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足と雫 '2

初夏 消えてしまいたい夜が続く。妙に息苦しいのは初夏のせいだろうか。どこかへ行きたいわけでもない。話がしたいわけでもない。救いを待っているわけでもない。 もう本当、ただ自分のためだけに消えてしまいたい、こんな夜は。積み重ねた小さな幸せが突然リセットされて、大きな悲しみだけはゆっくりと積もっていく。それは月日のように、意味もなく残酷にも続いていく。いつか幸せも悲しみもすべてが元通りになるその瞬間を待って、あと何回朝に悲しくなればいいのだろう。 五月病だって言ったじゃないか。い

    • ああ またこれか 慣れっこもない悲しみのひとつ 少し前から知っていた されど絡まったままの白はほつれのない綺麗な布地 光が 花が 月が 流されてくのを見ずに見つめて 時が 色が 待っていた日が 流れていってもう拾えない 昨日じゃだめか 明日じゃだめかと伏せる、塞ぐ 部屋には灯る 暗さだけが場所を取る 部屋に流れる 悲しい楽隊 そうして見送るうちに手遅れになって また影を肥やして日々を待っても

      • 足と雫__1

        まず 「足と雫」というシリーズを始める。 大義はない。毎日浮かんでは消えていく、泡のような考え事を無理やり言葉のフォーマットで記録するという、いたってシンプルなコンセプト。 この題にも意味はない。今パッと「生活」というイメージから連想した語がたまたま「足と雫」だったので、これにする。だから後で変わっているかもしれない。※1 それくらいのもの。 葉の先からこぼれる雫みたいに、不規則的に放出されることばたち。それの受け皿。 ※1 さっそくですが、タイトルが「足と糸」か

        • 咲くとき

          カーテンを開けたとき。 靴を履いたとき。 傘を差したとき。 水溜まりを踏んだとき。 好きな曲が流れたとき。 晴れ間がのぞいたとき。 風が吹いたとき。 貴方を見つけたとき。 部屋に灯りを点けたとき。 何かが咲いた気がする。

          受け止める

          「◯◯ってまず何でも受け止める人よな」と、最近友人に言われた。 これはよくぞ自分の核心を突いてくれたなと思ったので記事にする。以前に書いたものと同じ内容を含むかもしれないが悪しからず。 “受け止める”という行為について、自分の人生観が深く関係していると考える。 それが何かというと、”影響”についての考え方。”因果”と言ってもいいかもしれない。 簡単に言えば、「鶏が先か、卵が先か」というような話で、冒頭に書いた友人の台詞を受けて、自分は日常の中で逐一「これってAだからBなのか

          受け止める

          ゆうれいさんぽ

          久しぶりに外に出た。 病明けの体力を取り戻すべく、お散歩と書いてリハビリってやつを始める。 縛りとして、歩いている間しかここに言葉を書けないようにする。歩きスマホでしかないけど、普段から人一倍そういうのには気をつけて生きている人間なのでそこのところはご安心ください。 コロナになってから10日が経ち、久しく本格的に日の下に出た。マスクもつける。 コロナは治ったものの、まだあらゆる感覚が麻痺しているみたいで、歩いているだけでなんだか不思議体験。擬音でいうと「ぽわぽわ」している

          ゆうれいさんぽ

          換金

          今年の目標として、お金を死ぬほど使いたい‼︎ってのがある。 もちろんだけど無駄遣いがしたいわけではない。むしろお金貯めたい。だけど、それだけじゃあ何にもならない。お金のために時間と労力を消費したなら、何かのためにお金を消費すべきだ。 自分にとってその"何か"は経験にあたる。 お金で買えるものは何だってしたい。 「世の中金か愛か」という論争があるが、個人的には本当にどちらも50:50で大事だと思う。 だって世の中、本質的に見ればお金がなきゃできないことなんて何一つない。お

          声が聞きたくなった。 柔らかくて、鋭さがあって、たしかに温もりをもったあの声が欲しい。 人間が最初に忘れるのは声らしい。そんなこともないだろう、と昔は思っていた。 もう随分と前に亡くなったあの人の声を思い出せたから。それが反例になると思っていた。 でも、今でもずっと鳴っているその声に耳を澄ましてみて、ようやく理解した。 音と言葉だ。 音は波で、言葉は意味で、俺はそれを覚えていただけにすぎなかった。 思い出せていたのは意味を持っただけの単なるメロディで、古くに聴き

