ゆうれいさんぽ

久しぶりに外に出た。
病明けの体力を取り戻すべく、お散歩と書いてリハビリってやつを始める。

縛りとして、歩いている間しかここに言葉を書けないようにする。歩きスマホでしかないけど、普段から人一倍そういうのには気をつけて生きている人間なのでそこのところはご安心ください。

コロナになってから10日が経ち、久しく本格的に日の下に出た。マスクもつける。
コロナは治ったものの、まだあらゆる感覚が麻痺しているみたいで、歩いているだけでなんだか不思議体験。擬音でいうと「ぽわぽわ」している。死んだみたいな心地。車は止まってくれるし、すれ違う人たちもみんな僕のことが見えているみたい。不思議な感覚を抱えたまま小さく会釈をして歩いていく。

今、高速道路が視界の上の方にあって、かっこいいなと思いながら歩いている。うん、かっこいい。より天に近くて、並ぶものが少ないのがかっこいい。そんなことを考えていると黄色の情報が目に入ってきた。視界を少し落として、菜の花かな、多分そうだと思う。たくさん整列していて綺麗だった。そういえば外があたたかい。春の陽気を感じて、その訪れが待ち遠しくなる。鼻は未だにむずむずしているので、匂いはまだおあずけらしい。残念。

ベッドの上で寝込んでいた隙に前髪がものすごく伸びていたようで邪魔くさい。ぺたーんとすると鼻先に届きそうなくらい。そこそこ鼻は高い方だと思っているので、追いつかれたか〜と一人でに悔しくなる。歩きながら来週カットの予約をいれた。

よく知らない道を歩いていたらよく知っている道に出た。これは方向音痴あるあるだろうか。こことここって繋がってるんだ!という驚きを覚える瞬間がよくある。世界の狭さを知るのは、いつも自分で歩いてからである。

神様にでもカメラを持ってもらって、僕がただ町を歩く姿を後ろから撮っていてほしい。きっと面白い画になる。花屋の店先を眺める僕も、人と目が合った気がして目線をどこかにやる僕も、これを書きながら歩いている僕も、面白いと思う。

なんてことを考えていると、次は元カノと歩いたことのある道に出た。覚えている、高架下の駐輪場も、元カノが中学時代の後輩に声をかけられていたことも。だけど、なんでこの道を通ったんだっけ。その後どこに行ったんだっけ。思い出せない。
こういうことを言うと、未練がましいだのなんだのと言ってくるやつらがいるから困る。そのときの自分がときめいた瞬間のひとつひとつを拾い集めて、僕らはそれを否定することなく記憶として大切にしていくことで優しく、賢く在れるんだよ。だから僕らはどんな一瞬も忘れないでいよう。どうか死ぬまで憶えていよう。

通りにあったミニストップになんとなく足が入っていって、なんとなく手がアイスを買った。ほんとになんとなく。欲も意識も特になく。

おいしかった

ふと横目に差した西日が眩しい。もうじき日が暮れるだろう。気づけば足も、知っている道をなぞっていて、帰路についていることを自覚する。3時間か、歩いた方だろう。小さな旅をした。

この時間帯は光が町に影を描いていて、どこをとっても芸術的に思える。世界の色はとても美しくて、目ほど優れたレンズもそうそうないのだと感じる。

家が見えてきた。僕の後ろにある夕陽は、あのリビングから見ればきっと嫌になるほどの眩しさをしている。
いい日だった。こんなふうに生きたいな。死んだみたいに生きていたい。
町をさまよう幽霊のように、やさしく生きていきたいな。

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