていました。
「まち」をつなぐ、映画館の「読む」メディア
しかし、同時期に中村社長は「映画館から何かを情報発信していないと、忘れられてしまう」(『日本海新聞』1996年6月22日付)とも語っています。映画館の存続のため、そして情報発信のために有効であったものが印刷物でした。
本展示でご紹介はしていませんが、フェイドインは鳥取のタウン誌『スペース』にも継続的に情報を掲載しています。同誌は「参加の本」という考えのもと、1978(昭和53)年から1997(平成9)年まで発行されていました。映画館は、館外から発行される印刷物でも欠かさずに情報発信を行っていたのです。
そして、当時の人々はそれらの印刷物を通して、レビューされている作品を実際に鑑賞したかのように想像したり、映画館に集う代わりに紙面上で他の観客や映画館と交流を図ったりするような体験ができました。すなわち、印刷物は紙上のスクリーンになり、観客の映画体験の一端を為していたのです。
『映画館と観客のメディア論』(青弓社、2020年)の著者である近藤和都さんは、1920年代後半から映画館が「複合施設化」していく過程を論じ、喫茶店や屋上庭園などの様々な施設が設置された事例を挙げています。鳥取の世界館でも、隣接する土地で飲食店コーチャンの営業や、1973(昭和48)年には世界館とコーチャンを総合したセントラル会館の建設など、映画館の複合施設化が試みられてきました。それらの点に加えて、今回4つの印刷物を読んだ上で私が考えたのは、鳥取においては「まち」という単位が重要だということです。
前述した『スペース』でも、映画館の上映情報と共に、レンタルビデオ店の情報提供によるビデオ品の紹介、フェイドインとの共同企画として実施するレイトショーや銀幕茶会(市内のカフェ・プティメゾンが食事を提供)の告知など、「まち」ぐるみで映画を楽しむための紙面作りが行われていました。その紙面からは、鳥取の映画文化を、映画館と観客、そして「まち」が一緒になって支えようとしていたことが読み取れます。
つまり、フェイドインをはじめとする鳥取の映画館は「まち」ぐるみで複合施設化した映画館であり、そのビジョンを観客にも伝えるために、映画館が発行する印刷物や『スペース』などの「読む」メディアが、「まち」に散らばる各施設をつなぐマップの役割を果たしていたのだと言えるでしょう。
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