          2023 12/27 レディクレ ヨルシカ ライブレポート

          てん。と申します。 さてさて!FM802 RADIO CRAZY 2023に行ってまいりました!自分としては初めてのフェスで、なによりヨルシカがフェス初出演、そしてその他にも大好きだったり気になったりしているアーティストさんが沢山いらっしゃったので行くしかなかったです。 ⚠️ここからライブの内容をネタバレ全開で語ってまいります。まだ知りたくないよという方は、ここでこの記事をそっと閉じることをおすすめします。 直前のアーティストの出番が終わってから、待つこと数分。舞台に白い

          2023 12/27 レディクレ ヨルシカ ライブレポート

          二十歳

          二十歳になった。なって2週間が経った。 何が変わったということもなく、冬は寒いし、夜は更かすし。きっとこれから何かが変わってしまったことに気づいていくのだろう。 二十歳を迎えるその瞬間に命を絶つ、それが昔々思い描いた未来理想図だった。 今だっていつ死んだっていいと思うのは変わらない。ただ、それじゃ納得できない何かがあって。 日を跨ぐその時にカウントダウンをしてくれた友人も、ずっとずっと前からこの日を楽しみにしていてくれた大切な人たちも、すべてが大切で仕方ないからこそ、彼らを

          距離と乾き

          湿り気のない人間関係って素敵だなと思う。 たとえばお互いにずっと敬語を使い合ってるんだけど、仲の良さが十分にわかったりだとか、そうした言葉や態度が適切な距離として機能している人たちとか。 そういった「距離のある人間関係」を私は他人と築いていきたいと思っている。 人間関係とは距離を縮めることだけでは決してないし、互いに信じ合うことだけでもない。 離れてみなければ全体は見えない。 私にとって「信じている人」とは、「裏切られても構わない人」。 信じたことの責任を私自身が負って

          距離と乾き

          「いいね」がいいねすぎる

          Twitter(X), Instagram, YouTube… 昨今の我々の生活にはSNSが当然のものとして浸透しているわけだが、そこには基本的にいいね機能というものがある。一般的な概念だと思うので説明は省くが、私はふと思ったのである。 「いいね」がいいねすぎる。 「素晴らしい」でも「評価に値する」とかでもなく「いいね」 それは非常にシンプルで、カジュアルで、感覚的な心の動きのことなのだと思う。 たとえば、全く有名でもない、ただ自分が好きなFFさんが「明日は〇〇に行く

          「いいね」がいいねすぎる

          思い出してしまうな

          ひとりじゃ行かない場所へ連れて行ってくれたり はじめての長電話をしたり 予定をすり合わせたり 苦しい日々に声をかけてくれたり 何でもないような日を祝福してくれたり 生活と帰り道に貴方の香りが残っていて思い出してしまうな いずれひとりに戻るそのときに思い出してしまうな 消えてなくなってしまいたいときにも忘れられなくて困ったな 貴方はどうか思い出さないで、なんて そんなことができる貴方じゃ愛せなんてしなかったのに あぁ 僕も思い出されてしまうな 貴方をずっと大切でいられる

          思い出してしまうな

          雑生

          誰かに会って、何かを話して、一緒に歩いて。 そうしている瞬間は疑いようもなく幸せで、決して偽りであるはずがないのだけれど 帰った家の中では訳もなく寂しくて苦しくて このまま消えてしまえれば貴方はどんな顔をするだろうか、なんてことを考えてしまう。 どちらの自分も間違いなく本当で、誰も何も悪くない 自分の中にだけそういった感情が渦巻いていることが切なくて、貴方に失礼だなと思ってしまう。 背筋も爪も伸びないで、伸びていく前髪だけが鬱陶しくて 誰もいない部屋の中でさえ私

          オールドレンズ

          明日になれば、って昨日も思ってたでしょう どうにも降りられない列車の中 終着は朝ぼらけ カーテンもいらない闇の中 執着で痣だらけ 何ひとつも取り返せない あの頃みたいにいたいだけ 気がつく前にどうか溺れさせて 賢くなんてならないで、なれなくて それがずっと馬鹿なままね  明日になれば、って今日も思うのでしょう どうにも逃げられない空想の中 夕焼けは赤らんで 香りもしない後悔の中 言い訳は変わらんね 何ひとつも取り返せない あの頃みたいに痛いだけ 火がつく前にどうか零れさ

          オールドレンズ

          ファッショナブル

          人の気持ちがわかってしまう これはきっと才能というもの だから見事に演じてみせたい 情けない風の人気者になって だから少し嫌がらせをしたい 怒った人にはぼけっと接して 自分の気持ちわからなくなる そろそろ夜がきたのでねむる 明日はどんなわたしを着よう

          ファッショナブル